第14章 漢方薬
私たちは、夜の公園のベンチに並んで座っていた。
浩太君は、さっきまで声を上げて泣いていたが、今はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
「大丈夫? 浩太君」
「……はい」
返事は返ってきたものの、その声にはまだ力がなかった。
きっと、今すぐに気持ちを切り替えることなんてできないだろう。
それでも――。
頑張ったね、浩太君。
心の中でそうつぶやきながら、私はもう一度、彼の頭を優しくなでた。
「なな姉、くすぐったいよ」
「今日はいいの」
「なんだよ、それ……」
浩太君は、少し照れくさそうに顔をしかめた。
その表情を見て、私は小さく笑った。
「で、モヤモヤはなくなった?」
私は彼の顔をのぞき込むようにして尋ねた。
「すっきりした……って言ったら、嘘になるかもしれないけど。でも、前には進めそう」
「そっか」
私は夜空を見上げ、微笑んだ。
ほんの少し前まで、恋に悩み、どうすればいいのかわからずにいた少年。
そんな彼が、自分の気持ちを伝え、傷つきながらも、少しだけ前を向こうとしている。
人はこうして、一段ずつ大人への階段を上っていくのかもしれない。
「……なんで笑ってるの?」
「ん? ひみつ!」
「ひみつって……。気になるなぁ」
「いいのー!」
私はいたずらっぽく笑って立ち上がると、両手を上げて大きく背伸びをした。
「さて、帰ろうか、浩太君」
そう言って帰りを促したが、浩太君はベンチに座ったまま、首を横に振った。
「もうちょっと、ここにいるよ」
まだ、ひとりで考えたいことがあるのだろう。
無理に連れて帰るのも違う気がした。
けれど、こんな時間まで帰らなければ、親御さんだって心配するはずだ。
どうしたものかと考えていた、そのときだった。
ふと、あることを思い出した。
そうだ。あの漢方薬をあげよう。
私は先週まで、研究が行き詰まっていたこともあり、疲労がたまっていた。
そんな折、研究室の仲間から、疲労回復に効果があるという漢方薬の話を聞いた。気になって地元の薬局で購入し、試しに飲んでいたのだ。
今日も飲もうと思っていたのだが、研究室で「あいつ」からもらった栄養ドリンクを飲んだため、結局、漢方薬には手をつけていなかった。
バッグの中には、まだ残りが入っている。
「浩太君、これ、あげる」
私はバッグの中から、タブレットケースを取り出した。中には、漢方薬が入っている。
「これ、何?」
「疲労回復の漢方薬よ。心を落ち着かせる効果もあるって聞いたから。少しでも楽になればと思って」
「ありがとう、なな姉」
浩太君はそう言うと、私からケースを受け取った。
そして、中に入っていた薬を口に含み、そのまま飲み込んだ。
――ゴクリ。
「あっ、お水もあるよ」
私は慌ててバッグの中を探り、水の入ったボトルを取り出そうとした。
そのときだった。
浩太君の体が、わずかに揺れた。
「……浩太君?」
彼は返事をしなかった。
視線が定まらず、体がゆっくりと傾いていく。
「えっ、ちょっと……どうしたの?」
私が声をかける間にも、浩太君の体はさらに傾き――。
バタッ。
鈍い音を立てて、地面に倒れた。
「えっ……?」
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
「浩太君? ねえ、浩太君!」
私は慌てて駆け寄り、彼の肩に手をかけた。
返事はない。
顔をのぞき込み、呼びかける。
それでも、浩太君は目を開けなかった。
息を……していない。
そう気づいた瞬間、頭の中が真っ白になった。
どういうこと?
なんで、浩太君が倒れているの?
さっきまで、普通に話していたじゃない。
つい今まで、笑っていたじゃない。
どうして……?
私は、震える手で浩太君の体を揺さぶった。
何かしなければ。
助けなければ。
なのに、体が動かない。
漢方薬……。
そうだ。私が渡したのは、漢方薬のはず。
どうして、こんなことに……?
頭の中で、いくつもの考えが渦巻いた。
さっきまで、目の前にいた浩太君。
少しずつ大人への階段を上っていこうとしていた浩太君。
昨日、遊園地で楽しそうに笑っていた浩太君。
その姿が、次々と脳裏によみがえる。
「いや……そんな……」
声にならない声が、唇から漏れた。
私は気づけば、その場から走り出していた。
夜の街を、ただひたすらに。
何も考えられないまま、逃げるように走り続けた。
奈々が夜の闇へと消えていったあと、静まり返った公園には、浩太君が倒れたまま取り残されていた。
そして――その一部始終を、物陰から息を潜めて見つめていた男がいた。




