12 振り返らない
夜の路地裏は、ひどく静かだった。
街灯の切れかけた光が、濡れた石畳を鈍く照らしている。
少年は無表情のまま、懐から重たい袋を放り投げた。
袋の中で、硬貨と紙片の音が硬質に重なる。
「ツノ付きだってことはバラさない。
その代わり……少女を守れ」
少年は、鋭く男を射抜いた。
自分には今、彼女を隠し通す絶対的な力が足りない。
だが、目の前の男なら、その潜在能力で少女を外界から隔絶して守りきれるはずだ。
少年の計算は、自分への絶望と、男の内に眠る「ツノ付き」としての可能性で成り立っていた。
観察したすべてを頼りに、少年は心の中で問い直す。
自分が連れて行ければそれが一番だろう。
だが、自分には限界がある。兵の数は増え、民衆の目は鋭くなった。
ならば、少しでも安全を確保できる人のもとへ——。
「俺は少女を“死んだように”見せる。
ついでに俺もだ。うまくいけば生きていられるが、駄目ならそのまま死ぬ。
どちらにせよ、お前たちに追手が掛からないようにはしてやる」
隠し場所や抜け道を記した紙片を差し出す。
「報酬だ。ありがたくもらっておけ。
俺の能力で捜索して集めたものだ」
「……頼む」
相手が言葉を返す前に、少年は踵を返した。
振り向くことはない。影のように闇の中へ溶けていく。
その足取りは、いつもよりやや速かった。
残されたのは、重たい袋と一枚の紙。
そして、それ以上に重たい――託された命の重さ。
男は静かに袋を抱え、紙片を取り出す。
文字を読み、指先でなぞるたびに、これから自分が背負う責任の重さがじわりと胸にのしかかる。
入るべき時間帯、訪れるべきでない人物、近隣の抜け道——すべてが、これから背負う義務の輪郭を描いていく。
彼は紙片を胸に当て、しばらく動かなかった。
石畳に残る少年の足跡を見下ろす。
足跡は既に薄れかけ、影と混じって消えそうになっている。
確認のしるしのように、彼はそっとその跡を指先でなぞった。
そこにあったのは、冷たい泥と、確かな痕跡——確かにここを通った者がいるという事実だけだった。
袋の口を開け、硬貨の音を確かめる。
指で一つ取り、掌の上で転がした。
小さな光を放つそれは、生き延びるためのささやかな約束であり、同時に少年の決意という代償でもある。
紙片を折りたたみ、内ポケットに滑り込ませると、彼は深く息を吐いた。
肩に掛かる袋の重みが、託された命の重さと一致するように感じられた。
もう一度、少年が消えた方角を見送る。
やがて彼は顔を上げ、小さく呟いた——言葉ではなく、覚悟の音だった。
そして歩き出す。
街灯の薄い光が、彼の背中を長く伸ばした。
紙片と袋を握りしめた手が、小さく震えた。石畳に新しい影が伸びる。
彼は足取りを速め、指定された時間と場所へと向かった。夜はまだ深い。
だが、どこかで小さな灯りが、確かにともり始めていた。
一方、少年は闇の中へ消えながら、思考から全てのノイズを排除していた。
振り返らない。計算が狂う。
自分以外の腕の中にいる少女を想像すれば、脳の回路が焼き切れる。
だが、これでいい。
自分はここで死ぬかもしれない。計算上、その確率は低くない。
それでも少女を男の盾へ引き渡すことが、生存率を最大化させる唯一の手順だ。
自分という存在が死に絶えた後も、男が彼女を守り抜くことだけを想定し、少年はただ、自分の命を「時間」へと変えるために、黙々と歩を進めた。
石畳に新しい影が伸びる。
夜はまだ深い。少年の足取りには、迷いなど欠片もなかった。




