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Arithmetic  作者: たろSAN
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12/25

第12章 それぞれの恋心

「おはようございます」

 私は研究室に入ると、いつものように挨拶をした。

『おはようございます』

 研究室のメンバーたちが、それぞれ挨拶を返してくれる。

 私は自分の机まで歩き、カバンを置いて椅子に腰を下ろした。

 そのときだった。

「あーやーせーさん! おはよう!」

 聞き慣れた、少しばかりうるさい声が響いた。

 林君だ。

 彼の顔を見た瞬間、ふと昨日の浩太との会話が頭をよぎった。

 ――なな姉は、林さんのこと好きなの?

 いやいやいや!

 こんなヤツのことなんか、絶対に好きじゃないんだから!

 心の中で自分に言い聞かせながら、私は少しぎこちなく答えた。

「お、おはよう。林君」

 それだけ言って、すぐに視線を机へと戻す。

「先週末、どっか行ったんすか?」

「うるさい」

 彼の顔も見ずに、そっけなく答えた。

 なんなの、もう。

 いつもと同じ林君のはずなのに、なんだか妙に意識してしまう。

 別に、そんなつもりなんてないのに。

 そんな私の様子を見て、林君がニヤリと笑った。

「まさか……」

「まさか、なによ」

「彼氏さんと、しっぽり過ごしたんですね!」

「してないわよっ! それに、彼氏もいませんっ!」

 思わず声が大きくなった。

 研究室にいたメンバーたちが、一斉にこちらを振り向く。

 ……しまった。

 静まり返った研究室に、なんとも言えない空気が流れた。

 私はようやく我に返り、顔が熱くなるのを感じながら立ち上がった。

「ちょっと、資料室に行ってくる!」

 そう言い残し、逃げるように研究室を後にした。

 もちろん、資料室に用などない。

 私はそのまま休憩室へ向かった。

 自動販売機の前で立ち止まる。

 いつもなら迷わずコーヒーを選ぶところだが、今日はなぜかホットココアを選択する。

 私はそのボタンを押すと “カコン” と紙コップの落ちる音がして、機械の内部で何かが動き始める。しばらくすると、コップに注がれるココアの甘い香りが漂ってきた。

 出来上がったココアを取り出し、両手で包み込む。

 一口すすれば、温かさと甘さがじんわりと広がった。

「はぁ……。私、何やってんだろ」

 小さくつぶやき、紙コップの中をのぞき込む。

 いつもなら、林君に何を言われたって適当にあしらえるのに。

 どうして今日は、こんなにも調子が狂うんだろう。

 私はもう一度、ココアを口に運んだ。


 * * *


 大和高校、二年E組。

 今日も朝から、教室はにぎやかだった。

 昨日は何をしていたとか、テレビでどんな番組を見たとか。あちこちで他愛のない会話が飛び交っている。

 そんな中、浩太は一人、机に突っ伏していた。

 昨日、なな姉には「ああ」言ったものの、やっぱり花子に気持ちを伝えるなんて、簡単にはできそうになかった。

 でも、このまま何も言わなければ、いつまでたっても先には進めない。

 いや、でも……。

 頭の中で同じ考えがぐるぐると回り続ける。

「おはよ。浩太!」

 聞き慣れた声がした。

 花子だ。

「おはよ……」

 机に伏したまま、ぼそりと答える。

 まだ心の準備ができてない。

「なに、浩太。具合でも悪いの?」

 心配そうな声に、俺は慌てて顔を上げた。

「そ、そんなんじゃない」

 花子の顔を見て答える。

 そして、すぐにうつむいた。

 ――ヤバい。やっぱ好きだ……。

 いつもと変わらない花子の笑顔。

 なのに、今はそれを見るだけで胸が落ち着かなくなる。

 俺は耐えきれず、再び机に突っ伏した。

「なにそれ。変な浩太」

 花子は不思議そうに首をかしげたあと、教室の入り口に目を向けた。

「あ、一二三君、おはよー!」

「おはよう、花ちゃん」

 一二三の声が聞こえ、こちらへ近づいてくる気配がした。

「浩太、おはよ」

「おはよ……」

 俺はまた、伏したまま答えた。

「花ちゃん、これどうした?」

 一二三は伏してる俺を指さしながら花子に問う。

「さあ、知らない」

 二人の会話が耳に入ってくる。

 一二三も、いいヤツなんだよな。

 花子に優しくて、気遣いもできて、話だって合う。

 俺なんかより、よっぽど花子にふさわしいんじゃないか。

 悶々と考え続ける浩太。

「ねぇ、浩太。」

 花子が語りかけてくる。

「……なに。」

「なにか困りごとがあったら相談してね。」

 優しいなぁ…、好き。

 結局、俺はその日一日、授業中も休み時間も、花子への告白について考え続けることになった。


 * * *


「綾瀬さん、あの資料はどこでしたっけ?」

「えっと、たしか……ごめんなさい、ちょっと分からない」

「そうですか。すみませんでした」

「いえ、こちらこそ、ごめんなさい」

 いつもなら、すぐに答えられるはずなのに。

 頭がうまく回らない。

 私は自分の机に視線を落とし、ため息をこらえた。

「綾瀬、今日おかしいぞ」

 隣から林君が声をかけてきた。

 ……誰のせいだと思ってるのよ!

 朝から変なことばかり言うから、こっちは調子が狂いっぱなしなんじゃない!

 もちろん、そんなことは口に出さない。

 出さないけれど、心の中では文句が止まらなかった。

「あー、もう! ちょっとこっち来て、林君!」

「えっ、なになに? 呼び出し? もしかして告白かな!」

「違う!」

 私は林君の返事も待たず、廊下へと歩き出した。

 彼も面白がるようについてくる。

「で、なに?」

 廊下に出るなり、林君が尋ねた。

「はっきり言うけど、私、あなたに親切にされる筋合いもないし、そんなになれなれしく声をかけてくるのもやめてほしいんだけど!」

 私は彼を指さし、たまっていた不満を一気にぶつけた。

 ……あれ?

 言い終えた瞬間、自分でも不思議に思った。

 私は、どうしてこんなにイライラしているんだろう。

 そもそも、林君が親切にしてくれること自体、別に嫌なわけじゃない。

 むしろ――。

 そこまで考えたところで、林君があっさりと口を開いた。

「えー、だって俺、綾瀬のこと好きだし。好きな子にはちょっかいかけたくなるじゃん?」

「……はあっ!?」

 思わず叫んでしまった。

 廊下に私の声が響き渡る。

 通りかかった人たちが、何事かとこちらを振り向いた。

「ちょ、林君! こっち来て!」

「えっ、なになに? 今度こそ告白?」

「違うってば!」

 私は彼の腕をつかみ、そのまま休憩室まで引っ張っていった。

「ちょ、ちょっと綾瀬! ストップ、ストーップ!」

「しない!」

 休憩室に着くなり、私はようやく彼の腕を離した。

「あーあ、服が伸びちゃうじゃん」

 林君は自分の服の裾をつまみ、パンパンと軽く引っ張って整えている。

「ちょっと! さっきの、いったいどういうこと!?」

「さっきのって?」

「わ、私のこと……好き、とかなんとか……」

「ああ、うん。好きだけど?」

「あーっ! もう! なんでそんな大事なことを、さらっと言うのよ!」

「えー? じゃあ、ちゃんと言えばいい?」

「そ、そういうわけじゃないんだけど……!」

 もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 好き?

 林君が、私を?

 いや、ちょっと待って。

 どうしてそんな話になるの?

 私が一人で混乱していると、林君は少しだけ真面目な顔になった。

「で、綾瀬は俺のこと、嫌い?」

「き、嫌いってわけでは……ないけど」

「じゃあ、好き?」

「す、好きでは……ない、と思う」

 言いながら、自分でも歯切れの悪さに嫌気が差した。

 嫌いではない。

 でも、好きかと聞かれたら、すぐには答えられない。

 いったい私は、どうしたいんだろう。

「ま、いいや」

 林君は、いつもの調子で笑った。

「とりあえず、今までどおりってことで!」

 そう言い残し、彼はさっさと研究室へ戻っていった。

 ……何なのよ、もう。

 私はその場に立ち尽くし、額に手を当てた。

 最悪だ。

 今日は本当に、何もかもがうまくいかない。

 もう何も考えたくない。今日は早く帰ろう。

 そう決めて研究室へ戻ったときだった。

「綾瀬君、ちょっといいかい?」

 柳田室長に呼びかけられた。

「は、はい。何でしょうか?」

 もしかして、怒られるのだろうか。

 今日はミスばかりだし、さっきだって大声を出してしまった。

 私は内心びくびくしながら、室長の机へ向かった。

「すまないが、先週お願いしたレポートの件なんだが、明日までになんとか仕上げてもらえないだろうか」

「えっ? でも、たしか今週中というお話でしたよね……?」

「そうだったんだが、急きょ明日の会議で使うことになってね。申し訳ないが、なんとかならないかな?」

「うーん……分かりました」

 断れるはずもなく、私はうなずいた。

 ――残業、確定。

 心の中で、がっくりとうなだれる。

 今日はもう、何をやってもダメな日だ。

 私は自分の机に戻ると、パソコンの前に座り、レポートの作成に取りかかった。


 * * *


 はぁ……。

 俺は今日何度目か分からないため息をついた。

 ずっと言おう、言おうと思っていた。

 何度も決心して、そのたびにためらって。

 そうこうしているうちに、ついに放課後になってしまった。

 そのとき、花子が俺の机に近づいてきた。

「浩太、一緒に帰ろ!」

「ああ、分かった。あれ、一二三は?」

「一二三君、今日は委員会があって遅くなるんだって」

「そっか」

 ……チャンスだ。

 俺は急いで帰り支度を済ませ、花子と一緒に教室を出た。

 いつもの帰り道。

 いつもの交差点。

 見慣れた景色のはずなのに、今日は何もかもが違って見えた。

 隣を歩く花子の横顔を、ちらりとうかがう。

 今なら言えるかもしれない。

 いや、やっぱり無理かもしれない。

「ねえ、浩太」

「ん?」

「最近、本当に変だよ。大丈夫なの?」

 花子が心配そうに顔をのぞき込んできた。

「う、うん! 大丈夫、大丈夫!」

 俺は慌てて両手でガッツポーズをつくり、元気なところを見せた。

「なんか、上の空っていうか……。まあ、元気ならいいけど」

 花子はそう言って、再び前を向いた。

 やがて、子供のころから二人で遊んでいた公園の前に差しかかった。

 ここだ。

 ここに寄って、告白する。

 昔から何度も一緒に遊んできた場所だ。俺たちにとって、特別な場所と言ってもいい。

 だからこそ、ここなら――。

 いや、でも……。

 またしても、弱気な自分が顔を出す。

 それでも、やっぱり二人には幸せになってほしい。

 俺は、ようやく覚悟を決めた。

「なあ、花子。ちょっと公園、寄ってかない?」

「公園?」

 花子は少し考えるように首をかしげた。

「うーん、ごめんね。今日は早めに帰って、お母さんのお手伝いをしなくちゃいけないの」

「そ、そっか。じゃあ、しょうがないな。うん、しょうがない」

「ごめんね。また今度ね。」

「おう、分かった」

 花子は申し訳なさそうに笑った。

 ……。

 せっかく決心したのに。

 今日は、日が悪かったんだ。

 うん、そうに違いない。

 俺は自分にそう言い聞かせ、仕方なく家へ帰ることにした。


 * * *


 カタカタカタカタ……。

 研究室には、キーボードをたたく音だけが響いていた。

 ほかのメンバーは、もうとっくに帰ってしまった。

 柳田室長も、つい先ほどまで残ってくれていたのだが、最後には申し訳なさそうに頭を下げて帰っていった。

 そして、林君。

 あいつは定時になるなり、「お先~!」と、いつもの調子でさっさと帰っていった。

 ……ただし、私の机の上に栄養ドリンクを一本、さりげなく置いてから。

 まったく。

 こういうところが、憎めない。

 私は思わず小さく笑い、栄養ドリンクのふたを開けると、一気に飲み干した。

「よし、もうひと踏ん張り!」

 声に出して気合を入れ直す。

 そのとき、研究室の扉が開いた。

「おや。まだ残っている方がいましたか」

 顔を上げた私は、思わず背筋を伸ばした。

 そこに立っていたのは――鈴木理事長だった。

「り、理事長! お疲れさまです。こんな遅くに、何かご用ですか?」

「いや、この研究室から明かりが漏れていたのでね。少し様子を見に来たんだよ」

「そうだったんですか」

「綾瀬君は残業かい?」

「はい。でも、あと少しで終わりそうなので」

「そうか。大変だね。邪魔をしてすまなかった」

「いえ、お気遣いありがとうございます」

「じゃあ、お疲れさま」

「お疲れさまでした」

 理事長は穏やかにほほ笑むと、静かに部屋を出ていった。

 パタン。

 扉の閉まる音が、静まり返った研究室に小さく響いた。

 ……理事長も、こんな時間まで大変なんだな。

 私はそんなことを考えながら、再びパソコンに向き直った。

 さて、こっちもちゃっちゃと終わらせちゃいましょう!

 そう気合を入れ直すと、研究室には再び、キーボードをたたく音が響き始めた。


 * * *


 家に戻り、夕飯を食べて風呂にも入った。

 それでも、俺の頭の中は花子のことでいっぱいだった。

 自分の部屋でぼんやりと過ごしていたが、どうにも落ち着かない。

 花子に、早く気持ちを伝えたい。

 朝、顔を合わせたときに言えばよかったのかもしれない。

 でも、そんなことをしたら、そのあと一日中、どんな顔をして過ごせばいいんだ。

 かといって、今日みたいに先延ばしにしていたら、いつまでたっても言えない。

 せっかく決心したのに、結局何もできなかった。

「だあーっ! くそっ!」

 俺は勢いよく立ち上がった。

 部屋を出て玄関へ向かい、靴箱から靴を取り出す。

 そのまま外へ出ようとしたところで、母さんが顔を出した。

「ちょっと、浩太。どこに行くんだい?」

「ちょっと出てくる」

「ちょっとって、こんな時間にどこへ何しに行くんだい! こら、浩太!」

 母さんの声が背中に飛んでくる。

 それでも俺は振り返らず、夜の街へと飛び出した。

 夜の空気が、火照った頭を少しずつ冷ましてくれる。

 あてもなく、ゆっくりと歩いた。

 街灯に照らされた道。遠くから聞こえる車の音。家々の窓から漏れる明かり。

 いつもの街なのに、夜になると、どこか違う場所のように感じられた。

 何を考えるでもなく歩き続けているうちに、気がつけば、あの公園にたどり着いていた。

 花子と、子供のころから何度も遊んだ公園。

 鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり。くだらないことで笑い合ったり、時にはけんかをしたり。

 思い返せば、花子との思い出は数え切れないほどある。

 俺にとって、花子がいることは当たり前だった。

 ずっと一緒にいられると思っていた。

 けれど、いつからだろう。

 花子の笑顔を見るだけで、胸が苦しくなるようになったのは。

 いつから、ほかの誰かと楽しそうに話している姿を見るだけで、落ち着かなくなったのだろう。

 今さらながら、自分の気持ちをはっきりと自覚する。

 俺は、花子が好きだ。

 誰にも譲りたくないくらいに。

 ……でも、そんなことを伝えたら、今までの関係には戻れないかもしれない。

 それでも。

 もう、このままではいたくなかった。

 そんなことを考えながら、公園のベンチのそばに立っていたときだった。

「……浩太?」

 不意に、後ろから声をかけられた。

 聞き覚えのある声。

 まさか、そんなはずは――。

 俺はゆっくりと振り返った。

「……花子?」

 そこにいたのは、間違いなく花子だった。

 時刻は21時

 時が加速していく。その時が近づく。

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