第19章 それぞれの告白
僕の名前は、鈴木一二三。
鈴木奏の一人息子だ。
僕は北海道の札幌市にある、おじいさまの家で生まれ育った。
父はほとんど家に帰ってこなかった。どこかの病院で偉いお医者さんをしているらしく、毎日忙しくしていたようだった。
そのため、僕は母とおじいさまに囲まれながら、何不自由のない暮らしを送っていた。
裕福で、穏やかで、幸せな毎日。
そんな日々が、いつまでも続くと思っていた。
しかし、突然の不幸が僕を襲った。
小学二年生になった頃、母が交通事故で亡くなったのだ。
あまりにも突然の出来事だった。
昨日まで当たり前のようにそばにいてくれた母が、もう二度と帰ってこない。
幼かった僕には、その現実を受け止めることなどできなかった。
その後、僕は父のいる場所へ引っ越すことになった。
おじいさまのもとで暮らし続けるという選択肢もあった。けれど、父とおじいさまが話し合った結果、僕は父と一緒に暮らすことになったのだ。
父は相変わらず忙しく、なかなか僕の相手をしてくれなかった。
それでも、僕は父を尊敬していた。
世のため、人のために、日々研究に明け暮れる父。
多くの人を救うために努力を続けるその姿は、幼い僕の目にはとても立派に映っていた。
自慢の父だった。
けれど、新しい土地での生活は、決して楽なものではなかった。
小学校にも、なかなかなじめなかった。
母を突然失った悲しみ。
知らない土地。
知らない学校。
周りには、すでに仲の良い友達同士の輪ができあがっていた。
その中に入っていく勇気は、僕にはなかった。
結局、僕はおとなしく、一人で過ごすことが多くなった。
そんな僕に声をかけてくれたのが、浩太だった。
初めて話しかけられたときのことは、今でもよく覚えている。
何を話したのか、どんなきっかけだったのか。細かいことは、もう思い出せない。
ただ、気がつけば、僕の隣には浩太がいた。
そして、いつも一緒にいる花子ちゃん。
三人で過ごす時間は、驚くほどあっという間に過ぎていった。
学校でくだらない話をして笑い合い、放課後には一緒に遊ぶ。
そんな何気ない日常が、僕にとっては何よりも大切なものになっていた。
楽しい時間というのは、本当に早く過ぎるものだ。
親友という言葉は、きっと、ああいう関係を指すのだろう。
浩太は、僕にとってかけがえのない存在だった。
だからこそ、今でも信じられない。
その浩太が、死んでしまったなんて。
どうして、僕の周りにいる大切な人たちは、次々といなくなってしまうのだろう。
母がいなくなり、今度は浩太まで……。
そして今、僕の大切な彼女である花子まで、僕の前からいなくなろうとしている。
「待ってくれ! 花子は関係ないだろ!」
僕は必死に叫んだ。
けれど、僕の声が届くことはなかった。
花子は警察官に促され、パトカーへと乗せられていった。
ドアが閉まり、エンジン音が響く。
そして、パトカーは走り出した。
僕は、ただその場に立ち尽くしていた。
やがて、パトカーの姿も見えなくなった。
――どうしてだよ。
どうして、僕ばかりなんだ。
大切な人を失う悲しみは、もう十分に味わったはずなのに。
僕は雨に濡れながら、ゆっくりと空を見上げた。
灰色の雲が、どこまでも広がっている。
雨粒が顔を伝い、頬を濡らしていく。
それが雨なのか、涙なのか、もう自分でもわからなかった。
――ああ……神様
僕は、心のなかでつぶやく。
――どうして、僕の大切な人たちばかり、僕から遠ざけるんだよ……
返事はない。
――神様、いるなら……お願いだから、答えてくれよ
もちろん、だれも何も語らなかった。
僕は自分の不幸を笑った。
笑うしかなかった。
そして、降りしきる雨を全身に受けながら、その場に膝から崩れ落ちた。
* * *
大和警察署の応接室。
俺は、花子ちゃんをその部屋に招き入れた。
彼女は、まだ高校生だ。
事件の重要な関係者であることは間違いないが、犯人と決まったわけではない。そんな彼女を、いきなり取調室に通すのは気が引けた。
まずは落ち着いた場所で、話を聞くことにしたのだ。
もちろん、聞いておかなければならないことはある。
「ごめんね。急に来てもらっちゃって」
俺は向かいのソファに座る花子ちゃんに声をかけた。
「ちょっと聞きたいことがあってね。外は雨も降っているし、ここなら落ち着いて話せると思って、来てもらったんだ」
「いいえ、大丈夫です」
花子ちゃんは静かに答えた。
「なんとなく、連れてこられた理由もわかっていますから」
そう言うと、彼女は一度うつむき、何かを決意したように顔を上げた。
「たぶん、事件の夜に浩太と会っていたことですよね?」
「ああ」
「私が知っていることは、全部お話しします」
その言葉を聞き、俺は黙ってうなずいた。
花子ちゃんは、ゆっくりと話し始めた。
「あの日……いえ、浩太の様子がおかしくなったのは、事件の一か月くらい前からだったと思います」
「一か月前?」
「はい。なんだか、私と一二三君に対して、よそよそしくなったんです」
彼女は、当時のことを思い出すように視線を落とした。
「私と一二三君が付き合い始めた時期と重なっていたので、最初は、浩太なりに気を遣ってくれているのかなと思っていました。でも……それだけじゃなかったんです」
「それだけじゃなかった、というと?」
俺が尋ねると、花子ちゃんは小さく息を吐いた。
「事件の夜、私はどうしても落ち着かなかったんです」
「落ち着かなかった?」
「はい。何かに導かれているような……そんな不思議な感覚でした。今思えば、虫の知らせだったのかもしれません」
彼女は、言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「とにかく、じっとしていられなかったんです。それで、ちょっとコンビニに行ってくると言って、家を出ました。まさか、あの公園に浩太がいるなんて思ってもいませんでしたけど……」
「それで、公園で浩太君と会ったんだね」
「はい」
花子ちゃんは小さくうなずいた。
「そこで、浩太は私に告白してきたんです」
「告白……?」
俺は思わず聞き返した。
「好きだって、言われました」
その言葉に、俺は息をのんだ。
浩太君が、花子ちゃんに好意を寄せていた。
それなら、事件の一か月ほど前から様子がおかしくなったことにも説明がつく。
俺は口を挟まず、彼女の話に耳を傾けた。
「実は、その日の放課後にも、浩太に公園へ行こうって誘われていたんです」
「放課後にも?」
「はい。でも、そのときは母の用事があって、どうしても家に帰らなきゃいけなかったんです。それで、『また今度、一緒に行こうね』って言って別れました」
花子ちゃんの声が、少しずつ震え始めた。
「今思えば、あのとき、ちゃんと話を聞いてあげていれば……。もしかしたら、浩太は死なずに済んだのかもしれません」
「花子ちゃん……」
「私が、もっと早く気づいてあげていれば……」
彼女は唇をかみしめた。
応接室に、重い沈黙が流れた。
俺は、すぐには言葉を返せなかった。
大切な友人からの告白。
そして、それに応えられなかったことへの後悔。
花子ちゃんの胸中を思えば、簡単に慰めの言葉をかけることなどできなかった。
やがて彼女は、意を決したように顔を上げた。
「あの夜、浩太の気持ちは、すごく嬉しかったんです。でも、私はもう一二三君と付き合い始めていました。だから、その告白に応えることはできませんでした」
花子ちゃんは、一度言葉を切った。
「これからも、今までどおり幼なじみの友達として仲良くしていきたいって、そう伝えました。それから、私は家に帰ったんです」
彼女は、そこで話を終えた。
「……これが、あの夜にあったすべてです」
俺はしばらく黙っていた。
そして、静かに口を開いた。
「そっか。話してくれてありがとう」
花子ちゃんの表情には、悲しみと後悔が色濃く浮かんでいた。
俺は、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「ただ、一つ聞いてもいいかな。浩太君が亡くなって、発見されたとき、このことを話さなかったのはどうして?」
花子ちゃんは、少し困ったような顔をした。
「一二三君がいたからです」
「一二三君が?」
「はい。一二三君は優しい人だから……。もし、浩太が私に告白していたことを知ったら、気を遣わせてしまうんじゃないかと思ったんです」
なるほど。
確かに、彼女の言い分には筋が通っている。
浩太君の死を前にして、恋愛感情の話を持ち出すことにためらいがあったとしても不思議ではない。
話の内容にも、今のところ不自然な点は見当たらなかった。
彼女は本当のことを話している。
俺には、そう思えた。
しかし、だからといって、事件の謎が解けたわけではない。
浩太君が亡くなっていた現場には、いくつかの気になる物証が残されている。
飲んだ薬が入っていたと思われるタブレットケース。
意味のわからない数式。
そして、今日、新たに発見された、鈴木理事長の社員証。
どれも、まだ十分な説明がついていない。
特に、あの社員証は気になっていた。
なぜ、あんな場所に落ちていたのか。
事件当初からそこにあったのか。それとも、誰かが後から置いたのか。
考えれば考えるほど、疑問は深まるばかりだった。
やはり、彼に会って話を聞く必要がある。
鈴木理事長に。
「花子ちゃん、今日は本当にありがとう。つらいことを思い出させてしまって、ごめんね」
「いいえ……」
「一二三君にも、つらい思いをさせてしまったね。あとで、ちゃんと謝らないといけないな」
俺がそう言うと、花子ちゃんは少しだけ表情を和らげた。
「一二三君は、話せばわかってくれる人です。きっと、許してくれます」
「そうか」
俺は、ほっとしたように笑った。
そのときだった。
バンッ!
応接室の扉が、勢いよく開いた。
「亀山さん!」
飛び込んできたのは、大和警察署の受付を担当している吉川恵だった。
「どうした?」
俺は驚いて立ち上がった。
普段なら、彼女と話す機会があるだけでも少し嬉しいのだが。
だが、今は様子が違った。
恵の表情には、明らかな動揺が浮かんでいた。
「実は……」
彼女は息を整える間も惜しむように、続けた。
「佐藤浩太君を死なせてしまった、とおっしゃる方が出頭してきました!」
「な、なんだって!?」
俺は思わず声を上げた。
隣にいた花子ちゃんも、目を見開いている。
佐藤浩太君を死なせた人物が、自ら出頭してきた?
いったい、どういうことだ。
「その人は、今どこに?」
「受付にいらっしゃいます!」
「わかった。すぐ行く!」
俺は花子ちゃんに目配せをしてから、応接室を飛び出した。
受付へ向かう廊下を、足早に進む。
頭の中では、いくつもの可能性が駆け巡っていた。
事故だったのか。
それとも、誰かが意図的に浩太君を死なせたのか。
そして、今日見つかった社員証との関係は……。
考えはまとまらない。
だが、これから何かが大きく動き出す。
そんな予感がしていた。
受付にたどり着いた俺は、そこに立つ二人の姿を目にした。
一人は、若い女性。
顔色は悪く、ひどく憔悴している。今にも倒れそうな様子で、隣にいるもう一人の男性に寄り添うように立っていた。
女性はうつむき、肩を震わせている。
俺は彼女に近づこうとした。
そのとき、背後から花子ちゃんが追いついてきた。
そして、女性の顔を見た瞬間、驚きの声を漏らした。
「……なな姉!?」
花子ちゃんの声が、受付に響いた。
俺は思わず足を止めた。
なな姉……?
彼女がそう呼ぶ女性は、いったい何者なのか。
そして、本当に彼女が、浩太君を死なせてしまったというのだろうか。
雨音が、遠くから聞こえていた。
事件の真相へとつながる扉が、今、ゆっくりと開こうとしていた。




