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解離2

「このぉぉぉ!!」


 床に付したままのたうち回る彼に、マヒルは冷徹な視線を送っていた。


「敗けを認めたところで貴方は何も失わない。ただ、僕たちに関わらないだけでいいんですから。

 ……なのに、意地を張る理由が何処にあるんですか?」

「黙れ!黙れ黙れ、黙れぇ!」


 あらぬ方向へと振られた剣に、マヒルは半歩下がった。

 ここまでされて腕一本でも動かせるとは、奇跡じみているとさえ言える。


「この……虫けらめ!俺が、負けるだと!?

 認めないぞ!絶対に、絶対にだ!」


「く……」


 予想はしていたが、しぶとい。

 それを振るう人間性は兎も角、彼の素質は本物だ。


 マヒルは折ったナイフのグリップの底に、弾倉を装填した。

 パピヨン同様、こちらも弾倉の消費によって刃を生成する事が可能だ。


「格下相手だと油断した貴方に勝ち目はない。相手との実力の差を感じたときこそ、そこに罠がないか気を張らなければならない。それを忘れた人間に、僕は敗けません。」

「ふざけるな!俺には力がある!そうだ……力だ!」


 その響きに、マヒルは限りなく悪い予感を覚えた。


「まさか……」

「ふははは!」


 突然狂ったような笑いを溢れさせながら、緋島が片手を大きく上げた。


「"魔剣"だ、『紅ヶ塚の魔剣』をよこせ!!」


「ッ!?」


 誰かが、恐らく緋島の舎弟の投げ込んだと思われる黒い刀が、彼の手に収まった。

 そのとたんに、魔剣からジンヤの発するそれとは異質の鬼火のような魔力が吹き上がる。


「そんな……!?」

「ハハハハハッ!!」


 有り得ない事態が発生していた。


 魔剣を手にした緋島が、ゆっくりとだが確かに起き上がる。


「なんで……あれはジンさんにしか使えないはず。

 そもそもあれはドライバで、ジンさん以外のコードは受け付けないんじゃ……?」


「ああ、その通り。だが、それはあくまで"ドライバ"としての話……。

 魔動機として、剣としてなら、魔力を持つ人間であれば問題なく振るえる!」


 緋島が刀を抜き放つと、そのオーラが噴煙の如く立ち上る。

 パピヨンとホーネットによる儀式の破綻で指一本動かせない筈の体が、きちんと二本の足で立っている。


「魔剣による付加魔法か……!分かるぞ……こいつは俺を認めた、真の主として認めたのだ!

 これは、奴には惜しい代物だな!」


「……ッ!」


 マヒルは再び緋島へと毒蝶の弾丸を放つ。

 だが、それは魔剣の一振りで霧散させられた。


「弱い!弱すぎるぞ!フハハハハ!!」


 胸を反らすように高く笑う緋島。

 その様にマヒルは歯を食い縛った。


 違う、あれは主従の関係などではない。

 そもそもあの刀はそんな代物ではない。


 緋島の手の中で猛威を振るう姿は、もはや鋼で出来た貪欲な獣だ。

 自らを握る者全てを、旨いか不味いか、喰うに価するかの餌としか認識しない。


 そして、緋島は今その『旨い餌』として見られてしまったのだ。


 緋島を狂わせている感情に魔剣が強く呼応し、勢いよくその魔力を喰っている。


 それを見ると、日頃ジンヤが如何にその力を制御しているかが分かる。

 この魔剣は危険すぎる。


 既に、危険を感じた観客は出口へと殺到している。

 いくら闘技場とはいえ、この爆発的な魔力の奔流を食らえば無事ではすまない。


 使用者にとっても、周りにとっても、最悪な事態を引き起こしかねない。


「緋島さん!その剣は危険です!

 今すぐ離してください!」


「うるさいぃぃ!!消えろ、消えろ!雛由マヒル!!」


 状況はかなり悪い。

 このままでは決闘どころではなく、緋島やギャラリーへの被害も避けられない。


 自分がなんとかしなければ。


 マヒルは銃を向ける。

 彼を撃つ。撃って全てを終わらせる。


 だが、ふとその照門の先で緋島の気配が揺らいだ。


『ーーすけてくれ、たすけてくれ、たすけてくれ!』


「……ッ!?」


 その瞬間を、魔剣の一撃が襲った。


「雛由ーーー!!」

「……『バックラー』!!」


 咄嗟に障壁魔法を展開したが、それは紙一枚程に魔剣阻むことなく破られた。

 急遽身を引くもその切っ先はマヒルの胸を斜めに大きく裂いた。


「ぐっ……!」


 マヒルは大きく後ろへ飛ぶ。


 今、確かに彼の声が聞こえた。

 助けを求める悲鳴だ。


 そして同時に見た。

 溢れ出た裏の感情。


 緋島ケイジの本音。


 ーー緋島という名家の名、築き上げたこの地位、足下には媚を売ってくる生徒たち、握った剣、自らを上回る恐れのある存在、それでも捨てられない緋島ケイジという存在ーー


 重圧

 重圧、重圧、重圧、重圧



 ーーああ、そうか



 マヒルは理解した。

 初めから、ここに悪意なんて物は存在しなかった。


 案外、彼も辛かったのかもしれない。

 名家という環境の重圧に堪えることを、無意識のうちに苦痛と感じていたのだろう。

 ただ彼はジンヤと違って、彼は明確な敵を作ることで己を奮い立たせる術を持ち合わせなかった。


 だから、彼はああなるしかなかった。

 他人を見下し、せめて表側だけでも強くなくてはならないという考えに取りつかれてしまった。


 今なら、彼の行動を理解できる。

 そんな自分を否定してくれる愛沢アユムという少女が、とても美しく見えた。

 自分なんかよりもずっと強い重圧を受けながらもそれに屈しない術を持つ紅ヶ塚ジンヤという少年が、とても眩しく見えた。


 もし別の出会い方をしていたら、彼らはきっと違う関係でいられた筈だったのに。


 悪意なんてものは、この場の何処にも存在していなかった。


 あったのは、それぞれの痛みと、それに向き合い切れない心。



「まだだぞ、雛由マヒル!!」


 剣撃は次から次へと重なり、マヒルを切り裂き続ける。


 魔剣が振るわれ、身体が破壊され、再生され。

 それを繰り返す。


 その剣の一撃一撃が痛みだ。

 誰かが負うはずだった、誰にも負えないほどの痛み。


 その痛みが、今この空間に溢れている。

 誰にも負えないのなら、いっそ全てを巻き込んでしまおうと。



 ーー誰かが生きていくには、誰かが傷つかなきゃ


 ずっと昔に聞いたような声が頭の中で反響した。


 ーー誰かが傷つかないためには、誰かが傷つかなきゃ


 それは絶対に覆らない摂理で、今も目の前で働いている。


 ーーだから僕は彼を傷付ける


 この痛みが全てを壊すこと、それを許す訳にはいかない。


 ーー緋島ケイジをこの手で排除する


 だから、全てを彼に負わせるしかない。


 ーーこの手しかない


 ーーなのに




 胸の中で、熱が炸裂した。



「がっ……ぁぁ」



 魔剣の刃が、マヒルの胸を貫いていた。

 避けられなかった。

 誰かの悲鳴に、嘆きに、目の前が眩んでいた。


「フハハハハ!雛由マヒル、どうだ!苦しいか!!虫けらがぁぁぁぁぁ!!」


 狂ったような笑い声。


 動けない。

 体が言うことを聞かない。


 揺らいでいた。


 確かに彼は自分達にとっての障害で、不都合だった。

 だが、それが彼のここで傷付く理由にはならない。そんなことがあってはならない。

 彼もまた、自分達と同じく傷付くことを拒んだ人間なのだ。

 それを否定する道理は、この世の何処にも存在しない。


 では、誰も傷付かない決断がいったいこの世の何処にあるのか。


 マヒルは歯を食い縛る。


 そんなものは、過去の一度もこの世には存在しなかった。


 世界は残酷だ。


 このままでは自分がやられてしまう。

 何人もの人間が傷つくことになる。


 ーーなら、僕が彼を傷つけるしかないのか


 ーー嫌だ、そんなの嫌だ。


 その絶望が、ずっと昔の存在しない記憶と重なる。



「……無理だ……」


 咳に混じって、口から溢れた。


 誰かの痛みの上でしか生きられない、そんな世界なんて辛すぎる。


 ーー僕たちの為に、彼を消す?


 そんなこと、できるわけがない。


「そんなの……悲しすぎる」


 ーー僕には無理だ




 その瞬間だった。



 記憶が巻き戻る。


 自分が生まれるよりずっと前、ひとりぼっちの記憶。



 ーーああ、思い出した。


 ーー覚えてる筈のないもの、全部。




 ●



「……雛由マガリの最期。恐らくここ数年前だ。それを調べろ、手は任せる。」


「ああ、分かってる。これはやつを裏切ることにもなる。」


「やつはおとなしく消えることを望んだ。」


「だが……そうも言ってられなくなった。」


「あいつの成長……いや、"変貌"。何かが起きてからじゃ遅い。」


「あいつとマガリが繋がってるのは確かだ。何でもいい。やつの最期に、必ずヒントがあるはずだ。」


「もしかすれば……これは『俺たちの問題』にも影響が出てくる。」


「……何百年続く、『俺たちの問題』。」


「……どっちに傾くにしろ、節となるのはあいつだ。間違いない。」


「しかし……『第四白波学園事件』……やつもあれのせいで呑み込まれちまったってことか。」


「俺たちの問題に……」


「終わりの見えない無限ループ……」


「ああ、すまん。分かってる。感傷に浸るのは後だ。」


「キーワードは」


「雛由マガリの最期」


「そして」


「雛由マヒル」


「火災」


「以上だ。」








「……ふー」


 玄関を潜ってすぐの溜め息。

 白葉は外履きそのままのスリッパで敷居を跨ぐと、何時もの行動ルーチンに反して管理人室の扉とは逆、共用スペースの食堂に足を運んだ。


 あの雨の中を歩き回って来たにも関わらず、全身湿り気の染みひとつない。


 ひたひたとスリッパで床を鳴らしながらたどり着くと、またしても溜め息。


「……いつまでそうやってるつもりだ?」


 部屋の隅で膝を抱いたままの彼女は、顔を上げることさえしなかった。


「……アユちゃん」


 その隣からコマエがひたすら声をかけ続けるが、それすらも全く耳に入っていない。

 コートを着たままの白葉はごそごそと頭を掻くと、食卓から椅子を引きずり彼女の前にずん、と置いた。


 床に踞る少女を前に、白葉マサヨリは足を組んで椅子へと座る。


「何でたってまた、お前は自分を責める。愛沢アユム。」


 音を拾った耳から腹の底に落ちてくるような、そんな低い声にやっとアユムは顔を上げた。


「なんで責める……?決まってるでしょ」


 白葉を見上げるその目は、もう何時間も泣き続けて赤く腫れ上がっていた。


「私のせいだよ……こんなことになったのは。

 私が……緋島が声をかけてきた時点で余計な意地張ってなかったら、こんなことには……」


 ぺかん


 その頭に振り下ろされた合成樹脂で、アユムの口は止まった。


「バカかお前は。」


 アユムの頭を叩くのに使ったスリッパをきちんと履き直し、白葉は呆れたと首を振った。


「お前、ただでさえ頭回んないだろ?そんなやつが三日以上前のこと考えてどうする。

 仮にお前が半年前、緋島の誘いに乗ってたとしたらもっと酷いことになってたぞ?

 だいたい、あのエリート嫌いのジンヤがそんなこと許すわけないだろ。そんなこと万が一にでもあってみろ、お前も緋島も揃ってぶち切れたジンヤにぶっ殺されてたぞ?これは割りと本気で。」

「……。」


 非情とも言える白葉の言葉にアユムは黙りこむ。

 その額に人差し指を突き付け、白葉は尚も口を聞き続ける。


「そもそも、お前の脳内シミュレーションが穴だらけ過ぎるんだよ。いや、希望的過ぎる。もはや妄想の域だな。

 そんなくだらんもんでびーびー泣き散らかしやがって。自分を責める前に、まずその点どうにかしてみろや。情けねえったらねーや。」

「じゃあ……」

「あん?」


 自分のシャツの端を握りしめ、アユムは歯を食い縛るように溢した。


「私にどうしろっていうの……」

「……。」

「知ってるよ、自分が頭回らないことぐらい。

 でも、だからって何も気にしないでいられるほど馬鹿でもないんだよ……!だから、こうやって泣いてるしかないんだよ……私。

 自分を責めてる気にでもなってないと……もう駄目なんだ。」

「……そうかい。」


 白葉は椅子を引いて立ち上がった。


「弱え奴……。」


 そうこぼして、白葉は椅子をもとの場所へ戻した。

 コマエがその後ろ姿に何か言おうとしたが、その前にアユムが口を開いた。


「弱いよ。本当に弱い。ジンは私を守るために戦ってるし……マヒルもジンを助けようって出ていった……。

 私だけだよ、自分を守るのに手一杯で何もできてないのは……!」


 その言葉に、白葉の足が止まった。


「……何言ってんだお前?」

「……何って」

「自分守ってる?ふざけんなよ、これのどこが"自分を守る"だ。お前、たださっきから隅っこで腐ってるだけだろうが。

 何だ、気を利かせてやればいいように付け上がりやがって。偉そうな口聞くな。」


 憤然と赤い目を見開くアユムに、白葉は続ける。


「色々と勘違いが過ぎてるようだが、思い上がるなよ。お前は悲劇のヒロインなんかじゃない。それ気取ってカッコつけてる痛いクソガキだ、少なくともこの俺にはそう見える。」

「……ッ!?」


 コマエが慌てて立ち上がるが、白葉は黙ろうとしない。

 畳み掛ける様に捲し立てる。


「さっきから好き勝手言いやがってって思ってるな?一応言っといてやろう。

 俺はお前以上の『悲劇のヒロイン』を見たことがあるぜ。そいつは最後の最後まで泣かなかった、いや泣けなかった。代わりに最後まで足掻いてたさ、見てるこっちが不憫になるくらいな。」


「あんたなんかに……」


 その時、ふらりとアユムが立ち上がった。


「アユちゃん……!?」


 それを遮ろうとするコマエの横を抜け、アユムは白葉へと迫る。


「あんたなんかに……」


 大きく火花を散らすアユムの目が白葉の気怠そうな顔を睨み上げた。


「あんたなんかに私の何が分かるの!?」

「……い゛っ」


 バシン


 アユムの振り上げた拳は、避ける素振りさえ見せなかった白葉の頬を勢いよく殴り抜いた。


「白葉さん!?」


「いってえ……ぁあ、平気だ平気」


 顔面を正面からまともに殴られた白葉はよろめき、くらくらと頭を振った。

 慌てて駆け寄ったコマエを軽く手振りで制し、アユムの顔を見下ろした。


「……あんたなんかに……あんたなんかに……」


 アユムは血が上って紅潮した顔で固めた拳を震わせていた。

 白葉は暫くその顔を見下ろす。


 そして、不意ににっと歯を見せた。


「その顔だ、バーカ」


 相当な力で殴られたらしく、どこかしら切れた口の端から血が真下に筋を描いていた。

 そんな白葉の顔に唖然とするアユム。

 白葉は鼻から息を抜きつつ口元を拭った。


「……?」

「おら、分かったか小娘。」


 殴られた頬同様、赤く腫れたアユムの拳を持ち上げると、白葉は言う。


「泣き寝入りなんて情けない真似はよせ。

 何か守りたいなら、そうやって自分の足で立って、自分で殴りに行けばいい。

 大丈夫だ、お前は間違ってない。大正解だ。だから……」


 アユムの手を離すと、今度はその背中をばしっと叩いた。


「後悔も躊躇もする必要ない、行け。」


「シラハ……」


 アユムはその顔を見上げると、赤く腫れた拳へ視線を落とした。

 何故こんな簡単な発想に至れなかったのか、今思えば不思議だ。


「……本当に馬鹿だ……初めからこうすれば良かっただけなのに」


 ただ一言、直接否定を口にすればよかった。

 ただ一発、頬をぶつだけでよかった。


 そもそも、こんな下らない話を拗らせていたのは自分自身だったのかもしれない。


 もう一度白葉に向き直ると、アユムは目元を袖で拭った。


「行ってくる」


「おう、いけいけ。ああいてぇいてぇ。」


 白葉に告げ、彼女は駆けて行った。

 彼はそれを背中で見送る。






 ●


 人は誰かを傷つけながらでしか生きていけない。


 僕が生まれるずっと前に、それを知った。


 人は誰かに傷つけられながらでしか生きていけない。


 そんな現実の中で、わたしたちの幼い世界は創られた。


 傷つけなければ、傷つけられる。

 傷つくことを拒めば、傷つけるしかない。


 その二択しかない世界。


 立ち上る黒い煙と頬を撫でる熱の中で、わたしは泣いていた。


 誰かを傷つけるなんて、悲しすぎる。

 誰かに傷つけられるなんて、辛すぎる。


 ひとつの自分にふたつの苦しみ。

 選び続けなければならない苦しみ。



 せめてどちらか一方であるのなら、わたしたちの世界はどんなに救われるだろうか。


 見詰める炎を前に、わたしたちは願った。


 誰も傷つけずに生きていけたら。

 誰にも傷つけられずに生きていけたら。


 その時、思い付いてしまった。


 ならばいっそ、自分をふたつに割ってしまえばいい

 どちらかひとつを捨ててしまえばいい


 僕が愛して


 わたしが傷つけよう


 僕が傷つき


 わたしが守ろう



 こんな間違った世界を認める必要はない。

 この矛盾で、世界を拒絶しよう。



 ●












 体の真ん中で、何かが千切れた。


 ひとつだった物が、ふたつに引き裂かれていく。


「あああああああああ!!」


「っ!?」


 こだました苦痛の絶叫に、刀を握っていた緋島でさえも目を見開いた。


 マヒルは、全身を襲う痛みで、狂ったように叫んだ。


「いたい!いたいいたい、いたい!!」


 目から涙を溢し、魔剣の刺さった胸を掻きむしる。


「……駄目だ……千切れる……離れる……嫌だ、持っていかないで……いやだいやだ……いたいいたい……いたい!」


「お前……な、何だ?……何が!?」


 その時、二つの手が魔剣の刃をがちりと掴んだ。

 雛由マヒルの手が、魔剣に焼かれながらもその刃を万力のような力で握っている。


「ごめんなさい……マガリさん……僕は……あぁ、あ、やめろ、やめて……僕は……わたしは……違う……わたしは……マヒル……ミヨ……マヒル……ミヨ……そんなの駄目だ!!僕は、僕は……僕は!!」


 緋島はあまりの光景に、自らの剣を引いた。


 胸を押さえながらマヒルは体を折る。


「……取っちゃだめだ……それは僕のだ……僕のだ……お願い、とらないで……」


 そのままよろよろと下がると、目の前の異様なモノをただ見つめる。


 雛由マヒルの胸に下がる、二つ目の銀の指輪が、真っ黒な光を放っていた。

 その靄のような霧のような鈍い光が、少年の体を包み込む。


「……なんだ……お前は!?」


 緋島の声はまるで悲鳴のようだった。

 目の前に広がっている異様を極める光景への、生理的な拒否反応。


 そんな緋島の叫びに答えるように、その声は響いた。



「ミヨちゃん……ミヨちゃん……私の、かわいい、ミヨちゃん……。

 おおきく、なっちゃ……だめよ……。お洋服、が……着れなく……なっちゃう。」



 歌うような不気味な声音が、黒い靄を裂いた。


 黒い髪。

 真っ黒な瞳と、所々煤に汚れた真っ白な肌。


 そして、醜く破れた黒い衣装。


 そこに立っていたのは、雛由マヒルに酷似した、しかし彼とは決定的に違う存在だった。


「いじめ、ないで……いじめない、で……」


 死人のような目を細めて、それは不気味に口を開く。


「わたしは……ミヨ」





 緋島は絶叫しながらそれに襲いかかっていた。

 自分でも何故かはわからない。

 だが、この存在を目の前から消さなければならないと本能が叫んでいた。


 もはや、考えるまでもない。


 彼は、それに恐怖していた。


「消えろおおおお!」


『ミヨ』と口にした"それ"は爛々と光る目で魔剣を見ると、腰を低くしてパピヨンとホーネットを展開。


 そして細く唱える。


「……『リライト』……」


 二つの魔動機が黒い儀式の羅列に呑まれる。

 幾つもの数式が一瞬にして書き換えられ、全くの別の存在へと変化する。

 そして、現れたのは二つの円月輪。


「!?」


 見たこともない魔法に驚く緋島を他所に、なおもそれは唱える。


「『リライト』……コード『アクセラ』……」


 加速化の魔法の印が黒く変色し、そして形を変える。


「……『デクセラ』!!」


 その黒い印が爆ぜたと同時に、それは終了していた。


 変貌したマヒルの身体が一瞬霞んだかと思った直後に、緋島の体が五体に千切れて四散したのだ。


 彼がその事実に気がつく間もなく、逃げ遅れたギャラリーからは悲鳴が上がる。


 だが、決闘のルール上すぐに緋島は修復される。


「あああああああああ!?」


 彼がやっと絶叫できたのは、その時だった。


「な……何だ……いったい!?……お前は何だ……!?」


「……『デクセラ』」


 また同じ魔法が展開される。

 すると、緋島が魔剣を振るう間もなくその顎が真横一文字に切り裂かれた。

 これ以上の発言が封じられる。


「ぐげ……!?」


「逃げる、逃げる……?……だぁめ……だめ、だめ……だめだめだめだめ、だめ!!」


 突如、彼の目の前まで瞬間移動した"ミヨ"が、両手の得物を防風のように振るう。

 緋島の体は悲鳴をあげる事も敗北を認めることも出来ずに、ひたすら破壊と修復を繰り返している。


「がっ……あっ……やめっ……アアア……!?」


「折れろ……折れろ、折れろ、折れろ……いなく、なれ……いなくなれ、ヒジマいなくなれ、ヒジマ、ケイジ、いなくなれ!」


 狂ったように唱えながら、攻撃は続く。

 四肢をもぎ、胸を裂き、顔を潰し、腹を抉る。


 もはやそれは生徒同士の小競り合いの次元を越えていた。

 一方的に繰り広げられる、終わらない虐殺行為。


 観客全員は凍りつき、目の前で繰り広げられる光景にただ取り残されていた。


 そのなかで、児哭森ユウキだけがその現象を解き明かそうと観察を続けていた。


「……まさか、そんな筈が有るわけがない……。既にデバイスへと収録された儀式の書き換えが起こってる……いや、それどころじゃない。

 あれじゃ完全に別人だ……肉体の構成、個体としての存在すら書き換わってる……DGSドッペルゲンガーシステムにまで干渉が及んでいるの?そんなシステムや魔法……ああ全然聞いたことないよ!

 ああもう!違う、そんなんじゃなくて……!!」


 彼女は余った白衣の袖に噛みつきながら身を乗り出す。

 一人の研究者としての血よりも、同じ寮の住人を案じる思いが上回っている。

 それほどに異様な状態だった。


「"アレ"はいったい誰だ!?」


 ただでたらめに書き換えたにしては、レベルが高すぎる。

 一人の別人として完成した何者かが、雛由マヒルという媒体を通してこの世に具現化しているのだ。


「とにかく……アレはヤバイ、かなりヤバイって!早く止めないと!!ああでも私戦えないしゴーレムは研究室だし……!!」


「ユウキちゃん!?」


 頭を掻き回したその時、白衣の背後から声がかかった。

 振り向くと、そこに立っていたのは頭からずぶ濡れになって息を荒げているアユムだった。


「アユム!?」

「やっぱり、アイツに正面切ってひとつ言ってやろうと思ったんだけど……この状況ってなに!?」


 混乱を窮める場内と、ステージ上で繰り広げられる異常事態にアユムは目を回している。


「ていうか……マヒルは!?あれは誰?マヒルはどこいったの!?」


 ステージを指差すアユムに、ユウキは頭を抱えながら必死に言葉を紡ぐ。


「いや、あの黒いのがマヒル!いや、違うマヒルじゃない!でもマヒル!」

「え!?意味わかんないよ!」

「とにかくあいつらを止めないとマヒルがヤバイんだってばー!!」


 両腕を振り回しながら喚かれ、アユムはとにかく大きくうなずいた。


「う……うん、了解!何が何だか……もう本当に分かんないけど、どうにか止めればいいんだよね!やってくる!」


 ステージから一段上の観客席、転落防止の柵を飛び越えるとドライバを握る。


「待ってて、マヒル!今行くから!」



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