雨の匂いと少年少女3
「それからだよ……ジンくんが乱暴になったのは。」
語り終えたコマエは、重いため息をついた。
だが、今までに溜め込んでいたものを吐き出せたようで、心なしか表情は軽くなった。
「自分が緋島軍団に反発しているっていう体を装えば、周りは変に勘繰る事もアユちゃんがやった事を堀り出そうとすることもない。緋島ケイジもジンくんが暴れてる間は他に悪騒ぎできないから……」
「つまり……ジンさんは……」
「うん。今も一人で、緋島軍団と戦い続けてる。アユちゃんの為に……」
「つまり、そういうことなんだね?」
藍川はジンヤの話を聞き終えると、微かに微笑みながら彼の横顔を伺った。
ジンヤは、頭の後ろで手を組んだまま顔を反らした。
「違ェよ、別に……アイツの為とか、そんなんじゃねェ。
単に、緋島と集ってるハエどもが気に入らねェ。そんだけだ。」
「愛沢アユムに酷い事をしたから、かい?」
その言葉がどこに刺さったのか、ジンヤの口が止まった。
「……。」
それきり口を接ぐんだジンヤに、藍川はクスクスと笑う。
「そうかい、なるほど。少し安心したよ。
風紀委員会は、君がこの学園の治安を揺るがす可能性を見ていた様だけれども……」
それに対し、ジンヤは鼻から息を抜いた。
「……オイオイ、たかがオレ一匹で大袈裟言ってくれんな。買い被りってのにも程があるだろ。」
「それもそうだね。君は、ただ愛沢アユムの事が大好きだった……そういうことだよね?」
「……大好き……か。」
藍川の言葉を繰り返すと、ジンヤはすっかり星ばかりになった暗幕の空を見上げて呟く。
「好きとか……そういうんじゃねェんだよ、たぶん。」
「うん?」
ドライバは既に手放しており、座ったフェンスに立て掛けてある。
常に纏っていた刺々しい戦意が抜けて、いつになく穏やかな表情のまま、ジンヤは独白するように言った。
「……"家族"なんだよ、オレの。
アイツと、アイツの両親……マナミさんたち。一人っきりになっちまったオレを、ここまで立ち直らせてくれた……大事な家族。」
「紅ヶ塚家の後継ぎ騒動か。詳しくは知らないが、大変だったと聞いているよ。」
ジンヤの指が、無意識のうちに左目を縦に走る傷跡をなぞる。
その歪に脹れたざらつきを指先に感じる度に、様々な感情が脳裏に甦る。
絶望やら、屈辱やら、無力感やら、数えるのに限りがない。
「知るか。」
ドライバを取り上げると、ジンヤはフェンスを降りて藍川に背を向けた。
途端に、その背中は重く長い影を負う。
同年代の少年少女には決して見られない、酷く深い影だった。
「オレは今更いくら汚れたって知ったこっちゃねェ。どうせ後にも先にも、オレは噛みつきたがりの狂犬だ。派手に汚れててちょうどいいや。」
藍川も彼に背を向けたままそれを黙って聞いている。
「けど、アイツは駄目だ。
アイツにはお袋が親父がいて……マヒルもいて……迎えなきゃなんない未来がある。
だから……」
手にした得物よりもずっと鋭利なジンヤの視線の切っ先が、背後の彼女へと突き付けられた。
藍川はその視線を背中に受けたまま、フェンスの上で脚をぶらぶらと揺らしている。
「アイツの邪魔は誰にもさせねェ。
例えアンタだろうが、緋島だろうが。」
警告
藍川は頷く代わりに、ふわりとフェンスを飛び降りて軽く尻を叩いた。
「そうかい」
逆さの腕章に触れるが、直ぐにその手を下ろした。
「大丈夫、僕たちの仕事はあくまで"片付け"だ。
邪魔なんてしないつもりさ。それに……鷹野先輩が君を気に入る理由も分かる気がする。」
袋を片手に振り替えるが、そこにはもう彼の姿は無かった。
どうやら、やっと帰る気になったらしい。
またいつもの表情に戻ると、藍川は誰もいない空間へ鈴のような声で言った。
「話が聞けて良かったよ、ジンヤ。」
翌朝
カーテンの隙間から零れてくる雨音で、マヒルは目を覚ました。
「ん……」
6時半を指す時計がベッドの横でチクチクと言っている。
マヒルは掛け布団から這い出すと、カーテンを大きく開けた。
分厚い灰色の雨雲と、窓ガラスを次々と伝っていく重い雨粒。
薄暗い朝が、視界一杯の大雨で煙っていた。
「……。」
朝の換気をしたかったが、これでは無理そうだ。
マヒルはそのまま窓から離れると、制服上下をタオルでくるんでから部屋を出た。
白葉寮において、自室と他のスペースを繋いでいるのは外通路と外階段だけだ。
その為、雨が降れば部屋から出て一階に降りるのにも苦労する。
コツを掴まないと、出掛ける前からすぐにずぶ濡れになる。
雨避けの屋根の外から風に乗ってくる雨粒を回避しながら、マヒルの頭が考えていたのはやはり昨日のコマエの話だった。
「緋島軍団……」
元凶は彼らだ。
今でこそ表面上での平穏は保てているが、水面下では何が起こっているのか、知れたものではない。
とんでもない物に巻き込まれたなと思いつつ、頭を掻いたその時だった。
「……っ」
雨音の中に、何かが混じった。
マヒルの体がピタリと動作を止め、飛び込んでくる大きな雫も気にせず聞き耳を立てる。
何の音だ。
体の中の警戒の糸が一気に張り詰める。
雨粒が絶海の学園都市全体を叩く音の中で、僅かに聞こえる声。
「……っ!?」
次の瞬間、マヒルは制服を投げ出して雨の中に飛び出した。
階段を飛び降り、正面の玄関まで水溜まりを弾けさせながら走る。
細かく聞こえたのは、間違いなく悲鳴。
コマエの物だった。
そして、同時に気付いたことがある。
「こんな時間に……!?」
叩きつける大粒の雨の中に紛れていたのは、幾つもの人の気配だった。
正面玄関への角を曲がりかけたマヒルは、近づいた気配に慌ててその足を止めた。
目の前を確認する間もないまま、今し方飛び出してきた曲がり角へと転がり込むようにして身を潜めた。
雨粒が滴る寮の壁に背中を張り付けつつ、マヒルは慎重に顔を覗かせた。
「……テメェら」
打ち付ける雨の中に見えたのは、片手の日本刀を今にも鞘走らせる勢いのジンヤの背中だった。
その言葉の先には、こんな朝一番にも関わらず着こんだ制服を雨に濡らす十人近くの男子生徒たちだった。
背後からでも分かる殺気を全身にみなぎらせたジンヤは、腰だめに握った刀の鍔を鳴らす。
「今すぐコマエを離せ……!」
「なんだ、紅ヶ塚?」
それに応じたのは、見上げるような巨体を持つ一人の男子生徒だった。
纏った制服は雨に濡れているが、その裏には太い丸太のような筋肉が伺える。
先頭に立った彼は、ジンヤの構える刀に臆することもせずにその間合いへと踏み込んで行く。
「俺たちはただ、そこにいたお嬢に案内を頼んだだけだぞ?」
マヒルは隠れたまま、胸元のドライバに触れた。
起動したイメージスクリーンから生徒情報を呼び出し、件の巨漢を見つめる。
『護藤 ヤスナリ 実戦魔法学科三年 38位』
悪い予感が打ち付ける雨と共に体温を奪っていく。
「緋島軍団……!?」
ーーなぜ彼らがこんなところに。
護藤は鬼の形相のジンヤを挑発するように自らの背後を顎で示した。
その先を見て、マヒルは表情を険しくする。
その小さな肩に手を回されたコマエが、にやにやと笑う男子生徒たちに囲まれながら震えていた。
真面目なコマエは毎朝一番に起きて、寮の前にある郵便受けを確認する。
何も入っていない場合が殆どのだが、それが彼女の日課であり、よほどのことでもない限りこうやって外の様子を伺いに出る。
無論、こんな雨の日であってもだ。
「……クソッタレどもッ!!」
吠えるように言うジンヤに護藤は虫の悪くなる笑みを浮かべたまま迫る。
「おっと、よせよ紅ヶ塚?まだ俺たちは何もしちゃいないさ。……もっとも」
「ひゃっ……!」
コマエの口から強張った悲鳴が上がった。
を
マヒルが視線を向けると、コマエの肩を掴んだ生徒が、その手に青く光る印を発生させていた。
マヒルに何の魔法か判別することは出来ないが、そこからの害意を感じとるには十分だった。
「……これから何かしないという保証もないのだがな?」
「……ッの野郎!!」
遂にジンヤが鞘を払う。
しかし、
「やめて!」
「……ッ」
コマエの口から出た声に、ジンヤの手が固まる。
唸りを上げていた切っ先は護藤の首元で止まっていた。
ジンヤの目が頂点に達した怒りで血走っている。
捕まれたままのコマエは、やっと絞り出した声でジンヤを抑える。
「……ここで挑発に乗っちゃだめ……!」
「コマエ……」
「いいから……落ち着いて……?
そんなもの下ろして……まずは白葉さんを呼びに……」
ジンヤは握った刀を震わせたが、すんでの所でそれをおろした。
そのようすに護藤は感心したように頷く。
「ほう?随分とお利口に飼い慣らされたもんじゃないか、喧嘩犬の紅ヶ塚?」
「……。」
再び刀を握る手が震え始めたが、ジンヤは奥歯を軋ませながらも、それを鞘に収めた。
そして、その刀を鞘ごと手放す。
強張った指から溢れた黒い鞘は、音を立てながら濁った泥水を跳ねた。
「おやおや、どうした?敵を前に自慢の牙まで放り出したか。
これじゃあ番犬もまともに務まらんな?」
護藤の手が雫の垂れるジンヤの髪をかき回すと、その後ろから幾つもの下卑た笑いが起こった。
それでも、ジンヤは堪えている。
一頻り笑うと、護藤はジンヤの髪を掴む。
「さて、紅ヶ塚。犬芸もそのくらいでいいだろう。
お前のお嬢は生憎案内には向かんようだからな。今度はお前に聞こう。」
「……」
ジンヤは黙ったまま相手の目を見つめ返す。
絶対に口は開かない。
「ほう、『待て』を言いつけたつもりはないんだがな?」
髪の毛を離すと、今度はジンヤの胸ぐらを掴み上げた。
ジンヤの体が簡単に地面を離れる。
「もう一度聞くぞ?
一昨日の昼休みに騒ぎを起こした、一年の『雛由マヒル』は何処にいる?」
「……知るか」
「ほう……」
その発言の直後。
「……ッ!!」
ジンヤの体は地面へと叩きつけられた。
間髪入れずに、護藤の靴がその胸を踏みつける。
「シラをきるか?
言うことを聞かん犬め、躾が足りんようだな!」
「……ぐっ!」
脇腹を蹴られたジンヤが水溜まりを転がる。
「やめて!ジンくん、もう逃げて!」
悲鳴を上げながら手足をばたつかせるコマエだが、上級生の男子に囲まれては抜け出すことは出来ない。
「どうした紅ヶ塚?お前のお嬢は『尻尾を巻いて逃げろ』と仰せだぞ?
早く飼い主の足にすがり付いてきたらどうだ!」
「……」
ジンヤはそれにも答えずに立ち上がる。
額に張り付いた髪の毛を払うが、決してその場を離れようとはしない。
護藤は拳を鳴らした。
「そうか、それもいいだろう。
お前と遊んでいれば、『マヒル』とやらも聞き付けてくるに違いない。」
「……そんな奴は……」
ジンヤは泥水と血の混ざった唾を吐き出し、荒い呼吸の中から口にした。
「ここにゃ居ねェよ、ハエ共」
「なるほど……なら」
護藤の岩のような拳が大きく振り上げられた。
「そこで臥せてろ」
ほんの一瞬の出来事だった。
ジンヤは霞んだ目を見開いたまま口を開けていた。
突如響いた鈍い音が止んだと思うと、目の前にあった巨体が崩れ落ちたのだ。
ジンヤのみならず、その場にいた全員が呆気にとらわれていた。
そして、足元に転がったそれを見下ろす。
ほんのコンマ数秒前に高速回転しながら飛来し、その防水加工の施された木材質の鎚のような先端部を以て、計算式のような精密さで護藤ヤスナリのこめかみを強かに打ち抜いた、全長一メートル程のデッキブラシを。
そして、続く言葉を失った。
激しさを増した雨の中を悠々と歩き、そのデッキブラシを拾う少年の姿に。
凶器へと成り果てた掃除用具を片手に、彼は紅ヶ塚ジンヤのそれとは正反対な、底冷えのするような怒気を滲ませながら宣った。
「どうも。皆さんお探しの、雛由マヒルです。」
「……マヒル!?」
驚くジンヤに、マヒルは倒れた護藤を見下ろしながら言う。
「すみません。白葉さんを呼んでこようかとも思ったんてすけど、頭にきて出てきちゃいました。まあ……」
ブラシの柄で足元の巨漢を裏返す。
「途中で物置には寄りましたけど。」
「なに考えてんだお前!今出てきたってやられるだけだろうが!相手の数ぐらい確認しろ!」
ジンヤが怒鳴り付けるが、マヒルはデッキブラシで地面を突くばかりで聞いている様子はない。
もっと冷静な奴だと踏んでいたが、間違いだったのだろうか。
「だいたい、こいつらはお前に用がある訳じゃねェ!そんなのオレを殴る為の口実で……」
「相手は全部で九人、今一人伸したので八人、僕の名前が出たのも単なる口実作りの為でしかない。
そんなのわかってますよ、別に。」
でも、とマヒルは続ける。
「頭にくるときは頭にくるんですよ、僕だって。あと」
マヒルはジンヤの方に体を向け、深く頭を下げた。
「彼らを放置するわけにはいかない。」
「この野郎!」
後ろから聞こえた声に、マヒルは正面に向き直る。
護藤の後ろにいた生徒が、コマエを地面に引き倒しながら怒鳴り声を上げていた。
「お前、自分の立場わかってんのか!?このちっこいのがどうなっても……!」
ばりん、というガラスが割れるような音が炸裂し、細かい破片と粉末がその額から顔面に降り注いだ。
「ぎゃあああ!?」
マヒルが投擲した古い蛍光灯が、破片の一部を地面へと撒き散らしながら顔中を苛む。
「ゲホッ……何を!?あああ!?」
その間にもマヒルはデッキブラシを手に駆け出していた。
そのまま、顔を押さえて踞る生徒を踏みつけ、殴る。
木材質が一片の容赦なく降り下ろされる音に、他の仲間たちは助けに入ることさえ忘れて震え上がっていた。
自分達のやってきた遊び半分の喧嘩とは雰囲気がまるで違う。
目の前で繰り広げられているのはシンプルかつ純粋な暴力であり、そこには喧嘩特有の興奮や熱狂など微塵も感じられなかった。
どこまでも異様で、恐ろしい。
マヒルが二発、三発とデッキブラシを振り下ろし一連の制圧作業を終える頃には、呆然と立ち尽くす人の輪が出来ていた。
「コマエ!」
その時、ジンヤが叫ぶ声でやっとコマエが逃げ出していた事に気が付いた。
「少し頭が冷めてきました。
今帰ってくれるなら僕もこれ以上はなにもしませんけど?」
しこたま殴られて呻くことしか出来なくなった生徒を爪先で転がしながら、マヒルが周りを見渡す。
目に見えない凄みに輪が広がりかける。
しかし、それが瓦解しなかったのはまがりなりにも背負うプライドがあったからか。
七人に減った彼らは目配せも無しにそれぞれのドライバに手をかける。
幾つもの魔法が展開されるのを、ジンヤは肌で感じてた。
「クソッタレ……!?」
「ジンくん!」
加勢しようと自らも刀を拾うジンヤと、その肩を取るコマエ。
その渦中にいるマヒルも胸元のドライバに触れる。
雨粒が叩きつける中で、複数の術者から滲み出した魔力が一触即発の空気と共に立ちこめる。
指先のひとつでも動かせば攻撃魔法の嵐が吹き荒れる。そんな緊張がその場を固めていた。
そして遂に
「やれ!」
それに耐えかねた誰とも知れない一人が放った。
「……っ!」
水面に張った油に種火を落とした様だった。
「リロード!」
「……リロード!」
「リロード!」
幾つもの印が光り、それぞれの魔法を発動する。
ジンヤの後ろに隠れたコマエが目を固く閉じた。
だが、
「全員"注目"!!」
まるで蝋燭の火を吹き消したようだった。
展開されていた無数の魔法が一瞬にして消え去った。
そして、何かに操られるかの如く、全員が同じ方向へ視線を向けた。
先にあるのは、白葉寮の正面玄関。
「朝っぱらからバカ騒ぎしやがって、ニチアサ目当ての小学生か、このクソガキ共め……」
そこで寝癖になった頭を掻いていたのは、他でもない白葉マサヨリだった。
たった今仕立てたかのような立派な白のコートを纏った彼は、室内履きのスリッパを履き替えようともせずに雨天に踏み出す。
「……っ」
「白葉さん」と呼び掛けようとしたコマエだったが、それは声にならなかった。
口が動かず、吐いた息は声になる前に唇からこぼれる。
それだけではない。まるで全身が氷付けにされてしまったかのように動かないのだ。
辛うじて動く目で見渡すと、どうやら他の面々も同じのようだ。
驚愕の表情を顔に張り付けたまま、人形のように固まっている。
白葉はそのなかを悠々と歩き、全員を確認できる位置につくとポケットに手を入れて立ち止まる。
ちょうどその頃、気を失っていた護藤が立ち上がった。
「う……何だ……?」
「うん?」
白葉は気だるい表情で一瞥する。
だが、他の面々と違い打たれた頭に手を当てている様子を見ると直ぐに苛立たしげに舌打ちをした。
「オイ、でかいの。」
「……お前は……?」
「誰が『お前』だ仔ゴリラが」
その顔面を白葉の平手がびしりと叩いた。
「ぐっ!?」
無論、成人男性とはいえたかが素手で殴られた程度では、巨体は軽く怯む程度に止まる。
つまり、彼を怒り狂わせるにはちょうど良い、良すぎる刺激だった。
「くそ……お前ッ!?」
「だから誰が『お前』だと言っている!
"気をつけ"!」
途端に、護藤の体は背筋に串を通されたかのように直立姿勢をとる。
「……!?」
「生憎、俺は頗る寝起きが悪いぞ、滅茶苦茶不機嫌だぞ、分かるな、"分かる"と言え!」
「わ……分かる……」
「『分かります』だろうが木偶の坊!」
再び白葉の平手が横っ面を張る。
再びよろめくが、反射的に反撃に出ようとした腕さえも見えない糸で吊られたように止まり、直ぐに直立姿勢に戻る。
「……俺に……なにを!?」
「うるさい、お前ごときが考えて分かるか。分かるわけがないな、教えたって分からないさ、百パーセントな。
"はい"と言え!」
「は……はい」
「声が小さい!」
「はい!」
まるでたちの悪い悪夢のようだ。
何が起こったか、白葉の言葉に護藤は逆らえなくなっている。
催眠術か、それに似た魔法でも使っているのだろうか。
真相は全く謎なまま、目を白黒させる彼に白葉は更に迫る。
「オイ、でかいの。
この騒ぎを持ってきたのはお前か?
"はい"か"いいえ"かで答えろ。」
「は……はい」
「そうか。これはお前の指示か?」
「……いいえ」
「なるほど違う奴か……じゃあ、誰の指示だ。答えろ。」
「それは……」
微かに言い淀む。
しかし、白葉の眼光には逆らえない。
「緋島……」
だが、言いかけたその時だった。
「すみませんね、俺ですよ。」
第三の声がその場に響いた。
「……。」
白葉は大した反応も見せずそこへ視線を移した。
「いやはや、ここまで血気盛んな連中だとは思っていなかった。朝からお騒がせして申し訳ない、白葉管理人。」
「……やっぱりいたか。」
水溜まりを鳴らしながら、硬直した生徒たちの間を通り抜ける傘。
白葉は盛大に眉を寄せた。
「……っ!?」
ジンヤが目を剥く。
金髪に染めた長髪を後頭部で括った、切れ長い目の長身の男。
そこにいたのは、他でもない緋島ケイジ本人だった。
「……ヒ……ジマぁぁ……!!」
硬直したまま唸るように言うジンヤに、緋島ケイジはちらりと視線を向け微笑を浮かべる。
「これはこれは、久しぶりじゃないか紅ヶ塚……。相変わらず威勢がいい。」
「……の野郎……!」
「止めとけジン。あと緋島、お前もうるさくするようなら殴って黙らすぞ。」
その間を割くように立ち入った白葉に、緋島は表面的には笑顔で応じた。
「すみませんね、面白い後輩がいるとついからかいたくなってしまう。」
「ふざけてんなよひよっこ風情が。あと……」
唐突に白葉の手が動き、緋島の差した傘を掴んだ。
緋島が驚く間もなく、その持ち手部分だけを残して傘が真っ二つに折れる。
途端に緋島も降りしきる雨に濡れる。
へし折った先端部を投げ捨てる白葉に緋島は困ったように笑う。
「フフ……貴方も酷いことをする。一番のお気に入りだったのに……」
「うるさい黙れその口縫うぞクソガキ。俺を差し置いて傘持参とは、相当死にたがってるなオマエ?俺は今、機嫌が悪いと言ってるんだ、さっきからたぶん三回目だぞ?」
さらりと凄味を効かせる白葉だが、それでも緋島は困惑してもさして動じてはいないようだ。
「まあ……朝からお騒がせしたことは謝りましょう。
ですが、まさか『子供の喧嘩』に首を突っ込んでくるような貴方ではない。そうでしょう?」
「オイオイ、オマエに俺の何が分かるってんだ。たった今その『子供』相手に半マジでヤキ入れてたとこだぞ。こんな風に。」
そう言いながら横で立たされていた護藤の向こう脛を爪先で蹴る。
そして、不意に目付きを鋭くする。
「オマエのその喧嘩とやらのために、こっちは始末書作るのに忙しいんだよ。俺は作ったことないけど。」
今や緋島軍団の勢力は職員側にまでも浸透している。
風紀委員でも対処しかねる連中だ。教師とてそんな連中の反感をかいたがる者はそうそういないのだ。
「そうですか……なら、貴方が俺たちに手を下すと?」
「ああ、是非ともそうしてやりたいんだが……。生憎、俺にも制約ってもんがある。」
口の端を歪めつつ白葉はそう言い、パチンと指を鳴らした。
途端に全員の拘束が解ける。
白葉はくるりと踵を返し、玄関へと帰っていく。
「やるならよそでやれ。それなら一向に構わん。」
「そうしましょうか。」
ニヤリと笑う緋島を背に、唐突に白葉が足を止めた。
「ああ、ひとつ言い忘れてた。」
微かに首だけを巡らせ、白葉は言う。
「家の寮のクソガキ、なかなかやるぞ。」
それだけ残し、白葉はぴしゃりと戸を閉じた。
「さて、紅ヶ塚。随分と派手にやられているようだが?」
見下ろす視線に、ジンヤは血走った視線を返した。
「何の用だ……ヒジマ……」
「おう、こわいこわい……相変わらずの狂犬っぷりだ。」
挑発するような笑みを顔に貼り付けたまま、緋島は腰を低くする。
「だが、安心してくれたまえよ、今回は君に用事がある訳じゃあないんだ。」
「じゃあ何しに来たってんだよハエ野郎……!」
「うん、それは……」
その視線が動き、デッキブラシを握ったままのマヒルを捉えた。
「少し"あれ"を借りて行きたいのだよ。」
「……なに?」
「僕……ですか」
マヒルはそう言いつつ武器を肩の位置に振り上げる。
「おっと、そんなもので喧嘩がしたい訳じゃないんだよ雛由マヒル。」
「じゃあ、何ですか。言っておきますけど、僕のあなたに対する印象は最悪です。どこまで融通が利くか分かりませんよ。」
「そうかい。でも安心したまえ、君もきっと聞き入れてくれるような提案だ。」
緋島は立ち上がると、マヒルの表情を伺うように首を傾げる。
マヒルはその顔に何を思ったのか、握っていたデッキブラシを置いた。
「……何の用ですか。」
緋島は一見友好的な笑みのままで距離を縮める。
「なに、ちょっとした『試合』さ。この前の食堂での一件があっただろう。
一応、こちらにも『面子』というものがある。あまり過去のことを蒸し返すのは気持ちのいいことではないが、ここでお互いのためにも、白黒はっきり、後腐れないように決着をつけようじゃないか。
極めて紳士的な方法で?」
「白黒はっきり、後腐れなく、極めて紳士的に、ですか。」
マヒルは棘を含んだ声で復唱する。
「そう、その通り。」
緋島はにこりと笑うと、マヒルに向かって宣言した。
「俺は君に、決闘を申し込もう。」
「……ヒジマァァァッ!!」
ジンヤの刀が濃厚な殺気を纏いながら、緋島の背中に突き付けられた。
温い雨が刀身に落ち、刀身の帯びた熱に一瞬にして蒸発する。
「おや、どうかしたかね紅ヶ塚。神聖なる決闘に水を差すつもりかい?」
「回りくどいやり方はよしやがれ腐れ野郎!
お前がぶちのめしたいのはオレだろうが!」
「よく知ってるじゃないか……けれども」
緋島は突き付けられた刃に臆することなく振り返る。
「君は決闘を受ける権利も、挑む権利も持ち合わせていないだろう。」
「……ッ!!」
初めの衝突の際に、ジンヤに下された処分のひとつがそれだ。
退学処分を免れた代わりに、ジンヤには無期限の『コード使用権の一部停止』が課されている。
「君のコードは、『闘技場』ではロックが掛かり使用できない。そうだろう?」
「……」
「安心したまえ、そんな顔をするな。ひとつだけ方法がある……」
緋島は配下の一人を呼び、何かを受けとる。
1.5メートルと少しの、横長のジュラルミンケースだ。
それを開けると、ジンヤの方に向けて地面へと置いた。
「……?」
マヒルは瞬きをする。
刀剣型魔動機と一体型のドライバの用だ。
「レンタル用のドライバとコードを用意した。これなら……使える筈だろう?」
「だめ!」
後ろで縮こまっていたコマエが悲鳴のような声を上げる。
「そんなのじゃ勝てっこないよ!只でさえジンくんのドライバは特殊なんだから、冷静になって!はめられちゃだめ!」
ジンヤは、伸ばそうとした手を下ろす。
しかし、緋島は囁くような声で言う。
「そう思うのなら無理に剣を取る必要はない。
俺は代わりに君の友人に相手をしてもらおう。
……たしか、まだランキング入りも果たしていないらしいけれど……」
「やめろ」
遮ったジンヤの手は、既にケースに収まったドライバを掴んでいた。
刃幅の広い、両刃の長剣だ。
普段のそれよりも重量のあるそれを持ち上げると、雨を切り裂くように振るった。
「罠かなんかのつもりなんだろうが……知るか。寧ろちょうどいいぜ……。
緋島ケイジ。お前は、オレが叩っ斬ってやる」
「嫌!だめ!」
「ジンさん、何考えて……」
「ははは!」
その声を軽快な拍手と笑い声が遮る。
「よく言った、紅ヶ塚……。だけれど。」
緋島が傍らへと視線を流すと、そこから腕輪型のドライバに手を当てた護藤が歩み出た。
「先ずは彼が相手をしたいらしい。」




