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店長、そのカップル考察やめませんか? ~他人の恋より、私の好意に気づいてください~  作者: 汐見 ゆゑ


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4/10

第4話 節穴じゃない日

「……ふう」


 私は布巾を両手に持ち、フロア中央の四人掛けテーブルを念入りに拭き上げていた。

 

「朝比奈さん。今日の、スーツ姿のお二人……見ました?」


 カウンターの中から、店長がひょっこりと顔を出す。また始まった。私は布巾を動かす手を止めずに応じた。

 

「見ましたよ。奥の席で、何度も何度もやり直してた二人ですよね」

「そう、あの二人です!」

「私、最初は別れ話の修羅場かと思いましたよ。男性のほう、ものすごい悲壮な顔して頭抱えてましたし」

「ふふっ、僕はね、プロポーズだと思いました」

「はあ? またそんな都合のいいハッピーエンドに……」


「ただし」と、店長は人差し指を立てて眼鏡の奥の目を光らせた。


「――プロポーズの『練習』です」

「…………」


 ぴたり。私の手が、テーブルの上で完全に止まった。ゆっくりと顔を上げ、カウンターの中の店長を見つめる。

 

「……え?」

「え?」

「……なんで、わかったんですか?」

「えっ!? あ、当たってた!?」

「当たってたって何ですか! 自分の推理でしょう!?」


 思わず声を張り上げてしまった。まさか。あの『節穴のポンコツ関係性オタク』の店長が、一発で真相を言い当てるなんて!


「だ、だってね、朝比奈さん。証拠がたくさんあったじゃないですか」


 店長は嬉しそうに、カウンターの上にいつもの砂糖壺とミルクピッチャーを並べた。だが、今日はいつもと違う。向かい合わせではなく、四人卓を模すように、斜めの位置に置いたのだ。

 

「まず、座り方です。四人席なのに、二人は向かい合わずに斜めに座っていました。男性の正面は、ずっと空席だったんです」

「そうですね、ちょっと不自然な座り方でしたね」

「そして、男性が取り出した小さな箱。あれ、開けて差し出す向きが、女性のほうじゃなくて、正面の空席に向かっていましたよね」

「はい」

「もし目の前の女性に求婚しているなら、体ごと相手に向けるはずです。女性のほうも、箱を受け取るんじゃなくて、横から覗き込んで『もう少し高く』ってジェスチャーで指示を出していました」


 店長は砂糖壺の向きをクイッと変えてみせる。


「それから、女性のスマートフォンです。カウンターからじゃ細かい数字までは見えませんでしたけど、あれ、ストップウォッチの画面でしたよね。男性が話し終えて箱をパチンと閉めるたびに、女性が画面をタップして時間を止めていたんです」

「……よく見てますね」

「そして時間を止めたあと、女性が指を三本立てて、男性が頭を抱えていた。長すぎるから三分以内に収めなさいってダメ出しされていたのか、あるいは三分オーバーだったのか……そこまではわかりませんけどね」

「…………」

「同じ動作を何度も繰り返して、最後は二人で顔を見合わせてホッとしたように笑っていた。……だから、振られていたんじゃなくて、本番のためのリハーサルを手伝ってもらっていたんだと思ったんです」


 一息に語り終えた店長は、「……あ、あれ? 違いました?」と急に不安そうに眉を下げた。私は大きく息を吸い込み、それから小さく肩を落とした。

 

「……合ってます。完璧に合ってますよ」

「本当ですか!?」

「はい。お会計のときに、女性のほうから教えてもらいました。『同僚なんですけど、彼、大事な話になると長話になる癖があって。今週末、彼女にプロポーズするらしくて、聞き役を頼まれたんです。お騒がせしました』って」

「やったあ! 僕の推理、正解だった!」


 店長は両手を上げてガッツポーズをした。子どものように無邪気に喜ぶ姿に、こっちまで口元が緩んでしまう。

 

「……今日だけは、名探偵でしたね」

「今日だけ!?」

「今のところは、です。……でも、よかったですね。本番、うまくいくといいですけど」

「ええ、きっと大丈夫ですよ。あんなに一生懸命練習したんですから」


 店長は満足そうに頷き、ふと思い立ったように冷蔵庫を開けた。

 

「よし、記念にデザートを食べましょう!」

「誰の記念ですか」

「朝比奈さんに褒められた記念です!」

「……っ、調子に乗らないでください」


 耳がカッと熱くなるのを隠すように、私はそっぽを向いた。

 

「売り物のケーキは駄目ですからね」

「わかってますよ。……試作の焼きプリンなら、二つあります」

「……最初からそう言ってください。食べます」


 カラメルソースのほろ苦い香りが漂う、小さなカスタードプリン。スプーンですくって口に運ぶと、濃厚な卵の甘みが広がった。

 

「ん……美味しい」

「よかった。固めのクラシックプリン、うまくできました」


 店長も嬉しそうにプリンを口に運んでいる。私はスプーンを見つめながら、ふと昼間の光景を思い返した。

 

「……やっぱり、本番って練習通りにはいかないものなんですかね」

「どうでしょうね。本番には、相手がいますから。相手の表情や言葉で、頭が真っ白になっちゃうこともあると思いますよ」

「もし……途中で言葉に詰まっちゃったら、どうすればいいんでしょう」

「待てるといいですね」


 店長は優しく微笑んだ。

 

「言う側も勇気がいるけれど、聞く側もちゃんと待ってあげる。焦らせずに、相手の言葉が出てくるのを待ってあげられる関係って、すごく素敵じゃないですか」

「……っ」


 胸が、トクンと跳ねた。待ってくれる。この人は、いつだってそうだ。私が言葉に詰まっても、急かさずに待ってくれる。

(……待って、くれるなら)

 カチリ、と小さな覚悟が胸の中で音を立てた。私はスプーンをソーサーに置き、両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。

 

「……店長」

「はい?」

「じゃあ……私も、練習していいですか?」

「えっ? 朝比奈さんもプロポーズするんですか!?」

「違いますっ! なんでそう極端なんですか!」


 思わず叫んでから、私はカアッと赤くなった顔を伏せた。

 

「……呼び方、です」

「呼び方?」

「いつも『店長』って呼んでるじゃないですか。……そうじゃない呼び方の、練習です。一回だけ」

「ああ、なるほど!」


 店長はあっさりと納得して、姿勢を正した。

 

「いいですよ。どうぞ、僕でよければいくらでも練習相手になります」


 真っ直ぐに私を見つめてくる、澄んだ瞳。

(うっ……いざとなると、めちゃくちゃ恥ずかしい……!)

 心臓が早鐘を打っている。喉がカラカラに渇いて、声が出そうにない。でも、店長はさっき言った通り、急かさずにただ静かに待ってくれている。逃げちゃ駄目だ。私は息を吸い込み、唇を震わせた。

 

「……み」

「……」

「……湊、さん」


 言えた。たった3文字。なのに、全身の血液が沸騰したんじゃないかと思うくらい熱い。店長は目を丸くして、一拍遅れて――

 

「……はい」


 と、柔らかく返事をした。

(へ、返事した……っ!)

 当たり前のことなのに、その声の優しさに耐えきれなくなって、私は思わず両手で顔を覆いそうになった。

 

「なんだか……照れますね」


 店長が自分の首筋をさすりながら、少し赤くなって笑った。

 

「普段、役職でしか呼ばれないから、自分の名前を呼ばれるとドキッとします」

「……っ、店長も照れるんですか」

「照れますよ、そりゃあ」


 店長はふわりと笑ってから、不思議そうに首を傾げた。

 

「でも朝比奈さん、名前で呼びたい人がいるんですか? 大学の先輩とか?」

「…………は?」


 私の思考がフリーズした。

 

「……だ、大学の先輩?」

「ええ。その人と親しくなりたくて、名前で呼ぶ練習をしたかったんでしょう? 僕で練習になるなら、何度でも付き合いますよ!」


 満面の笑み。親切百パーセントの善意の瞳。

 

「…………」


 私はゆっくりと両手で顔を覆った。

 ……だめだ。この人、他人のプロポーズは見抜けるのに、自分に向けられた矢印だけは宇宙の果てまで見失ってる!

 

「……店長、今日の名探偵、もう閉店ですか?」

「えっ? 何か僕、間違ったこと言いました!?」

「盛大に間違えてます!」

「えええっ!? どこがですか!?」

「もういいです! 私も練習って言っちゃったから同罪です!」


 自棄糞になってプリンをガバッと口に放り込む。甘くて冷たいはずのプリンが、熱くなった口の中で溶けていく。店長はおろおろとしながら、申し訳なさそうに言った。

 

「ご、ごめんなさい……でもね、朝比奈さん」

「……なんですか」

「その……呼び方、そのまま呼んでくれてもいいですよ?」

「……え?」


 スプーンを咥えたまま固まる私に、店長は照れくさそうに視線を泳がせながら言った。

 

「嫌じゃ、なかったので。……むしろ、ちょっと嬉しかったですし」

「…………っっっ!!」


 ボッと音がしそうなくらい、耳まで真っ赤になった。

(な、なんなのもう……! 無自覚にそういう爆弾落とすのやめてよ……!!)


「……き、勤務中は、店長です!」

「あ、はい。そうですね!」


 背筋をピンと伸ばす店長。


 ごちそうさまでした、と空いたお皿をカウンターへ戻す。

 

「ごちそうさまでした、店長」

「お粗末さまでした」


 いつもの呼び方に戻ると、お互いに小さく吹き出してしまった。店長が洗い場へ行き、水音が響き始める。私はカウンターの上に残された、砂糖壺とミルクピッチャーに目をやった。斜めに置かれたままの、練習相手の二人。私はそっと手を伸ばし、ミルクピッチャーを砂糖壺の真向かい――正面の位置へと動かした。

 

(……空席に向かう練習なら見抜けるくせに)

 洗い物をしている店長の背中を見つめながら、私は小さく唇を尖らせた。

(……こっちは最初から、あなたの正面にいるのに、ばか)

 カウンターの上の二つの器は、今度こそぴったりと向き合って並んでいた。

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