09. スイートピーでお別れ/中
まずはイヴは作法を学ぶ必要があった。なぜかといえば作法は他人に見られるものなので、真っ先にハッタリを利かせる必要があるからだ。
「――というわけで、ドレスとワンピースを作るわよ!」
王都で有名なデザイナーや行商人を何人も呼んで、エリノアはそう宣言した。
それをイヴは、ちょこんと座ってきょとりと眺めていた。ちょっと俯いて、自分が着ているドレスをいじいじと触る。
「そこ、いじいじしない!」
「はいっ!」
叱られてぴゃっと背筋を伸ばしてから、けれどイヴは首を傾げたのだった。
「あのう、ドレスであればたくさん頂きましたけれど……?」
「ほんの数着ずつで足りるわけがないでしょうが! それにいまあるのは既製品よ、今度はあなたに合わせて作るの!」
そうして猛々しいエリノアの号令に合わせてイヴはドレスを引っぺがされたので、また悲鳴を上げるハメになったのだ。
イヴには聖女用の予算が用意されていた。もちろん私的に使える部分もあったので、エリノアは折を見てその予算の存在を教えることにした。
おかしなことに使われるのではないか、という心配はなかった。聖女とは一人の例外もなく高潔なものだったからだ。
その予算の存在を聞いたイヴは、ひどく言いづらそうにしながら、エリノアに問うたのだった。
「その、お願いがありまして……」
あら、と意外な気持ちで、エリノアは聞いた。イヴに個人的な願いがあるようには思えなかったのだ。
「――領の、領都の、一番栄えたあたりにある救護院に、寄付して欲しいのです。それで……」
それで、とエリノアは続きを促した。
イヴはしばらく、視線をあちこちに彷徨わせて、随分と迷っていたようだった。けれどエリノアの視線に根負けして、こう言ったのだ。
「次女と三女を、保護して欲しいのです。わたしが、わたくしがいなくなればきっと、不自由をさせてしまいますから」
イヴの珍しいわがままを聞いて、エリノアは内心で笑った。
その頃にはすでに、イヴの故郷での、学校や家庭での扱いはそれなりに調べられていた。だからイヴが、随分と家庭で搾取されていたことを、エリノアは知っていたのである。
イヴはとても賢かった。けれど同時に、ある部分では愚かだったのだろう。
イヴはあまりに優秀で、聞き分けが良くて、親にとって都合の良い存在だった。だからイヴの両親は、女の子とはそういうものだと勘違いしていたようなのだ。
イヴと同じように、イヴの妹である次女も、両親は高校に進学させる予定はないようだった。今どき高校に進学させなければ、安い労働力として買いたたかれかねないというのに、両親はそういうことを考えなかったのだ。
それは確かに、イヴの罪だった。だからイヴは、自分の罪を雪ごうと考えたのかも知れなかった。
イヴの心の動きに満足して、エリノアはにっこりと微笑んだ。
「任せて。聖女様のお名前で心ばかりの寄進と、保護して欲しい少女たちがいることを連絡しておきましょう」
「あ、ありがとうございます……」
イヴはほっとして、いつでもそういう顔をしていれば良いのにと思うくらいに、可愛らしく笑ったのだった。
イヴはこのとき男兄弟たちのことを心配しなかったし、例えば家族に仕送りをするだとかも言い出さなかった(言い出したとしてもエリノアが止めていただろうけれど)。だから自分で気づいていなかったとしても、これがイヴの本心なのだ。
王宮に迎えられて、自分を認められることで、イヴの中で少しずつ家族への興味が薄れていっていたのであった。
イヴのそういう心の移り変わりを、エリノアは内心で祝福した。だからエリノアは、ご褒美代わりに提案したのだ。
「そうね、王都の中心街を観光に行きましょうか。イヴ様がこれから生きていく街だもの、早いうちに学んでおかなくちゃ」
そんなことを言って、エリノアはイヴを城下町に連れ出したのだった。
お忍びであったし、あまり仰々しくしてもイヴが萎縮すると思ったので、一見ではイヴとエリノア二人だけでの外出だった。実際のところは勿論、護衛騎士たちが騎士服であったり私服であったりで追いかけていた。
エリノアに連れられて歩いたイヴは、見るもの全てに感動した。フルーツ飴を食べ歩きすることを楽しんでいたし、混ぜれば色が変わるジュースには新鮮に眼を丸くした。
イヴは相変わらず食べる量が少なかったけれど、興味があるものは一口だけ食べて残りは持ち帰ることにしたりして、自分なりに楽しんでいたようだった。そういうイヴを、エリノアは見守っていた。
ふと、イヴが足を止めた。それは大したことのない古着屋で、何がそんなにイヴの気を惹いたのかエリノアには判らなかった。
イヴはディスプレイに飾られた、一枚のワンピースに釘付けになっていた。
エリノアが着るようなブランドの服ではなかったので、エリノアにはその服に何の意味があるのか判らない。だからエリノアは、首を傾げて訊いたのだ。
「その服が欲しいの、イヴ様?」
見ればその服は随分と可愛らしかった。フリルやリボンがあちこちにあしらわれた、やや子どもっぽいデザインで、サイズ自体も子ども向けに作られているようだ。
けれどイヴは普通の十五歳に比べて一回りも二回りも小さかったので、むしろぴったりくらいのサイズ感だろう。見た目も可愛らしいので、きっと似合うはずだ。
だからエリノアの問いかけには、悪気がなかった。
だというのに、イヴは一瞬で真っ青になったのだ。まるで初めて会った日のように。
「いいえ、いいえ! その、要らないです、着ないです」
欲しがること自体が罪であるように、言うのである。
「わたしが着ても、みっともないだけなので」
「――なんてことを言うの! きっと可愛いわよ!」
そういうイヴの様子に腹が立って、エリノアは言い切った。確かに年齢には合わないかも知れないけれど、公的な場でもなければ好きなものを着れば良いのだ。
エリノアは振り返って、後ろをついてきていた護衛たちの一人を指先で呼び寄せた。
近寄ってきたのは護衛騎士筆頭で、人びとに紛れ込むように私服姿をしていた。護衛がついてきていることに気づかなかったのか、イヴが驚いている。
「買ってくるわ」
「行ってらっしゃいませ」
護衛騎士筆頭はにっこりと笑って頭を下げた。慌てているイヴを、やんわりと促して人混みから遠ざけている。
そうしてエリノアは、ワンピースを買うために古着屋に入ったのだった。
このとき、エリノアには悪気がなかった。このあとに起きたことは、単純に運が悪かったのだ。
「……イヴ?」
どこからか、イヴを呼ぶ声がした。すぐに護衛が気づいて、さりげなく身構えた。
一方で、イヴはその声が聞こえた途端に震えだした。きょろきょろと周囲を見回して、エリノアの姿が見えないことに途方に暮れた顔をする。
一人の少年が、勢い込んでイヴに近づいた。
「イヴ、やっぱりイヴだろ! 探したんだぞ!」
「ジ、ジャン……」
引きつった声で、イヴが少年の名を呼んだ。
このとき護衛たちは、判断を迷っていた。イヴの知り合いであるようではあれど、明らかにイヴの様子がおかしかったからだ。
一番近くにいた護衛騎士筆頭は、僅かに迷った。迷ってから、万が一があってはならないと、イヴとジャンの間に割り込んだのだった。
このとき、イヴはすでに聖女としてお披露目を終えていたので、お披露目に参加していた人びとはイヴのことを知っていた。けれど正式な布告は先延ばしにされていたので、ほとんどの人びとは聖女が誰であるのかを知らなかった。
そういう事情があったので、結局のところ護衛騎士筆頭は、単純なご令嬢の護衛として振る舞うことにしたのだった。
「……お嬢様に何かご用でしょうか」
イヴに向けて伸ばされていた手を、掴んで止める。そもそも普通の友人だとしても、男性が女性をこのように掴もうとするのは不躾である。
イヴ以外が見えていなかったのか、ジャンが護衛騎士筆頭にようやく気づいた。護衛騎士筆頭は言い放った。
「そのように乱暴な振る舞いをされては、お嬢様が驚きます」
一方でイヴはおろおろと狼狽えて、すすす、と護衛騎士筆頭の後ろに隠れた。近くにエリノアがいればそちらに寄っていったのかも知れないけれど、いなかったので仕方ないのだ。
さて、このとき護衛騎士筆頭は、民衆に紛れるために私服に着替えていた。正確には襟元に王立第一騎士団の徽章をしていたので気づけるものは気づけただろうが、ジャンはそのことに気づかなかった。
だからジャンの視点から見れば、イヴが知らない男とデートをしていて、その男に頼っているように見えたのだ。
「……こ、の、――阿婆擦れ女が!」
通りに響き渡るような大声で、ジャンはイヴを罵った。
この時点で、護衛たちはイヴを退避させようと動き出した。護衛がイヴの背中を押して走り出そうとするのを、ジャンが遮る。
何に興奮しているのか判らないような表情で、ジャンは大騒ぎした。
「イヴ、お前は俺と結婚するんだろうが!」
さて、そんなことを言われて面食らったのはイヴのほうである。
イヴにとって、ジャンという男は何の価値もなく、ただ執拗な嫌がらせをしてくる男に過ぎなかった。ジャンのイヴに対する嫌がらせはあまりに酷かったので、中途半端に情が残っていた両親とは違って、とうに幼い頃の幸せな思い出など意味を持たなくなっていたのだ。
なのでそんな相手からいきなり結婚だなんだと言われて、イヴは怖気が走る思いがした。しかもこのときのイヴは、図書館での一件を生々しく引きずっていた。
いつもいつも、イヴに嫌がらせをする男。こちらからどんなに避けても、しつこくつきまとってまで嫌がらせをする男。学校のクラスメイトたちを扇動してまで、イヴを孤独に追い詰めた男。
あげくに、イヴにとって大切な場所であった田舎町の図書館まで、土足で踏み入ってイヴから居場所を奪った男。
まるで、イヴを不幸にするためだけに生きているような男。
つまりイヴにとってジャンというのは、そういう存在なのだった。ジャンと結婚するくらいならば、イヴは、死んだほうがずっとずっとマシなのだ。
だからイヴは、普段のイヴからは想像できないような強い調子で、吐き捨てたのだ。
「何それ、気持ち悪い」
聞いていた誰もが疑うような、イヴが出したとは信じられない声だった。
「あなたなんか嫌いよ、大嫌い。嫌い。――大っ嫌い!」
言っているうちに興奮してきたのか、イヴの声がひっくり返る。
「嫌い、大嫌い、本当に、大っ嫌い! 二度と会いたくない! 来るな! わたしの前に来るな! わたしに、近寄るな!」
途中から、イヴは泣いていた。感情を高ぶらせることも、強い言葉を使うことも、イヴは慣れていないのだ。
それでも、イヴは言った。いま言わなければ殺されてしまうというような、危機感に満ちた声だった。
「あんたと結婚するくらいなら、死んだ方がずっとずっとマシよ!」
大泣きするイヴの背中を、誰かがそっと摩った。いつの間にか戻ってきていたエリノアだった。
「お待たせしちゃったわね、ごめんなさいイヴ様。行きましょう」
「エリノア様……」
エリノアはにっこりと笑って、イヴに紙袋を見せた。例のワンピースを本当に買ってきたのだ。
エリノアは、きっぱりとジャンの存在を無視した。徹頭徹尾、ジャンなど存在しないものとして振る舞った。
護衛たちもそれに合わせた。イヴの安全さえ確保できていれば、ジャンに構う必要などないのである。
「そろそろ歩き疲れたでしょう、近くでランチしましょう」
しばらく呆然としていたイヴは、やがてこくこくと頷いた。
「パスタが良いです、サーモンの」
「あら、渡した情報誌を読んでたのね」
そんなことを話しながら、二人は歩き出した。その背中に、ジャンが呪いを吐き出した。
「馬鹿にしやがって……」
ジャンにとって、イヴというのはいくら虐げても良い存在だった。いずれイヴは自分と結婚して、イヴは自分のものになるのだから、どう扱っても良いと思っていたのだ。
だから、そんなイヴに罵られたことは、ジャンにとってとてつもなく不快なできごとだった。
ジャンは、小さな田舎町の『王子さま』だった。両親が田舎町では一番の商会を経営しているジャンには、大抵の大人や子どもが従った。
そしてジャンの幼馴染みで婚約者は、街で一番賢くて一番美しい『お姫さま』のイヴだった。実際のところ婚約などしていなかったのだけれど、ジャンの中ではそういうことになっていたのである。
ジャンに不足はなかった。ジャンは恵まれていた。誰もがジャンを羨んだ。
そういうジャンの人生は、あの、誰よりも賢くて誰よりも美しい『お姫さま』のイヴと結婚することで、完成するものだったのだ。
おそらくジャンは、単純にイヴに恋をしていたのだ。だというのに少年の恋心は、随分とねじくれて、救いのないものに成り果ててしまっていた。
そして、今まで『王子さま』として過ごしてきたジャンは、――自分が自分の好きな女の子に嫌われたという事実を、受け入れることができなかった。
「ふざけんなよ、クソアマ!」
叫びながら、ジャンは魔力を練り上げた。いつものようにイヴに魔法をぶつけて、イヴを泣かせて、立場を知らしめてやらなければいけないと思ったのだ。
そういう、ジャンの渾身の攻撃魔法は、イヴの護衛としてついていた魔法士によってあっさりと打ち消されることになった。
魔法が打ち消される。何の意味もなく霧散する。
ジャンは正式に魔法を学んだわけでも、戦闘訓練を受けたわけでもなかった。だから、たとえば子どもがたまたま拾った木の棒を振り回しているだけのような拙い魔法は、正式な教育と訓練を受けた魔法士たちに赤ん坊の手を捻るようにねじ伏せられることになったのだ。
そうしてジャンは、やはり戦闘訓練を受けた騎士に腕をねじり上げられて、地面に伏せることになった。
ジャンが攻撃魔法を放ちかけた事実は、当然二人の少女も気づいていた。怯えて身を固くしているイヴを後ろに庇いながら、自分も防衛魔法の準備のために練り上げていた魔力を手放して、エリノアは嘲笑った。
地面にねじ伏せられるジャンと、公爵令嬢であるエリノアに庇われる聖女イヴ。そこには絶対的な、致命的な立場の隔たりがあった。
「……くだらない男」
つまらないお芝居でも見させられたように肩を竦めて、全く動じたところのない足取りで、エリノアはイヴの手を引いて歩き出した。
王宮に戻ったエリノアは、すぐに報告をあげて、イヴの元に戻った。イヴはそうするしか方法を知らないように膝を抱えて、自分を守っていた。
なんだかその姿が本当に小さな子どものように見えて、エリノアはイヴを抱きしめた。そうしてエリノアは、イヴを自分の妹に迎え入れることを決めたのだ。
イヴの了承を得てからは早かった。最初から書類は用意されていたので、あとはイヴのサインを貰うだけで済む話だったのだ。
クリーヴランド公爵家の顔合わせで、イヴは身を縮こまらせて頭を下げた。その場にはイヴの世話役であるエルドレッドも同席していた。
王妹である公爵夫人は、イヴが自分の娘になった途端に、イヴの手をぎゅっと握った。
「今日からあなたは、わたくしの娘よ」
「は、はい、よろしくお願い致します……?」
王妹の眼は、なんだかギラギラしていた。エリノアに視線で助けを求めれば、エリノアが苦笑した。
「お母様、イヴで遊ぶのもほどほどに」
「だって、本当にお人形さんみたいに可愛くってよ!」
王妹ははしゃいだ声で言った。
実のところ、エリノアはとにかく気が強かったので、娘を着飾りたかった王妹には物足りなかったのである。大人しく、可愛らしいイヴを着飾ることは、さぞ楽しいだろうと思ってワクワクしていたのだ。
一方でイヴは、エリノアから名前を呼び捨てられたことに気づいて、視線を上げた。視線に気づいたエリノアが微笑む。
「今日からあなたは、わたくしの妹よ」
「お、おね、」
つっかえながら、か細い声で、イヴは言った。
「お、お姉様……?」
ちょっとときめいたエリノアは、そっと胸を押さえた。前世でも今世でも一人っ子であったので、妹というものに馴染みがないのだ。
「わたくしのことは、お母様と呼んでね。あちらのおじさんがお父様よ」
「おじさんって」
ちょっと傷ついた顔をした公爵と、その夫人である王妹に対して、イヴは深々と頭を下げたのだった。
「よろしくお願い致します、お父様、お母様」
そろそろ書くことなくなってきた、、次で最後でございます! よろしくお願い致します




