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〈連作版〉灰色姫の導き手  作者: 伽藍


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03. 灰色少女の幼馴染み

 幼い頃のイヴは、とても可愛らしく笑う少女だった。


 ジャンはイヴの幼馴染みである。家が近く、年が同じで、母親同士の仲が良かったので、物心がつく前から一緒に遊んでいたのだ。


 イヴは、とてもとても美しい少女だった。イヴの両親とも田舎町では有名な美人夫婦だったけれど、その両親の良いところだけを受け継いで、更に何段階にも磨き上げたような容姿をしていた。

 イヴとジャンが生まれたのは、暮らしに不便するほどではないけれど、流行りの店なんかは縁がないような中途半端な田舎町だった。そういう町で、まるで子どもたちの持つ絵本から飛び出してきたお姫さまのような見た目のイヴは、ひどく人目を惹いた。


 イヴを一目見るたびに、色々な大人が感嘆した。


「これはお貴族様に見初められるのも夢じゃないよ」


 そしてイヴの隣に立つジャンを見て、笑うのである。


「まぁ、イヴちゃんの王子さまはここにいるものね。ジャンも頑張らないと、横からイヴちゃんをお貴族様にかっ攫われちまうよ」


 近所の世話好きであったり、噂好きであったりする中年女性たちは、二人を見て口々にそう言った。

 それをジャンは、くすぐったいような、誇らしいような気持ちで聞いていた。昔から頭は良いが鈍くさく、気の小さなイヴを守るのは自分だと思っていたのだ。


 イヴは家族経営の小さな商店の娘だった。ジャンはこの田舎町では一番の商家を経営していたので、ジャンの両親とイヴの両親は取引相手でもあった。

 ジャンの実家の商家は、全国的に見れば中規模くらいのものだ。けれど田舎町では一番に裕福だったので、詰まりジャンは小さな町の王子さまだったのだった。


 実際にジャンは貴族に嫁いだ親戚がいたし、母の美貌を受け継いで美しい顔だちをしていたし、田舎町の同年代の子どもたちの中では数少ない魔法使いでもあった。父親が魔法使いなのだ。

 人間は誰しも魔力を持っているけれど、その魔力を魔法として発現するには才能や努力がいる。だいたいの人間には足し算や引き算ができるけれど、実際に会計の仕事をするにはきちんと勉強して専門的な知識が必要なのと同じことだよ、と父親は言っていた。


 父親の言葉というのは詰まり、魔法使いであろうとも他の人間と変わらないものだよという意味だった。けれど幼いジャンには理解できなくて、魔法が使える自分は特別な存在なのだという思い込みを加速させたのだった。


 幼い頃のイヴというのは、良く泣き良く笑う子どもだった。とにかく鈍くさかったのであっちで転びこっちで転びしては泣いていたが、泣くのも早ければ笑うのも早いような子どもだった。

 油断すると迷子になるイヴの手を引き、転んでしまわないように並んで歩くのは、昔からジャンの役目だった。イヴの両親も、ジャンを可愛がってくれていた。


 少しずつイヴの笑顔が減ったのは、小学校に上がって数年経った頃だった。浮かない顔で帰り支度をしているイヴに、ジャンが問いかけた。

 イヴは曖昧な表情で笑った。あの感情がぼやけたような笑みは、そういえばこの頃から見られるようになったものだった。


「またお母さんに子どもが生まれるの」

「へえ! おめでたいじゃん」


 二人はもうすぐ十歳だった。イヴの下にはすでに妹が一人と、弟が二人いる。


「男? 女?」

「さあ? 知らない」


 あまりに素っ気ない返事をされたので、ジャンは面食らった。普通は家族が増えるのであれば、もっと喜ばしい反応をするはずだと思ったのだ。


 小学校から家に帰ってから、ジャンは両親に違和感をぶつけてみた。両親は顔を見合わせて、微妙な表情をした。

 近ごろ少しぽっちゃりしてきた母親が、頬に手を当てた。


 実のところジャンは、その頃には母親のことがあまり好きではなくなっていた。昔の美しさを失って、小太りになってきた母親が耐えがたかったのだ。

 一方で父親は以前と同じように男ぶりが良く、ジャンにとって憧れの男のままであった。だからジャンは、父親に対して母親は相応しくないのではないかと思っていたのだ。


 息子がそんなことを考えているなど知るよりもなく、母親が言った。


「余所様のおうちだからさ、あんまり嘴は突っ込めないけれども……」


 そうだねぇ、と父親も穏やかに頷いた。


「良くないねぇ、ちょっと考えなしだ。学費はどうする気だろう」


 ジャンは首を傾げた。ジャンの実家ほどじゃなくても、町でそれなりに人気の商店を営むイヴの実家はお金には困っていないはずだった。


「イヴちゃんもね、近ごろ一人でお使いしているのを見かけるよ。お小遣い稼ぎにちょっと手伝っているくらいなら良いんだけどさ、よく見たら妙に手が荒れていたのが気になって」

「あの家はお手伝いさんも雇っていないんだろう? 家は大きいのだから雇ったほうが便利だろうし、雇えるだけの稼ぎはあるはずなのだけどね……」


 言いさして、両親は微妙な表情で沈黙した。

 ジャンの家は田舎町で一番大きいので、お手伝いさんを雇っている。とは言っても、通いで母親一人では追いつかない家事を手分けして貰っているくらいのことだ。


 ジャンは両親が何をあれほど問題視していたのか、理解できなかった。けれど何となく、イヴが大変らしいということだけは理解した。


 なのでその翌日から、ジャンはイヴをよく観察するようになった。

 よくよく見れば、イヴは授業時間の合間に何ごとかを内職しているようだった。チクチクと縫い付けているのを後ろから覗き込む。


「なぁ、何してるんだ?」


 イヴが振り返った。

 その一瞬だけ、よく知る幼馴染みのイヴが、まるで知らない人間に見えた。誰にでも優しくて大人しいイヴが、ひどく冷たい眼をしていたような気がしたのだ。


 けれど瞬いた瞬間にはいつものイヴに戻っていたので、ジャンは内心で気のせいだっただろうかと首を傾げた。


 イヴは手元に視線を下ろした。よく見れば、イヴの指や手には裁縫針で傷つけたのか幾つもの傷が付いていた。


「新しく生まれてくる赤ちゃんのためのおくるみを繕っているの。三男が使っていたものを、綺麗にしてそのまま使うのですって」

「ふーん……」


 ジャンは首を傾げた。ジャンの想像の中では、そういう仕事はシッターのものだった。


「そんなのシッターに頼めば良いじゃん」

「……」


 イヴは俯いた。そろそろと繕いかけのおくるみを撫でる。


「お金がないから、仕方ないのよ」


 イヴの家が貧しいという印象はなかったので、ジャンは首を傾げた。

 イヴの手元を覗き込み、ふと彼女の着ている服の裾がほつれているのを見て、ジャンは片眉を上げた。


「うわっ、何してんの! ほつれてるじゃん」

「え? あぁ……」


 本当に自分で気づいていなかったらしい。イヴは慌てて手首の裾を隠した。

 その姿が気に入らなくて、ジャンは何となく意地悪な気持ちが湧いてくるのを感じた。


 そもそも運動は得意だけれど勉強は得意ではないジャンに対して、イヴはいつだってテストで満点を取っていた。大人たちがイヴのことを天才だと褒める声をいくつも聞いた。


 子どもの社会では運動が得意であればモテるので、ジャンは学級で人気者だった。けれど大人たちはむしろ、ジャンよりもイヴを褒めるのだ。

 イヴのそういうところが、実のところジャンは気に食わなかった。イヴが少し前まではジャンに手を引かれていなければすぐに転んでしまうくらい頼りなかったことを知っているので、イヴのくせに生意気だと思ってしまうのだ。


 だからイヴのそういう小さな失敗は、ジャンにとっては非常に大きな隙に見えたのだった。


「ダッサ! まともな服も買って貰えないのか?」


 言いながら、ジャンは気づいた。このところ、イヴはお下がりのような古びた服ばかり着ているような気がしたのだ。

 昔のイヴはいつだって、それこそ本当のお姫さまみたいに綺麗な服を着ていた。だというのに、いつからイヴはこんなにみっともない存在に成り下がったのだろう。


 途端に今までイヴと普通に接していたのが間違いであったような気がして、ジャンは学級に響き渡るような声でイヴを責め立てたのだった。


「きったねーな、風呂くらい入れよ、貧乏人! 臭いんだよ!」


 過ぎたことだから言えることだけれど、実のところあのときジャンには、それほど悪気はなかった。

 ただ気になっていた女の子にちょっかいをかけただけだ。もしも二人がジャンとイヴでなければ、もしかしたら五年後や十年後には笑い話になっていたかも知れなかった。


 けれどジャンはジャンだったし、イヴはイヴだった。ジャンは田舎町の『王子さま』である自分の影響力と、小さな町で一番賢く美しい『お姫さま』であるイヴが周囲からどのように見られているかを、浅く考えていたのだ。


 その日から、イヴはあっという間にクラスメイトたちに軽んじられるようになった。わざとらしくぶつかられて、足をかけられ、イヴが転べばくすくすと笑われた。

 つまり誰よりも賢く美しい『お姫さま』に理由をつけてくだらないちょっかいをかけたい男の子も、『お姫さま』を妬んで疎ましがっていた女の子も、実のところそれなりに多かったのだ。イヴが優しくて大人しかったから今まで噴出しなかった悪意が、ジャンの一声によってイヴが『虐げても良い存在』に貶められたことで一気に剥き出しになったのだった。


 イヴは淡々としていた。静かに耐えていた。ただジャンを見る眼には、昔のような親しみはもうなかった。


 イヴは周りが変わってからも相変わらず美しかったし、賢かった。大人たちからの評価は変わらず高く、教師たちが頭の良い中学校への進学を勧める声を何度も聞いた。

 そのたびに、ジャンは割って入った。イヴがもしも地元ではなくて頭の良い中学校に進んでしまったら、ジャンは同じ学校に通えなくなるからだ。


「イヴには俺がいないと駄目なんすよ、先生! なぁ?」


 その頃には、イヴが真っ直ぐにひとを見て話すことは少なくなっていた。申し訳なさそうに曖昧に微笑んで、残念そうな教師たちに断りを告げた。


「ごめんなさい、遠くに通えたり寮に入るお金がないので……」


 以前のイヴは、ジャンとよく遊んでいた。

 けれど学年が上がるたびにイヴはジャンから遠ざかり、自分なりに女友だちを作って遊んでいた。これは年頃の女の子としては当たり前の動きだったけれど、ジャンはイヴのそういうところも気に食わなかった。


 そのうちに内職ばかりするようになり、女友だちとすら遊ぶことが減っていった。だからイヴには、もともと味方になってくれるような友だちが少なかったのだ。


 中学校に上がるときに、ジャンは一番ヒヤヒヤしていた。イヴと学校が離れるかも知れないと思っていたのだ。

 けれどイヴは他の生徒たちと同じく地元の中学に上がり、小学校の頃の力関係はそのまま継続した。お金がないと言っていたイヴは、他に選択肢がなかったのかも知れなかった。


 中学校では小学校よりも生徒の数が増えたので、賢く美しいイヴは誰よりも注目された。中学からは新しい女友だちもできたようだった。


 その新しい女友だちはイヴの現状を知って、随分と怒ったようだった。しかも元もとの小学校でそれなりに人気のある女子生徒だったらしく、彼女の友人たちもイヴの味方についたので、同じ小学校の女子生徒たちからイヴへの嫌がらせは少しずつ収まった。

 中学校に上がってから、イヴの顔は少しずつ明るくなった。ジャンはそのことがどうしても許せなくて、許せなくて、ますますイヴを強く苛めるようになったのだ。


 その頃になると、女子生徒たちの容姿にも変化が見られるようになる。美しいイヴはますます美しく、そして女性的な体になっていった。

 ジャンはそれに眼をつけた。イヴはその体を使って男たちを誑かしていると、嘘八百を言いふらしたのだ。


 例の中学校からの女友だちやその取り巻きたちは変わらなかったが、やはりそれなりに信じる生徒は多かった。イヴはただ廊下を歩いているだけで卑猥な言葉を投げかけられ身体的な特徴を馬鹿にされ、またどんどん暗くなっていったのだった。


 中学校でも、変わらずイヴは賢かった。学年二位の生徒から大きく突き放して高い成績を取っていた。


 それをジャンは、イヴが教師を誘惑したから贔屓されているのだと言いふらした。やはりそれなりの人数がジャンを信じてジャンに同調したので、ジャンはますます増長した。

 むしろジャンの『王子さま』としての立ち位置は、小学校よりも中学校になって拍車がかかったようだった。その頃には子どもたちも、友だちを選ぶのにそれなりの損得を考えるようになっていたからだ。


 イヴは友人たちといるときはそれなりに柔らかく、それ以外のときには固い表情で、いつも過ごしていた。そのころにはジャンはもうイヴと視線も合わなくなっていて、ジャンはそれが許せなくて、事あるごとにイヴを貶めた。


 そのうち、ジャンはある噂を耳にすることになる。イヴが町で唯一の図書館に通っているらしいというのだった。

 どうにも、暇さえあれば図書館で本を読むか、勉強しているらしい。イヴを嫌う生徒たちは、そういう噂を聞いて暗い人間だと馬鹿にした。


 ジャンはその噂を聞いて、何度となく図書館に通い詰めた。意味はなくて、ただイヴの視界に入りたかったのかも知れなかった。


 イヴとは会えなかった。これは運が悪いことであっただろうし、当たり前のことでもあった。小さな町といっても、特定の人間とすれ違おうとするのは難しいことなのだ。

 図書館で働いている一人が、ジャンの取り巻きの友人の父親らしい。だからジャンは、一計を案じることにしたのだった。


「……よぉ、イヴ!」


 ある休みの日に図書館に行ったジャンは、見覚えのあるピンク髪の後ろ姿を見付けて嬉々として声をかけた。

 イヴは飛び上がって驚き、勢いよく振り返った。完全に油断していたからか、イヴの顔は強ばっていた。


「ジャン、どうしてここに」

「あぁ、友だちに教えて貰ったんだ」


 ジャンはこの小さな町の『王子さま』だった。だからイヴが図書館に訪れたタイミングで知らせを貰うように頼むことができて、実際にそれが叶うのである。

 そういうことを、ジャンは自慢げに話した。ジャンはそれがイヴの安息の地を奪う行為であることを自覚していたのかも知れないし、自覚していなかったのかも知れなかった。


 ただ、イヴが。

 イヴが、美しいイヴが、賢いイヴが、親しい人間にはひどく優しいイヴが。幼い頃にはころころと、ジャンの後ろをついて回るばかりだったイヴが。


 見たこともないくらい暗く冷たい眼をして、ジャンを見返した。

 否、見たこともないというのは間違いだった。随分と昔に、ジャンはイヴのそういう視線を向けられたことがあった。


 もしもジャンが年を重ねたあとであったなら、イヴの視線にこめられた意味も理解できたかも知れない。それは失望だとか、憎しみだとか、そういうものだった。

 けれどまだ子どものジャンには、そういうことが判らなかったのだ。だからイヴの迫力に気圧されてはいけないと思って、あえて随分と得意げにして、イヴの腕を強引に掴んだのだった。


「相変わらず暗い女だな! 仕方ないから、俺が遊んでやるよ」

「――離して!」


 イヴは悲鳴を上げた。引きつった、悲痛な、まるで殺される寸前のような金切り声だった。

 イヴが本当に聞いたこともない声を上げたので、ジャンは驚いて硬直した。イヴはジャンの手を死に物狂いで振り払ってから、ジャンを睨みつけた。


「わたしに、触るな!」


 それは完全にひっくり返った、震えた、聞き苦しい、みっともない、金切り声だった。本当に追い詰められた人間が出す声だった。

 静かな図書館に、イヴの金切り声が響いて、余韻もなく消えた。


 ジャンは呆然と、イヴを見下ろした。イヴは本当に小さくて、ジャンよりも頭二つほど小さかった。

 本当に幼い頃は、ジャンとイヴはほとんど背丈が変わらなかったはずだった。


 こんなに小さかったのか、と驚いた。小さくて、あちこちが細くて、ジャンがこづいただけでも骨が折れてしまいそうなほどだった。


 イヴは美しかった。可愛らしかった。まるで『お姫さま』みたいだった。

 ジャンにとってはそれはずっと変わらない事実で、小さな町の人びとにとってもそれは同じことだった。昔からずっと、イヴはこの田舎町の『お姫さま』だったのだ。


 その可愛らしい顔を歪めて、イヴは憎しみに満ちた表情でジャンを睨みつけた。

 イヴは美しかった。可愛らしかった。けれどこんなに、暗い表情ばかりしていた少女だっただろうか、とジャンは自分の記憶を疑った。


 イヴは自分の腕をさすった。ジャンに掴まれた腕だった。

 何度も何度も、ほとんど病的に、何かに追い詰められたように、イヴは自分の腕を拭った。そしてガタガタと震えながら、ジャンの横を足早に通り過ぎたのだった。


 さて、この日を最後に、イヴは田舎町から姿を消すことになる。

 聖女候補として王都に招集されたのだ、と聞いたのは数日後のことだった。イヴの母親が自慢げに、あちこちに言いふらしていたのだ。


 そういえば随分と前から、聖女選定の話は回ってきていたのだ。ジャンは男で関係なかったので、すっかり忘れ果てていた。


 聖女候補になるには、随分と大きな魔力が必要であるらしい。もともと魔力の大きいものの多い貴族であればまだしも、平民の少女が聖女候補として選ばれるのは、大変に難しく、得がたい名誉であるとか。


「嘘だろ、イヴが……?」


 それをジャンは、信じられない気持ちで聞いていた。そもそもジャンは、イヴに魔法が使えるほどの魔力があることすら知らなかったのだ。


 ジャンにとって、魔法が使えることは自慢の一つだった。イヴにこれ見よがしに魔法を見せつけたことも、イヴに後ろから魔法をぶつけて怪我を負わせたこともある。


 だというのに、ただの一度も、イヴは自分が魔法を使える、あるいはその可能性があるだけの魔力があることをジャンに言わなかった。

 ジャンどころか、この町の誰も知らないことであったのかも知れなかった。あるいは本人すら、知らなかったのかも知れない。


 この小さな町から聖女候補が出たということで、町全体が浮き足立っていた。しかもその聖女候補は、この田舎町で一番有名な賢く美しい『お姫さま』なのである。


「凄いじゃないの、自慢のお嫁さんだねぇ」


 喜びに弾んだ声で、年配の女性がジャンに声をかけた。これだけ二人の関係が悪化していても、何も知らない町の人びとにとってはジャンとイヴは『王子さま』と『お姫さま』なのである。

 聖女に選ばれなかったとしても、聖女候補になったというだけで、人びとには大きな意味があった。聖女候補に選ばれたということは、王家の使者が認めるほどの魔力と、賢さと、すぐれた人格を持っているという証左だからである。


 転移装置と魔列車を乗り継いでも、この田舎町から王都までは三日ほどかかる。だから聖女選定の儀に出るために、イヴは早々にこの町を発ったのだ。


「……おばさん……!」


 矢も楯もたまらず、ジャンはイヴの母親に声をかけた。イヴの母親は町の人びとの中心で楽しげに自慢話をしていた。


 イヴの母親は、ジャンに気づいて微笑んだ。昔からイヴの母親は、ジャンを可愛がってくれていた。

 イヴの母親はジャンの母親と違っていつまでも若く、美しかった。


 実のところそういうイヴの母親の美しさは、親として負うべき苦労からほとんど逃げ出していることによる、無責任な若々しさであった。そういうことが、子どもであるジャンには理解できなかった。


「あら、ジャンくん」

「イヴが、イヴが、王都に行ったって……!」


 イヴの母親は嬉しげに微笑んだ。


「えぇ、凄いでしょう。自慢の娘だわ」


 ふと、ジャンは違和感に動きを止めた。

 この町から王都までは、どんな移動方法を使っても最低でも三日はかかる。これはお金のかかる転移装置や魔列車を使っての日数なので、お金を惜しむのであれば当たり前のようにその何倍もの日数がかかるのだ。


 イヴは聖女候補なので、特別にお金は必要なく転移装置や魔列車を使わせて貰っただろう。町の人びとの話を聞く限り、泊まる場所もどうやら王家で用意して貰えるらしい。

 だからきっと、聖女候補であるイヴは何も困らない。けれどまだ十五歳のイヴは、遠い遠い王都に、一人で行ったのだ。


 このストックデイル王国は、とても豊かで、平和な国である。けれどそれが、まだ幼いとも言えるほど若い少女を一人で放り出して良い理由には、ならない。

 まして、あれほど美しい少女である。


「その、……イヴについていかなくて、良かったんスか?」


 ジャンは問うた。違和感の答え合わせをするように。

 イヴの母親は、若々しく、美しく、笑った。ジャンの知る十五年前から何も変わらない美しさで。


「だって、王都に行くのってお金がかかるじゃない? 聖女候補の旅費は無料だけれど、付き添いの旅費までは出してくれないのですって」


 お国ったら意外とケチ臭いわよねぇ、嫌になっちゃう。


 何の悪意もない顔でくすくすと笑うイヴの母親に、ジャンは意気込んで言った。


「じゃあ、俺が行きますよ。お金なら幾らでも出せるんで。イヴが泊まる予定の宿だけ教えてください」


 途端にイヴの母親は、微妙な表情をした。


 今までずっとジャンは、イヴの母親に可愛がられてきた。イヴの母親は、イヴとジャンが結婚するのを望んでいるようだった。

 いつでもイヴの母親は、二人が結婚する前提で話していた。だからジャンも、これほどイヴとの関係が悪化した今になってさえ、いつかはイヴと結婚できるつもりでいたのだ。


 そのはしごが、突然外された。


「でもジャンくん、ずっとイヴのことを苛めていたでしょう」


 ジャンはぎょっとした。イヴの母親に知られているとは思いもしなかったのだ。


「だから、可愛いイヴのことはあなたには任せられないわ」


 くすくすと、イヴの母親は笑った。一子の長男がすでに十八歳であるとは、思えないような若々しさだった。


「それに聖女候補として王都に行けば、本物のお貴族様に見初められるかも知れないし」


 つまりはそれが、理由の全てなのだった。

 何の悪気もなくひらりと手を振って、イヴの母親はジャンから離れて行った。聖女候補であるイヴの母親は、すでにジャンに価値を見いださなくなったのだ。


 ジャンはしばらく呆然として、それからふらりと近くの教会に入った。少女たちの魔力測定は、この教会で行われたはずだった。


 ジャンがイヴのことを問えば、聖職者たちは困ったような顔をしたが、何も答えることはなかった。ジャンの『王子さま』としての権力は、教会や本物の王宮までは届かないのだ。

 そんなときに、ある少女とすれ違った。華やいだ声をかけられる。


「あら、ジャン!」


 二歳も年下だというのにジャンを気軽に呼び捨てたのは、イヴの二歳年下の妹だった。


「リタ」


 イヴの妹らしく美しいリタが、するりと腕を組んでくる。

 可愛らしいリタのことが、ジャンは苦手だった。『王子さま』である自分に群がってくる女性たちと同じ匂いを感じるからだ。


「こんなところで何をしているの?」


 ひょいと間近で覗き込んでくる。付き合っていなければあり得ない距離感だった。

 怒りを買わない程度にさり気なくリタを押しのけながら、ジャンは答えた。


「いや、イヴが聖女候補に選ばれたって聞いて、驚いてさ」

「ふうん……」


 リタが何を感じたのか、ジャンには判らなかった。


 聖女というのは百年に一度、十五歳の少女から選ばれるものであって、十三歳のリタには最初から聖女候補の資格もない。


 静かなリタが不気味で離れようとしたところで、リタが強引にジャンの手を取った。


「お姉ちゃんったら薄情だから、王都でこのまま旦那さんを見付けちゃうかもね」


 くすくすと、リタが笑った。リタはイヴとリタの母親によく似ている。

 ちょっと心配になるくらいご機嫌に、リタは言ったのだった。


「薄情なお姉ちゃんなんか、忘れちゃいましょうよ。ねぇ、ジャン」


 そんなリタを振り払って、ジャンは歩き出した。後ろからリタが追いかけて文句を言ってくるのを無視する。


 王都に行かなくては、とジャンは思った。鈍くさくて、小さくて、弱っちいイヴには、ジャンがついていてやらなくてはいけない。

 イヴはジャンの『お姫さま』だった。もうずっと、ずっと、小さな頃から、変わらない事実なのだ。


 美しいイヴ。可愛いイヴ。賢いイヴ。優しいイヴ。


 もう随分と、昔のような笑顔を見ていない気がした。昔はあんなに、可愛らしく笑ってくれていたのに。


「……待ってろ、イヴ」


 呟いて、ジャンは近くの駅に向かうバスに乗り込んだのだった。

 わたしは基本的に思いついた話を思いついたように書いているだけなのですが、誰か悪役っぽいキャラクターを出すときに、100%愚かであるとか馬鹿であるとか、そのキャラクターが何もかも悪いだとか、そういう都合の良い悪役はあんまり出さないようにしています。世の中ってそんなに割り切れるものじゃないでしょ、と思っているので


 ……と、いうつもりで書き始めたのですが、なんか書いているうちに普通に気持ち悪い勘違い男に仕上がってしまった気がします。うっ、そんなはずでは

 とりあえず気力があるうちは続きます。おそらくですが、次はイヴの妹で次女のリタのお話になるかと思います

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― 新着の感想 ―
>愚かであるとか ※イヴの周りの連中は除く でしょうか? 毒親も馬鹿幼馴染もどうしようもない愚かなキャラだと思いますが。ざまぁ急募状態。
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