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Arithmetic  作者: たろSAN
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13/25

第13章 告白

 夜の静けさの中、俺たちは向かい合っていた。

 どうして、花子がここにいるんだ?

 聞きたいことは山ほどある。なのに、いざ目の前にすると、言葉が出てこなかった。

 心臓が、うるさいくらいに鳴っている。

 今日一日、何度も決心しては諦めてきた。

 何度も言いかけては、飲み込んできた。

 けれど、今はもう、逃げられない。

 いや――逃げたくない。

「よー、花子。どうしたんだ、こんな夜中に」

 平静を装いながら、俺は声をかけた。

「なんとなくだけど、落ち着かなくて。用はないんだけど、気晴らしにコンビニに行こうと思って。浩太は何してるの?」

「俺も同じようなもんだ」

「そっか」

 それきり、会話は途切れた。

 夜のとばりが周りを包み、俺たちの間には沈黙だけが残った。

 何か話さなければ。そう思うのに、何を言えばいいのかわからない。

 このまま何も言わずに別れたら、きっと俺は後悔する。

 俺は、意を決して口を開いた。

「花子!」

「な、なに? びっくりするじゃない」

「す、すまん。その、なんだ……」

 言葉が続かない。

 ああ、情けない。

 こんなときくらい、格好よく決められないものか。

「もう……」

 花子は小さくつぶやくと、俺のそばに歩み寄り、空を見上げた。

「晴れてきたね。星がきれい」

 つられて、俺も空を見上げた。

 朝からどんよりと曇っていた空は、いつの間にか雲が晴れ、無数の星が一面に広がっていた。

「ほんとだ」

 俺は、それだけ答えた。

 今日一日、ずっと下ばかり向いていた気がする。

 足元のことばかり気にして、空を見上げる余裕なんてなかった。

 こんなにも星がきれいだったなんて。

「で、どうしたの、浩太?」

 花子は空を見上げたまま、優しく問いかけてきた。

 その声に背中を押された気がした。

「……変なこと、言ってもいいか?」

「別にいいけど。浩太の話はいつも変だし」

 花子がいたずらっぽく笑う。

 いつもと変わらない、その笑顔。

 だからこそ、今から伝える言葉が、俺たちの関係を変えてしまうかもしれないと思うと怖かった。

 それでも、もう決めたんだ。

 俺は花子の方を向き、静かに告げた。

「お前が好きだ」

 言った。

 とうとう、言ってしまった。

 花子は驚いたように目を見開き、しばらく俺を見つめていた。

「な、なに、急に……」

「お前のことが好きなんだ」

 もう一度、今度ははっきりと伝えた。

 花子は何かを言いかけて、口を閉じた。

 ほんの一瞬、ためらうような表情を浮かべたあと、ゆっくりと口を開く。

「あの…さぁ。私と一二三君が付き合ってるの、知ってるよね?」

「ああ、知ってる」

「じゃあ、なんで……」

「伝えたかった。それだけだ」

 花子の瞳を見つめたまま、俺は答えた。

 後悔はしていない。

 少なくとも、伝えずに終わるよりはよかった。

 そう自分に言い聞かせながら、俺は彼女の返事を待った。

 再び、沈黙が流れた。

 やがて花子は、小さくため息をついた。

「はぁ……。最近、浩太が変だった理由って、もしかして、このことを話したかったから?」

「……そうだよ」

 花子はもう一度ため息をつくと、近くのベンチに腰を下ろした。

 俺も隣に座ろうか迷ったが、結局、その場に立ったまま彼女を見つめていた。

「私もね、浩太のことは好きよ」

「……え?」

 思わず声が漏れた。

 けれど、次の言葉は、俺が期待したものとは違っていた。

「でもね、一二三君のことは、もっと好きなの」

「……そうか」

 胸の奥が、ずきりと痛んだ。

 わかっていたはずだった。

 花子には一二三がいる。

 二人がどれほど大切な存在なのか、俺は誰よりも知っているつもりだった。

 それでも、実際に言葉にされると、こんなにも苦しいものなのか。

 俺は無理やり笑顔をつくった。

「でも、明日からもいつも通り仲よくしたい。ダメかな?」

 花子が不安そうに俺を見上げる。

 その表情を見た瞬間、俺は自分が何をすべきなのか、ようやくわかった気がした。

「お、おう。大丈夫だ」

 少し声が震えたけれど、なんとか答えられた。

「それと、もう一つ言っていいか?」

「なに?」

「俺は、一二三のことも好きだ。だから、幸せになってほしい。……これは、親友としての気持ちだ」

 それは嘘じゃなかった。

 一二三は、俺にとって大切な親友だ。

 あいつが花子を大切にしていることも知っている。

 二人には、幸せになってほしい。

 そう願う気持ちだけは、何があっても変わらない。

「……ありがと」

 花子はそう言って立ち上がると、俺の前に立った。

 そして、深く頭を下げた。

「浩太、ごめんなさい」

 その言葉を聞いて、胸の奥がまた痛んだ。

 謝らなくていい。

 お前は何も悪くないんだから。

 そう言いたかったのに、うまく言葉にできなかった。

「わかった。……なんか、ごめんな」

「別に謝らなくていいよ。じゃあ、また明日ね」

「ああ。またな」

 花子はいつものように手を振ると、夜道の向こうへと歩いていった。

 俺は、その後ろ姿が見えなくなるまで、じっと見送っていた。

 やがて、あたりには再び静けさが戻った。

 俺はゆっくりと空を見上げた。

 相変わらず、星はきれいだった。

 さっきまでと何も変わらない。

 なのに、どうしてこんなにも違って見えるんだろう。

「……星がきれいだな」

 誰に聞かせるでもなく、俺はつぶやいた。

 それからしばらく、俺はその場を動けずにいた。

 胸の奥に残る痛みを抱えたまま、ただ、夜空を眺め続けていた。


 * * *


「う~~、終わったー!」

 私は大きく伸びをした。

 ようやくレポートが書き終わった。

 時計を見ると、もう21時を回っている。

「はぁ……疲れた」

 完成したレポートを印刷し、柳田室長の机の上に置く。

 これで今日の仕事はおしまいだ。

 早く帰って、お風呂に入りたい。

 そんなことを考えながら、私は研究室を後にした。

 夜風が頬をなでる。

 昼間はどんよりと曇っていた空も、今ではすっかり晴れていた。

 公園のそばまで来たとき、私はふと足を止めた。

 街灯の下に、空を見上げている人影があった。

 ――あれは、浩太君?

「浩太君?」

 近づいて声をかけると、浩太君はゆっくりとこちらを振り向いた。

「ああ、なな姉」

 いつものように返事をしてくれたけれど、どこか元気がない。

 顔を見れば、何かあったのは明らかだった。

「どうかした?」

 私が尋ねると、浩太君は力なく笑い、近くのベンチに腰を下ろした。

「はは……。さっき、花子と偶然会ってさ、好きだって、伝えたんだ」

 私は思わず息をのんだ。

「……そっか」

 それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。

 私は浩太君の隣に腰を下ろした。

「でも、見事に振られたよ」

 浩太君は笑っていた。

 無理に笑っているのが、私にはすぐにわかった。

 一呼吸置いて、浩太君は再び口を開いた。

「でもさ、なな姉。ひどいんだぜ、あいつ……」

 その声が、少しずつ震え始めた。

「俺のことも好きだって言ったんだ。それなのに、一二三のことは、もっと……好き……だって」

 最後の言葉は、かすれていた。

 浩太君は唇をかみしめ、必死に涙をこらえようとしていた。

 けれど、こらえきれなかった。

 一筋の涙が頬を伝い、ぽたりと落ちた。

「浩太君……」

 私がそっと名前を呼ぶと、浩太君はうつむいた。

 小さな肩が震えている。

「なな姉……」

 その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れたのだろう。

「なな姉!」

 浩太君は声を上げて泣き出した。

 今まで、どれほど苦しかったのだろう。

 どれほど悩んで、どれほど勇気を振り絞って、あの言葉を伝えたのだろう。

 そして今、どれほど悲しい思いをしているのだろう。

 私は何も言わず、浩太君をそっと抱き寄せた。

 小さな頭を優しくなでる。

「……よく頑張ったね」

 それだけを、静かに告げた。

 浩太君は私の胸に顔をうずめ、子どものように泣き続けた。

 私はただ、その頭をさすり続けた。

 今は、無理に励ます必要なんてない。

 強がらなくてもいい。

 格好をつけなくてもいい。

 好きな人に気持ちを伝えることが、どれほど勇気のいることなのか。

 私は、浩太君の頭をなでながら、そんなことを考えていた。

 ……もっとも、例外はいるが。

 ふと、あいつの顔が頭に浮かんだ。

 いつも人をからかってばかりで、何を考えているのかよくわからない、あの男。

『俺、綾瀬のこと好きだし』

 不意に、あのときの言葉がよみがえる。

 ……もう!

 どうして、こんなときに思い出すのよ。

 私は小さく首を振り、目の前の浩太君に意識を戻した。

 今は、私のことなんてどうでもいい。

 せめて今だけは、浩太君が思いきり泣けるように。

 私は何も言わず、もう一度、その頭を優しくなでた。

 夜空には、無数の星が瞬いていた。

 その光は、まるで何事もなかったかのように、静かに私たちを照らし続けていた。

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