↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
角の系譜  作者: ふりゅね
8/16

7 路地裏の呼吸


湿った路地裏には、雨水と古びた鉄の錆の匂いが混じり合っていた。


昼でも薄暗いその一角には、ネオンの明滅と安酒の吐瀉物が転がり、行き交う人々は誰も気に留めることなく通り過ぎていく。





少年と少女は、その雑踏の中に紛れ込んでいた。



フードを深く被り、世界のノイズに同化してしまえば、誰も二人を気にしない。


ここでは子供が飢えて座り込むのも、物乞いが肩を震わせているのも、ありふれた日常の一部に過ぎなかった。


表通りでは屋台の呼び声が響き、安っぽい肉の匂いが漂う。



少女が一瞬だけその匂いに顔を向けたが、少年の視線に気づくと、何事もなかったかのようにすぐ前を向いた。

彼女の横顔には、わずかに残る幼さと、あの施設ですり潰されかけた無機質さの両方が張り付いている。



少年は歩きながら、意識の網を周囲に広げていた。



いつしか、目を閉じずとも能力が使えるようになっていた。追跡者の足取り、政府の検問の隙間。

本来なら「ツノ付き」を狩るために使うはずの力を、今は生存のための計算に費やしている。


ひとつでも読み違えれば、すぐに捕まり、処分される。


少年は世界を「ただの情報」として切り分け、徹底して冷淡に歩みを選び続けた。



夜のスラムでは、子供が消えることなど珍しくもない。

病か、飢えか、あるいは大衆の娯楽を兼ねた摘発か。

朝になると、知らない顔がひとつずつ減っている。


けれど、二人は飢え死にせずにいられた。


少年の能力が、生存のためのノイズをも拾い始めていたからだ。


彼の感覚は「人の気配」だけでなく、その場所にかつてあった「物の残滓」までも捉えるようになっていた。

もう誰も意識していない瓦礫の下で眠る金貨、泥にまみれた財布、棚の奥に隠された宝石。

それらが微かな光の粒となって、彼の脳裏の地図に浮かび上がる。



人々はそれを「偶然の拾い物」と思い、深くは疑わない。

その導きに従うことで、二人は常に最低限の生活を維持し、今日を生き延びる糧を得ていた。






逃亡を始めて、半年という時間が流れた。


雨が路地を濡らす季節が巡り、蒸し暑い夏の夜も、冷たい冬の霧も、二人はただ身を潜めて歩き続けた。


日が昇る前に移動し、日が沈んでから食事を探す。昼間はひたすら人目を避け、汚れた壁の影に身を潜める日々。



だが、彼らの生活は「逃亡」の緊張だけで埋め尽くされていたわけではなかった。



ある日、道端のゴミ山から、片目が取れ、腕の折れかけた壊れた人形を少女が拾ってきたことがあった。


「かわいそうだね」


少女が小さく呟いた。その言葉に、少年は何も答えなかった。



しかしその夜、少年は拾った針金と布切れを使い、独りで人形を直した。

翌朝、縫い跡は不格好ながらもしっかりと繋がっていた。

それを見た少女は、ほんの一瞬だけ、目を細めた。それが笑みなのかどうかは少年には分からなかったが、周囲の悪意を測り続ける彼の肌に、その時だけは毒の刺さない静かな時間が流れた。



別の夜には、廃屋の片隅で小さな火を焚き、屋台の端切れ肉や古パンを分け合った。

少女は指先で器用にパンを割り、何も言わずに大きな方の欠片を少年の方へ押し出す。少年もまた何も言わず、その欠片を受け取った。ときには、少しだけ小綺麗な宿に泊まり、湯気の立つスープを分け合うこともあった。



ある日、少年は露店の端で売られていた、古い髪飾りを見つけた。

色褪せてはいたが、小さな花の模様が刻まれている。少年はポケットの硬貨を数え、迷いなくそれを買い求めた。なぜそれを買ったのか、彼自身にも明確な理由は説明できなかった。



「……これ」



言葉少なに差し出されたそれを、少女はしばらく見つめていた。

やがてそれを不器用な手つきで髪に差すと、路地裏の薄明かりの下で、色褪せた花がかすかに光った。


「……似合わない?」


少女が小さく問う。


「……似合う」


短い答えに、少女の瞳がわずかに揺れた。


そうした意味のない断片が積み重なり、二人の日常を、逃亡の現実のなかに静かに繋ぎ止めていた。


笑い声はなくとも、二人の呼吸は確かに重なっている。息詰まるほど長いはずの時間が、次の一日へと静かに流れていった。


互いの存在だけが、まだ自分たちがこの世界に確かに残っていることを知らせる、微かな証だった。


だが、冷たい風が路地裏を抜けるたび、遠くでざわめく気配がわずかに混じるようになっていく。



少年は脳裏の地図に割り込む、嫌に解像度の高い「悪意」の膨らみを感知していた。


安堵を切り裂くような冷たい影が、ゆっくりと、しかし確実に近づいてきている。



二人は互いの気配を強く潜め、夜の街のさらに奥へと、静かに歩みを進めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。