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第10話:ホームが揺れた日

 

 穏やかな昼だった。


 居間の窓から差し込む光が、テーブルの上に細長い影を作っている。外から鳥のさえずりと風に木が優しく扇がれる音が耳に入る。


 俺は帳簿をつけながら、今日は珍しく静かだと思う。


 リーダーはどこにいるのか、声が聞こえない。ディアは外に出ると言って出ていった。レヴィは台所でペットの餌の準備をしている。


 居間の隅でメイが刀を研いでいる。かすかな金属音が、一定のリズムで続いている。


 誰も騒いでいない。


 こういう日が続けば、借金に削られていく心労も少しは減る。

 このまま夕方まで帳簿をつけて、夕飯を食って、風呂に入って寝る。


 それだけでいい。それだけでいいんだ。この平和が一時間でも続いてくれれば、俺の胃も少しは休まるんだ。


 机の上にある淹れたばかりの紅茶の香りが鼻の奥をくすぐり、何とも言えないリラックス効果が生まれている。気がする。


 平和って最高。


 平和万歳!


 そう思った、次の瞬間だった。


 ホームが揺れる。


 ティーカップが倒れて、帳簿が見るも無残に紅茶付けになる。

 まずいと手を伸ばすが間に合わず、ティーカップがそのまま床に落ちて割れた。


 窓ガラスがびりびりと震えた。台所の方から食器が割れる音が聞こえてくる。

 続いて外から、パラパラと何かが崩れる鈍い音。窓の隙間から、紅茶の香りの代わりに鼻をつくような土っぽい砂埃が薄く入り込んでくる。


「…………」


 窓の外を見ると、ホームの外壁の一部が白い煙に包まれていた。

 外壁の向こうに、二つの人影が立っているのが見える。


 あー。


 帳簿の開いていたページは、既にこぼれた紅茶によってインクがにじんで読めたものではない。

 割れたカップの破片を集めて、くずかごに捨てて手袋をはめる。


 今日の夕方まで帳簿をつける予定は、消えた。


 さよなら平和。


 どうせバカ(リーダー)かアホウ(ディア)に決まっている。


 居間から飛び出してホームの裏手に回ると、案の定ディアとリーダーが立っていた。


 外壁にはまるで巨大な鉤爪で引き裂かれたような、深いひびが走っている。

 屋根の端は無惨に欠け、瓦が数枚、地面で粉々になっていた。


 爆風を至近距離で浴びたのであろうリーダーの髪は、元のきれいな金髪が鳥の巣のようにぐしゃぐしゃだ。ディアの方も片方の眉毛が焦げて妙な臭いを放っている。


 二人とも、俺を見た。


 俺は外壁のひびを指でなぞった。深い。絶望的に深い。

 屋根の欠けた部分からは空が見える。雨が降れば、俺の帳簿も、俺の寝床も、全部水浸しだ。

 浸水したら修理代が跳ね上がる。修繕費用の数字が頭の中でぐるぐる回り、視界が暗くなった。


 借金の肩替わりのはずだったホームも資産価値が大暴落だな。


「……何してた」


「「模擬戦」」


 リーダーとディアが仲良く即答した。


 なんでそんなに堂々と言えるんだ。


「ホームの裏ではやめてくれと前に言ったはずだったんだが、理解できなかったのかな?」


「いや、その広くて、使いやすいから」


 その使いやすい場所を壊したと。


 呆れてものを言えずにいると、ディアが軽く頭を下げて平謝りしてくる。


「いやー当てるつもりはなかったんだが」


「結果当たったんだろうが」


 見ろこの穴を、ヒビを! どう考えてもすぐには修復できないだろうが。


「あなたの軌道がおかしいのよ! 私の反射神経を超えてるじゃない!」


 責任の擦り付け合いが2人の間で始まる。自分の不始末を棚に上げて、よくもまあそんなに口が回る。

 実に不毛だ。


 というかリーダーはこの家が大切なのか雑なのかわかんねぇ、ホームが大切ならもっと意識してくれ。このままだと差し押さえの前に崩れ落ちて更地になる方が早い。


 俺は二人の言い合いを遮る。


「どっちのせいでもいい。いやよくはないけど今は修理が先だろ。土建屋を呼ぶからそれまで雨が降らないことを祈ってくれ」


 俺は物置の奥で埃を被っていた、カビ臭いボロ布を引っ張り出した。

 ツンと鼻を突いて刺激してくる嫌な臭いに顔をしかめながら、屋根の欠けた部分に無理やりそれをねじ込む。


 こんな布きれ一枚でどうにかできるとは思わないが、まぁないよりかはましだと思う。たぶん。


 ◇


 近所の土建屋に見積もりを頼むと、銀貨八枚と言われた。


 胃がキリキリと鳴る。マジか最近の依頼二回分なんだが。


「高い!」


 報告を聞いたリーダーが叫んだ。


 お前が言うな。


「妥当だ」


「だって八枚よ! 最近の依頼二回分じゃない!」


 だから壊したお前が言うな。


 リーダーが何かひらめいた顔をした。


「天才的なことを思いついたわ! 自分たちで直せばタダじゃない!」


「やめておけ」


 頼むから余計な発想はしまっておいてくれ。


「なんで! ディアは力持ちだし、私だって魔力はあるわよ!」


 それで壊したんだろうが。お前らが触るだけで損害が増える未来が見える。


「……これ以上被害を大きくしないでくれ」


「今度は直す方向で使えば――」


「正直に言う。リーダー、お前とディアが修理に関わると銀貨八枚では済まなくなる」


「……そんなことない……わよ」


 歯切れ悪くリーダーが答える。お前俺と目線があってないぞ、逸らすなよ。


 続いてディアを見る。


「家の修理くらいって言いたいけど、正直否定はできないな」


「そ、それだったら器用なメイなら丁寧にできるんじゃない?」


 俺はメイの方を見る。

 メイは居間の隅で刀を磨いていた。あの揺れがあった後でも続けていたのかこいつ。


 ゆっくりとメイが視線をこちらに向けた。


「…………嫌」


 だろうな。関係ないもんな。


 短く告げたメイは、視線を刀に戻してまた腕を動かし始めた。


「ならレヴィは!」


 往生際悪いな、お前とディアのせいなんだから大人しく財布出せ。


「わたしは大工仕事は得意じゃなくて……でも、資材を運ぶお手伝いならペットたちにお願いすれば協力してくれると思います」


「すまんレヴィ、悪いがペットは近づけないでくれ」


 マジでホームが更地になっちまう。


 レヴィが「そ、そうですよね」と素直に引く。


 全員に断られて、やっとリーダーがしぶしぶ観念した顔になる。


「……じゃあどうするのよ」


「さあ、自分で考えろ」


「さあって……」


「お前が壊したんだろ」


「あちゃーさすがにモブもお怒りか?」


 怒ってない。と言ったら嘘になる。


 しばらく沈黙があった。リーダーがディアを視線を交わす。


「……稼いで返すしかないわね」


「そうだな」


「ディア、行くわよ」


「おう」


 2人が立ち上がるのに合わせて俺も立ち上がった。


 こいつらだけじゃ不安だ。

 戦闘系じゃなければ俺も手伝えるし。


 というよりこの2人に任せたままにして失敗された方が面倒だ。


「メイとレヴィはどうする」


 後ろを振り返ると、先ほどまでいたはずの2人の姿が見えなくなっていた。


「さっき出てったぞ。朝のうちに依頼入れてたらしい」


「そうか」


 逃げたか。


 まぁでも依頼に出たんなら今日の収支、もう少しマシかもしれない。


 ◇


 ホームの応急処置だけした俺たち、というかほぼ俺だったが。準備を軽くしてギルドで掲示板を確認しに行った。


 掲示板を見るなり「あっちの方が報酬高い」とリーダーが口を出しかけたが、俺が無言で見ていると黙った。


 俺が依頼に選んだのは地味な二件だ。

 蔵の在庫確認と、商家の荷物整理。

 実入りがいいわけではないが確実に稼げる依頼だ。


 今日はトラブルが起きたら困る。修理代がこれ以上増えたら本当に困る。


「もっと報酬が高い依頼の方が一発で稼げるんじゃない?」


「その分危険や不確定要素も増えるだろ。今日はトラブルが起きたら修理代が増えるから、堅実に行くぞ」


「……うん」


 二件の依頼は、実力もあまり関係ない地味なものだったため日が暮れる前に終わった。


 ニ件目の荷物整理は、思ったより量が多かった。

 商人が最初に荷物を「少しだけ」と言っていた言葉が真っ赤な嘘で、荷物が蔵の奥まで積み上がっていた。

 リーダーが「話が違う」と文句を言いかけたが、俺が先に動いて報酬の上乗せ交渉をしたおかげで銀貨一枚多くもらえた。


「なんで最初からそうしないの?」


 商人が去った後、リーダーが首をかしげて言う。


「……最初から言ったら、仕事がなくなるだろ」


 そんな細かいことの積み重ねで、このパーティは維持されてるんだよ。

 他は特に思い返すこともない、魔術糸を複数同時に動かして、効率よく一気に依頼を地味にこなしただけだ。


 日が落ちかけの帰り道。

 3人で並んで歩く。近くの屋台から肉串のいい匂いがする煙が流れてくる。腹が減った。


「合わせていくらになったんだ?」


 ディアが肉串から目を離さずに口を開く。


「銀貨九枚。上乗せ分含めてな」


「おー、修理代より多いじゃないか」


「一枚だけな」


「黒字は黒字だろ? 余る分でなんか食おうぜ」


「ダメだ、修理代を払ったらほぼゼロだ。自分の金で買ってくれ」


「まじかよー」


 しばらく黙って歩いた。

 屋台の前でディアが立ち止まりかけたが、俺が無言で歩き続けると諦めてついてくる。

 今日は余計な金を使う日じゃない。


「あのさモブ、ごめんな」


 ディアが珍しく小さな声で言った。


「……次からは離れた場所でやってくれ。ホームから見えないくらい遠くでな」


「それはつまり、また模擬戦やっていいってことか?」


「戦闘訓練も兼ねているんだ、やめろとは言えない。」


 俺は荷物持ちだから普段カバーしてもらっているからな。……いや本当にそうか?


 過去の記憶から気づいちゃいけないことに気づきかけた俺は無理やり思考を遮った。


「それにやめろと言ってもやるだろ、ホームに被害が出たらその分稼いでもらうからな」


「分かった」


「私も反省してるわ」


 リーダーはマジで反省してくれ、パーティリーダーなんだからディアをたしなめる側であってくれよ。


 そうこう言って歩いていると、ボロボロになりつつあるホームが見えてくる。

 空は薄暗く、ホームの窓から薄明かりが漏れて煙突からは調理中だろうか煙が立ち上っていた。


「ねえ、夕飯何かしら」とリーダーが急に明るい声を出す。

 反省の賞味期限、短すぎるだろ。


 ホームの扉を開けるとメイとレヴィは先に依頼を終えて帰ってきていたようで台所からいい匂いがしてきた。

 腹の減りが限界だ。


「……おかえり」


 居間で刀を磨いていたメイが手を止めてこちらを見た。


「お、お帰りなさい。夕飯ももうすぐできますよ」


 レヴィが台所から顔を出す。

 いつも通りだ。


 ホームがボロボロなこと以外は。


「少し待ってくれ」


 俺は机に座って帳簿を取り出した。紅茶で台無しになったページをめくり、今日の収支を帳簿に書き込む。


 メイとレヴィの稼ぎは後で確認するとして。

 俺たちの今日の依頼報酬、銀貨九枚。修理代、銀貨八枚。差し引いて残り一枚。


 一枚。


 朝から動き回って、手元に残ったのは、屋台の串が数本買える程度か。

 肉串買い食いしてもよかったかもな。


「……お疲れ様でした。モブさん」


 レヴィが覗き込んできた。


 その何気ない「お疲れ様」が一番身に染みる。

 やっぱ我慢して正解だった。ここでうまい飯を食えるんだ、それでいいじゃないか。


 帳簿を閉じかけたところで、外から雨の音が聞こえてくる。


 ……ギリギリ間に合ったな。


 あの無理やり押し込んだボロ布が今頃雨を吸って、さらにひどい臭いを放っているだろう。

 今夜くらいはもつはずだ。


 修理は後日になるとして雨が降る前に帰れた。それだけでもまだましか。


「モブー! 夕飯できてるわよ、食べないの?」


 既に今日のことを微塵も引きずってなさそうなリーダーから声がかかる。


「今行く」


「早くしなさいよ、冷めるじゃない」


「今行くって言ってるだろ」


 明日からまた稼げばいい。

 このパーティにいる限り、稼ぐ理由だけは絶対に尽きない。


 俺の平穏は永遠に借金の向こう側にしかないのだと、改めて突きつけられた気分だった。

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