08. スイートピーでお別れ/前
結局のところ、イヴは王族たちとの夕食会のすぐあとに体調を崩してしまった。ちょっと心配になるくらいの高熱が出たので、イヴは慌てて医務室に運ばれることになったのだ。
慌ただしくイヴを運んでいった魔法医術師たちを見送って、国王は首を傾げた。
「イヴ殿がほとんど食事をしなかったのも、体調が悪かったからかな?」
イヴは突き出しのゼリーを食べたあと、前菜すら途中で残してしまって、それっきり申し訳なさそうな顔で食事を断ったのだ。
王族とて、普段から贅沢な食事をしているわけではない。今日は聖女を歓迎する意味もあったので、きちんとしたコースが準備されたのである。
随分と残念そうな顔をしていた料理人たちの様子を思い出しながら問いかければ、エルドレッドとエリノアが顔を見合わせた。
「そういえば、途中のお茶会で何かお菓子とかって食べていたっけ?」
「……いいえ、食べていなかった気がするわ」
聖女選定の儀はお昼から始まった。とはいえその前に儀式用のドレスを着るなどの準備もあったはずなので、随分と慌ただしかったはずである。
エリノアが喪服のような不吉なドレスを思い返していれば、王妃が口を開いた。
「聖女選定の儀のために用意したメイドたちに、話を聞いてあります。あの灰色のドレスは、イヴ様ご本人が望まれたそうよ。あまり派手な格好はみっともないから、と言って」
それは、エリノアには理解できない感覚だった。自分に似合わない格好をしているほうが、よほどみっともないと思ってしまうのである。
「……普段から誰かにそう言われていたのかも知れないわね」
ぽつりと王妃が言った。口には出さなかったけれど、たとえば親御様であるとか、という言葉が聞こえてくるようだった。
いずれにせよ、と王妃がエリノアに向き直った。
「もちろん王宮から教育係はつけますが、エリノアもイヴ様の相談に乗ってあげてちょうだい。いったん聖女イヴ様の布告までの二週間は、王宮に詰められるかしら?」
「もちろんですわ、妃殿下。最初からそのつもりです」
エリノアが頷いていれば、国王が低く唸った。
「クリーヴランド公爵家に、イヴ殿をお迎えする心づもりをしておいてくれ」
つまりイヴをクリーヴランド公爵家の養女として迎えるということで、国王が決めた以上は、それは決定事項だった。
公爵夫妻も否やはなかったらしく、戸惑わずに頷いた。そもそも今まで、聖女の家族が頼りなかった場合には貴族家に迎えることも珍しくなかったのだ。
聖女とは、慈悲深く高潔な乙女である。これはストックデイル王国の長い歴史の中で、ただの一度も裏切られたことのない事実だった。
けれどその家族は、聖女と同じく人格者であるとは限らない。過去には聖女の双子の姉妹を替え玉にしようとしたような、とんでもない家族もいたことがある。
聖女を王宮に迎えてから聖女の周りの環境を整えるまで、いつも王家は気を張ることになるのだった。
「なるべく早いほうが良いわね」
クリーヴランド公爵夫人である王妹が頬に手を当てて嘆息した。イヴが聖女であることが判った時点で、すでにイヴを故郷から連れ出した使者たちからも話を聞いている。
そもそも十五歳の少女が聖女選定の流れに従うのは義務であるというのに、イヴの両親はそれすら怠ったらしい。
使者の前で当たり前のようにイヴを貶し、その癖にイヴが聖女候補に選ばれればすり寄ろうとした。
イヴの部屋は、年頃の少女の部屋だというのが信じられないくらいに、空っぽだったそうである。
服は薄汚れ、下着はすり切れていた。だから使者の一人である年配の女性がイヴに同情してしまって、イヴが王都に辿り着くまでの道中で、ポケットマネーから色々なものを買い与えてやったらしい。
往々にして、こういう家族というのは、聖女だと判明した娘にろくなことをしない。
「くだんの使者は随分とイヴ殿の慰めになっただろう。手当を出してやれ」
「落ち着いたらまた会わせてあげても良いかも知れないわね」
国王は配下たちに、イヴの故郷を調べるように指示を出した。それによって、イヴに対する教育を工夫する必要があるからだ。
「エルドレッド、エリノア、イヴ殿をよろしく頼むぞ」
国王は言った。つまり年齢の同じ二人で、イヴの信頼を勝ち取れということだ。そういう、色々な思惑を交わして、夕食会は締められたのだった。
さて、イヴの世話を任されたエリノアはといえば、望むところだった。そもそもイヴは見るからに美しかったし、賢かったので、磨き上げればさぞ立派な令嬢になるだろうと思って楽しみになったのだ。
エリノアはイヴに与えられたすぐ近くに部屋を移して、しばらくそこからイヴの世話をするつもりだった。
「ご機嫌よう、イヴ様」
イヴが聖女になった翌朝から、さっそくエリノアは朝一番にイヴの部屋に入った。
昨晩体調を崩したイヴは、エリノアに声をかけられてようやく起き上がったところだった。それから、すでに自分が侍女たちやエリノアに囲まれていることに気づいて顔を真っ青にする。
「ね、寝坊してしまいました、申し訳ありません」
「謝ることじゃないわ。いつ起きるようにだなんて言っていないし、そもそも体調を崩していたでしょう」
エリノアは自分が父や母からそうされていたように、自分の額をイヴの額に当てて熱を確認してやった。それをイヴは、混乱しながら受けていた。
「うーん、まだちょっと高いわね。午前中は様子見しましょうか」
「いいえ、大丈夫です。ご迷惑をかけられません」
イヴは言い張って、強引に起き上がろうとした。だからエリノアは、イヴ以上に強引にイヴをベッドに逆戻りさせたのだった。
「わたくしがお休みと言ったら、お休みなのよ! そもそも、体調が悪いまま動き回ってまた倒れちゃったほうが迷惑になるでしょう」
エリノアの言い分はもっともだと思ったのか、イヴはぴゃっと縮み上がって、大人しく布団にくるまったのだ。
具合の悪いイヴのために、料理人が薬草粥を作ってくれていた。エリノアが差し出せば、イヴはそろそろと起き上がって、礼を言ってから粥を口にした。
イヴのスプーンの動きが二回、三回ほどで止まってしまったので、エリノアは困り果てることになったのである。
「あら、美味しくなかった?」
薬草粥は栄養たっぷりではあるけれど、味に癖があることは確かだった。だからエリノアが問いかければ、イヴはとんでもないというように首を振って、自分のその動きで気持ち悪くなったのか口元を押さえた。
慌てて侍女がグラスを渡してやれば、真っ青な顔のまま礼を言う。
か細く息を吐き出して、ようやくイヴは言った。
「いいえ、とっても美味しいです。単純に、お腹いっぱいになってしまって」
それが具合の悪さによって空腹感が失われているのか判断できなくて、エリノアは唸った。
そもそもイヴは、昨日もろくに食べていない。栄養を摂らなくては、治るものも治らないのだ。
「頑張って、もう一口だけでも食べてみましょうか」
あんまり無理をさせると今度は吐くまで無理やり詰め込みそうなので、エリノアはやんわりとイヴにそう言った。
結局四口だけ食べて残してしまったイヴに、エリノアは問いかけた。
「じゃあ、ゼリーかりんごでも食べる?」
「いいえ、お腹がいっぱいなので……」
本当に申し訳なさそうに断るイヴに、エリノアが首を捻る。
「小食なのね」
「いいえ、わたしは……」
申し訳なさげに、イヴが微笑んだ。
「あまり食べると、すぐに太ってしまうので。あまり太っていると、みっともないでしょう」
イヴはまた、『みっともない』という言葉を使った。まるでずっと誰かに言い聞かされてきたかのようだった。
エリノアは驚いて否定した。
「あなた、ご自分の体型を理解していらっしゃる? 痩せているなんてものじゃないわ、ガリガリよ、ガリガリ! もっと食べなさい、不健康よ!」
エリノアは自分の腕を差し出して、イヴの腕と並べて見せた。エリノアだって細いほうだけれどイヴはそれよりもずっとずっと細く、イヴの腕はエリノアの六割ほどしかなかった。
たまらず、エリノアは悲鳴を上げた。
「……やっぱり細すぎる! わたくしがあなたを太らせて見せますからね、覚悟しておきなさい!」
「は、はい……?」
そんな意味の判らない宣戦布告をされたので、イヴは困惑して、首を傾げたのだった。
午後になってイヴの体調が多少はマシになったのを見て、王宮で用意された教師たちがイヴに簡単な課題を出した。いまの体調であまり無理をさせることもできないので、あくまで簡単なものである。
その結果を見て、エリノアは唸った。
「……これも、この教科も満点……!」
ストックデイル王国の学校のスケジュールは、八月から始まる。これは聖女選定の儀が二月に行われるために、この日程に決まっている。
聖女に決まった少女は、元の身分には関わらずに王家の庇護下に置かれるし、学校も王立学園に通うことになる。けれど平民出身の聖女であれば、そのままでは王立学園の授業についていけない可能性もある。
だから聖女の準備期間のために、聖女選定の儀から半年後に学校の進級や入学があるのだ。この半年の間に、その代の聖女は必死に勉強して貴族たちから浮かない程度の教養を身につけるのである。
今まで、このやり方でストックデイル王国はうまく回っていた。聖女というのは例外なく賢く、努力家であったので、半年の準備期間で間に合ったのだ。
そしてまた、当代の聖女であるイヴも問題なく賢かった。歴代の聖女と比べても遜色ないどころか、飛びきりである可能性があるほどだ。
眼の前に広げられたイヴの成績を眺めて、エルドレッドとエリノアは感嘆した。
「凄いね、平民の学校では科目に入っていない内容まで理解できてる」
よくよく聞き出せば、イヴは暇さえあれば図書館にこもる生活をしていたのだという。しかも二度か三度読み返せば、本の内容はだいたい頭に入ってしまうそうだ。
その一方で振るわない科目の成績表を、エリノアは拾い上げた。
「……実技系は苦手なようだけれど」
「魔法はどうだった?」
「いままで魔法を使ったことがなかったのですって。魔力量は潤沢だし、教師によれば筋は良いそうだから、そんなに心配ないと思うわ」
裁縫や楽器や絵画といった科目の成績表を眺めて、エルドレッドは苦笑した。
「実技は不得意だけれど、知識問題に限ればやっぱり満点か、それに近い成績を取っているね。生まれつきの貴族令嬢にだって不器用なものはいるから、最低限浮かない程度にできるようになれば問題ないよ」
「……まぁ、そうね。今回のは簡易テストだったから、もう少ししっかりしたテストを受けて貰えればもっと得意と不得意が判るかも」
そんなことを相談して、国王たちに報告しながら、イヴに最適な教育体制を整えていったのである。
はい、20,000文字でございます! 馬鹿の文量でございます。前中後編に分けまーす
最終話です。ざっくりざまぁシーンがあります




