15 知らないままで…
午後の光が庭に降り注いでいた。
白い花々の間で、彼女は小さく鼻歌を口ずさみながら歩いている。
その姿はまるで、この世の影を知らぬ存在のようで――見ているだけで心を奪われそうになる。
「ねえ……なんだか、思い出すの」
ふと、彼女は足を止め、遠くを見るように目を細めた。
穏やかな日々。
暖かい食卓、眠れる夜。
かつていた場所の冷たい廊下も、痛むほどの逃避行の苦しさも、もう遠い記憶の底にある。
「昔、一緒に逃げてたあの人のこと。どこ行ったんだろうね」
彼女の声は軽やかで、懐かしむような響きに満ちている。
――あの少年は、置いていった人。
少女にとって、それはもう、過ぎ去った季節の中の些細なエピソードに過ぎなかった。
その無邪気な問いかけが、男の胸を深く抉る。
分かっている。
あの少年はもういない。
君の未来を守るために、自らの命を差し出し、最後に笑って消えたのだ。
けれど彼女は何も知らない。
だからこそ、こんなにも自然に、陽だまりのような笑みを浮かべられる。
その無垢さを壊すことなど、できるはずもなかった。
たとえ、それが真実であっても。
「あなたがいてくれて、本当によかった」
彼女は微笑み、男の手を取った。
その手には光る指輪が。
彼にとっては、喜びであると同時に、彼の罪の重さを思い出させる印でもあった。
彼女の笑顔を見るたび、胸の奥で、あの日炎に消えた少年の影がちらつく。
それでも――この笑顔を守ると誓ったのは自分だ。
彼女の髪に留められた、小さな花の模様の髪飾り。
壊れて、失われてしまったあの飾りの面影を追いかけて、男が探し出したものだ。少女はそれを、男から初めて貰った宝物として、何よりも大切に扱っている。
「どうしたの?」
男の視線に気づき、少女が首を傾げる。
男は、その問いには答えず、ただ微笑みを返す。
彼女を安心させるために。
少年がその命と引き換えに繋いだ未来を、汚さぬために。
その裏で、喉の奥に押し込んだ苦しさを、誰にも悟らせぬように。
男は彼女の手を握り返した。
街には穏やかな風が吹いている。
少年の死も、父の消滅も、すべては歴史の澱の中へ沈んでいく。
彼女の笑い声だけが、未来へ続いていく。
――何も知らないままの、幸福な物語として。
一旦完結!
また新しい章を書くかもしれないです!
一応考えはあるので




