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第3話 温かな紅茶と、アゲハの使命


 しばらくして、リビングのテーブルには上品なティーセットが並べられた。


 ガラス張りの窓から陽光が燦々と降り注ぎ、観葉植物の葉をきらきらと輝かせている明るいリビングで、アゲハはカップから立ち上る湯気をうっとりとした表情で見つめている。目の前に置かれたカップには、透き通るような琥珀色の液体が満たされていた。


 カップをそっと両手で持ち上げ、鼻を近づけると、上品で華やかな香りがアゲハの嗅覚を優しく包み込む。それは、アゲハが長年ずっと憧れ続けていた本物のダージリンティーだった。

未来のディストピア社会において、天然の茶葉や嗜好品の栽培は厳しく環境規制されており、配給制の栄養剤や合成カフェインを溶かした無機質な液体ばかりが日常だった。欲しくても入手が禁じられ、歴史データベースの電子データでしか触れられなかった夢にまで見た贅沢品が、今、自分の手の中にある。


 ひとくち口に含んだ瞬間、芳醇な香りと心地よい渋みが舌の上でふわりと広がり、胸の奥が熱くなるような感動が駆け抜けた。


「美味しいっ! 本物の茶葉の味がするよ! こんなに豊かな香りがする飲み物が、この時代には当たり前のようにあるなんて……」


 アゲハが瞳を潤ませながら呟くと、向かい側に座る理乃は優しく目を細めた。


「お口に合ってよかったわ。いくらでもおかわりがあるからね。それで、その『未来の世界』について、詳しく聞かせてもらえるかしら?」


 そのダージリンティーの絶品なる味と香りに心を震わせつつ、アゲハはカップをソーサーに静かに戻し、すっと背筋を伸ばして引き締まった表情を作った。


「うん。じゃあ順を追って話すね。今から約三年後、【終末の十三夜(ルイン・パレード)】っていうカルト教団が、ダンジョンの奥底で長い眠りについていた魔神王を目覚めさせようとするんだ」


「魔神王?」


「そう。とても強大な力を持つ邪悪な存在。けどそれは、勇者パーティーによって未然に防がれて、魔神王は封印された」


「なんだ、それならなにも危惧することはないんじゃないですか」


「その世界線ではね。でも【終末の十三夜】は、諦めずに百年近い年月をかけてタイムマシンを開発して、この時代に七人のエージェントを送り込んで、魔神王が封印されるのを阻止したんだ。その結果、目覚めた魔神王により世界は一度壊滅状態に陥った」


 アゲハが身振り手振りを交えて熱弁すると、理乃は「まあ、怖いわねえ」と紅茶を一口すすりながら、おっとりとした相槌を打つ。


「その後、【終末の十三夜】によって再構築されたのが、全地球を網羅する巨大な管理AIによってあらゆる自由が統制された、息の詰まるような暗黒のディストピアだったの」


「ディストピアですか……なんだかSFじみたお話ですね」


「そうして社会のあらゆるシステムがAIの制御下に入り、人間は【終末の十三夜】と魔族の支配の下、感情を殺して労働に従事させられるだけの存在へと成り果ててしまった」


 アゲハの瞳には、かつて自分が目撃してきた灰色の空と冷たい鉄の街の光景が、まるで走馬灯のようにフラッシュバックしていた。その切なさを隠すように、彼女はティーカップの縁を指先でそっと撫でた。


「私は、その最悪の未来を未然に食い止めるために、メタバース上の深層領域で極秘に結成された反体制レジスタンス組織によって、この時代へ遣わされた特別エージェントなんだ」


「じゃあ、アゲハの目的は、その七人のエージェントを倒して魔神王の目覚めを……?」


 理音が息を呑むように問うと、アゲハは力強くうなずいた。


「うん。その七人のエージェントさえ始末すれば、魔神王は覚醒しない。だから、この時代ですべての元凶を断ち切るのが私の使命なの」


「そんな重い使命を負っていたんですか……」


 リビングの空気がピリリと緊張感に包まれたその時、理乃がそっと手を差し伸べた。


「ねえ、アゲハちゃん。事情はすっかりわかったのだけれど……。ひとつ気になったことがあるの。アゲハちゃんは、用事が済んだら未来には戻る気はないのかしら? うちにお世話になるのは全然かまわないのだけれど、未来に残してきたご家族の方が心配したりするんじゃないかって、おばさんは少し気になってしまって」


 理乃は心配そうに眉を寄せ、アゲハの小さな手をそっと包み込んだ。その温もりに触れた瞬間、アゲハの胸の奥がキュッと切なく締め付けられた。


「お気遣いありがとう、理乃おばあちゃん。でも、心配には及ばないよ。私は幼い頃に両親を亡くした孤児だし、何より私が乗ってきたあのタイムマシンは、過去への一方通行の片道切符なの。戻るためのエネルギー炉はすでに燃え尽きているんだ。だから、私はもう二度と未来には帰れない。この時代の歴史を書き換えるために、私はこっちの世界にすべての骨を埋める覚悟で来たんだよ」


 その言葉には、少女のものとは思えないほど重く、そして揺るぎない覚悟と決意が宿っていた。暗黒の未来を変えるためなら、自分の居場所をすべて捨てることなど恐るに足りない──そんな痛々しいほどの健気さが、アゲハの背中を小さく震わせている。


「まあ……そんな事情が……」


 理乃は痛ましそうに目を細め、アゲハを包み込むように優しく、強く抱き寄せた。ディストピアの荒廃した世界で孤独に生き抜いてきた彼女の背景を想像し、母親としての母性が強く刺激されたようだった。


「ひとりぼっちで、そんな重い使命を背負って……よく頑張ってきたわね、アゲハちゃん。これからはもう一人じゃないからね。この天音家が、あなたの本当のお家なんだから」


「……理乃おばあちゃん……っ!」


 アゲハは堪えきれず、理乃の胸に顔をうずめてぽろぽろと涙をこぼした。未来の冷たい管理社会では決して味わうことのできない、本物の家族の愛と温もりが、冷え切っていた彼女の心を優しくとかしていく。


 感動の空気がリビングを満たしたその直後、現実的な生活の悩みを抱える理音が、小さく咳払いをして口を開いた。


「ところで、肝心なことだけど、アゲハはうちのどこで寝るんですか? うちの家には客間や空き部屋はあるけれど、しばらく使っていなかったから物置状態ですし、大掃除とかをしないとすぐには使えなくないですか?」


 理音が現実的なタイムスケジュールと部屋の確保について懸念を示すと、理乃はにっこりと微笑みながら、恐ろしい爆弾提案をサラリと口にした。


「そうねえ……空き部屋の片付けが終わるまでのしばらくの間は、理音ちゃんと相部屋ってことにしてもらうのが一番安心かしらね。お布団もすぐ敷けるし」


「え……? 私の部屋で、アゲハさんと一緒に寝ろと!?」


 理音のトーンが思わず数オクターブ跳ね上がった。自分のテリトリーであるプライベートな自室に、突如として現れた未来人の奇抜な美少女を住まわせるなど、彼女の平穏な日常にとって大事件なのだろう。


「理音おばあちゃんと一緒のお部屋で過ごせるなんて、私、すごく嬉しい! 毎晩、夜通し語り合って女子バナしようね!」


 アゲハは先ほどまでの涙が嘘のようにパッと顔を輝かせ、きらきらと輝く瞳で理音の手を取り、大喜びでぶんぶんと上下に揺すった。


「おばあちゃんってまた……! 私まだ高校生なんですけど! それに、私のプライバシーが完全に崩壊していく音が聞こえるんですけど……!」


 頭を抱えて絶望する理音と、これから始まる新しい共同生活に胸を躍らせるアゲハ。


「あ、ちなみに私、強化手術を受けた時の副作用で性転換してるけど、元男だから。そこんとこよろしくー」


「はあっ!?」


 理音は思わずというように目を剥きながら、盛大に声を裏返した。


「ふふ、二人とも仲良くするのよ。青春真っ盛りなんだから、賑やかな方が楽しいじゃない」


 聞いていたのかいかいのか、理乃が楽しそうに微笑む。


 二百年の時を超えた奇妙な同居生活は、こうして温かな紅茶の香りと、賑やかな家族の喧騒とともに幕を開けたのだった。




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