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第9話:命欲しければその刀には触れるな

 

 ホームの居間は、昼間でも少し薄暗い。


 窓から差し込む光の中で、メイが刀の手入れをしていた。


 刀を抜き、布で拭い、刃の状態を確認する。それをひたすら繰り返している。もう一時間以上そうしている。


 よく飽きないもんだ。


 俺は向かいのテーブルで帳簿をつけながら、横目でその様子を見ていた。


 メイが刀の手入れをしている時は、声をかけない方がいい。痛い思いをして学んだ。


 理由は分からないが、あいつが刀に向き合っている時の空気は、普段と少し違う。


 静かだが近づきにくい。


 ……いやまぁ、一度だけ近づいたことはあるんだが。


 思い出すだけで右手の甲がじんわりする。


 あれはメイがパーティに入ってすぐの頃だった。


 ◇


 その日もメイは居間で刀を磨いていた。この国含め周辺国でもあまり見かけないものだ。


 辺境で作られた純粋に切るという行為に特化した武器らしいが、最近はコレクター品としても人気らしい。


 特に深い意味はなかった。ただ、綺麗な刀だと思っただけだ。荷物持ちとして刃物の質を見る目くらいはある。鞘の作りも、柄の巻き方も、明らかに安物じゃない。


「綺麗な刀だな。ちょっと見せてもらえるか」


「…………」


 返事はなかった。


 無視されたと思いながらも、刀身に映る波紋の綺麗文様に見とれて刀に自然と手を伸ばしていた。


 鞘に指が触れた瞬間、メイの手が動いた。


 何が起きたか分からなかった。気づいたら俺の右手の甲に、鞘の先端が押し当てられていた。鞘から刃は抜けていない。ただ鞘ごと、骨が軋むくらいの力で押さえつけられていた。


 この場で泣き叫ばなかった自分をほめてやりたい。


「…………触るな」


 声は低かった。感情がなかった。だから余計に怖かった。


「……すみませんでした」


 全力で謝った。土下座こそしなかったが、声のトーンとしては土下座だった。


 メイはそれだけで手を離して、また刀の手入れを再開した。まるで何もなかったように。


 俺はしばらく自分の右手を見つめた。


 骨は折れていない。皮膚も切れていない。ただ、じわじわとした痛みと、「あ、これ本気だったな」という理解だけが残った。


 席に戻りながら、俺は一つだけ学んだ。


 命が欲しければメイの刀には触れるな。比喩でもなく、物理的な意味でも。


 ◇


 手痛い記憶だな。


 物思いにふけっているとメイが刀を鞘に収めようとして、動きが止まった。


 鞘の口金が外れていた。小さな金具が、畳の上に転がっている。


「…………」


 メイがそれを拾い上げて、はめようとする。うまくはまらない。もう一度試みる。やはりはまらない。


 無表情のまま、三度試みた。


 はまらなかった。


「……見せてみろ」


 気づいたら俺が口を開いていた。


「…………」


 メイがこちらを見た。


 …だめだ感情がわからん。


「俺でよければそれ直せるかもしれない」


 少しの間があった。


 メイが無言で金具を差し出した。触れてもいいってことだよね?また手潰されたりしないよね?


 恐る恐る鞘を受け取って、口金と鞘の口の部分を確認した。金具を固定していた小さな留め具が歪んでいる。長年使い込んだ結果だろう。刀の状態から察するに、相当な年数ものだ。


「工具を取ってくる」


 ホームの作業部屋から、小さなヤットコと革紐を持ってきた。歪んだ留め具をヤットコで少しずつ元の形に戻して、革紐で補強する。細かい作業だ。荷物の金具を修理する要領と同じだ。


 十分ほどかかった。専門家ではないがたぶん間違っていないとは思う。


「試してみろ」


 メイが金具を受け取り、鞘の口にはめた。


 今度はすっと入った。


「…………」


 メイが刀を鞘に収めた。スムーズに収まった。


 よかった問題なくできたみたいだ。


「…………」


 それだけだった。


 ありがとうも、よくやったも、なかった。


 まあそういうやつだよな。


 ◇


「あー、暇ね!」


 リーダーが二階から降りてきた。


「暇なら借金返済の計画でも立ててろ」


「そういう細かいことはモブに任せてるわ!」


 任せるなよ。お前仮にもリーダーだろうが。


 リーダーは居間をぐるりと見回して、メイのそばに近づいた。


「ねぇメイ、またその刀磨いてるの? 毎日磨いてるわよね。ていうかその刀、結構いいやつじゃない? 売ったらいくらになるかしら」


 俺の手が止まった。


「…………」


 メイの手も止まった。


「なぁリーダー」


「なに?」


「その話題はやめておけ」


「なんで? 気になっただけよ」


「…………売らない」


 メイが静かに言った。明らかにいつもより冷たい印象を覚える声色で、その一言だけで居間の温度が二度くらい下がった気がした。


「う、うん。売らなくていいわよ! ごめんなさい!」


 リーダーが謝るのを俺は初めてまともに見た気がする。しかも早い。体が正直に反応している。動物みたいな習性してるなこいつ。


 リーダーがそっと俺のそばに来て耳打ちしてきた。


「……メイ怒ってる?」


「さあ」


「怖かったんだけど」


「そうか」


「ねぇ、あの刀ってなんでそんなに大事なの? 聞いてみようかしら」


「やめておけ」


「なんでやめろって言うの!」


 声が大きい。


「…………うるさい」


 メイが一言だけ言った。リーダーが亀みたいに首を縮めた。


 ちょうどその時、ディアが外から帰ってきた。


「ただいまー。なんか…空気重くない?」


「リーダーがメイの刀を売ろうとした」


「売ろうとはしてないわよ!ただ純粋にいくらくらいになるのか気になっただけ!」


「あー」


 ディアが全てを察したような顔をした。


「あーリーダー…、メイの刀のことは何も聞かない方がいいぜ。由来も、価値も、全部な。メイのタブーなんだ」


「なんで皆知ってるのよ! 私だけ知らなかったじゃない!」


「モブは知ってたのか?」


「前に触ったことがある。あの時は死を感じたよ」


「……生きてるじゃないか」


「なんとかな」


 リーダーが「ちょっと! 二人だけで話進めないでよ!」と割り込んできたが、俺とディアは特に説明しなかった。


「メイが刀を手入れしてる時は別の部屋に行くか邪魔するな。それだけでいい」


 リーダーが頬を膨らませながら、しぶしぶ二階へ戻っていった。


 居間に静寂が戻った。


 メイはまだ刀を磨いている。


 俺は帳簿に視線を戻した。


 別にあの刀に何か特別な事情があるとか、そういうことを知りたいわけじゃない。ただ、あいつが刀に向き合っている時の顔は、普段の無表情と少し違う。


 何かを確かめるような、あるいは何かを落ち着かせるような、そういう顔にも見えた。


 まあ、俺には関係のない話だ。


 ◇


 しばらくして、二階でリーダーのでかい声がした。


「やっぱり借金返済には稼ぐしかないわよね! 新しい依頼を探してくるわ!」


 どたどたと階段を降りてくる音。


「ちょっと待て」


「見てくるだけよ!」


「その言葉が一番信用できない。ギルドに行って何もせずに帰ってきたことが一度でもあるか」


「…………」


「ないだろ」


「……今日こそはあるかもしれないじゃない!」


「ないだろ」


「失礼ね!」


 リーダーが勢いよく扉を開けて出ていった。


 俺はため息をついて立ち上がった。帳簿は後でいい。前回は依頼書の端が焦げていた。今度は何が焦げているんだか。


「…………」


 リーダーを追いかけようと立ち上がりかけたところで、メイがこちらを見ていた。


「ん?……どうした?」


「…………さっきは、ありがとう」


 刀の件か。


「別に大したことじゃない」


「…………ご苦労様」


「いや、まだ何も起きてないけどな」


「…………起きる」


「……それはそうだな」


 俺は帳簿を閉じて、リーダーの後を追いかけた。


 今日の収入はまだゼロだ。これから何が起きるかは分からないが、たぶんゼロではなくなる。良い方向かどうかは別として。


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