第17章 聞き込み
浩太君が倒れていた公園。
昨日、北海道へ向かった青島さんを見送ったあと、俺はホワイトボードに目を通しながら捜査資料を調べていた。
そして今日、改めて事件現場を訪れ、周辺で何かを目撃した人がいないか、聞き込みをすることにした。
ちなみに――、あたりには……もう、あの香りは残っていない。
公園には子供たちの楽しそうな声が響き、その様子を親たちが穏やかな表情で見守っている。
いつもと変わらない、平和な光景。
ただ、一つだけ違うことがあった。
浩太君が横たわっていた場所を囲むように規制線が張られ、その脇には、一人の警察官が立っていた。
「ご苦労様です」
俺はそう声をかけ、警察手帳を見せた。
「あっ、亀山巡査。お疲れ様です」
警察官は姿勢を正し、敬礼を返した。
「何か変わったことはないかい?」
「そうですね……。特に変わったことはありません。しいて言うなら……」
「しいて言うなら?」
「今、私がトイレに行きたいということくらいですね」
「……行ってきてください。ここは俺が見てますんで」
「すみません。では、お言葉に甘えて」
警察官は申し訳なさそうに頭を下げると、足早にその場を離れていった。
さて、と。
俺は改めて周囲を見渡した。
滑り台にブランコ、砂場。子供たちが走り回り、その様子を親たちが見守っている。
どこにでもある、ごく普通の公園の風景だった。
そんな場所で、浩太君はいったい何をしていたのだろう。
いや、正確には、何が起きたのだろう。
俺は、彼が倒れていた場所に目を落とした。
地面に書かれていた、あの数式。
今はもう、跡形もなく消えている。
【50+50+20+3】
答えは、123。
数字そのものに意味があるのか。それとも、何か別のものを示しているのか。
いくら考えても、今の俺には答えが見つからなかった。
考え込んでいると、ふと視線を感じた。
その方向に顔を向けると、小さな男の子が目の前に立ち、じっとこちらを見上げていた。
「どうした?」
俺が声をかけると、男の子は一瞬びくりと肩を揺らした。
そして、何も言わずに駆け出し、どこかへ行ってしまった。
「……なんだ?」
不思議に思い、その後ろ姿を見送っていると、今度は初老の女性がこちらへ歩み寄ってきた。
「あの、すみません」
「はい。どうしましたか?」
振り返ると、女性は先ほどの男の子が走っていった方向を見ながら、にこやかに言った。
「さっきの男の子、私の孫なんですよ。かわいいでしょう?」
……なるほど。
どうやら、ただの孫自慢だったらしい。
「ええ、元気そうですね」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。
それにしても、あの警察官、早く戻ってこないかな。
そんなことを考えていたところへ、ようやく彼が戻ってきた。
「すみません、お待たせしました」
「いや、いいんだよ。現場の保持、引き続きよろしく頼む」
「わかりました。……あっ、そうそう」
「ん? どうした?」
「さっき、そこのコンビニでトイレを借りたんですけど、店内にいたお客さんが、事件当夜に公園で少女を見かけたって話していたんですよ」
「少女?」
思わず聞き返した。
浩太君が倒れていた夜、この公園に少女がいたというのか。
「それで、その人は今どこに?」
「すみません。もう我慢できなくて、トイレに入っちゃいまして。出てきたときには、もういなくなっていたんです」
生理現象だからな…、まぁ致し方ないか。
「……なるほど。年齢や性別、特徴は?」
「女性の声で、少ししゃがれた声でした。年齢は五十代から六十代くらいだと思います。服装までは見ていません」
「その人が話していたのは、どこのコンビニ?」
「すぐそこです」
警察官が指さした先には、小さなコンビニがあった。
「ありがとう。ちょっと行ってみるよ」
俺はそう言い残し、コンビニへと向かった。
店内に入ると、店員らしき人が二人いた。
ざっと見渡してみたが、先ほど聞いた特徴に当てはまりそうな女性の姿は見当たらない。
俺はレジにいた若い店員に声をかけた。
「すみません。少しお聞きしたいことがあるんですが」
そう言って警察手帳を見せた、その瞬間だった。
「あっ! あれは、魔が差しただけなんです! すみませんでした!」
店員は突然、勢いよく頭を下げた。
「……は?」
何のことだ?
俺は一瞬、言葉を失った。
「いや、ちょっと聞きたいことがあるだけなんだけど……」
「な、なんだ。それを先に言ってくださいよ! てっきり、昨日、賞味期限切れの弁当を黙って持って帰ったことがバレたのかと……」
「おい! あとでバックヤードに来い!」
店の奥から、店長らしき男性の怒鳴り声が飛んできた。
「す、すみません!」
若い店員は慌てて頭を下げた。
……なんだか、憎めないやつだな。
それに、そんなことで警察は動かないって。
俺は小さく息を吐き、話を本題に戻した。
「ところで、さっきまでここに、五十代から六十代くらいの、少ししゃがれた声の女性がいたと思うんだけど、心当たりはある?」
「ああ、それなら、上の階に住んでる幸江ばあさんじゃないですかね」
「幸江ばあさん?」
思いがけない名前が出てきた。
「その人、この上に住んでいるのか?」
「はい。三〇三号室ですよ」
「ありがとう。よく知ってるね。住んでいる部屋まで」
「ええ、ほぼ毎日来てますんで。俺、たまにこっそりデリバリーを届けて、小遣いをもらったりもしてるんですよ」
「ちょっと、こっちに来い!」
店の奥から店長らしき男性が出てきて、若い店員の腕をつかんだ。
「す、すみません! 出来心だったんです!」
若い店員は、またしても慌てて謝りながら、店の奥へと連れてかれた。
……やっぱり、なんだか憎めないやつだ。
俺は苦笑しながら、店員が教えてくれた三〇三号室へ向かうことにした。
コンビニが入っているのは、五階建てのマンションだった。
エレベーターで三階へ上がり、廊下を進む。
三〇三号室。
表札には「杉本」と書かれていた。
俺はその前で立ち止まり、インターホンを押した。
ピンポーン。
「はいはい、今行きますよ」
中から、しゃがれた女性の声が聞こえてきた。
しばらくして、玄関の扉が開いた。
現れたのは、話に聞いていたとおりの年配の女性だった。
幸江ばあさんは、俺の姿を足元から頭まで、なぞるようにじろじろと見た。
「……誰だい、あんた?」
「大和警察署の亀山と申します。杉本幸江さんでお間違いないですか?」
俺は警察手帳を提示した。
「はい、私が杉本幸江ですが……。警察が、私に何の用ですかいの?」
「昨日、公園で起きた件についてお聞きしたいことがありまして。事件当夜、あなたがあの公園で少女を見かけたと伺ったものですから」
「あら、誰から聞いたんだい?」
「うちの警察官が、コンビニでその話を耳にしたそうです。店員にその話をしていた方の特徴を伝えたところ、幸江さんではないかと教えてもらい、こちらに伺いました」
「なるほどねえ。さすが警察だね」
幸江ばあさんは、感心したようにうなずいた。
「確かに、昨夜、少女が公園から出ていくのを見たよ」
「本当ですか!」
思わず、声に力がこもった。
「どんな子でしたか?」
「どんな子って……。あれは、たぶん田中さんのところの花子ちゃんだよ」
「……えっ?」
頭の中が、一瞬、真っ白になった。
花子ちゃん?
事件の夜、花子ちゃんが浩太君のいた公園に来ていたというのか。
いったい、二人の間に何があったんだ?
「そ、それは間違いないんですか?」
「たぶんね。子供のころからずっと見てきたんだから、あの背格好は花子ちゃんだと思うよ」
そう言いかけた幸江ばあさんは、突然、俺の顔をのぞき込んできた。
「あっ! まさか、花子ちゃんが何かしたって思ってるんじゃないだろうね!」
「い、いや、そういうわけではありませんよ」
俺は慌てて否定した。
「あの子はとてもいい子だよ。何も悪いことなんかしちゃいない」
幸江ばあさんは、花子ちゃんをかばうように、きっぱりと言い切った。
確かに、花子ちゃんが何かをしたと決まったわけではない。
だが、気になることがあった。
花子ちゃんは、前日の夜に浩太君と会っていたことを、俺には話していなかった。
なぜ、黙っていたのだろう。
単に話す必要がないと思っただけなのか。それとも、何か理由があるのか。
今の段階では、まだ何もわからない。
「幸江さん、お話しいただき、ありがとうございました」
「いいんだよ。また何か聞きたいことがあったら、いつでも来な」
「ありがとうございます」
俺はもう一度頭を下げ、幸江ばあさんの部屋を後にした。
廊下を歩きながら、俺は昨夜の出来事を頭の中で整理した。
花子ちゃんが公園にいた。
そして、浩太君は倒れた。
花子ちゃんが事件に関係しているのかどうか、まだ断定はできない。
だが、少なくとも、もう一度話を聞いておく必要はある。
マンションを出ると、いつの間にか雨が降り始めていた。
「あちゃ、降ってきたか」
空を見上げると、灰色の雲が街を覆っていた。どうやら、しばらく止みそうにない。
俺は傘を買うため、先ほどのコンビニへ駆け込んだ。
「いらっしゃいませ」
レジカウンターにいたのは、さっきの若い店員ではなく、店長らしき男性だった。
「あれ? さっきの若者は?」
「あいつなら、裏で反省文を書いてますよ」
「……そうですか」
かわいそうに。
いや、まあ、自業自得といえばそれまでなのだが。
俺は苦笑しながら傘を買い、店を出た。
外は、思っていた以上の本降りになっていた。
傘を開き、もう一度公園へと戻る。
「ご苦労さん」
「あっ、亀山巡査」
現場に戻ると、先ほどの警察官がカッパを着て立っていた。
周囲は、さっきまでとは打って変わって静まり返っていた。
子供たちも、その親たちも、すでに姿を消している。
聞こえるのは、地面や遊具に雨粒が打ちつける音だけだった。
「降ってきたな」
「そうですね。なかなか強いですね。それで、何か聞けましたか?」
「ああ。ちょっと気になることを教えてもらったよ。その裏付けを取りに行こうと思う」
「そうでしたか。少しでもお役に立てたのなら、よかったです」
警察官は、どこかうれしそうに笑った。
「んじゃ、引き続き頼むよ」
俺はそう言って、その場を離れようとした。
そのときだった。
ひょこっと、見覚えのある小さな男の子が現れた。
「あれ? 君はさっきの少年……。どうしたんだい?」
声をかけると、男の子は何も言わず、俺に向かって小さな手を差し出した。
「ん?」
俺と警察官は、そろって少年の手元をのぞき込んだ。
そこにあったのは、一枚のカードだった。
「……社員証?」
俺は思わず声を漏らした。
カードには、顔写真と名前、そして勤務先の名前が記載されていた。
「これ、どこにあったんだい?」
男の子は答える代わりに、浩太君が倒れていた場所の裏手にある草むらを指さした。
「あそこに落ちてたのか?」
男の子はこくりとうなずいた。
「そうか……。ありがとう。よく見つけてくれたね」
俺が礼を言うと、男の子は少しだけうれしそうな顔をした。
だが、すぐにくるりと背を向け、雨の中を駆け出していった。
「あっ、ちょっと……!」
呼び止めようとしたが、男の子は振り返らなかった。
俺はその小さな後ろ姿を見送り、それから手元の社員証に目を落とした。
そこに記されていたのは、俺もよく知っている人物のものだった。
――大和大学病院 鈴木奏理事長
「……どうして、この人の社員証が、こんなところに?」
思わず、つぶやきが漏れた。
雨粒が傘を叩く音が、やけに大きく聞こえた。
花子ちゃんが目撃された公園。
浩太君が倒れていた場所の裏手に落ちていた社員証。
そして、そこに記された鈴木理事長の名前。
偶然なのか。
それとも、この事件につながる何かが隠されているのか。
俺は証拠品の社員証をビニール袋に入れ、しばらくその場に立ち尽くしていた。




