芽変わり
今年の長野は今までになく寒波が襲ってきた。とても寒い。地球温暖化と叫ばれているのにこんな気候もあるものなんだな。信司は天気だけは人力ではどうしようもないさ、と父親の祐司も同じ事を昔から言っていた事を思い出した。とりあえず今はシンジ・トライの様子を見に行かなければ。信司は着込んで出かけた。長野の冬は厳しい。今頃東京の陽菜はきれいな振袖に袖を通し纏い美しくなっているのだろうか。高校時代の同級生にも会うと言っていた。自分の知らない、陽菜の高校時代までの人間関係。自分は入り込めない。だけどそんな事を考えても仕方がない。シンジ・トライ達が待っている。この寒さで心配になり信司はちょっと早足で見に行くとシンジ・トライの花芽は黒く焼けた様になり全滅していた。これじゃあ親父にも怒られるな。信司は失意の中で足取りも重く片付けやりんご園の他の木の見回りをする。そんな中でりんご園の隅に自然界ではあり得ない赤地の布の様なものを見つけた。
「何だろ⋯あれっ?」
近づいて拾ってみるとそれはお守りだった。紐は圧力で千切れたと思われる。これは陽菜が大輝先生から貰ったお守りだ。こんなところに。信司は土を払い自分の上着ポケットにそれを仕舞った。これを渡せば陽菜は安心するだろう。その教師から貰った大切な大事なもの。今も陽菜はその大輝先生と会って高校時代の話や長野での出来事などを楽しく話しているのだろうか。2人きりで?信司はそのお守りが入っているポケットを服の上から握った。そしてそのお守りが落ちていた横には見つけてくれと言わんばかりに青々とした芽を直上に向けて息づいているたったひとつの枝を発見した。お守りに寄り添ったひと枝だけが、寒さに耐えてふっくらと力強い生命力を宿したまま生き残っていた。普通なら全滅するはずなのに、ここだけ生きている。毎日りんごを見つめてきた信司の農家としての直感。あっ!これは普通じゃない【芽変わり】じゃないか!
足早に息を切らせながら祐司に知らせる。そして共同で研究している農大の教授にも連絡をした。
信司は今までの緻密で膨大なシンジ・トライのデータの記録を引っ提げ農大の教授であり共同の研究者である向井に会いに行った。向井が記録を検収している間に研究室の顕微鏡を見せてもらう。
「このボー(棒)みたいなの、何すか?」
信司は顕微鏡から見えた染色体の一部を尋ねる。
「ふっ、棒だって⋯!」
周りの研究者たちの失笑を買う。染色体の形を見て、そんな原始的な表現をする人間はここにはいない。この「ボー」が一体何なのかさっぱりわからなかった。どうせ高卒だし。学校の授業なんてまともに受けなかった。そんな様子を傍から見ていた向井に呼ばれ、信司は向井の研究室に通された。
「吉田君、すごいデータと着眼点だよ。素晴らしい。これからも是非続けて行こう。恥ずかしながら、私が見落としていたところもある。」
向井は信司のデータを評価した。
「吉田君、これは提案なのだけど君には研究のセンスはあるんだ。私は評価している。ただ正直知識が乏しいんだ。先ほどのやりとりも見ていて⋯非常に勿体ないと思う。もしその気があるなら、基礎から勉強してみないか。シンジ・トライの研究しながら、社会人入試で大学に入学してみるといい。吉田君、君はまだ若いのだからやってみたらどうだろうか。」
データを評価してもらっただけでも嬉しいのに、センスがあるとか社会人入試とか色んなことを言われ少々パニック状態になるとはこのことだけど何かやらなきゃならないことが増えてきた気がした。
「ありがとうございます。親父に相談してみます⋯!」
そう返事をして向井の研究室を後にした。




