第18章 雨
公園は、再び慌ただしい空気に包まれていた。
証拠品が発見されたことを受け、俺は応援の警察官と鑑識を呼んだ。公園の脇には、二台の警察車両が停まっている。
「亀山さん」
声をかけてきたのは、鑑識の担当者だった。
「とりあえず、証拠品はこちらでお預かりします。それと、発見された草むらを調べましたが、ほかに証拠品になりそうなものは見つかりませんでした」
「そうか。雨の中、ご苦労様」
俺はそう答えながら、鑑識の手に渡された証拠品に目を向けた。
「でも、少し気になるんですよね」
「気になる?」
「ええ。事件当日、このあたりもくまなく調べたはずですよね。なのに、どうして今になって見つかったのか……。単に見落としていただけなんでしょうか」
俺は腕を組んだ。
確かに、それは気になる。
事件当日、鑑識やほかの警察官たちが、この周辺を捜索していたのを俺自身も目にしていた。草むらの中も、当然調べていたはずだ。
しかし、あの少年が指さしたのは、間違いなくこの場所だった。
「それと、もう一つ気になる点があります」
「ほう。それは?」
俺は鑑識の言葉に耳を傾けた。
「雨のせいかもしれませんが、妙にきれいなんですよ、この社員証」
「きれい?」
「ええ。もし事件当初からここにあったのなら、土やホコリがもう少し付いていてもおかしくないんですが……。まあ、気のせいかもしれませんけどね」
きれい、か……。
俺は改めて、証拠品が発見された草むらに目を向けた。
確かに、言われてみれば不自然な気もする。
誰かが後から置いたのか。それとも、何か別の理由があるのか。
今の段階では、何もわからない。
だが、もしこれが事件の真相につながる手がかりだとしたら……。
この事件には、まだ俺たちが気づいていない何かが隠されているのかもしれない。
そんな予感が、胸の奥で静かに膨らんでいった。
雨は依然として、強く降り続いていた。
俺は空模様を確かめようと、ふと周囲に目を向けた。
そのときだった。
見覚えのある二人の姿が、視界の端に飛び込んできた。
――あれは……花子ちゃんと一二三君!
俺は思わず目を凝らした。
ちょうどいい、花子ちゃんに聞かなければ。
事件前日の夜の事を…!
俺は二人のもとへ駆け出していた。
* * *
私は、あれから研究室に行けずにいた。
浩太君が亡くなったという事実が、あまりにも大きすぎた。
何もする気になれず、ただ時間だけが過ぎていく。
研究室には、しばらく休ませてほしいと連絡を入れてあった。
けれど、家でじっとしていても、頭の中には同じ疑問ばかりが浮かんでくる。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
なぜ、浩太君は死んでしまったのだろう。
何度考えても、答えは出なかった。
あの漢方薬が原因だったのだろうか。
たまたま浩太君にだけ、アレルギー反応が出てしまったのだろうか。
それとも、私が知らない何かがあったのだろうか。
そもそも、私は……。
あのとき、浩太君を置いて逃げてしまった。
浩太君を助けることもせず、自分だけ逃げてきてしまったのだ。
「最低だ、私……」
声に出した途端、胸の奥が締めつけられた。
どうして、あのとき助けようとしなかったのだろう。
どうして、あの場から逃げてしまったのだろう。
考えれば考えるほど、自分が許せなくなる。
感情をうまくコントロールできなかった。
何も考えたくないのに、考えずにはいられない。
そんなとき、ふと、ある考えが頭をよぎった。
――あれは、夢だったのかもしれない……。
そうだ。きっと、何かの間違いだったのだ。
浩太君が亡くなったことも、あのときの出来事も、全部、私の思い違いだったのかもしれない。
そう考えた瞬間、確かめずにはいられなくなった。
あの公園に行けば、はっきりする。
そこに行けば、何かわかるかもしれない。
もしかしたら、すべてが元どおりになっているかもしれない。
そんな淡い期待にすがるように、私は立ち上がった。
行かなきゃ。
確かめなきゃ。
私は何かに取り憑かれたように、家を飛び出した。
外は雨だった。
けれど、傘を持っていこうという考えすら浮かばなかった。
いや、傘を差すという当たり前のことさえ、思いつかないほど憔悴していたのだ。
ただ、公園に行かなければ。
その思いだけが、私を突き動かしていた。
雨に打たれながら、私はひたすら歩き続けた。
そして、ようやくあの公園の近くまでたどり着いたときだった。
公園の脇に、二台のパトカーが停まっているのが見えた。
その傍らには、警察官たちの姿がある。
そして――。
一人の女子高生が、警察官に促され、パトカーに乗せられようとしていた。
「花子ちゃん……!?」
思わず声が漏れた。
間違いない。あれは花子ちゃんだ。
彼女は刑事らしき男性に促され、パトカーの後部座席へと乗り込もうとしていた。
そのすぐそばでは、一二三君が警察官に制止されながら、必死に何かを叫んでいる。
「待ってくれ! 花子は関係ないだろ!」
雨音にかき消されそうになりながらも、その声がかすかに聞こえた。
一二三君は、花子ちゃんを連れていかせまいと、警察官の制止を振り切ろうともがいていた。
けれど、その願いもむなしく、花子ちゃんはパトカーの中へと姿を消した。
ドアが閉まる。
そして、パトカーは静かに走り出した。
残された一二三君は、走り去るパトカーを見つめていた。
やがて、彼は雨の降りしきる空を仰ぎ、ふっと笑う。
そして、何かをこらえるように顔を歪めたかと思うと、その場に膝から崩れ落ちた。
私は、その光景をただ呆然と見つめていた。
何が起きているの?
花子ちゃんは、どうして警察に連れていかれたの?
そして……。
やっぱり、浩太君は本当に死んでしまったの?
私が、殺してしまったの?
頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
何もわからない。
何も考えられない。
わからない。
わからない…。
わからない!
私は、気づくと走り出していた。
どこへ向かうのか、自分でもわからなかった。
ただ、この場から逃げ出したかった。
目の前で起きたことを、これ以上受け止めることができなかった。
雨が顔を打つ。
髪も、服も、すでにずぶ濡れだった。
それでも、私は走り続けた。
なんで花子ちゃんが?
私は、これからどうすればいいの?
誰か……。
誰か、助けて。
誰でもいいから……!
心の中で叫びながら、私は涙を流して走り続けた。
もう、何もかもがわからなかった。
どれくらい走ったのだろう。
不意に、雨音の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。
「綾瀬!」
私は、はっとして足を止めた。
息を切らしながら、声のした方を振り返る。
「林……君?」
そこにいたのは、林君だった。
彼は傘を手に、驚いた表情でこちらを見ていた。
そして、すぐさま私のもとへ駆け寄ってきた。
「綾瀬、何してんだ! 傘も差さずに……。ずぶ濡れじゃないか!」
そう言いながら、彼は私の頭上に傘を差し出した。
その声が。
その何気ない優しさが。
張り詰めていた私の心を、ゆっくりと溶かしていった。
もう、限界だった。
「うっ……ううっ……」
こらえようとしても、涙が止まらなかった。
「うわぁぁぁぁん……!」
私は、林君の胸に飛びついた。
「綾瀬!? お、おい……!」
突然のことに、林君は戸惑ったような声を上げた。
けれど、私は何も言えなかった。
ただ彼の胸に顔をうずめ、声を上げて泣き続けた。
悲しみも、後悔も、恐怖も。
自分でも整理できない感情が、一気にあふれ出してくる。
林君はしばらく戸惑っていたが、やがてそっと私の肩を抱き寄せた。
そして、何も聞かずに、私の背中を優しくさすってくれた。
雨の音だけが、二人の間に響いていた。
どれくらい、そうしていただろう。
やがて林君は、私の冷え切った身体に気づいたように声をかけた。
「……身体、冷え切ってるじゃないか。とりあえず、俺の家に行こう。温かいものでも飲んで、少し落ち着こう」
その言葉に、私は小さく首を横に振った。
「……ごめん、林君」
「え?」
私は涙をぬぐい、震える声で告げた。
「私を……警察署まで連れていって」
「……え? 警察署?」
林君の表情が、驚きに変わった。
私は、彼の目をまっすぐに見つめた。
もう、逃げたくなかった。
何が起きているのか、知りたかった。
たとえ、それがどんなに残酷な真実だったとしても。
私は、すべてを確かめなければならない。
そう思っていた。




