第13章 告白
夜の静けさの中、俺たちは向かい合っていた。
どうして、花子がここにいるんだ?
聞きたいことは山ほどある。なのに、いざ目の前にすると、言葉が出てこなかった。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
今日一日、何度も決心しては諦めてきた。
何度も言いかけては、飲み込んできた。
けれど、今はもう、逃げられない。
いや――逃げたくない。
「よー、花子。どうしたんだ、こんな夜中に」
平静を装いながら、俺は声をかけた。
「なんとなくだけど、落ち着かなくて。用はないんだけど、気晴らしにコンビニに行こうと思って。浩太は何してるの?」
「俺も同じようなもんだ」
「そっか」
それきり、会話は途切れた。
夜のとばりが周りを包み、俺たちの間には沈黙だけが残った。
何か話さなければ。そう思うのに、何を言えばいいのかわからない。
このまま何も言わずに別れたら、きっと俺は後悔する。
俺は、意を決して口を開いた。
「花子!」
「な、なに? びっくりするじゃない」
「す、すまん。その、なんだ……」
言葉が続かない。
ああ、情けない。
こんなときくらい、格好よく決められないものか。
「もう……」
花子は小さくつぶやくと、俺のそばに歩み寄り、空を見上げた。
「晴れてきたね。星がきれい」
つられて、俺も空を見上げた。
朝からどんよりと曇っていた空は、いつの間にか雲が晴れ、無数の星が一面に広がっていた。
「ほんとだ」
俺は、それだけ答えた。
今日一日、ずっと下ばかり向いていた気がする。
足元のことばかり気にして、空を見上げる余裕なんてなかった。
こんなにも星がきれいだったなんて。
「で、どうしたの、浩太?」
花子は空を見上げたまま、優しく問いかけてきた。
その声に背中を押された気がした。
「……変なこと、言ってもいいか?」
「別にいいけど。浩太の話はいつも変だし」
花子がいたずらっぽく笑う。
いつもと変わらない、その笑顔。
だからこそ、今から伝える言葉が、俺たちの関係を変えてしまうかもしれないと思うと怖かった。
それでも、もう決めたんだ。
俺は花子の方を向き、静かに告げた。
「お前が好きだ」
言った。
とうとう、言ってしまった。
花子は驚いたように目を見開き、しばらく俺を見つめていた。
「な、なに、急に……」
「お前のことが好きなんだ」
もう一度、今度ははっきりと伝えた。
花子は何かを言いかけて、口を閉じた。
ほんの一瞬、ためらうような表情を浮かべたあと、ゆっくりと口を開く。
「あの…さぁ。私と一二三君が付き合ってるの、知ってるよね?」
「ああ、知ってる」
「じゃあ、なんで……」
「伝えたかった。それだけだ」
花子の瞳を見つめたまま、俺は答えた。
後悔はしていない。
少なくとも、伝えずに終わるよりはよかった。
そう自分に言い聞かせながら、俺は彼女の返事を待った。
再び、沈黙が流れた。
やがて花子は、小さくため息をついた。
「はぁ……。最近、浩太が変だった理由って、もしかして、このことを話したかったから?」
「……そうだよ」
花子はもう一度ため息をつくと、近くのベンチに腰を下ろした。
俺も隣に座ろうか迷ったが、結局、その場に立ったまま彼女を見つめていた。
「私もね、浩太のことは好きよ」
「……え?」
思わず声が漏れた。
けれど、次の言葉は、俺が期待したものとは違っていた。
「でもね、一二三君のことは、もっと好きなの」
「……そうか」
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
わかっていたはずだった。
花子には一二三がいる。
二人がどれほど大切な存在なのか、俺は誰よりも知っているつもりだった。
それでも、実際に言葉にされると、こんなにも苦しいものなのか。
俺は無理やり笑顔をつくった。
「でも、明日からもいつも通り仲よくしたい。ダメかな?」
花子が不安そうに俺を見上げる。
その表情を見た瞬間、俺は自分が何をすべきなのか、ようやくわかった気がした。
「お、おう。大丈夫だ」
少し声が震えたけれど、なんとか答えられた。
「それと、もう一つ言っていいか?」
「なに?」
「俺は、一二三のことも好きだ。だから、幸せになってほしい。……これは、親友としての気持ちだ」
それは嘘じゃなかった。
一二三は、俺にとって大切な親友だ。
あいつが花子を大切にしていることも知っている。
二人には、幸せになってほしい。
そう願う気持ちだけは、何があっても変わらない。
「……ありがと」
花子はそう言って立ち上がると、俺の前に立った。
そして、深く頭を下げた。
「浩太、ごめんなさい」
その言葉を聞いて、胸の奥がまた痛んだ。
謝らなくていい。
お前は何も悪くないんだから。
そう言いたかったのに、うまく言葉にできなかった。
「わかった。……なんか、ごめんな」
「別に謝らなくていいよ。じゃあ、また明日ね」
「ああ。またな」
花子はいつものように手を振ると、夜道の向こうへと歩いていった。
俺は、その後ろ姿が見えなくなるまで、じっと見送っていた。
やがて、あたりには再び静けさが戻った。
俺はゆっくりと空を見上げた。
相変わらず、星はきれいだった。
さっきまでと何も変わらない。
なのに、どうしてこんなにも違って見えるんだろう。
「……星がきれいだな」
誰に聞かせるでもなく、俺はつぶやいた。
それからしばらく、俺はその場を動けずにいた。
胸の奥に残る痛みを抱えたまま、ただ、夜空を眺め続けていた。
* * *
「う~~、終わったー!」
私は大きく伸びをした。
ようやくレポートが書き終わった。
時計を見ると、もう21時を回っている。
「はぁ……疲れた」
完成したレポートを印刷し、柳田室長の机の上に置く。
これで今日の仕事はおしまいだ。
早く帰って、お風呂に入りたい。
そんなことを考えながら、私は研究室を後にした。
夜風が頬をなでる。
昼間はどんよりと曇っていた空も、今ではすっかり晴れていた。
公園のそばまで来たとき、私はふと足を止めた。
街灯の下に、空を見上げている人影があった。
――あれは、浩太君?
「浩太君?」
近づいて声をかけると、浩太君はゆっくりとこちらを振り向いた。
「ああ、なな姉」
いつものように返事をしてくれたけれど、どこか元気がない。
顔を見れば、何かあったのは明らかだった。
「どうかした?」
私が尋ねると、浩太君は力なく笑い、近くのベンチに腰を下ろした。
「はは……。さっき、花子と偶然会ってさ、好きだって、伝えたんだ」
私は思わず息をのんだ。
「……そっか」
それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。
私は浩太君の隣に腰を下ろした。
「でも、見事に振られたよ」
浩太君は笑っていた。
無理に笑っているのが、私にはすぐにわかった。
一呼吸置いて、浩太君は再び口を開いた。
「でもさ、なな姉。ひどいんだぜ、あいつ……」
その声が、少しずつ震え始めた。
「俺のことも好きだって言ったんだ。それなのに、一二三のことは、もっと……好き……だって」
最後の言葉は、かすれていた。
浩太君は唇をかみしめ、必死に涙をこらえようとしていた。
けれど、こらえきれなかった。
一筋の涙が頬を伝い、ぽたりと落ちた。
「浩太君……」
私がそっと名前を呼ぶと、浩太君はうつむいた。
小さな肩が震えている。
「なな姉……」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れたのだろう。
「なな姉!」
浩太君は声を上げて泣き出した。
今まで、どれほど苦しかったのだろう。
どれほど悩んで、どれほど勇気を振り絞って、あの言葉を伝えたのだろう。
そして今、どれほど悲しい思いをしているのだろう。
私は何も言わず、浩太君をそっと抱き寄せた。
小さな頭を優しくなでる。
「……よく頑張ったね」
それだけを、静かに告げた。
浩太君は私の胸に顔をうずめ、子どものように泣き続けた。
私はただ、その頭をさすり続けた。
今は、無理に励ます必要なんてない。
強がらなくてもいい。
格好をつけなくてもいい。
好きな人に気持ちを伝えることが、どれほど勇気のいることなのか。
私は、浩太君の頭をなでながら、そんなことを考えていた。
……もっとも、例外はいるが。
ふと、あいつの顔が頭に浮かんだ。
いつも人をからかってばかりで、何を考えているのかよくわからない、あの男。
『俺、綾瀬のこと好きだし』
不意に、あのときの言葉がよみがえる。
……もう!
どうして、こんなときに思い出すのよ。
私は小さく首を振り、目の前の浩太君に意識を戻した。
今は、私のことなんてどうでもいい。
せめて今だけは、浩太君が思いきり泣けるように。
私は何も言わず、もう一度、その頭を優しくなでた。
夜空には、無数の星が瞬いていた。
その光は、まるで何事もなかったかのように、静かに私たちを照らし続けていた。




