第四話
「なんだかなぁ…」
買い物を終わらせて、家へ帰っている。
なんだか壮絶な一日だった。
玄関を開けると、煙草の匂いがした。
「お、帰ったか」
「おかえり」
居間から声がする。
ソファに寝転がりながら、天井を見ている男がいた。
白髪混じりの、大柄な男だ。
「ガルトさん、また煙草吸ってるんですか」
「いいじゃねえか。大人の嗜みってやつだ」
この人は育ての親のような存在。
正確には叔父だ。
幼少期に両親から引き取って育ててくれたらしい。
詳しく話を聞いたことはないけれど。
「んで、頼んだもん買ってきてくれたか?」
「買ってきましたよ」
紙袋を差し出す。
ガルト叔父さんはソファから身を起こして、袋の中を覗いた。
「お、ちゃんと全部あるな」
「当たり前じゃないですか」
「ん?」
ガルト叔父さんがこちらを見た。
「なんか顔色悪くね?」
鋭い。
こういう時だけ妙に勘が働く。
「…ちょっと色々ありまして」
「色々?」
「首都で怪物に遭遇しました」
ガルト叔父さんの表情が、一瞬だけ変わった。
いつもの飄々とした顔じゃない。
真剣な、別の顔だ。
「…怪我は」
「ないです」
「そか」
それだけ言って、また煙草を一口吸った。
心配しているのか、していないのか、よくわからない反応だ。
「倒したのか」
「…はい」
「一人で?」
「はい」
ガルト叔父さんは少し間を置いた。
煙草の煙が、天井に向かってゆっくりと広がっていく。
「そか」
また同じ言葉だった。
でも今度は、少しだけ違う重さがあった気がした。
「あと…」
「ん?」
「学術院の学長に、スカウトされました」
ガルト叔父さんの動きが、止まった。
煙草を持つ手が、宙で止まっている。
「…デミラスか」
名前を知っていた。
「知ってるんですか」
「…まあな」
それだけ言って、また煙草を一口吸った。
それ以上は何も言わなかった。
「どういう知り合いですか」
「昔な」
「昔、って」
「昔は昔だ」
煙を吐き出しながら、ガルト叔父さんは天井を見上げた。
話す気はないらしい。
こういう時は何を聞いても無駄だ。
長年一緒にいるからこそ、この人のことはなんとなくわかる。
「…で、お前はどうしたいんだ」
話題を変えられた。
いや、変えたというより、最初からここに持っていきたかったんだろう。
「わからないです、まだ」
「行きたい気持ちはあるのか」
「…あります」
正直に答えた。
ガルト叔父さんは何も言わなかった。
肯定も否定もしない。
「危ないと思いますか」
「思う」
即答だった。
「でも」
ガルト叔父さんは煙草を灰皿に押し付けて、消した。
「お前の人生だ」
立ち上がって、台所の方へ歩き出した。
「飯作るわ。腹減ってんだろ」
それだけだった。
反対もしない。背中を押すわけでもない。
ただ、飯を作り始めた。
椅子に腰を下ろして、台所の背中を眺める。
白髪混じりの、大きな背中だ。
子供の頃からずっと見てきた背中。
「…ガルトさん」
「あん?」
「デミラスって、どんな人ですか」
包丁を持つ手が、一瞬だけ止まった。
気のせいかもしれない。
でも確かに、止まった。
「…真面目で、頑固で、お節介な男だ」
「会えばわかる」
「会えば、って」
「どうせ明日行くんだろ」
振り返らずに言った。
図星だった。
「…バレてましたか」
「顔に出てる」
「そうですか」
トントン、と包丁の音が再び始まった。
しばらくその音だけが部屋に響いた。
「ガルトさんは、俺が行くの…嫌じゃないんですか」
包丁の音が止まった。
少し間があった。
「嫌じゃないとは言わねえ」
低い声だった。
「でも、止める気もない」
「お前がそこに行きたいなら、行けばいい」
「…なんで」
「なんでって」
ガルトは鍋に出汁を入れながら、続けた。
「育ち盛りの青年を、ずっとこの田舎に閉じ込めておくわけにもいかねえだろ」
「そして、お前にはお前の人生がある」
煙草の匂いと、出汁の匂いが混ざり合う。
いつもの夜だった。
「ガルトさん」
「なんだ」
「俺の魂って、やっぱり普通じゃないんですか」
包丁の音が、止まった。
今度は気のせいじゃなかった。
しばらく沈黙が続いた。
ガルト叔父さんは振り返らなかった。
「さぁな」
静かな声だった。
「だけど…」
「…それは、俺の口から言うことじゃない」
「お前自身が、いつか知ることだ」
「知ってるんですか、俺のことを」
「……」
答えなかった。
鍋から湯気が上がり始めた。
ガルト叔父さんはそれを見て、火を少し弱めた。
「一つだけ言っておく」
振り返らないまま、続けた。
「お前が何者であっても、俺がお前を育てたことに変わりはない」
「この世で一番お前を大事に思っているのは、間違いなく俺だ」
喉が詰まった。
何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
「…飯、もうすぐできる」
「食ったら寝ろ」
「明日、返事するんだろ」
「…はい」
ガルト叔父さんはそれきり何も言わなかった。
トントン、と包丁の音が再び始まった。
俺はただ、その背中を見ていた。
いつもと同じ背中なのに、今日は少しだけ違って見えた。
窓の外で、虫の声がしていた。
田舎の夜は、静かだった。
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