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店長、そのカップル考察やめませんか? ~他人の恋より、私の好意に気づいてください~  作者: 汐見 ゆゑ


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第5話 園部君

 カラン、とドアの鍵を閉め、私はカウンターへと戻った。エプロンの背中の紐に手をかけ、ゆっくりと解いていく。カウンターの上には、店長が淹れたてのコーヒーカップをコトリと二つ、並べて置いたところだった。

 

「朝比奈さん。今日の園部(そのべ)君、見ました?」

「……接客しましたけど」


 私はエプロンを外しながら素っ気なく答えた。園部君は、近所の大学に通う真面目そうな男子学生で、うちの常連さんの一人だ。

 

「ずいぶん緊張していましたね。朝比奈さんと、もう少しお話ししたそうでしたよ」

「……気づいてたんですか」

「ええ、もちろん!」


 店長は嬉しそうに頷き、そして――悪気のない、満面の笑みでこう言ったのだ。

 

「お二人なら、すごくお似合いでしたよ!」

「…………」


 エプロンを畳もうとしていた私の両手が、ピタリと止まった。

(……今日の考察、私なんだ)

 胸の奥が、冷たい水底へと急速に沈んでいくような感覚がした。


「ほら、園部君、今日は友人の桃井さんと一緒に来ていたでしょう?」


 店長は私の沈黙に気づかず、楽しげに語り始めた。

 

「桃井さんは気楽に話しかけてくれたのに、園部君は朝比奈さんがお冷を注ぎに行くたびに、背筋をピンと伸ばしてメニューに顔を埋めていた。桃井さんが途中で『ゼミがあるから』って先に帰ったあとも、園部君は入口の営業時間の札を何度も見上げて、ずっとそわそわしていて……」

「……ええ。見てましたよ」

「前に朝比奈さんがおすすめした豆も、真っ先に買ってくれましたしね。あのあと家にミルがないって慌てて戻ってきたのには笑っちゃいましたけど、きっと朝比奈さんと話すきっかけが欲しかったんですよ。誠実で、すごくいい子じゃないですか。ねえ、次に来たとき、仕事終わりにでも少し話せるように、僕から声をかけてあげましょ――」


 トン。

 

 私は畳みかけのエプロンを、カウンターの上に置いた。大きな音を立てたわけじゃない。けれど、その静かな拒絶の気配に、店長の言葉がピタリと途切れた。私はゆっくりと顔を上げた。

 

 怒りで叫びたいわけじゃない。けれど、いつものように冗談めかして笑い飛ばすことだけは、絶対にできなかった。

 

「……店長」

「は、はい」

「――そのカップル考察、やめませんか?」

「……っ」


 店長が目を見張り、息を呑んだ。静寂が店内の空気を凍りつかせる。

 

「朝比奈……さん?」

「誰かが私を好きなら、それでいい組み合わせになるんですか?」


 声が震えそうになるのを必死で抑え込む。

 

「園部さんがいい人なのは知ってます。でも、私がどうしたいかは……店長、まだ一言も聞いてないですよね」

「……あ」


 カウンターの上の砂糖壺に伸ばしかけていた店長の手が、凍りついたように止まった。

 

「……そうですね。僕……聞いていませんでした」


 店長は視線を伏せ、それから真っ直ぐに私を見た。

 

「すみません……」


 言い訳ひとつせず、即座に謝ってくるその誠実さに、私の胸がまた痛くなる。でも、今日ばかりは話を引っ込めるわけにはいかなかった。

 

「……今日、園部さんに誘われたんです」

「えっ?」

「桃井さんが帰ったあと、お会計のときに。『もしこのあと時間があったら、一緒にご飯でも行きませんか』って」

「そ、そうだったんですか……」

「お断りしました。……ちゃんと」


◇


 ――数時間前の、夕方のレジ前。店長が奥で洗い物をしている最中、園部君は耳まで真っ赤にして私を誘ってくれた。私は逃げずに、彼の目を見てはっきりと言ったのだ。

 

『誘ってくれて、ありがとうございます。でも、ごめんなさい。……私、好きな人がいるので』


 園部君は一瞬だけ息を呑んで、それから寂しそうに、けれど清々しく微笑んだ。

 

『そっか。……聞けてよかったです。コーヒー、また飲みに来てもいいですか?』

『もちろんです。いつでもお待ちしてます』


 園部君は会釈をして、背筋を伸ばして店を出ていった。


◇


「……ちゃんと返事をしたので、もう決まった話です」


 好きな人がいると言ったことまでは、店長には言わなかった。

 

「園部さんは、何も悪くありませんから。次に来たときも、普通に接してください」

「はい。……もちろん、普通に美味しいコーヒーを淹れます」


 店長は深々と頭を下げた。

 

「本当にごめんなさい、朝比奈さん。園部君の気持ちばかりを考えて、朝比奈さんの気持ちを勝手に決めつけていました。……僕が、一番失礼なことをしていました」

「……わかってくれたなら、いいです」


 私は小さく息を吐いた。店長はおずおずと顔を上げると、戸棚からもう一つカップを取り出そうとして――ピタリと手を止めた。カウンターの上には、最初から湯気を立てるカップが二つ、置かれていたからだ。

 

「……あ」


 店長が間抜けな声を漏らす。私はその二つのカップをじっと見つめた。

 

「……店長。それ、誰の分ですか?」

「え? あ、朝比奈さんの分ですけど……」

「私が園部さんとご飯に行ってたら、どうするつもりだったんですか?」

「えっ」


 店長は二つのカップを見比べ、それから目を白黒させた。

 

「あ……そ、そうなったら、一つ余りますね……」

「二人で帰るのを、あんなに熱烈に応援してたのに?」

「…………」


 店長は気まずそうに視線を泳がせ、ぽつりと呟いた。

 

「……いつも通り、用意してました。無意識に」

「…………」


 その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥にあった冷たいトゲが、ふわりと溶けていくのがわかった。

(……帰ると思ってたなら、なんで私のカップを出すんですか、ばか)

 応援しておきながら、私の居場所を当たり前のように用意している。この人は本当に、自分が何をしているのかわかっていない。


 私は畳んだエプロンを鞄にしまい、カウンターの客席側の丸椅子をスッと引いた。

 

「店長」

「はい?」

「このあと、少し時間ありますか?」


 さっき園部君が私を誘ったのと、まったく同じ言葉。店長が驚いたように目を丸くする。

 

「……コーヒー、一緒に飲みませんか」


 私は真っ直ぐに店長の目を見つめた。仕事のスタッフとしてではなく、カウンター越しの一人の相手として。

 

「……はい」


 店長は少しだけ息を詰まらせてから、柔らかく笑った。

 

「よければ、ぜひ」


 私は椅子に腰掛け、鞄を隣の席に置いた。店長はカウンター越しにカップを引き寄せながら、慌てて言った。

 

「あ、もしかして、カップル割の見直しの相談でしょうか? 仕入れの帳簿、持ってきますね!」

「…………」


 私は一瞬だけ天を仰いだ。

(ほんっと、そうなると思った……!)


「店長」

「はい?」

「今日は、会議じゃありません」

「え?」

「店長と一緒にコーヒーを飲みたいから誘ったんです。……それだけです」


 余計な言い訳はつけない。『暇だから』とも『豆の味が知りたいから』とも言わない。店長はハッとしたように目を見張り、それから、どこか照れくさそうに視線を落とした。

 

「……ありがとうございます。僕も、飲みたかったです」

「……コーヒーを、ですか?」

「朝比奈さんと」

「っ!!」


 ドクンッ、と心臓が跳ね上がった。熱い血が一気に顔へと駆け上る。な、なにを、そんな……真っ直ぐな目で……!

 

「さっき、園部君の話をしたとき……」


 店長は自分のカップの縁を指でなぞりながら、少しだけ寂しそうに笑った。

 

「朝比奈さんが、本当に帰ってしまうんじゃないかと思って。……少し、寂しかったんです」

「…………っ」


 声が出ない。心臓が痛いくらいに脈打っている。

 

「……それ」

「はい?」

「それ……先に、言ってください」

「え?」

「『いいカップルになりそう』とか言う前に、先に言ってください、そんなこと……!」


 私は両手でカップを包み込み、耳まで真っ赤になった顔を隠すように俯いた。店長は困ったように眉を下げ、それから「……はい。すみません」と嬉しそうに頷いた。

 

 ふと見ると、店長が無意識にカウンターの上の砂糖壺に手を伸ばしかけている。すかさず私がジト目を向けると、店長はビクッと手を引っ込めた。

 

「……さ、砂糖を、取ろうとしただけですよ?」

「疑われるだけの実績があります」

「うっ、否定できません……」


 二人で顔を見合わせて、小さく吹き出してしまった。

 カウンター越しに並ぶ、二つのコーヒーカップ。

(園部君と私を並べたとき、この人は自分を三人目にすら数えていなかった)

 私は自分のカップを、店長のカップのほうへ、ほんの数センチだけ近づけて置いた。

 

「店長」

「はい?」

「今日は、店長自身の話をしてください」

「えっ、僕の?」

「はい。私が聞きたいので」


 店長は少し照れくさそうに頭を掻き、それから嬉しそうに昔の修行時代の話を語り始めた。カウンターの上。誰にも動かされない砂糖壺とミルクピッチャーの横で、二つのカップから立ち上る湯気が、ゆっくりと一つに重なり合っていた。

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