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雨の匂いと少年少女1

「ふふふ、どうぞ?」

「……失礼します」


 放課後。

 風紀委員会副委員長、実戦魔法学部三年 鳩山チハルの柔らかな笑みに促されるまま、雛由マヒルは喫茶店の席に座った。


 海上学園都市などと呼ばれるからには、その辺りの施設は充実している。

 周辺には外部から募った喫茶店やレストランなどの飲食店も店を構えているし、ファッション店や雑貨屋、少し歩けばカラオケボックスやゲームセンターもあると聞く。

 ここはそんな中の一つ、本校舎からも近い生徒からも人気の喫茶店だ。


 マヒルから見て、四人掛けのテーブル席の正面には、相変わらずにこにこしているチハルとむっつりと目付きの悪い風紀委員会委員長補佐、同じく実戦魔法学部三年生 鷹野アキラとが二人仲良く並んで掛けている。


「チハル……何故お前まで……」


「私は機嫌が悪い」と主張せんばかりの低音口調でアキラが呟く。

 だが、対するチハルは相変わらずの調子で受け流す。


「もう、一応目上なんだから、「お前」はダメでしょ?

 それにいいじゃないの?私だってマヒルくんに興味あるし、アキラちゃん一人だとマヒルくんがかわいそう」

「どういう意味だ!?」


「あはは……」


 運ばれていたお冷やに口をつけるふりをしつつ、どうにかリアクションを模索するマヒル。


 ここまできてもまだ仲の良い二人。

 マヒルは苦笑いと愛想笑いを混同しつつある自分に気が付いて、グラスを置いた。


 このままでは感覚が狂ってしまいそうなので、軽く自分の頬を叩いた。




 事の発端は、一時限目終了直後の出来事。


 壇上のチハルに呆気なく見つけられたマヒルは、アユム共々涙目で飛び上がった。


「ままっ、待ってください!僕、風紀委員のお世話になるようなことは何もしてませんよ!?」

「そうだよ!じゃない、そうです!マヒルは何もしてないです!見てました証言者私っ!!」


 確かに昨日は三年生の四人組に絡まれたりしたが、正当防衛の範囲から外れるほどの事をした記憶はない。


 頭の中で弁明を立てていたが、相手からの反応は少々意外だった。


「え?」


「なんのことか?」と首を傾げるチハル。


「え?」


 同じくアキラ。


「え?」


 更に重ねて、それに疑問形で答えるマヒル。

 居心地の悪い沈黙が三人の間に降りてきた。


 迷宮と化したやり取りに、マヒルは恐る恐る口を開く。


「あの……これって風紀委員からのお呼び立てじゃないんですか?」


 その発言に、チハルは更に唸った後、やっと理解したようにくすりと笑った。

 そして隣のアキラの頬っぺたを指でつく。


「こ~らっ!アキラちゃんがあんな怖い声出しちゃうから、マヒルくん勘違いしちゃってるじゃない?」

「……な、ち、違う!私は別にそこまで……」

「違わないの!ほら、マヒルくん今にも泣き出しそうよ?」


 はっとしてマヒルの顔を窺うアキラ。

 どうやらチハルの浮かべていた人の悪い笑みには気がつかなかったらしい。

 指摘されて気がついたマヒルがそれを隠そうと目元を拭うが、かえってその行動がアキラへのトドメになった。


「ね?」

「……いや……私は……そんなつもりではなくだな……」

「あ~あ、アキラちゃん後輩を泣かせちゃうなんて、こわ~い」


 茶化すように言うチハルに、アキラは恥ずかしいのやら悔しいのやら顔を真っ赤にしている。


「ちょ……ちょっと待って!」


 そこへ誰かが割って入る。

 アユムだ。

 マヒルと風紀委員二人の間を隔てるようにして立ったアユムだが、踏み出しつつもやはり引け気味と何だか威嚇する猫の様。


「うん?」

「あら?」


 やはりと言うべきか、二人の反応は乏しい。


「む、むう……!」


 小動物を見下ろすような二つの視線を前に、アユムは果敢に挑む。

 否、挑んだつもりの様だったが。


「うう、ううちのマヒルに何の用ですか!

 い……言っておきますけど、マヒルにちょっかいなんて出したら、例え風紀委員だとしても許さ……ッしませんからね!」


 大層な物言いの割りには、ろれつもよろしく明らかに腰が引けていた。

 それに自分でも気がついているのか、悔しさやら何やらでアユムは顔を真っ赤に爆発させていた。


「アユムさん……」


 マヒルまでいたたまれない気持ちになる始末。

 明らかに無茶だ。


 だが、そんなアユムにチハルは文字通り小動物を愛でるような笑顔を向けた。


「あら♪」


 気のせいか薄く染まった頬に片手を添えると、少し腰を低くしてアユムに視線を合わせる。


「なぅ……っ!?」


 警戒からビクッと仰け反りそうになるアユムに、チハルは更に頬を緩ませながら猫なで声で


「今の見た?アキラちゃん!このカップルさんたちとっても可愛いわよ?ほら、見て見て」

「わぅ……うひゃっ!?」


 むにっ、とアユムの頬っぺたに触り始めたのだ。

 突然にして予想外の攻撃に、アユムは反撃も回避も出来ずに悲鳴じみた声を発する。


 一方のアキラは「また始まった」などと溢しながら額に手をやっていた。

 チハルは至福の表情。


「彼氏くん守ってあげるなんて……もうこの必死さとかいじらしくて素敵じゃない?アキラちゃん私この子たち連れて帰りたいわ!」

「うえぇー、マヒル~!!」


 遂に、堪えきれなくなったアユムは三歩ほど後ろのマヒルの背中へと回って小さくなった。

 マヒルのシャツをぐいぐい引っ張りながら、肩越しに淑やか笑顔を薄く染める上級生を指差す。


「あのヒト、オカシイよ!なんかめっちゃこわい!」


「ど、同感です……!」


 アユムを背にじりじりと退るマヒル。

 そんな二人に更に呼吸を弾ませる風紀委員会副会長、鳩山チハル。


「きゃ、二人で丸くなっちゃってカワイイ!ねえ、大丈夫よ?怖くない怖くない♪こっちへいらっしゃい~」


 などと言いつつ、一見穏やかで優しげな瞳に謎の眼光を宿しつつにじりよってくる。

 このままでは危ない。

 雛由マヒルの奥底に眠る第六感じみたモノが告げている。

 このままではマヒルの想像力では達しえない『何か』をされてしまう。


 だが、意外や意外。


 ゴホン、という咳の音。


「チハル、そろそろ休み時間が終わる」


 助け船を出したのは、アキラだった。

 相変わらず低いトーンのむすっとした声音だったが、それが返って彼女を冷静にさせたらしい。


「え……?あら、本当ね。アキラちゃんごめん」

「いいや」


 これ以上時間をとる事に面倒を感じたのか、アキラはチハルには目を向けずに、まっすぐマヒルだけを見つめた。

 二本の針の様に刺さる視線に、マヒルは縮こまりそうになるのを耐えつつに声で応じる。


「な、なんのご用でしょうカ……」


 思わず語尾が片言になるマヒルに、彼女は何故か決まり悪そうに視線を反らすと、ぼそりと言った。


「その、つまり。放課後に……話がある。」


「ええっ!?」


 反応したのはアユムだった。

 慌ててもう一度マヒルの目の前に出ると、ぐっと拳を握って抗議する。


「待ってくださいよう!まさか家のマヒルになにかやらしいことでもするつもりなんですか!?」

「いや、そんなわけ……」


 思わず呆れるマヒルを他所に、アユムはアキラのことを引け腰ながらも睨み付ける。

 しかしアキラはその視線にはびくともせず、むしろ睨み返す程の勢いで腕を組んだ。


「安心しろ。こんななよなよした男になど興味はない。」

「なよなよって言いましたか今?」


 胸に刺さった言葉の矢に呻くマヒル。


「むっ、だ、だったらなおさら無視できないです!なよなよでも、マヒルはきちんと男ですよ!ほら、見た目によらず肉質しっかり!」

「なよなよは否定しない……!?」


 二本目の矢に喀血した。


「とにかく!」


 遂にアキラの口調に苛立ちが籠った。

 猛禽の双眼が殺傷力抜群の怪光線を放つ。


「ひい……!」


 またまたマヒルの後ろに避難するアユム。

 アキラはマヒルへとまた一歩踏み寄ると、背筋を強ばらせる彼にビシリと叩きつけた。


「放課後は空けておけるな?私から話がある。」


 こうなって断れる訳もない。

 マヒルは頭上でバケツをひっくり返したかの様な勢いで汗を流しつつ、がくがくと頷いた。


「ばばば、ばっちり暇にしておきますハイ……!」







「で……話って、いったい何なんですか?」


 二人が指定してきたのが、この喫茶店だ。

 マヒルとしては、知らない店で知らない二人の相手とかなりアウェイ感にまみれているが、『風紀委員会の詰め所』と言われなかった分ましと思うことにした。


 木目調と午後の日差しの明るい店内は、本来ならばとても居心地がいい場所なのだろう。

 だが、今は目の前に風紀委員会の重役二人という超ストレス空間であり、マヒルとしては居心地どころの話ではないのである。


 きりきりとする胃の痛みを、無意味に口をつける冷たい水で誤魔化すのがやっと。

 そんな状況のマヒルだ。


「ふふ、まあそこまで固くなる話じゃないから、心配しなくていいのよ。

 それよりマヒルくん、ここのケーキどれも美味しいわよ。アキラちゃんが持つと思うから、注文してみたら?」


 それを知ってか知らずか、否、この人なら知っていても面白がるであろう副会長 鳩山チハルは笑顔でメニュー表を差し出してくる。


「ああ、その通りだ。肩の力は抜いてくれ。

 あと、チハル。お前の分は持たんぞ。」


 続いて乗せてきたアキラもそう言いつつ、呼び鈴を鳴らした。

 ちりーんという澄んだ音が、店内に響く。


 数十秒後、店員が現れる。

 各自オーダー。


「さて、そろそろ話に入ってもいいんじゃない?アキラちゃん。」


 品が運ばれてくるのも待たずに、チハルがアキラを促す。

 アキラは頷くと、冷水のコップに口をつけつつ頷いた。


「ああ、時間をとるのも悪い。

 雛由マヒル。まずは今回の私の用が風紀委員会の職務から離れた『私用』だということをはっきりさせておこう。」

「私用……ですか。」


 マヒルは手の中のコップの纏った水滴を指でなぞりつつ相づちを打った。

 だが、それを踏まえて考えてみると更に妙である。

 風紀委員からの用事なら予想がつかないでもないが、見ず知らずの先輩からの完全な私用となると、なんのことだか検討もつかない。


「で、その私用とはまた……いかほどな……?」

「なに、本当に大したことはない話だ。

 先輩との親睦を深める歓談程度に考えてくれても構わない。」

「歓談……ですか」


 巨大な肉食獣みたいな目をして、無茶苦茶を言う奴も居たものである。


 だいたい、上級生の、しかも風紀委員会の重役二人が、たかがパッと出人気の後輩一人を教室に乗り上げて来てまでの呼び出しをかけてくる時点でかなり身構えるような事態だ。

 しかもそれを『単なる親睦会』などと言われれば、普通な神経をしている人間なら即時臨戦態勢に決まっている。


 明らかに何かがある。


 身を按じればここで席を立つのが妥当だ。

 だが、マヒルはアキラの隣のチハルを見た。


 にこやかに首を傾げるチハル。


「どうかしたの、マヒルくん?」

「いえ……なんとなく……その」

「そう?お手洗いならお店の奥の方にあるわよ。」

「ありがとうございます。……でも、平気ですから。」


 悪い予想は限りなく現実味を帯びている。

 鳩山チハルは、間違いなくこちらの腹を読んでいる。


 然り気無く、出口へのルートを塞ぎにきたのだ。

 だが、この程度で諦めるわけにもいかない。

 マヒルが次なる発言を練るが、すかさず牽制球が飛んでくる。


「それとも、何か用事でもできたのかしら?」

「ああ、いえ……」

「そう?無理はしなくてもいいのよ。

 アキラちゃん、早めに始めちゃいましょう?」


 駄目だ。

 マヒルは乾いた口に再び水を流し込む。

 警戒心をゆっくりと溶かしていく謎の魔性にまじって、かなり毒々しい匂いがする。

 これは腹の中に食欲旺盛な毒蛇を飼っている人の匂いである。


 相変わらず中身の見えない淑やかな笑みを浮かべているが、真の強敵は確かにそこにいた。


 ヘマをすれば、首筋に毒の牙が突き刺さる。

 いや


「……マヒルくん、あんまり困らせちゃうと泣いちゃうもんね……?」


 穏やかな彼女が、一瞬舌なめずりをしたように見えた。


 たぶん、噛まれるまでもなく一口でいかれる。


 想像した瞬間、本当に泣きそうになった。


 仕方なくマヒルは腹をくくった。

 対するは虎と蛇のコンビ。

 撤退は諦めて、この場を堪えきろう、と。

 そうと決まれば初手は貰う。


「それで、歓談にしたって話題ぐらいは提供してくれますよね?僕はこういうおしゃべり上手じゃないですし、とにかく話題を提起してくださらないと。」

「ああ、すまない。そうしよう。」


 感心したようなアキラ。

 チハルはその横でまた例の読めない笑顔で頷いていた。


「お互いに、自己紹介は済んでいるしな。

 雛由マヒル後輩。」

雛由(ヒナヨリ)で結構です、鷹野先輩。」

「そうか。では、雛由。早速だが……」


 と、そこでやっと注文の品が運ばれてきた。

 チハルのモンブランと紅茶、アキラの苺タルトと同じく紅茶、マヒルはウーロン茶のみ。


「……鷹野先輩……なんというか、案外かわいいもの頼みましたね……」


 意外や意外、である。


 せいぜい頼んでもう少し渋味の効いたモノかと思っていたのだが、テーブルの上は思っての他乙女世界である。

 チハルも早速モンブランに手をつけつつ同調する。


「でしょ?アキラちゃん、いつもはツンツンしてるけど、実はとっても女の子なのよ?」

「う、うるさい!……というか、雛由……お前は遠慮してるつもりなのか?

 ……見ているこっちが心苦しくなってくるというか……」


 アキラの言動が指しているのは、マヒルの注文である。

 どこのドリンクメニューにでも載るような、ただのウーロン茶である。


「あ、いえ!そんなつもりじゃなくて……その、甘いものが苦手というか……こういう値が張るもの食べ慣れてなくて……かといってコーヒーや紅茶もいいもの飲む方じゃありませんし……」


 故のウーロン茶である。


 居酒屋でバイト中、酔っぱらいに絡まれた際にしこたま飲まされた馴染みの味。

 マヒルにとって、このアウェイ空間内唯一の心の拠り所にして命綱なのである。


 しかし、周りには少し違った見え方がしたようだ。


「なんだか……申し訳ないな、雛由」

「……その視線と発言が一番申し訳ないとは思いませんか……」

「い、いいじゃないの、ウーロン茶……。なんていうか……マヒルくんって感じがして?……その……安心するというか、接しやすいというか……お手軽?リーズナブルで適度な幸薄さとか……素敵よ?」

「……鳩山先輩それフォローになってません……」

「その、雛由?よかったら私のを一口……」

「わかりましたよ!どうせ僕は貧乏人ですよ、ええ!」


 ウーロン茶を一気に半分まで飲んだ。


「ていうか、お二人ともさっきから話題を逸らしてばっかりな気がするんですけど。まさか本当にただの雑談の為に呼んだ訳じゃないですよね?」


 遂に半自棄になったマヒルがアキラを睨むように突き刺した。


「す、すまん。思ったより弄り甲斐のある奴だったもので……。

 よし、もういいだろう。実は雛由、お前に聞きたいことが二三ある。いいか?」

「内容によります」

「だろうな。まあ聞いてくれ。

 さっきは『歓談』という表現を使わせてもらったが……あまり面白い話ではないだろう。」

「最初から期待なんてしてませんでしたよ……」

「ごめんなさいね?」


 不貞腐れ気味に唇を尖らせるマヒルに、アキラに替わりチハルが謝罪を口にした。

 アキラは続ける。


「緋島ケイジとその取り巻き、呼ばれているところの『緋島軍団』と、紅ヶ塚ジンヤについて、何か聞いていたりはしないか?」

「え?」


『紅ヶ塚』という名前はちらほらと聞いてはいたが、どうやらジンヤの苗字だったらしい。

 それよりも、マヒルにとっては『緋島軍団』とジンヤが並べられているという点にまず注意が向いた。


「ああ……勘違いはしてくれるな。これはあくまで私の『個人的な』質問だ。」

「……ジンさんと……緋島軍団?何かあるような間柄なんですか?」


 尋ねると、二人は揃って顔を見合わせた。

 そして、少しばかり残念そうに首を振った。


「……まだ何も知らず、か」

「少し気が早かったみたいね」

「あの、すみません。なんの話ですか?」


 突然蚊帳の外を食らったマヒルは二人に説明を求めるが、アキラの一言でいなされた。


「いや、知らないのならいい。」

「……でも、ジンさんが絡んでるなら」

「これ以上の質問は、私たちの仕事に踏みいってくる内容になる。お前がそれでもいいなら話してやるが?」

「それは……」


 さすがにこの忙しいタイミングでの風紀委員沙汰は困る。

 マヒルは語尾を濁して、それっきり口を閉じた。


「すまない、気分を害したなら許してくれ。」


 アキラは一言謝ると、チハルに目線を送った。

 なんの意味を受け取ったか、チハルも心得たと視線を返す。

 チハルはマヒルの注意を引くように、フォークを置いた。


「なら、マヒルくん。もうひとつだけ質問してもいいかしら?」

「あ、はい。」


 どうやら『話は上手い奴に任せよう』ということらしい。

 どちらかと言えば無愛想なアキラよりは、チハルの方が会話を潤滑に進められると踏んだのだろう。


 マヒルとしても、そちらの方が早く済みそうなので助かる。


「率直に聞くわよ?」

「はい」


 チハルは若干マヒルの方へ身を乗り出しながら言った。


「紅ヶ塚ジンヤくんと、緋島軍団。両者に対する、マヒルくんのイメージを聞きたいの。」

「イメージ……?」

「そう。本当に、マヒルくんが思ってることだけでいいのよ?」


 ただのイメージ。

 マヒルはコップを手にしたまま、軽く俯いた。

 何か深い意味のある質問なのだろうか。

 とはいっても、それが掴めない以上この詮索に意味はないのだが。

 だとすれば、あれこれ無駄に勘繰るよりは馬鹿正直に答える方が安全だろう。


「緋島軍団にはいいイメージはありません。初日には散々絡まれましたし、僕がこれからここで生活していく上では恐らくこの上ない障害です。」

「そう……。じゃあ、紅ヶ塚くんは?」

「ジンさんは……」


 マヒルはちらりとチハルの目を伺う。

 相変わらず何を考えているのか分からない。

 だが、アキラの方を見れば少しは読めた。


 目付きが少しだけ険しさを帯びている。

 少なくとも、風紀委員会内部においてのジンヤのイメージはいいものではない。

 だが、それを理解した上でマヒルははっきりと言った。


「僕が知らない部分で何があったかは分かりませんけど、ジンさんは僕の友人で、頼れる先輩です。少し乱暴ですけど、いい人です。間違いはありません。」


 質問の答えにはこれで事足りる。

 だが、マヒルは敢えて付け加えた。


「だから、もし彼に対して不当な働きかけをするなら、僕にとって風紀委員(あなたたち)も障害のひとつと認識します。」


 二人をしっかりと見据えた上で、淀みなく言い切る。

 言葉を選ぶことはしなかった。







「うえええええええっ!?」


 マヒルが寮へ戻ったのは、ちょうど夕食前で一階の食堂がばたついていた頃だった。

 制服を着替え、夕食をこしらえていたマヒルから喫茶店での出来事を聞いたアユムは、運んでいた皿を投げ飛ばしながら悲鳴を上げていた。


「おっととと?」

「マヒルくんナイスキャッチ……!」


 先に箸を用意していたコマエが息を飲んでいた。


 危うくのところで皿三枚をキャッチしたマヒルに、アユムはどこかの映画で見たゾンビよりも大きく目を見開いていた。

 もちろん、皿キャッチの事ではなく。


「マヒル、あの風紀委員会を!しかも重役二人を!まとめて敵に回すなんて!」

「そんな大袈裟な……」

「大袈裟じゃないよ全然!あの風紀委員会だよ!?あの!」

「あの!って言われても……」


 マヒルは、この海上学園都市においての風紀委員会の立場を知らない。

 どこか『捕まったらヤバそうだ』と雰囲気から察している程度なのだ。

 故に、アユムの狼狽えっぷりの意味がよく理解できなかった。


「よく考えてよ!こんな絶海の孤島で、卵とはいえ千人ちょっとの魔術師が鮨詰めだよ。しかもみんな血気盛んで一触即発なお年頃!そんな超巨大火薬庫の番を教師に替わって任されてるのが、この風紀委員会!」

「え、でも、この前呼んだ資料では、この島って軍事施設ばりの警備が敷かれてるって……」

「確かに本国から現役の一流魔術師が警備として派遣されてるけど、それはあくまで外的な驚異に対してのものなの!

 学生の粗行を取り締まったり、この島の治安を維持してるのは、八割以上風紀委員会!それほどの実力と抑止力を持ってるってこと!

 教師陣、生徒会に次ぐ、この学園の権力三巨頭の内のひとつなの!」

「ほええ……」


 頷いては見せたが、なかなか実感が伴わない。

 アユムは尚も譫言の様にぶつぶつと言っている。


「……どうしようどうしよう……アホジンヤの為にマヒルが風紀委員に……」

「……あ、その、なんか……ごめんなさい」


 とにかく、アユムはかなり心配しているようだった。

 だが、ここで悔やんでもしょうがないし、そもそもマヒルはあの場での行動、判断を少しも後悔していなかった。

 無論、失敗したつもりもない。


 去り際のアキラとのやり取りを思い出す。



「私たちが『障害』か……」

「まあ、あくまでそうなってしまう選択があるということですけど。」

「ふむ……そうか、そうか……」


 神妙な面持ちで何度か頷いて見せたアキラ。

 だがふと、その口元に気持ち良さげな笑みが浮かんだ。


「極めて面白い世間話をしよう。」


 話題の転換はとても唐突で、脈絡のないものだった。


「実はな、雛由。今期の風紀委員の委員長推薦枠がまだ空いているのだが……」

「そうですか。」


 マヒルは短い相槌を打った。



 早々と回想を打ち切り、マヒルはぼんやりとコンロの火を消した。


 あの事は、アユムに話す必要は無いだろう。


「……くんってば」


「え?あ、ごめんなさい。何か?」


 コマエが不思議そうに顔を見上げていた。

 どうやら上の空になっていたらしい。


「ううん。お料理とっても上手だねって。

 なんだか、板前さんみたいでかっこよかったもん。

 マヒルくんって、ほんとうになんでもできるんだね」


 キラキラした目が一心にマヒルを見つめていた。

 その眼差しが少々しみる。


「少し前に年齢と免許偽装してバイトしてたことが……あ、いえなんでも。」


 咄嗟に言ったマヒルに、コマエは更に首を傾げてみせる。


「でも……何かあったの、マヒルくん?」

「え?」


 マヒルの表情に、何かを見つけたらしいコマエがじっと見上げていた。

 マヒルはにこりと笑うと、頭を掻いた。


「やっぱり、分かります?」

「分かるっていうより……ううん」

「えへ」


 コマエがモヤシ炒めを盛った皿を受け取ると、マヒルは鍋を流しへと沈めた。


「何でもないですよ」




「そうか……残念だが、仕方ない。」

「すみません……たぶん僕、これから忙しくなりますから」

「忙しい?」

「ええ」

「ふん、よくわからんが……まあいいだろう。

 だが、これだけは言っておこう。雛由」

「はい?」

「私はお前を気に入った。出来れば手元に置いておきたいと思っている。」

「いきなり……随分なラブコールですね?」

「ああ、そりれはな。

 なよっちい男は嫌いだが、意志の堅い男は好きだ。

 それに……お前とは気が合いそうだ。」


 最後に握手まで求められ、マヒルは席を立った。


「雛由」


 再びかかった声に振り替えると、鷹野アキラのかなり機嫌の良さそうな顔があった。

 視線で応えると、彼女は片手を上げた。


「紅ヶ塚ジンヤ。奴とは仲良くしてやってくれ」


 それに対して、マヒルはぺこりと頭を下げる。


「はい」


 返答はそれだけに止めた。


 まだ間食に舌鼓を打っている二人を残して、マヒルは店を去るのだった。








「なあ、チハル」


「なぁに?アキラちゃん」


 愛沢アユム曰く『超巨大火薬庫』。

 そんな第五白波学園における治安維持のほぼ全権を任される風紀委員会という組織は、極めて多忙だ。

 生徒の殆どが各自の寮に入っているような時間帯でも、本部室の窓には煌々と灯りが点っている。


 机で、違反生徒の指導日誌を確認していたチハルに、魔動機一体型ドライバの双剣の手入れをしていたアキラが声をかけた。

 作業の手を止めるチハルだが、アキラからの続く言葉が出ない。


「……マヒルくんのこと?」

「……」

「そう?」


 顔を見ずとも、この付き合いの古い友人の反応はだいたい分かる。

 チハルのコミュニケーション能力の高さもあるが、基、鷹野アキラという少女が分かりやすいということも影響している。


「やっぱり誘っちゃったわね?」

「……ああ。」


 ドライバを置いたのか、がしゃりという音がした。

 チハルはアキラには分からないようにクスリと笑う。


「そんなに好きなのね……?」

「……っ!?」


 だが、声音の変化までは隠せなかったらしく、友人が顔を赤くするのが背後からでも分かった。


「違う!それは今関係ない……!

 その……今の風紀委員会には、誠意のあるやつは多いが……どうも気迫というモノに欠ける……」

「へえ、あの子にはあったのね?その『気迫』」


 宥めるような、茶化すような、よくわからない口調にアキラは唸り声を上げていた。

 自分でやっておきながら、少々いたたまれなくなってきた。


「……ふふ、そうね確かにね。私もビックリしたもの。

 ……最初はあんなにソワソワふわふわしてたのに……ああいう話題になった瞬間に、子猫がライオンになっちゃうみたいに」

「ああ。化ける人間もいるもんなんだな……。」

「でも、本当はあの子より先に誘いたかった子がいるんでしょ?」

「っ!?」


 落ち着きかけたアキラが再び小爆発を起こした。

 これだからこの友人を虐めるのはやめられない。


「マヒルくんを誘ったのは……そうね、その子の立場作りの為……ってところかしら?

 マヒルくんは人を見る目があるようだし……少なくともあなたと同じ目で彼を見てる。まあ、嬉しくもなるわよね?」

「ぐぬ……」


 どうやら大正解らしく、アキラは黙りこんでしまった。

 どうやら少しは自己防衛という言葉も覚えたらしい。


 しばらくは、互いの作業の音が静かな部屋に微かに聞こえていた。


「あの事件がなかったら……どうなってたんだろうな……?」


 ふと口にするアキラに、チハルは敢えて距離を取った反応を示した。


「さあ?」


 この子に必要なものは、他からの意見や答えなどではなく、自分自身のなかで納得するものを見つけること。そう思っての、親心にも似たものだった。

 アキラは独白する。


「ああいう奴ほど……敵を作りやすいと言うからな……」

「そうね……でも」


 チハルはそれに対し、更に独白じみた口調で返す。


「その為の『アイカワさん』じゃない?」

「それもそうだが……」


 語尾が薄れていくアキラ。

 表情を伺う必要はない。


 何処か納得のいかないような、悶々とした様子だった。

 チハルは再び沸いてきた笑いの衝動を抑え、小声で呟く。


「本当に好きなのね……紅ヶ塚ジンヤくん(あの子)のこと……。

 まあ、今は彼女に任せましょう、ね?」






 同刻


「……ッチ、詰まらんモン斬ったわ……」


 辺りには発動直前で中断された魔力の残り香が煙のように漂っている。

 目の前で倒れ伏す上級生三人を前に、紅ヶ塚ジンヤはぐるりと緩く首を回していた。


 もちろん、峰打ちだ。

 辺りに血痕はない。


「……ハハッ、まあ詰まるモン斬るのも希だが……」


 本校舎から離れた娯楽施設の一つ、ゲームセンターの裏手。

 少しだけ乱れた制服姿でコンクリートの壁に身を押し付けていた茶髪の少女に、彼は肩越しにニヤリと笑って見せた。


「……ひっ」


 だが、案の定帰ってきたのは強張った表情と息を詰まらせるような悲鳴。

 ある程度予想はしていた。

 だから、顔を向けて直視することはしなかった。


 替わりに、ただの一瞬だけ頷くように俯いた。

 だが、それはあくまで『一瞬だけ』であり、その後には胃の府の震えるような低い声が、言い様のない凄みを伴って降ってきた。


「魔法情報学部……一年か、オマエ。」


 イメージスクリーンで確認した彼女の生徒情報を復唱すると、続いて気絶している複数の男子生徒を見下ろす。

 何れも知らない顔ばかりだが、大して悪くない身なりと、そこそこ高いランキング成績を確認すればだいたいどんな連中かは分かる。


 この学園内で、ジンヤの決して少なくない『気に入らない連中』の内の大半を占める連中だ。


 それを踏まえた上で現場を眺めてみれば、何が起こったかは明確だった。


 恐らく、この物を知らない少女が通りすがりのこの面々に媚びついて、何かしら軽く巻き上げようとでも考えていたのだろう。

 だが、見ての通り裏に連れ込まれて、逆に食われかけたという、そんなところか。


「ンな分かりやすい男遊び、今時何処のド田舎で覚えてきやがったか……まぁオレの知ったこっちゃねェけど。

 いいか聞けよ、アバズレ。オマエの地元じゃそこそこうまくいったろうが、少なくともここじゃ止めとけ。」


 地面にへたり込んだままの彼女を見下ろし、鞘に納めたドライバを肩に乗せる。

 派手な化粧顔を覗き見るように屈みると、漂ってきた香水の匂いに目を細めた。


「はァ……学生(ガキ)のジブンがふざけ倒した格好しやがって……。

 ここにいるのは、オマエの引っ掻けてきただろう脳ミソおめでた野郎共とは違うんだよ。

 分かったら帰れ。」


 蝿でも払うような手振りを交えながら言ったが、少女は顔を青くしたまま動こうとしない。

 しびれを切らしたジンヤは舌打ちし


「オイ」

「ひっ……!?」


 少女の顔のすぐ横、コンクリートの壁に拳を叩きつけた


「 さ っ さ と 帰 れ っ () っ て ン だ ろ

 オレに喰われたいか犬女(クソビッチ)?」


「いやぁぁぁぁ!」


 悲鳴を上げると、彼女は尻を蹴飛ばされたかのような勢いで駆けていった。


「……」


 ため息混じりにそれを見送り、のそりと立ち上がるジンヤ。

 事を済ませた後の達成感は少々薄く、消化不良気味な部分を感じている。

 故に、吐き出されたため息には苛立ちが混じっていた。

 だが、そんな背中に地面から唸りのような声が浴びせられる。


「お前……自分がヒーローにでもなったつもりか?」


 今にも消えそうな、酷く掠れた男の声だった。


「あ゛?」


 視線を巡らせると、足元で伸びていた一人が、虫の息をやっとのことで声に変えていた。

 ジンヤは少しだけ感心したように眉を上げ、それを見下ろす。


「よォ、金蝿。まだ殴られ足りなかったか?」

「ははっ……そうか、今は気分が良いだろうよ……」


 少なくとも、お互いに質問の答えではなかった。


 赤黒く腫れ上がった瞼で片方の目の塞がった彼は、ジンヤを嘲笑うように口を動かす。

 ジンヤは腰を下ろすと、孫の手で肩を叩くように日本刀を動かした。


「なんか用か。」

「用も糞も……これが学校に知れ渡ってみろ……。

 真っ先に疑われるのは誰だ?」


 彼はイメージスクリーンで、ジンヤへと自分の生徒情報を送信してきた。

 ジンヤは一度だけ瞬きする。

 聞いたことのある苗字が目の前に表示される。

 そこそこの名門家だ。


 倒れたままの生徒は、血の滲んだ唇を歪めて笑って見せる。

 傷だらけの顔も合わさり、まるでたちの悪い亡霊の様にも見えた。


「どっちの証言が通るか……学園一の不良生徒のお前か……?それとも、緋島先輩の配下にある俺たちか……?

 はははっ……いつまでイイ気になってられるか……」

「……。」


 その声を聞いていたのか、いなかったのか、不意にジンヤがゆっくりと立ち上がる。

 そして、鞘に入ったままの得物を両手で握りこみ。


「がアアっ!?」


 苦悶の悲鳴が上がった。

 倒れた生徒の手のひらの上に、ジンヤが体重をかけた日本刀の鞘がめり込んでいる。


「うが……あ……ァァァァァっ!?アアアアア!」

「ヒジマっ()ったなァ、今」


 金切り声を上げる彼に向かって、ジンヤは凶暴な笑みを称えていた。

 剥き出した鋭い犬歯がぬらりと光っている。


「オレはなァ、その名前が大っ嫌いなんだよ、あ゛ァ?」


 ギチギチ、ゴリゴリと木板を削るような音が混じる。

 鞘のめり込んだ手の甲からは血が溢れ、地面へと流れ始めている。


「やめろォォォォォ!!アアアアア!!」


 ジンヤは狂気に血走らせた目を見開いたまま刀を退かすと、その頭を一撃踏みつけた。

 鈍い音がし、電源を落としたかのように悲鳴が止んだ。


 足を退かすと、舗装された地面には血が滲んでいた。

 この生徒の病院送りはほぼ確定だろう。


「……ッへへ」


 その短い嘲笑は、彼に向けたものか、はたまた自分に向けたものか。

 本人にも分からないまま、その声は静寂のなかに消えた。


 もはや話し相手としては機能しなくなった上級生に対し、ジンヤは吐き捨てるように口にする。


「『疑われる』だ?『イイ気になってられるか』だ?

 ……知るか、全然、全くもって知らんね。今さら罪状が一つ二つ増えたところで、誰か気にすんのか?」


 唾棄すると、彼はその場を後にする。


「今日も、明日も、オレは変わらん。気に入らない奴はぶん殴る。」


 日はとっくに落ちているが、まだかなり蒸し暑い。


 三人を殴り倒した爽快感と、込み上げてくる焦燥感を同時に感じつつ、何処へとなく足を進めた。


 とにかく、今は寮に戻る気にはなれない。



「何処へ行く気だい?」



 声がかけられたのは、その時だった。

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