14 残されなかった者
父は、少年の死を知った。
最初はただ淡々とした報告として、耳に届いただけだった。
「息子が……死んだ」――数字の羅列を聞くように、事実だけが脳裏を通り過ぎる。
だが次の瞬間、胸の奥に重たい石が落ち、呼吸が詰まる。
喉がひりつき、心臓は荒々しく脈打ち、震える手は膝の上で制御を失う。
「……そんな、はずは……」
言葉が零れ落ちるたび、現実が鋭い刃のように肉を裂く。
信じられず、信じたくもなく、しかし事実はじわじわと肉の奥へ沈み込む。
次第に怒りが込み上げる。
どうして自分はもっと守ってやれなかったのか。
どうして、あの子をあんな世界に置き去りにしてしまったのか。
爪が掌に食い込み、血が滲んだ。
後悔は鉛のように重く、息をするたびに肺が潰れるように苦しかった。
気づいた時には、手が勝手に動いていた。机の端に置いたままになっていた、息子が幼い頃に描いた落書きの紙を、ただ握りしめていた。捨てられなかったのだ。研究に狂い、すべてを切り捨てたつもりでいたのに、これだけは。
「……俺は」
声が出なかった。代わりに、ぽたりと一粒、紙の上に染みが広がった。
そしてその果てに――ようやく気づいた。
自分がどれほど息子を愛していたかを。
だが悟ったその瞬間には、すでにすべてが遅かった。
取り戻せない現実だけが、冷酷に目の前に突きつけられている。
妻は、力によって無理やり体をねじられた。
背骨が軋む音が響き、指先は糸で吊られたかのように不自然に跳ねる。
抵抗の声は喉奥で押し潰され、息はかすれ、肺が小刻みに震える。
叫んでも誰にも届かず、足は床を掻き、爪は割れて血をにじませた。
視界は赤く滲み、心臓は必死に暴れるが、その鼓動は次第に弱々しいものへと変わっていく。
やがて、首がぎくりと後ろに仰け反り、口から乾いた息が漏れた。
「……っ……」
最後の言葉にならない声が、暗闇に吸い込まれていく。
その姿は、まるで人形だった。
糸で操られるように無理やり動かされ、命を絞り取られる。
四肢の震えは断末魔でありながら、自分の意思ではない動きに変わっていった。
息が途絶えた瞬間、体は操り糸を切られた人形のように崩れ落ち、
青白く硬直した肌に血の匂いだけがまとわりついた。
少年の死の報告と、妻の断末魔の記憶が、父の頭の中で混ざり合う。
現実と過去の記憶が交錯し、視界はぐらぐらと揺れ、耳鳴りが世界を覆った。
「やめろ……やめてくれ……」
椅子に座り込んだ父は、震える手で写真を握りしめた。
そこに写る家族の笑顔が、酷く残酷に思えた。
怒りも、悲しみも、悔恨も――やがて色を失い、虚ろな感覚へと溶けていく。
父は静かに立ち上がり、書斎の窓から夜空を見上げた。
街の灯りも、人々のざわめきも、遠くで響く犬の吠え声も、もはや意味を持たない
息をひとつ吐き、虚空を見つめたまま。
やがてその音も遠ざかり、部屋には静寂だけが残った。
椅子の上に、握り潰された写真がある。
それ以外に、父がここにいた痕跡は何もなかった。




