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逆プロポーズと貧乏少年3

 夏の日の出は、やはり早い。

 午前六時前の時計を確認する頃には既に東の空は青みがかっている。

 そして、それとほぼ時を同じくマヒルも目を覚ましている。


 海の一つや二つを跨いだ程度では、この鋼の生活リズムは曲がらない。


 手にいれたばかりの寝床の上で軽く伸びをして、目を擦る。

 立ち上がりながらついでに軽いストレッチをすると、カーテンと窓を開けた。


 少しずつ明らむ空は雲三割の晴天の兆し。

 微かな潮の香りの乗った風と、マヒルよりも更に早起きな雄蝉の大合唱。


 大きく深呼吸をすると、顔を洗いに共用スペースの一階に降りるべく靴を履いた。



 昨晩の記憶は、一睡挟んだとはいえそう簡単には消えていなかった。

 マヒルは下る階段を踏みつつ、少しだけ重い息を吐く。


 深夜。

 アユムからの、突飛な逆プロポーズ。






「……え」


 マヒルの答えに、アユムの手の震えが治まった。

 いや、凍ったと表現するべきだったのかもしれない。


 マヒルの態度は、とても、冷たいくらいに淡薄だった。


 その口は答えを繰り返す。



「今回は、お断りさせてもらいます」



 泣きも笑いも怒りもせずに、淡々とそう告げた。


 その時のアユムの表情は、恐らく一生忘れられないだろう。


「……そっか」


 凍りついていた指先へと徐々に血が巡って、再び震え始める。


 そして、ぎゅっと目を瞑った。

 その瞬間に、『とてつもないことをしてしまったのでは』という罪悪感にも似たものが、マヒルの胸に湧いた。


 しかし


「あーー!!」


 急にベッドに転がってばたばたと腕を振り回すアユム。

 マヒルが戸惑いの目で見つめる前で、アユムは駄々を捏ねる子供のようにベッドのマットレスに当たり続ける。


「悔しい……悔しいよ……、悔しい悔しい!」

「あ……アユムさん?」

「だって……だって!」


 今度はがばりと起き上がり、マヒルへと体当たりを食らわせる。


「いっ……」

「マヒル!」


 ベッドに押し倒される形になったマヒルは、一瞬暗転した目でそれを見上げる。

 相変わらずいじらしいくらいに泣きじゃくっているアユムの顔が鼻先まで迫っていた。


「……私はこんなにマヒルのこと好きなのに……なんでマヒルは私のこと嫌いなの?なんで?なんでなんで、なんでっ!」


 心なしか口当たりも幼い子供のものへと退行している気がする。

 アユムは「なんでなんで」と繰り返しながら、マヒルの胸に顔を埋める。


「アユムさん……その」

「……」


 ようやく静かになったアユムは、今度はマヒルの胸にしがみついたままぐずり始めた。


「あの……」

「嫌だ……もう何も言わないでよ……夢中になってた自分がバカみたいじゃん……」


 完全に不貞腐れているようで、木に張り付いた蝉の脱け殻のようになって離れてくれない。


 マヒルはため息をつくと、その頭に手を乗せた。


「……話は最後まで聞かなきゃだめですよ」

「う……」


 肯定とも否定ともつかない唸り声で返答するアユム。

 恐らくこのままでは一生こうしていそうなので、マヒルは勝手に喋り始める。


「たぶん、まだアユムさんは僕の事を分かってないと思うんです。」

「……。」

「僕にだって弱点はありますし、できないことだって山ほどありますよ。

 人から嫌われることだってたくさんしてきましたし、実際に嫌ってる人たちだってきっと二人や三人なんかじゃありませんよ。」


 ぐずりと鼻をならしたアユムが、やっと顔を上げた。


「だから、まだ早いんじゃないですか?」

「……じゃあ、私をふったのは?」

「別に、そんなんじゃありませんよ。」


 マヒルが起き上がると、アユムも体を退かした。


「……そもそも、こういうのって男の方からするものじゃないですか。」

「え?」


 ぽかんとしたアユムの手を、マヒルが手に取る。


「今は無理です。けど……」

「……マヒル?」


 マヒルは、絵本の中の騎士が姫へとするように片膝をついた。


「『その時だ』って思ったら、きっと僕からアユムさんに言います。

 だから……暫くは曖昧でも良いんじゃないですか?」

「……マヒル」


 惚けたような顔でマヒルを見つめるアユム。

 たっぷり五秒数えると、顔がぼふっと真っ赤に爆発した。


「うあああ!!」


 握ったままだった手を離し素早く顔を覆うアユム。

 そのままベッドに飛び込むと、また足をばたばたと振り回し始めた。


「反則反則!そんなの無しだよ卑怯だよ!

 あーもう、そんなこと言われたら私……ダメだよ!ダメダメ!」


「へ?」


 首を傾げるマヒル。

 それに対して更に手足を振り回すアユム。


「も、もう!マヒルの、ばかっ!ばかーー!!」


 ベッドに転がっていた枕をひっ掴み、マヒルへと投げつける。

 危なげなくそれをキャッチするマヒルを前に、アユムは顔を覆ったまま部屋の扉へ走っていった。


「マヒル……大好きーー!!ばかあーー!」


「……」


 寮の住人全員が起き出しそうな勢いで扉が閉まる。


 嵐が去っていった。


 マヒルは一人、無表情でベッドへと身を投げた。

 手のひらで顔を覆うと、誰にも聞こえない声で呟く。


「……失敗……」






 あの反応。

 彼女としてはかなりの一大決心だったようだが、さすがに出鼻で断ったのは失敗だった。


 あのせいで、最後まで自分の本音を伝えられないまま先送りの返事をしてしまった。

 もう少し言い様はあったのに、と我ながら後悔している。


 マヒルの本音では、アユムには諦めて欲しかった。


 別に彼女に好意を抱けないというわけではない。

 むしろ、彼女に対して『恩』以上の何かを感じているという自覚はあるのだ。

 それでも、この場合は『だからこそ』、マヒルは断りたかった。


 愛沢アユムという少女と関わる内に気が付いたが、マヒルは自分に対する評価が低い。

 勿論、今までの生活を乗りきってこられた自らの能力はそれなりに評価しているつもりだ。

 だが、それが人から好かれる要因になるとは思ってもいなかったし、この思いが謙遜から来ているものでもないことも理解している。

 寧ろこれは自分の恥部だとさえ考えるようになっていた。

 この能力は、今までの泥を這うような生活に苛まれながら染み付いたもので、言わば今までの自分の苦悩の象徴、醜い傷痕の様なものだ。

 本来なら持つ必要のなかったもの、過酷な環境故に刻まれてしまったそれを傷痕と称するのでなければ、果たして何と扱っていいのかマヒルには分からない。


 恐らく彼女が描いているであろう自分とは程遠い、そんな身を彼女の横に置くことに気が引けた。


 それに加え、アユムを受け入れられない理由がもうひとつある。


「……。」


 マヒルは首にかけたチェーンに通る指輪を握りしめた。


 まだ何も知らなかった自分に、初めて"傷"を付けた『彼女』の存在だ。

 ただ漠然と健気であった自分に、死に行く苦しみと生き延びる快感を与えてくれた。貪欲に生きることを教えてくれた。


『彼女』の熱が、何年も経った今でも身体の中に残っている。

 それどころか、この身体の半分がそれによって出来ているような気さえする。


 たぶん、これがきっと幽霊という奴なのだろう。 


「……。」


 不貞だ。


 胸元に手をやる自分に、そう思わずにはいられなかった。


 指輪を離すと、シャツの下を金属が舐めるように揺れた。






 それにしても、結局あのせいでかなり睡眠時間を削られた。

 多忙な生活を強いられてきた為に、マヒルはその程度では寝不足などには陥らない自信があった。

 だが、そんなマヒルでも昨日の疲れがまだ両肩にのし掛かっているようだった。


「ええいこの程度……夜勤明けの朝一自転車便に比べれば屁でもない!」


 自分の頬を叩き、再び不屈の根性に火を灯すマヒルだった。

 今日もまたこの島を駆け巡らなければならないのだ。


 さて、そうとは決まったが、この時間。

 恐らく白葉管理人でなくとも皆まだベッドの中だろう。

 となると、何から手をつけるべきだろう。


 発注した教科書の受取、制服の注文、ドライバ等の備品の用意。

 幾つか考えてはみたが、どれもマヒル一人では手がつけられそうにない。

 何だかんだ言っても、この島においてはとことん無知な奴なのである。


「ううん」


 悩むくらいならまだ寝ていても良いような気もするが、二度寝するにも今からではタイミングが悪く、反って更に疲労が増しそうだ。


 と、唸っているとここで一つ思い出した。


「あ、地下室の蛍光灯」


 昨日寮中くまなく掃除はしたが、切れかかっている蛍光灯の交換は済ませていなかった。

 確か物置に買い置きがあったたずだが。

 馬鹿な、とは思ったがどうせこれから小一時間は暇なのだ。

 いくらかかっても十分少し、優先順位は限りなく下だが放っておいて忘れるよりも今取りかかるべきだろう。

 マヒルは寮の横の物置から新しい替えの蛍光灯を引っ張り出して、例の地下室へと向かった。




 ーーのだが、その扉の前でマヒルは腕を組んでいた。


 視線の先にあるのは、壁に電卓を貼り付けたような電子ロック。


 そういえば、開け方がわからないのであった。

 とはいえ、ここまで来たからには何もせずに帰るのも悔しい。

 ダメ元でノブに手をかけた。


 すると


 ギチャリ


「あ、」


 開いた。


 どうやら鍵が掛かっていなかったらしい。

 外出中の白葉といい、防犯意識の低い住人ばかりである。


 だが、そこで奇妙な点に気がつく。


 扉の隙間から漏れる青白い明かり。

 カタカタとキーボードを叩く音。


「え?」


 誰かがいる。


 気味悪く思いながらも部屋に足を踏み入れるのと同時だった。

 その人物が侵入者の気配を察知したらしく、座った椅子をギシリと鳴らした。


「あれ、アユム?今日はまた随分と早起きだね。あっはは、そんな気になるか?例の新入りくんへのプレゼント。」


 部屋の奥のデスクトップに、キャスター椅子に座った後ろ姿が見える。


「ふふふ、まあそう焦るでないない、安心したまえって。」


 そう言って、彼女は椅子を回転させた。

 椅子から飛び下り、羽織った白衣の裾をはためかせる少女。

 かなりの低身長、小学生もかくやというサイズ感の少女が、黒く長い髪をダイナミックに遊ばせながら腰に手を当てた。


「この私は天才だからさ」


 背後からのブルーライトが後光に見えるほどに堂々とした態度と幼躯の不協和音。


 またまたキャラの濃そうな奴が現れた。


 と、マヒルは思った。


 ーーと、そこで彼女はまばたきをした。


「ふん……これは」


 どうやら訪問者がアユムではないことに気がついたらしい。


「こんなところに、しかもこんな時間に来客なんて。いやはや、めずらしいこともあるもんねえ。驚いた。」


「いや……はい、いきなりで本当に申し訳ないんですけど……」


「驚いた。」とは口で言っていても、相変わらず堂々と無い胸を張った少女にマヒルは視線を泳がせる。


「……あの、見えてます。」

「うん?」


 そこで彼女はやっと自身の格好を見やる。

 そして一言。


「あんれま。これは失敬。」


 羽織っていた白衣の襟を引っ張ると、今度は腕を組んだ。

 それだけ。

 眉一つ動かさずにである。


 マヒルは肩が重くなるのを感じた。


 少女は、その容姿には似てもつかない学者が着るような白衣をボタンを全開で羽織っている。

 下着一枚身につけない裸体の上から。


 裸白衣である。


 もちろんそんなことをしてしまえば、齢特有の括れのないお腹も、小さなおへそも、水平線のような胸元のラインも、終いには腰から下の辺りも、全てオープンである。


 額に手をやるマヒル。


「この寮ってなんで変人しかいないんですか……?」

「ん、何か言った?」

「いえ、何も……」


 雛由マヒルに十四歳以下の女児を偏愛する趣味はないため精神衛生面に問題はないが、それでも視線が定まらないのは仕方ない。

 そんなマヒルの苦労を知ってか知らずか、彼女は素足で床をペタペタ鳴らしながら近寄ってくる。


 怖い顔の犬にでも近付かれたみたいに後ずさりかけたマヒルに、少女は顎に手を当てながら尋ねる。


「何か棒状の物を持ってる様だけど、君、物盗りかなんか?」

「い、いえ……コレは武器ではなく蛍光灯ですよ。」

「はぁん、蛍光灯?なんでまたそんな物。朝っぱらから変な奴もいるねえ。」


「お前には言われたくない」とは言わなかった。


「いえ、切れてるじゃないですか。ほら、あそこの。」


 マヒルが天井を指差すと、少女は首を目一杯に回して見上げながら「ああ。」と頷いた。


「あんれま、本当だ、全っ然気が付かなかった。へえ、気が利くんだね君は。」

「いえ……ていうか、気付いてなかったんですね」

「まあね、身の回りに気を配るっていうのはどうも苦手かな。なーんか面倒くさくって仕方ない。

 うんうん、そういうことならちゃちゃっと取り替えちゃってさね。よろしく。」

「え?え……ええ。」


 何の気兼ねも容赦もない顔で頼まれてしまった。

 棒立ちのマヒルを他所に、少女はさっさと机に戻り、またキーボードを叩く作業に戻った。

 ぽかんとするマヒルに、少女は後ろ手に指を差す。


「脚立ならその辺にあると思うから、ま適当にどうぞ。」

「……えと、どの辺ですか?」

「ううん?はあ……どの辺かな?この部屋の何処かにあるか……外の物置?うむうむ分からん分からん。そこそこ探して使ってくれればいいや、ご自由に。」


『ご自由に』とは、また随分な事を言う。


 何だか随分と図々しいというか、ここまでくるとさっぱりした根性の幼女である。

 だが、来てしまったからにはやらずに帰る訳にはいかない。


 脚立探しはさすがに面倒なので部屋の片隅に見つけた椅子を引きずるマヒル。

 上に乗れる程の安定性を確認してから、蛍光灯の取り替え作業に入った。


「いんやあ、助かる助かるう。見ての通りホラ、私は背が低いしこうやって手伝って貰わなきゃ満足に明かりも手に入らんのだよ。」

「手伝いっていうより、ほぼ丸投げな気が……ていうか、もう服は着ないって線で固定なんですか?」


 その発言に、彼女は珍獣でも見るような顔で振り向く。


「当たり前じゃないか?」

「当たり前なんですか?」


 こちらこそ驚きである。


「あんなの着たり脱いだり面倒くさい。そもそも、ここは寒くもないし、肌を守るほどの紫外線も危険物もなかろうに。そこで敢えて何か着る理由って?」

「いや……その、僕がいるじゃないですか?」

「何だ何だ、いきなりやってきて「見苦しいから見繕え」なんて言っちゃうわけ?見かけによらず図々しい奴だなオマエは。」

「いや、そこまで鋭くは言ってませんけど……」


 そもそもこの幼女に図々しさを指摘される謂れはない。


「そう。なら、アレか?君は私のこの平べったいボディに催しちゃうわけか?近頃流行りのロリコンってやつか?

 ……そうか、いくら私でもルックスが多少良いからって、見ず知らずの相手に襲われるシチュエーションはね。これでも生粋の処女なんだ、大事に扱ってくれよ。」

「全然違いますって。人を勝手に変態にしないでくださいよ。そんな気は微塵も起きてません。」

「なッ……それはそれでまたこう女としての尊厳を踏みにじられるような……」


 そんな風体で『女としての尊厳』とは、言うやつもいたものである。


「まあ、とにかくね。私は必要ないと感じたから着てない履いてない。そんだけ。そもそもね、こんなヘンな文化を持ってるのは人間くらいだよ?

 本当に分からん生き物だねえ、君。」

「ああ……はい、もうそれでいいです。」


「お前が一番分からない。」とは言わなかった。


 さて、ここまでトンデモ持論を展開されてはこれ以上何かを言うわけにもいかない。

 マヒルはおとなしく口を閉じて作業に戻った。


 古い蛍光灯を外し、新しいものへ付け替える。

 改めてスイッチオン。


 それだけで部屋がかなり明るくなった。


「ああ、終わった?いやあ明るい明るい。これで作業も楽になるってもんだよ。」

「そうですか」


 作業の手は止めずに言う彼女。

 マヒルが椅子を片付け、古い蛍光灯を処分しに行こうとするも、やっと彼女は振り返った。


「あーところで、君。」

「はい?」


 目を合わせようとすると、あまり日に当たっていないような透ける肌を直視しそうになってまた視線を泳がせる。


「どうしました?他に何か手伝いますか。」

「いやいや、それはまた今度にするよ。」


 遠慮はしないらしい。


「……じゃあ何か?」

「君さ、誰よ?」


「……。」


 思わず返答に詰まってしまった。


「え?」

「いや、誰?って。いきなり入ってきたから。」

「知らないで対応してたんですか!?」


 これには流石に驚いた。

 かなり緩く接してくるものだから、てっきり誰かから聞いていたのだと思っていたマヒルだ。


「知らない人が部屋に押し入って来てるっていうのに……また随分と……アレですね。」

「アレ?知らないねえ。

 いいじゃないのさ別に。蛍光灯替えに来てくれただけでしょ?それともやっぱり私に何かする?オマエそんなに私の初めてが欲しいか。」

「いりませんって……。ひょっとして僕よりあなたの方が変態なんじゃないですか?」


 基、そんなオープンな格好をしている時点で彼女はマヒルを凌駕するド変態なのだが。


 というか普通は知らない人が蛍光灯を替えに来たらもう少し、否、物凄く不審がると思うのだが。

 着衣共々、かなりオープンな幼女らしい。


「マヒルです、雛由マヒル。昨日からここに住まわせてもらってます。」

「ああ、はいはい!例の新入りくんって君か!」


 やっとそれらしい反応を示した。

 そうかそうか、と頷くと彼女は椅子から降りて一礼した。


「ややや~、これは失礼しちゃうわ私ったら。てっきりどこぞの不逞な輩かとねえ。」

「不逞な輩に対してあの態度ですか。」

「不逞な輩でこそのあの態度だよ。」


 ボリューム感皆無の胸を張られた。

 そこまで来ると尊敬ものである。


「私は児哭森(コナキモリ)ユウキ、魔工学部の三年生、よろしく。」

「三年生!?」

「うん、そう。あっはは、やっぱり驚くみたいだね。」


 マヒルの反応に対して面白そうに笑うユウキ。

 そういえば、アユムが『ユウキちゃん』と言っていた気がする。


 なるほど、こいつか例の蔵妖怪は。

 マヒルは面に出さずに納得した。


「でも……児哭森って……」


 何処かで聞いた名前に、マヒルはまばたきをする。

 するとユウキは頷いた。


「そうそう、あの『児哭森重工』の。」

「ええっ!?」


 更に驚き。

 児哭森重工といえば、この国に置いてトップレベルの規模を誇る超巨大企業である。

 自動車から航空機、果てやロケットまでとありとあらゆる事業を成功させ、今や総資産(ウン)兆円という規模を持つ。


「私はそこの三女。お嬢様ってわけよ。」

「……なんかもう……色々とぶっとんでますね。」

「そだね、私も思ってるよ常々。

 私はここで魔動機やその他の技術について研究してるんだよ。」

「どうしてまたそんなことを?そんなところの娘さんなら、技術より経営とかの方がいいんじゃ?」

「チッチッチッ、甘いねえ、君は。」


 ユウキは腕を組んで目を光らせた。

 研ぎ澄まされた獣の牙もよろしく、果て無き野望の光だ。


「児哭森重工。今まで数々の事業に手をつけては、そこそこの成功を納めてきた。

 けどね、それじゃ足りない、足りないんだよ。

 どれもこれもなんというか……前時代的!この会社には新しいものが必要なんだ。

 つまり、魔法!」

「……なるほど。」

「私は私の代でこの会社に魔工業という新しい分野を確立させたい。だけど、魔法を扱うからには国からの免許が必要になってくる。

 だとしたら、他でもない私が率先しなきゃならない。」

「……野心家ですね」


 幼い顔をしてハングリーな奴である。


「ということで、この私は今もこうやって新たな作品の開発に力を注いでるってわけよ。」

「へえ……」


 先程からいじっているPCを見ると、画面にはよくわからない設計図かなにかが幾つか表示されていた。


「……で、今回はどんなものを?」

「え?ああ、まだ聞いてないんだね……だとしたらアユムには悪いことをしたかもだなあ……」

「ん?」


 ユウキは椅子に飛び乗ると、ぐるぐると回りながら机へと戻る。


「この前、ここに帰ってきたらアユムからの書き置きがあってね。君の魔力値検査の結果があった。

 何でも『新しいドライバを用意してほしい』ってね。」

「アユムさんが?」

「そだよ。ナイショにしてたってことは……もしかしたら君にプレゼントしたかったのかもしれないね。アユムはそういうの好きだから。可愛い奴でしょ?」

「……アユムさんが……」


 呆気なくばらされてしまったが、なんだか申し訳なさで一杯だ。

 そんなマヒルは放り出して、ユウキは何かを取り出してきた。


「本当はアユムも立ち会っての方が喜んだだろうけど、生憎私は忙しいからね……。ほぼ完成してるから、先にマッチングテストしちゃうか。」


「え?」


 差し出されたのは、黒い指輪だ。

 マヒルはそれを受けとる。

 だが手のひらの上にそれを乗せたのはいいが、どうしていいか分からずにユウキを見つめ返す。


「ああ、そうか。素人だったねそういえば。」

「その、僕は……何をすれば?」

「まずはDGSドッペルゲンガーシステムとのマッチングから始めようか。」

「ドッペル……何ですって?」

「ドッペルゲンガーシステムだよ。」


 ユウキは繰り返すと、問いかけてくる。


「マヒル、オペレーション経験は?」

「一度だけ……」

「そう、なら分かるかな。

 オペレーションを開始すると、君の体には出血やダメージによるショックを緩和する感覚遮断の魔法、五感や肉体の強靭性その他身体能力を増強する強化の魔法、肉体の損傷を瞬時に治す修復の魔法なんかが展開される。」

「だからあんな強くなったんですね。」

「その基点となるのがこのシステム。

 ドライバは脳波とリンクすると同時に、使用者の肉体情報をスキャン、コピーする。そして、ドライバ内で常時演算を続ける。

 ……こんな感じで。」


 ユウキがPCを操作する。

 すると、遠隔操作でドライバが起動、青い光が灯った。


『使用者《コード:未入力》、マッチング開始……』


 機械音声が読み上げた直後、ユウキの操作する画面に何かが写し出された。


「これ……」

「そう、これ君。」


 画面の内側にいたのは、マヒルと同じ格好をした、他でもないマヒルだった。

 眠っているかのように目を閉じ、画面の中にふわりと漂っていた。


「見た目だけじゃないよ~?内部構造から五臓六腑の隅から隅へと、果てや本人の記憶まで、何から何まで全てが情報化、再現されてる。

 この『ゲンガー体』と現実の肉体が相互に情報を交換、フィードバックすることで、ドライバは傷の修復や、肉体の強化を行う。有事の際には生命維持装置にもなるってわけ。

 どうだ、最先端だろう~?」

「いつのボケですかそれ。」


 そう説明しながら、ユウキはキーボードを叩く。


「うん、接続良好、再調整の必要はなさそう。じゃあ、本番といこう!」


 椅子から飛び下り、ユウキはマヒルへびしりと指を向けた。


「最後の仕上げ。コード入力」

「コード……ですか?」

「そう。コードっていうのは、ドライバ本体やそれを管理するネットワーク上に置いてのパスコード。君だけの『合言葉』みたいなものだよ。」


 マヒルに手を出すようにと指示すると、その手に小さなカードのようなものを乗せた。


「この中に君の生徒情報とコードが記録されてる。ドライバに翳して、合図があったら表記されてるコードを読み上げてね。

 ドライバは、君の『声』と生徒情報を認めて初めて起動するからね、しっかり頼むよ?」

「は、はい」


 マヒルは言われた通り、カードをドライバにかざした。

 ドライバから『ピピピピ……』と音が鳴り、認証が始まる。


 二~三秒程で、黒い指輪に赤い光が灯る。


『コード入力、待機中』


 これが合図のようだ。

 そして、ドライバへと最初の命令を下した。


「コード『ヒナヨリ894』!」


 ドライバの赤い光が点滅し、そして青に変わった。


『コード『ヒナヨリ894』、確認。

 第五白波学園 生徒 実戦魔法学部一年生、雛由マヒル。

 学内ネットワークとの接続を開始……』


 光が止むと、突然目の前に『welcome』の文が浮かんでいた。


「……わ!?」

「おっとと……」


 マヒルが落としそうになったドライバを、ユウキが慌てて受け止めた。


 同時に例の文章も消失する。


 尻餅をついたまま瞬きを繰り返すマヒルに、ユウキは笑った。


「ああ、イメージスクリーンか。初めてだとやっぱり驚くねえ。」

「え?何ですか今の?何か見えましたよ?」


 目を擦ってみたが、もうあの文章は出てこない。

 ユウキはマヒルを立たせるとドライバを返した。


「イメージスクリーン。仮想視覚投影ってやつだよ。

 ドライバが君の脳みそに直接見せてる、君にしか見えない映像。要はドライバの見せるマボロシ。」

「マボロシ……幻覚……なんか怖いですね。……初めてのコンタクトって気分です。」

「大丈夫、悪影響はないから。初めは疲れるだろうけど、慣れれば便利だよ、これ。

 ドライバが脳波を直接入力してくれるから、念じるだけで操作が可能だし。」

「そうですか……」


 試しにもう一度指輪を握ってみると、視界の端に日付や時間が表示された。

 意識すると、カレンダーや学校からのお知らせまでも確認できる。

 なるほど、かなり便利だ。


 あれこれと夢中になって操作していると、ユウキが咳をした。


「あ……どうも。」


「ちなみに、ドライバは充電式。電子機器だからね。フル充電の連続使用で最長三日は持つらしいけど、残量には気を配るんだよ?いざとなったとき大変だからね。

 あと、学生のドライバは学園内では自動的に『学内ネットワーク』と接続されることになってるから。」

「学内ネットワーク?」

「そう。学校側が生徒情報を管理したり、魔法の不正使用を監視したりするシステムだよ。

 他にも生徒間での情報のやり取りだったり、時間割りを確認できたり、校舎の地図とかも確認できるから積極的に使うといいよ。」

「なるほど……」


 試しに自分の生徒情報を呼び出してみると、『実戦魔法学部一年 雛由マヒル』と表示された。

 ついでに目の前のユウキを見てみると、『魔法工学部三年 児哭森ユウキ』と表示された。


「文明って凄い……」

「今は表示されてないだろうけど、実戦魔法学部生はランキングも一緒に載るからね。

 設定をいじれば、非表示にもできるから、覚えとくといいよ。」


「それじゃ」というと、ユウキは机に戻った。


「え?」

「それ以上は君のハニーと……おっと、噂をすれば影ってね……」


 ユウキがにやにやと笑うと同時に、後ろの扉がバタンと開いた。


「なになに!?今、マヒル魔法使った!?」


 パジャマ姿で寝癖頭を爆発させたアユムが、肩で息をしながら立っていた。



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