第15章 大和大学病院
浩太君が亡くなった翌日、俺こと亀山は大和大学病院を訪ねた。
今回の事件で、少年の体内から検出されたネフタソリタミン成分。
十五年前、この病院で発見されたというその成分が、なぜ浩太君の体内から検出されたのか。
それを確かめることが、今回の訪問の目的だった。
俺は受付へ向かい、女性職員に声をかけた。
「すみません、鈴木奏理事長はいらっしゃいますか」
そういいながら胸から警察手帳をチラッと見せる。
「少々お待ちください」
女性職員が理事長と取り次いでくれている。
「はい、はい、わかりました。」
短いやり取りのあと、女性職員は受話器を置くとこちらを向いた。
「すみません、ただいま理事長は外出してるようで、本日は戻らないとのことです。」
「そうですか、いつ頃でしたらお会いできますかね。」
「少々お待ちください」
受付嬢はパソコンでカタカタしている。
おそらくスケジュールを見ているんだろう。
「えと、今週はご不在の日が続いているようですね。来週の月曜日でしたらいらっしゃるようです」
来週の月曜日というと、5日後か。
「そうですか、わかりました。では来週の月曜日に改めて伺います」
「はい、こちらからも伝えておきます」
「よろしくお願いします」
礼を告げ、受付を離れた。
せっかく足を運んだというのに、空振りか……。
俺は小さく息を吐き、入り口へ戻ろうとした。
そう思い入り口に戻ろうとしたとき、一人の男性に呼び止められた。
「あの、すみません」
背後から声をかけられた。
振り返るとそこには50代前後だろうか、穏やかそうな人が立っていた。
「もしかして、警察の方ですか?」
「あ、はい。そうですが。」
「やはりそうでしたか、私、柳田と申します。」
そういうと私に名刺を差し出した。
大和大学病院 研究室室長 柳田尋史。
名前の読み方がわからず、ローマ字で書かれた振り仮名を確認した。
タカシ、と読むらしい。
「柳田さん、初めまして。どうして私が警察だと?」
「はい、先ほど、理事長から電話がありましてね。警察の方が来られてるので、話を聞いておいてほしいと頼まれたんです」
さっきの受付後に鈴木理事長が柳田さんに取り次いでくれたのかな
「そうでしたか。わざわざありがとうございます」
「いえ、ではこちらへどうぞ。」
「ご丁寧にありがとうございます」
柳田室長に案内され、病院の奥へと向かった。
院内は多くの患者や職員で賑わっていた。
医師や看護師たちは忙しそうに行き交いながらも、すれ違う相手に丁寧に挨拶をしている。
患者たちも落ち着いた様子で診察を待っていた。
信頼されている病院なのだろう。
そう俺は感じた。
そしてとある応接室に通された
「しつれいします」
そういって中に入り、通されたソファーに腰を掛ける。
柳田室長も向かい側に座った。穏やかな表情は変わらない。
「それでは、ご用件を伺いましょう」
「では早速、十五年前、こちらで発見されたネフタソリタミン成分に関してお聞きしたいことがあります」
「ネフタソリタミン成分……、ああ、それは確か鈴木理事長が偶然発見した成分ですよね。」
「はい。その成分が、昨夜とある公園で亡くなった少年から検出されたんです。」
「ほう、そうでしたか。」
柳田室長の口から、短い声が漏れた。
「そのため、成分の発見に至った経緯や、当時の研究内容を確認したいと思い、伺いました」
「なるほど……。そういうことでしたか」
柳田室長は一度うなずき、少し考えるように視線を落とした。
「ただ、十五年前のことですからね。私もすべてを正確に覚えているわけではありません。それでもよろしければ、わかる範囲でお話しします」
「もちろんです。覚えていらっしゃる範囲で結構です」
そこへ一人の病院関係者が入ってきて、お茶を運んできた。
「あ、ご丁寧にどうも。」
湯飲みがテーブルに置かれ、職員が部屋を出ていく。
俺はお茶には手をつけず、柳田室長の言葉を待った。
「十五年前、当時私も研究室の一研究員としてこちらにいたのですが、理事長、当時医院長の鈴木奏先生は、ある研究に日々取り組んでおりました。」
「それはどんな研究ですか?」
「麻酔の研究です」
「麻酔……」
「今も現在も、人は病気をします。その経過の中で、年配の方や体力がない方というのはどうしても手術を行うことができないんです。そんなことを思い、そのような患者でも手術が受けられるような麻酔はないものだろうかと、鈴木医院長はそう考えて研究を進めていたんです。」
「なるほど、それで、その研究はどうなったのですか?」
柳田室長は、すぐには答えなかった。
テーブルの上の湯飲みに手を伸ばし、一口飲んでから、静かに口を開いた。
「頓挫しました」
「できなかった、ということですか」
「はい。思うような結果が得られなかったのです。人の生死に関わる研究ですから、簡単にはいきません。鈴木医院長は、かなり残念がっておられました」
「では、ネフタソリタミン成分は、その研究とは別のものだったのですか?」
「いいえ。研究を進める過程で、偶然発見されたものだと聞いています」
「なるほど」
「鈴木医院長はこの成分がうまく作用するかもしれないと研究を重ねたようですが、特筆すべき効能は確認できなかった。最終的には論文を提出し、研究は打ち切られたと聞いています」
「なるほど、で、その論文には、成分の生成方法についても記載されているのでしょうか?」
「はい、記載されております。その後の研究で私も一度生成したことがあります」
「そうですか」
ふと思う。
特筆すべき効能がないとはいえ、生死にかかわる研究のなかで発見された成分というのはほんとに関係ないのだろうか…。気になるな…。
「亀山さん、他に聞きたいことはありますか?」
「えと、ではもう一つ。医学や化学の専門知識がない一般の人間でも生成できるものなのでしょうか?」
柳田室長は、わずかに眉を動かした。
「一般の方が、ですか……」
ほんの短い沈黙。
彼は考えを整理するように視線を落とし、それから答えた。
「私たちのように医学や研究に携わる人間であれば、生成することは可能だと思います。ただ、一般の方が同じことをするとなると、難しいのではないでしょうか」
「難しい、というのは、専門的な設備が必要だからですか? それとも、知識の問題ですか?」
少し踏み込んで尋ねる。
柳田室長はすぐには答えず、顎に手を添えた。
「……どちらも関係すると思います。ただ、私の口からは断言できませんね」
一般人が生成するのは難しい。
もし、それが事実なら、成分を用意できた人物は限られてくる可能性がある。
医療関係者か、あるいは専門的な知識や設備に接する機会のある人物か。
ただし、今の証言だけで犯人の範囲を絞り込むことはできない。
さて、最後にもう一つ、大事なことを聞かなければ。
「最後に、もう一つだけ。ネフタソリタミン成分には、何か特有の香りがあるのでしょうか?」
「香り、ですか?」
「はい。独特のにおいがするのか、それとも無臭なのか。ご存じの範囲で教えてください」
柳田室長は、今度は少し長く考え込んだ。
「うーん、私が生成したときに匂いというものはしてなかっと思うのですが」
香りはしないのか
「間違いありませんか?」
思わず、もう一度確認した。
「はい。ただ、だいぶ前のことですからね。記憶にある限りでは、ということになります」
「わかりました」
無臭…か。
ネフタソリタミン成分には匂いはないのか。
となるとあの現場の香りはいったいなんなのだろう…。
とりあえず、こんなところかな。
「本日はありがとうございました。お話しいただいた内容は、捜査の参考にさせていただきます」
「いえ。私がお役に立てたのであれば幸いです」
「それと、当時の研究資料や論文など、確認できるものがあれば、後日拝見させていただきたいのですが」
「わかりました。理事長にも報告しておきます」
「よろしくお願いします。それでは、失礼します」
俺は立ち上がり、柳田室長に一礼して応接室を後にした。
廊下を歩きながら、聞き取った内容を頭の中で整理する。
ネフタソリタミン成分は、十五年前、麻酔の研究過程で偶然発見された。
その後も研究は続けられたが、特筆すべき効能は確認されず、打ち切られた。
一般人が生成するのは難しく、香りもない。
ここまでの話に、明らかな矛盾は見当たらなかった。
しかし、気になる点は残っている。
そもそも、なぜ浩太君の体内から、この成分が検出されたのか。
そして、柳田室長の説明は、どこまで当時の事実を正確に反映しているのだろうか。
彼が何かを隠していると決まったわけではない。十五年前の研究について、記憶が曖昧になっているだけかもしれない。
だからこそ、証言だけで判断するわけにはいかなかった。
理事長本人への聞き取りと、当時の研究資料の確認が必要だ。
俺は病院を出ると、警察署へ戻るために歩き始めた。
浩太君の死の真相に近づくために。
今は、ひとつひとつ事実を積み重ねていくしかなかった。




