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arithmetic  作者: たろSAN
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18/23

第18章 雨

 公園は、再び慌ただしい空気に包まれていた。

 証拠品が発見されたことを受け、俺は応援の警察官と鑑識を呼んだ。公園の脇には、二台の警察車両が停まっている。

「亀山さん」

 声をかけてきたのは、鑑識の担当者だった。

「とりあえず、証拠品はこちらでお預かりします。それと、発見された草むらを調べましたが、ほかに証拠品になりそうなものは見つかりませんでした」

「そうか。雨の中、ご苦労様」

 俺はそう答えながら、鑑識の手に渡された証拠品に目を向けた。

「でも、少し気になるんですよね」

「気になる?」

「ええ。事件当日、このあたりもくまなく調べたはずですよね。なのに、どうして今になって見つかったのか……。単に見落としていただけなんでしょうか」

 俺は腕を組んだ。

 確かに、それは気になる。

 事件当日、鑑識やほかの警察官たちが、この周辺を捜索していたのを俺自身も目にしていた。草むらの中も、当然調べていたはずだ。

 しかし、あの少年が指さしたのは、間違いなくこの場所だった。

「それと、もう一つ気になる点があります」

「ほう。それは?」

 俺は鑑識の言葉に耳を傾けた。

「雨のせいかもしれませんが、妙にきれいなんですよ、この社員証」

「きれい?」

「ええ。もし事件当初からここにあったのなら、土やホコリがもう少し付いていてもおかしくないんですが……。まあ、気のせいかもしれませんけどね」

 きれい、か……。

 俺は改めて、証拠品が発見された草むらに目を向けた。

 確かに、言われてみれば不自然な気もする。

 誰かが後から置いたのか。それとも、何か別の理由があるのか。

 今の段階では、何もわからない。

 だが、もしこれが事件の真相につながる手がかりだとしたら……。

 この事件には、まだ俺たちが気づいていない何かが隠されているのかもしれない。

 そんな予感が、胸の奥で静かに膨らんでいった。

 雨は依然として、強く降り続いていた。

 俺は空模様を確かめようと、ふと周囲に目を向けた。

 そのときだった。

 見覚えのある二人の姿が、視界の端に飛び込んできた。

 ――あれは……花子ちゃんと一二三君!

 俺は思わず目を凝らした。

 ちょうどいい、花子ちゃんに聞かなければ。

 事件前日の夜の事を…!

 俺は二人のもとへ駆け出していた。


 * * *


 私は、あれから研究室に行けずにいた。

 浩太君が亡くなったという事実が、あまりにも大きすぎた。

 何もする気になれず、ただ時間だけが過ぎていく。

 研究室には、しばらく休ませてほしいと連絡を入れてあった。

 けれど、家でじっとしていても、頭の中には同じ疑問ばかりが浮かんでくる。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 なぜ、浩太君は死んでしまったのだろう。

 何度考えても、答えは出なかった。

 あの漢方薬が原因だったのだろうか。

 たまたま浩太君にだけ、アレルギー反応が出てしまったのだろうか。

 それとも、私が知らない何かがあったのだろうか。

 そもそも、私は……。

 あのとき、浩太君を置いて逃げてしまった。

 浩太君を助けることもせず、自分だけ逃げてきてしまったのだ。

「最低だ、私……」

 声に出した途端、胸の奥が締めつけられた。

 どうして、あのとき助けようとしなかったのだろう。

 どうして、あの場から逃げてしまったのだろう。

 考えれば考えるほど、自分が許せなくなる。

 感情をうまくコントロールできなかった。

 何も考えたくないのに、考えずにはいられない。

 そんなとき、ふと、ある考えが頭をよぎった。

 ――あれは、夢だったのかもしれない……。

 そうだ。きっと、何かの間違いだったのだ。

 浩太君が亡くなったことも、あのときの出来事も、全部、私の思い違いだったのかもしれない。

 そう考えた瞬間、確かめずにはいられなくなった。

 あの公園に行けば、はっきりする。

 そこに行けば、何かわかるかもしれない。

 もしかしたら、すべてが元どおりになっているかもしれない。

 そんな淡い期待にすがるように、私は立ち上がった。

 行かなきゃ。

 確かめなきゃ。

 私は何かに取り憑かれたように、家を飛び出した。

 外は雨だった。

 けれど、傘を持っていこうという考えすら浮かばなかった。

 いや、傘を差すという当たり前のことさえ、思いつかないほど憔悴していたのだ。

 ただ、公園に行かなければ。

 その思いだけが、私を突き動かしていた。

 雨に打たれながら、私はひたすら歩き続けた。

 そして、ようやくあの公園の近くまでたどり着いたときだった。

 公園の脇に、二台のパトカーが停まっているのが見えた。

 その傍らには、警察官たちの姿がある。

 そして――。

 一人の女子高生が、警察官に促され、パトカーに乗せられようとしていた。

「花子ちゃん……!?」

 思わず声が漏れた。

 間違いない。あれは花子ちゃんだ。

 彼女は刑事らしき男性に促され、パトカーの後部座席へと乗り込もうとしていた。

 そのすぐそばでは、一二三君が警察官に制止されながら、必死に何かを叫んでいる。

「待ってくれ! 花子は関係ないだろ!」

 雨音にかき消されそうになりながらも、その声がかすかに聞こえた。

 一二三君は、花子ちゃんを連れていかせまいと、警察官の制止を振り切ろうともがいていた。

 けれど、その願いもむなしく、花子ちゃんはパトカーの中へと姿を消した。

 ドアが閉まる。

 そして、パトカーは静かに走り出した。

 残された一二三君は、走り去るパトカーを見つめていた。

 やがて、彼は雨の降りしきる空を仰ぎ、ふっと笑う。

 そして、何かをこらえるように顔を歪めたかと思うと、その場に膝から崩れ落ちた。

 私は、その光景をただ呆然と見つめていた。

 何が起きているの?

 花子ちゃんは、どうして警察に連れていかれたの?

 そして……。

 やっぱり、浩太君は本当に死んでしまったの?

 私が、殺してしまったの?

 頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。

 何もわからない。

 何も考えられない。

 わからない。

 わからない…。

 わからない!

 私は、気づくと走り出していた。

 どこへ向かうのか、自分でもわからなかった。

 ただ、この場から逃げ出したかった。

 目の前で起きたことを、これ以上受け止めることができなかった。

 雨が顔を打つ。

 髪も、服も、すでにずぶ濡れだった。

 それでも、私は走り続けた。

 なんで花子ちゃんが?

 私は、これからどうすればいいの?

 誰か……。

 誰か、助けて。

 誰でもいいから……!

 心の中で叫びながら、私は涙を流して走り続けた。

 もう、何もかもがわからなかった。

 どれくらい走ったのだろう。

 不意に、雨音の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。

「綾瀬!」

 私は、はっとして足を止めた。

 息を切らしながら、声のした方を振り返る。

「林……君?」

 そこにいたのは、林君だった。

 彼は傘を手に、驚いた表情でこちらを見ていた。

 そして、すぐさま私のもとへ駆け寄ってきた。

「綾瀬、何してんだ! 傘も差さずに……。ずぶ濡れじゃないか!」

 そう言いながら、彼は私の頭上に傘を差し出した。

 その声が。

 その何気ない優しさが。

 張り詰めていた私の心を、ゆっくりと溶かしていった。

 もう、限界だった。

「うっ……ううっ……」

 こらえようとしても、涙が止まらなかった。

「うわぁぁぁぁん……!」

 私は、林君の胸に飛びついた。

「綾瀬!? お、おい……!」

 突然のことに、林君は戸惑ったような声を上げた。

 けれど、私は何も言えなかった。

 ただ彼の胸に顔をうずめ、声を上げて泣き続けた。

 悲しみも、後悔も、恐怖も。

 自分でも整理できない感情が、一気にあふれ出してくる。

 林君はしばらく戸惑っていたが、やがてそっと私の肩を抱き寄せた。

 そして、何も聞かずに、私の背中を優しくさすってくれた。

 雨の音だけが、二人の間に響いていた。

 どれくらい、そうしていただろう。

 やがて林君は、私の冷え切った身体に気づいたように声をかけた。

「……身体、冷え切ってるじゃないか。とりあえず、俺の家に行こう。温かいものでも飲んで、少し落ち着こう」

 その言葉に、私は小さく首を横に振った。

「……ごめん、林君」

「え?」

 私は涙をぬぐい、震える声で告げた。

「私を……警察署まで連れていって」

「……え? 警察署?」

 林君の表情が、驚きに変わった。

 私は、彼の目をまっすぐに見つめた。

 もう、逃げたくなかった。

 何が起きているのか、知りたかった。

 たとえ、それがどんなに残酷な真実だったとしても。

 私は、すべてを確かめなければならない。

 そう思っていた。

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