4 失敗作と聖杯
少年に角が現れた日、施設は異様な熱気を帯びた。
小さな額から突き出した白い突起は、現れた瞬間に特有の色へと変わる。
「ついにか」
周囲の研究者たちの間に、鋭いざわめきが走った。
父は長い沈黙の後、ただ一言、飢えた獣のようにその答えを待っていた。
「――能力は?」
研究者たちは淡々と記録を取り、机の上でペンが紙を走る音、微かに稼働する機械の低いうなりが部屋に響く。
誰も感情を乱さず、ただ目の前の検体として合理的に評価しようとしていた。
やがて、冷徹な検証結果が告げられる。
「……捜索、です。ツノを持つ者がどのあたりにいるのか、その気配を識別する能力」
その場の空気が、一気に凍りついた。
長い、重苦しい沈黙が続く。
「聖杯ではない……か」
研究者たちの落胆の声が漏れる。
だが、一部の人間はすぐに実用的な計算へと頭を切り替えた。
「だが、無駄ではない。
他のツノ付きを探知する能力……極めて有用です。
政府への報告には十分な戦力になります。隠れているツノ付きの摘発や、新規実験体の確保にも応用可能です」
彼らは勝手に合理性を並べ立て、少年の利用価値を査定していく。
しかし、父だけは違った。
少年を見据えるその瞳には、深い憎悪と絶望が混ざり合っていた。
「……なぜだ」
掠れた声が、父の唇から漏れる。
「お前は……俺の息子だろう」
少年は何も答えない。
答える言葉を持たなかった。
父の目は急速に狂気を帯び、最後は怒号へと変わる。
「お前がツノ付きになれば……
お前なら、あの人を……妻を蘇らせてくれるはずだ!
なのに――
なぜ“探す”などという下らぬ力なんだ!
誰がそんなものを望んだ!」
叫びが止んだ。
室内の空気が、ゆっくりと元の冷たさを取り戻す。 少年は何も言わなかった。言葉を持たなかったのではない——何を言えば父の目に「光」が戻るのか、その計算式が初めて導き出せなかった。
失敗作。
その烙印が、音もなく少年の内側に刻まれていく。
父の役に立ちたかった。
父を助けたかった。
だからこそ、周囲の状況を把握し、身を守るための力が形を成したはずだった。
それなのに、自分の能力では父の本当の望みを叶えられない。
「失敗作」の烙印を押された瞬間、自身の存在価値が足元から崩れていくような静かな痛みが、少年の胸を深く刺した。
◇
それから、少年は道具になった。
聖杯の実験としては失敗だが、外の世界でも内なる施設でも、ツノ付きに対する扱いは等しく残酷だった。
一歩外に出れば、そこは倫理も正義も完全に破綻した狂った世界が広がっていた。
世間にとってツノ付きは単なる異物ではなく、娯楽を兼ねた「狩りの対象」でしかなかった。
何も悪いことをしていないツノ付きの子供を、悪人たちが娯楽や金のために罠に嵌め、路地裏でなぶり殺しにする。
そして驚くべきことに、それを見た普通の市民たちは眉をひそめるどころか、「怪物を退治した」と笑顔で拍手を送り、悪人たちを英雄のように讃えるのだ。
ツノ付きを人間として扱おうとした「普通の善人」には、それ以上の地獄が待っていた。
我が子に生えた角を必死に隠し、守ろうとしたある家族は、密告によって家ごと包囲され、見せしめとしてその場で全員が無残に殺害された。
死体を冷たく見下ろす近隣住民の目には、同情の欠片もなく、ただ「危険因子が排除された」という安堵と満足感だけが浮かんでいる。
逃げ場など世界のどこにもない。
その逃げ場のない残酷な地獄の中で、少年は「便利な猟犬」として利用された。
少年は連日、指示を受けて標的のいる大まかな方角を指差すだけの役割に駆り出される。
目を閉じれば、街の雑踏の中に潜むツノ付きのぼんやりとした輪郭が、脳裏に頼りなく浮かび上がる。
彼がただ黙ってその方向を指差せば、武装した大人たちが動いた。
周囲の大人たちは、少年を都合のいい探知機としか思っていない。
彼らが知る由もなかったが、この時、少年の角はもう一つの感覚を彼に強制していた。
自身に向けられる「悪意」の質量。
それが、どれほどの強さなのかが可視化されるように流れ込んでくる。
指を差し、ある時は必死に子供を庇う親の頭を撃ち抜く大人たちの、あるいはそれを見て嘲笑う群衆の、どす黒く膨れ上がった悪意が、少年の皮膚をヒリヒリと容赦なく刺した。
誰にも言えないその秘密の感覚は、ただ少年を内側から削っていく。
少年自身は直接手を下していない。それでも、役割を終えるたびに、誰にも知られない悪意の毒で喉がひりつき、胃が重く、手が氷のように冷たくなった。
彼の指によって摘発され、檻へと連れ込まれた子供たちの中には、かつてこの孤児院へ遊びに来ていた、あの眩しい光のなかにいた見知った顔も含まれていた。
少年は彼らから視線を逸らさない。
目を逸らせばそこに感情が生まれ、二度と指を差せなくなることを、彼の頭脳は理解していた。外の歪んだ社会で居場所を追われたツノ付きたちが、少年の指によって、この冷たい実験施設という名のさらなる地獄へと引きずり込まれていく。
かつての孤児院の名残は、日ごとに薄れていった。
身寄りのない孤児も、新しく連れてこられた者も、彼らはみな等しく「実験体」という番号で呼ばれるようになる。
そして父は、さらに深く「聖杯」への執念にのめり込んでいった。
ツノを持ちながら、固有の願望を持たない真っ白な器――その存在こそが、妻を蘇らせる唯一の鍵だと信じて。
父は夜通しデータを解析し、子供たちの血液や骨を取り出しては調べ続けた。
その瞳の下には、いつも黒く深い影が刻まれている。かつてこの場所で、孤児たちと本気で鬼ごっこをして笑い合っていた男の面影は、もう欠片も残っていなかった。
施設全体の空気も、それに合わせるように冷たく変貌していく。
実験は過酷さを増し、夜の廊下に響く泣き声が増えた。鉄扉が重い音を立てて閉じるたびに、誰かの影が静かに消えていく。
社会という狂った大きな檻に追われ、施設という小さな檻で磨り潰される。
こうして、かつての温かかった孤児院の皮は完全に剥がれ落ち、ただの冷徹な実験棟へと変わっていった。




