1-3-7 加速“した”世界
ラヴェンツァの構えは完璧だった。
しなやかな姿勢から放たれる気配は、ただの訓練とは思えないほど鋭い。
拳を軽く握った右手が、わずかに震えているのは、彼女なりの緊張の表れだろうか。
俺は両手を軽く構え直した。
魂の武器は使えない。
生身の体だけで、彼女と向き合う。
「……来い」
俺が先に踏み込んだ。
一歩、二歩。
距離を詰め、右の拳を斜め上から振り下ろす。
ラヴェンツァは軽く後ろにステップし、左手で受け止めた。
ガンッ、という重い衝撃が腕に響く。
「重い……!」
予想以上の反動に、俺の体が一瞬よろけた。
油断していたら簡単にやられる。
ラヴェンツァは受け流すと同時に反撃。
右の掌底が、俺の胸元を狙ってくる。
俺は左腕で払い、間合いを保とうとした。
しかし——
まただ。
彼女の動きが、一瞬だけ「遅く」見えた。
その隙を逃さず、そのまま拳を突き出す。
しかし、想定していたよりもかなり強い力で突き出してしまった。
「…っ…!」
このままの力で当たってしまうと、間違いなく怪我をさせてしまう。
咄嗟に軌道を横へずらす。
拳が空を切る。
ラヴェンツァの目がわずかに細くなった。
「今……何を…?」
彼女の声は低く、しかしはっきりと俺に向けられていた。
二人の間に時間が流れていたが、
再びラヴェンツァの拳が迫ってくる。
受け止めた。
ガンッ。
重い衝撃が腕に伝わった。
さっきのアリスとは違う重さだ。
技術と制御が凝縮された、無駄のない一撃だった。
「っ…重い」
「当然よ」
ラヴェンツァが連撃に移った。
右、左、右。
リズムが読めない。
防ぐのが精一杯だった。
「さっきの私への一撃」
連撃の合間に、ラヴェンツァが皆に聞こえないくらい静かに言った。
「あれは何だったの」
「わからない…」
「わからない?」
「気がついた時にはすでに…」
ラヴェンツァの目が細くなった。
攻撃の手は止まらない。
むしろ、少し速くなった気がした。
「じゃあ」
「もう一度、やってみなさい」
「やろうとしてできるものじゃない」
「いいから、再現してみて」
有無を言わさない口調だった。
踏み込んだ。
右拳を突き出す。
意識的に力を込める。
でも何も起きなかった。
ラヴェンツァが難なく受け止めた。
「できない…」
「そうね」
二人で距離を取った。
お互いに息を整える。
「さっきはどんな感覚だった?」
「無意識に、って感じで」
「体が勝手に動いたような」
「その時、魂はどんな状態だった?」
「よくわからない…」
「だけど、なんか…熱くなった気はして」
「熱く、か…」
ラヴェンツァが繰り返した。
また踏み込んできた。
今度は下から掬い上げるような軌道だった。
それを読んで躱す。
しかし、ラヴェンツァはそれの読んでいるようだった。
一度バックステップで距離を取る。
だが、ラヴェンツァが追ってくる。
速い。
どんどん距離が詰まっていく。
鋭い眼差しがこちらに飛んできている。
追い詰められた。
壁が背後に迫っていた。
「逃げ場はないわよ」
「…」
ラヴェンツァが踏み込んだ。
全力の一撃が来る。
受け止めようとした。
でも間に合わない。
あまりにも速い。
そう思った瞬間だった。
また、同じ現象が起きた。
ラヴェンツァの動きが、一瞬だけ遅くなった。
いや、彼女だけが遅くなったんじゃない。
周囲の全てが、スローモションのように遅くなった。
その限られた時間が、引き伸ばされているようだ。
その隙間の中で、体が動いた。
ラヴェンツァの軌道を読んで、横にずれる。
そのまま右拳を脇腹に当てようとする。
—まただ。
拳に徐々に力が溜まっていくのを感じる。
アリスの時と同じだ。
「っく…!」
このままでは、いくらラベンツァと言えど怪我をさせてしまう。
寸止め、ギリギリのところで止めた。
時間の感覚が戻った。
ラヴェンツァが静止した。
俺の拳が、彼女の脇腹の数センチ手前で止まっていた。
訓練場が、静まり返った。
「…今の」
ラヴェンツァが息を呑んだ。
「今の動き、私には見えなかった」
「…」
「でも、今度は意識があったの?」
「…うん」
「どんな感覚?」
「世界が、一瞬だけ遅くなった気がして」
「その間に、体が動いて」
ラヴェンツァは何も言わなかった。
俺の右拳を見ていた。
それから、俺の目を見た。
「そこまで!!」
バルガの声が訓練場に響いた。
「キース!」
バルガが豪快に笑いながら近づいてきた。
「ラヴェンツァ相手に一本取るとは、大したもんだ!」
「見事な一撃だった!」
周囲から歓声が上がった。
「ヤベェな…」
「流石、学長推薦なだけはあるな」
俺は何も言えなかった。
右手を見た。
熱が残っていた。
「…キース」
ラヴェンツァが静かに言った。
声が、いつもより低かった。
「放課後、時間はある?」
「あるけど」
「二人で話しましょう」
「…わかった」
アリスが俺の隣に来た。
「さっきのと、同じやつね」
小声だった。
「多分」
「…あんた、自分で気づいてる?」
「なんとなく、は」
「なんとなく、か」
アリスが少し間を置いた。
「デイジーも気付いてるみたい」
「え」
振り返ると、デイジーが静かにこちらを見ていた。
本を閉じていた。
目が合った。
デイジーは何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。
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