02. 王族との夕食会
さて、無事に王宮に集まった人びとへのお披露目を終えた聖女イヴは、転がるように控え室に戻った。
人びとの前に顔見せをしたのは聖女イヴと彼女のエスコートをした王太子エルドレッド・ストックデイルだけなので、エリノアは待機である。這う這うの体で戻ってきたイヴを、エリノアは出迎えた。
「おかえりなさい、聖女様。頑張ったわね」
イヴはエリノアを見付けた途端にほっとした顔をして、エルドレッドから離れてすすすっと音もなくエリノアに近寄った。短い時間で随分と懐かれたようである。
フラれた形のエルドレッドはといえば、ちょっと微妙な顔をしていた。従妹であるエリノア以外に、女性からこんなに釣れない態度を取られることは少ないのである。
実際どうだろうか、とエリノアは考えた。
この国では、よほど不相応でなければ王族でもそれなりに自分で伴侶を選ぶことができる。これは一昔前までは周りの国々が、相性の悪い令息と令嬢を無理に婚約させた結果、令嬢が令息に虐げられて殺されてしまったり、逆に我慢の限界を迎えた令嬢がとうとう令息を殺してしまったりする事件が絶えなかったからでもあった。
それでもやはり大人たちの思惑としては、王太子と聖女が結ばれることが理想なのだろう。
王姪であり公爵令嬢であるエリノアは、王家も公爵家も含めてお互いにその気がなくても今までエルドレッドの婚約者候補筆頭だった。これは王太子におかしな女性を近づけさせない意味もあった。
候補筆頭ではあっても、エリノアは無理に王太子と婚約するように仕向けられたことはない。これはやはり、もともと王太子の婚約者候補として十五歳のときに現れる聖女が念頭にあったからだろう。
実際に、王太子は自然ななりゆきで聖女をエスコートしている。
王太子を聖女の世話役にすることは、やはり王太子と聖女が自然に仲良くなるように促す意味があるのである。詰まりお膳立てされた『真実の愛』によって、大人たちは二人が婚約することを狙っているのだ。
そういうことをきちんと理解している王太子エルドレッドと、おそらく全く理解していないであろう聖女イヴを、エリノアは見比べた。エルドレッドが、下手にイヴを妹のような立ち位置に置いてしまうと困るのだ。
イヴの顔色は真っ青で、足は見るからに震えていた。エリノアは待機していたので配下に様子を見させていたら、イヴは腰が抜けてほとんどエルドレッドに支えられるように立っていたし、強ばった顔で無理やり笑んでいたので、随分と引きつった顔をしていたようである。
うーん、とエリノアは首を傾げた。
お披露目といっても、国民が間近で聖女を見るわけではない。
それなりに距離が開いていたはずである。だから聖女がどんな様子だったかなど、実のところ国民にはほとんど判らなかったはずだ。
それに、聖女は決して背筋を曲げず、顔を俯かせなかった。腰が抜けていようと、顔が強ばっていようと、イヴはエリノアの言いつけを守ったのである。
なので、エリノアは、何もかも良しとすることにした。ぐっとイヴの両肩を掴む。
「大変にご立派だったわ、聖女様。百点よ」
何も百点じゃないだろ、というエルドレッドの視線を、エリノアはきっぱりと無視した。エリノアが百点と言ったら百点なのである。
いったん肯定されたことで、イヴは安心したようだった。ちょいちょいとエリノアのドレスの端の端を控えめに摘まむ。
「イヴ、イヴです、えーっと……」
そこでようやく、エリノアは自分が自己紹介をしていないことに気づいたのである。
「ごめんなさいね、イヴ様。わたくしクリーヴランド公爵家の娘エリノアと申します」
「わたしはストックデイル王太子のエルドレッドという」
自分が今まで接していたのが公爵令嬢と王太子であると気づいて、イヴはぴょんと飛び上がった。
そういうオモチャのような動きだった。控えていた護衛や侍女たちがちょっと俯いたのは、笑いを誤魔化すためだろう。
「王太子殿下に、公爵令嬢様、大変なご迷惑を……」
深々と頭を下げようとするイヴを、エリノアは慌てて押しとどめた。
「あなたは聖女様なのだから、そんなに深い礼をしてはいけないわ。この国であなたよりも身分が高いのは、国王陛下ただお一人よ」
「聖女、わたしが……」
何度か確認するように、イヴは呟いた。ずっと状況に流され続けて、ようやく理解が追いついたのかも知れない。
ややあって、カタカタとイヴは震え始めた。
「聖女、わたしが……?」
ちょっと良くなっていた顔色が見る見ると悪くなっていくのを見て、エリノアは努めて明るく声をかけた。
「ひとまず、お披露目は大成功よ。いったんお茶にしましょう。甘いものはお好き?」
聖女であるイヴには、十二人の侍女がつくことになっている。
王妃に勝るとも劣らない数である。この中には教育係を兼ねるものや、戦闘の教育を受けた護衛侍女も含まれる。
その筆頭である伯爵家出身の中年女性にエリノアが視線を向ければ、筆頭侍女は判っているように頷いた。
「王族の皆さまとのお食事会まで、四時間ございます。いったん休憩にしましょう」
「お食事会用のドレスは用意してあるかしら?」
「もちろんでございます。二度も着替えるのは疲れるでしょうから、いまはドレスはそのまま一時的にコルセットだけ緩めましょうか」
王太子や護衛騎士を含む男性陣が一時的に退室して、イヴが少しだけ楽な格好になったところで、エリノアはイヴを連れ出した。
途中でイヴがふらついた。何ごとかと見れば、イヴの足に幾つものマメが出来ている。
靴擦れしているのを我慢していたのだ。エリノアが気づいたことに気づいて、イヴは真っ青になった。
「も、申し訳ありません、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょう。国王陛下がたとのお食事会ではさすがにちゃんとした靴を履いて貰うけれど、いまは楽な靴にしましょう」
侍女が用意した平べったい靴に履きかえると、イヴがほっと息をついた。口にしなくても、やはり相当痛かったのだ。
「数日以内に足を測って、オーダーメイドのパンプスを作りましょう。きちんと合う靴を履けば、随分と楽になるはずよ」
ヒールが高くて足に合わない靴を履いていれば、足が痛むのは当たり前のことである。貴族女性だけではなくて多少お金のある女性であれば平民でも、ここぞというときのための靴はオーダーメイドかセミオーダーで作っていることが多い。
申し訳なさそうな顔をしているイヴの背中を気にしないようにとんとんと叩いて、エリノアはエルドレッドと合流した。エルドレッドが一瞬だけちらりとイヴの足元に視線を向けたので、やはりイヴの歩き方がおかしいことには気づいていたようだ。
王宮から近しい場所にある庭園を人払いして、三人はようやく落ち着いた。
「これから夕食会だけれど、食べられないものはある? 今から間に合うようであれば変更するし、間に合わなかったら残してしまっても良いからね」
エルドレッドが声をかけるのに、イヴはふるふると首を振った。
「大丈夫です」
そう言ったが、実際のところはどうか判らない。靴擦れを我慢していたように、イヴが苦手なものを申告できない可能性もあった。
少しずつ馴染んでいけば、好き嫌いも言えるようになるだろう。エリノアとエルドレッドは、視線を見合わせた。
「じゃあ、食べたら気分が悪くなるものは」
「あ、それはありません」
今度は曖昧な返事ではなく、はっきりとした否定が返った。これは本当だと信じても良いだろう。
何気なく用意された紅茶を飲んでいたエリノアは、ふと視線を感じて顔を上げた。イヴがエリノアをじっと見つめているのだ。
ややあって、イヴがそろりとティーカップに手を伸ばした。取っ手に指をかけるのではなく摘まむのを見て、エリノアは内心で感嘆した。
エリノアのことを観察して、真似をしたのだ。もちろん所作は拙かったけれど、なるべく相手に失礼がないようにと真似をする気概があるのであればいまは十分だろう。
いまこの場面で、色々なことを指摘することもできた。けれどエリノアは、いったん流すことにした。おそらく一度にいろいろなことを言っても、覚えられないだろう。
そういうイヴを、エルドレッドがひどく冷静な視線で観察していた。おそらくエルドレッドはエルドレッドなりに、当代の聖女であるイヴがどういう人間であるかを見極めようとしているのだ。
「さて、先ほども話が出たけれど」
ややあって、エルドレッドが切り出した。
「夜の十九時から、国王陛下を含む王家と聖女イヴ様での食事会が催される。身内の集まりだから、それほど堅苦しくならなくて大丈夫だよ」
イヴがぴしりと音を立てて凍りついた。何度か話題に出ていたはずだけれど、イヴの頭に入っていかなかったのかも知れない。
助けを求めるように、エリノアに視線を向ける。エリノアはにこりと笑いかけた。
「王姪という立ち位置ですから、わたくしも参加致します。よろしくね、イヴ様」
エリノアも一緒だと判って、イヴが明らかにほっとした表情をした。
そんなに難しいこともないだろう、とエリノアは考えた。
すでに王家の全員が、イヴが平民出身だということを知っている。もちろんこれから覚えることは多いけれど、最初からできないからといって責めていてはあっという間に聖女様が潰れてしまう。
「この国の王族のことは知っているかい?」
エルドレッドに問いかけられて、イヴが背筋を伸ばした。
「国王陛下と王妃殿下の間に、第一王子殿下でもあられるエルドレッド王太子殿下と、同父同母の弟君であられる第二王子殿下がおられます。それから王妹殿下が公爵家に嫁がれておられると……」
そこまで言って、イヴは口ごもった。王妹の一人子であり一人娘であるエリノアのことは知らなかったのだ。
まぁそんなものだろう、とエリノアは納得した。
平民の、まして子どもであれば、国王一家以外の王族など知らなくても無理はない。エリノア自身も未成年であるので、公務に出ることも少なく、あまり国民に知られていないのだ。
「わたくしはその公爵と王妹の実娘です。兄弟姉妹はおりません」
「は、はい」
こくこくと、理解を示すためにイヴが頷いた。エルドレッドが続ける。
「そのうち聖女様には、この国の主要貴族や力関係についても勉強して頂くことになる。ただしいまは、いったん直系王族の七人と、聖女様につけられる専属護衛騎士の八名、専属侍女の十二名を信頼して貰えれば大丈夫だからね」
イヴがきょとんとしたので、エルドレッドは補足した。
「専属護衛騎士と専属侍女については、聖女選定の儀にあたって事前に王家で信頼できるものを選び抜いているので、聖女様もいったん信頼して貰って良い。護衛騎士については専属は八名だけれど、状況に応じて随時各騎士団から応援を呼ぶ手はずになっている。逆に侍女は専属の十二名でほとんど固定だから、よほどの機会がなければ基本的にこの十二人を使ってもらうことになるよ。専属侍女のうち六名が、戦闘訓練を受けた護衛侍女も兼ねている」
まかり間違って、聖女様に対しておかしな教育や思想を植えつけられたり、聖女様を害されるようなことがあっては困るので、専属の使用人については慎重に慎重を期して選ばれているのだ。
呆然としていたイヴが、エルドレッドの視線を受けて慌てて頷いた。おそらく半分以上理解できなかったはずだが、そのうち理解して貰えれば問題ないだろう。
イヴがそろそろとティーカップを下ろして、かちゃりと音が鳴ったのを見て顔を強ばらせた。自分で失敗したことに気づいたのだ。
明らかな無作法だったが、いったんエリノアは気づかないフリをした。初日から追い詰めすぎて、聖女様としての生活に苦手意識ができては困る。
そういうことをもちろんエルドレッドも理解しているので、やはり気づかなかった素振りで近くの侍従に時間を確認した。何ごとかを耳打ちされて頷く。
「さて、聖女様」
微笑みかけて、何かに気づいたように瞬く。
「いや、イヴと呼んでも良いかな?」
王太子は明らかに聖女との距離を詰めた。今までの聖女の動きで、気の弱さはあれどそれなりに信用に足りると判断したのかも知れなかった。
イヴは呆然として、問いかけるようにエリノアに視線を向けた。エリノアが頷いてやれば、エルドレッドに視線を戻して頷く。
「はい、よろしくお願い致します。王太子殿下」
「エルドレッドで良いよ。そこの従妹殿もわたしのことは名前で呼んでいるしね」
イヴがぴっと背筋を伸ばした。真っ直ぐにお辞儀する。
「はい、エルドレッド様」
それから怖々と、イヴはエリノアを窺った。
「あの、エリノア様と、お呼びしてもよろしいでしょうか」
エリノアはちょっと面食らった。確かに気は弱いが、何もかも引っ込み思案というわけでもないらしい。
エリノアは微笑んだ。聖女からの信頼を勝ち取るのは、やはり大切なのである。
「もちろん大歓迎よ、イヴ様」
そういうやり取りを経て、改めてエルドレッドは言った。
「エリノアとイヴには、夕食会の準備をして欲しい。父上も、イヴと会うのを楽しみにしているよ」
「準備、ですか」
イヴが首を傾げたので、エリノアは教えてやった。
「別のドレスに着替えるのよ。と言っても身内ばかりの夕食会だから、それほど派手な正装ではないわ」
あれよという間に、エリノアに連れられてイヴは着替えることになったのである。
お互いに着替えて合流してから、エリノアはイヴに問うた。
「靴は大丈夫かしら? 血が出ていた部分にはガーゼを当てたと聞いたけれど」
「ありがとうございます、大丈夫です」
その表情が無理をしているようではなかったので、エリノアはいったん納得した。
途中でエルドレッドも合流したけれど、やはりイヴはエリノアの近くのほうが安心するらしい。エリノアの後ろをちょこちょことついていくイヴだったけれど、王宮の奥まった場所に進むに連れて明らかに足取りが鈍った。
イヴが緊張にどんどん青ざめるのを見て、エリノアは考えるように唇に指を当てた。
「時間は?」
エリノアが侍女に囁けば、侍女が少しだけ難しい顔をした。
「すでに国王陛下がお見えでございます」
「なるほど、お待たせできないわね」
エリノアはイヴに向き直った。
「イヴ様、緊張しているのね?」
すでに、イヴの顔色は真っ青だった。明らかに無理やり足を動かしている。
さすがに先ほどのようにイヴを抱え上げて室内に放り込むわけにはいかないので、エリノアは頭を捻った。
イヴの前に、すっと手を差し出す。
「食堂の前まで、手を繋ぎましょうか」
イヴがぱっと顔を明るくした。
「はい、はい……!」
ほとんど縋りつくように両手で手を掴まれたけれど、エリノアはそのまま足を進めた。そっと、秘密を打ち明けるように囁く。
「幼い頃にね」
何を言い出すのかと、イヴが顔を上げた。
「王妃様と一緒に、お菓子作りをしたことがあるの。王妃様はわたくしにとって伯母様だから、昔から気さくにしてくださって」
話に気を取られたのか、イヴの足取りが少しだけマシになった。気づかれないように足の速度を速めながら、エリノアは続けた。
「そうしたらせっかく作ったクッキーを、王宮の親しいみんなに分けようと思っていたのに、お腹を空かせた国王様がすっかり食べちゃったのよ。王妃様はそれはもうお怒りになって、料理人に話を通して、しばらく国王様はモヤシ生活だったわ」
イヴがぽかんと口を開けた。想像できなかったのかも知れない。
「人間には誰しも失敗があるし、国王様だって人間なのだから、そんなに怯える必要はないわ。色々なことをこれから覚えていけば良いのよ」
そんなことを話している間に、三人は食堂の前に到着していた。
イヴの顔色は多少マシになっていた。モヤシ生活の国王様、という衝撃が抜けきっていないのかも知れない。
そうして、イヴは王族の面々と対面することになったのだった。
王族は、すでにイヴが聖女になってからこれまでの経緯をすっかり知っているはずだった。王妃はざっとイヴを上から下まで確認して、小さく頷いた。及第点を出したのだろう。
本来であれば、真っ先にイヴが挨拶をするべき場面だった。けれど頭が真っ白になったイヴが動けないのを見て、エリノアが前に進み出た。
「聖女イヴ様をお連れしましてございます」
エリノアがゆるりとカーテシーをする。その様子を見て、イヴも慌てて頭を下げた。
それは明らかに普通の礼であって、片足すら引けていなかったけれど、王族の誰も笑わなかった。聖女をこれから教育するのは王家の責任だからである。
イヴよりも先に頭を上げたエリノアは、イヴの頭の低さが気になった。まだ親の庇護下にあるべき子どもが、反射的な動きでこれほど低く頭を下げることがあるだろうかと思ったのだ。
「初めまして、聖女イヴ殿。楽にしてくれ」
大らかに国王が声をかけて、イヴを席に促した。
この場において、イヴは国王の次に高い身分となる。だからイヴは主賓席に座る国王のすぐ近く、王妃の隣に座ることになった。
エルドレッドがイヴをエスコートして席に連れて行き、それが終われば王妃を挟んで反対隣である自分の席に座る。王姪であるエリノアは、この場では末席である。
早速国王が口を開いた。
「色々と疲れただろう、大丈夫だったかな」
「ぁ、」
何ごとかを言おうとして、緊張して喉がつかえたらしいイヴは、けれど思いのほかすぐに立て直した。
「お気遣いありがたく存じ上げます。王太子殿下とクリーヴランド公爵令嬢様に、大変に良くして頂きました」
その言葉を聞いて、エリノアは顔を上げた。平民の子どもの口から出てくる言葉遣いではないな、と思ったのだ。
エリノアが調べた限り、イヴが通っていたのは田舎町の中規模の中堅校である。働いた経験もない子どもの口から、普通の敬語であればまだしも、これほど滑らかに謙譲語が出てくるとは思わなかったのだ。
イヴが極端に賢いか、やはりエリノアと同じように前世の記憶があるかのどちらかである。
国王もイヴの言葉遣いに驚いたのか、ちらりと王妃と視線を交わしたようだった。
「おぉ、当代の聖女様は随分と賢いようだな。頼もしいことだ」
国王がそう褒めれば、イヴは困惑した表情をする。やはり、本人の賢さと自意識の高さが噛み合っていないのだ。
王族の面々が聖女イヴを測っている間に、早速突き出しが運ばれてくる。海藻のゼリーである。
エリノアがイヴを観察していると、イヴとぱちりと眼があった。やはり、エリノアを参考にしようとしているらしい。
イヴが困ったような表情を浮かべたので、エリノアは何でもないように微笑んで視線を落とした。あえてゆっくりとした動作でゼリーを口に運ぶ。
エリノアの動きを真似して、イヴがゼリーを口にした。その動きはエリノアの美しさとはほど遠いものだった。
けれどエリノアは、イヴの手元が気になった。カトラリーの持ち方が、異様に綺麗なのである。
美しくカトラリーを持って、拙い仕草で、イヴはゼリーを食べていた。やはりその違和感が気になったのか、テーブルの面々はイヴの手元を気にしている。
こういう動きをしている人間に、エリノアは心当たりがあった。前世の同僚にそういう女性がいたのである。
その女性は箸の持ち方は綺麗だったのに、食事の作法は異様に汚かった。本人もそれを随分と気にしている様子で、たとえば焼き魚などは人前では絶対に食べないようにしていたようだった。
本で読んだり、他人を真似したりして、見せかけだけは美しく装う賢さがある。けれどきちんと学んだわけではないので、実際の作法は追いつかない。
世の中には、そういう人間がいる。イヴもそういう女性なのだ。
「イヴ殿は、王宮には馴染めそうかな?」
そう話しかけたのは国王だった。イヴはきちんと口の中を綺麗に飲み込んでから口を開く。
「その、わたしが……聖女なのでしょうか」
本当に困り果てたように、イヴは問うた。ここに来ても、イヴは自分を疑っているのだ。
それは聖女選定の儀を疑うことでもあるので、国王に問うのは不敬なことだった。けれど国王はその様子を見せずに、にこやかに頷いた。
「もちろんだとも。宝玉はイヴ殿を選んだ。あなたが聖女であることは、疑いようのないことだ」
イヴは視線を落とした。
「家には帰れますか?」
国王は王妃と視線を見合わせた。イヴの両親が聖女選定の儀に現れなかったことは、すでに共有されている。
「聖女の安全が第一であるので、家に帰すことはできない。けれども、もちろん家族や友人と会うことが制限されたりはしないよ」
「そうですか……」
イヴがきゅっと唇を引き結んだ。
「その、弟たちの、世話をしなくてはいけないのです」
か細い声で、イヴは訴えた。
「両親が忙しいので、弟や妹の世話をしなくては」
「イヴ殿がお望みであれば、シッターを遣わせることもできるぞ」
「いいえ」
ふるふると、イヴが首を振った。
「シッターであるとか、そういうのは、両親が嫌がるので……」
前世のあるエリノア以外の王家の面々は、イヴが聖女であることを今日まで知らなかった。だから、イヴの事情には詳しくない。
話が通りやすくなるように、エリノアは口を挟むことにした。
「ごきょうだいが多くていらっしゃるの?」
何も知らぬ素振りで問いかければ、イヴが顔を上げる。
いつの間にか、イヴはまた背を丸めていた。ずっと気をつけていたようなのに。
「八人きょうだいです。わたしが長女で」
「まぁ、八人」
思わずというように、エリノアの母の王妹が声を上げた。
まともな教育を受けられずに、貧しい国民が増えれば、犯罪率が上がる。この国はそういう考えなので、貴族であろうと平民であろうと高い教育が推奨されている。
子どもが高い教育を受けるようになれば、当たり前のように子ども一人にかかる金額は増えるものだ。だからこの国は、他国に比べて子どもが少ない傾向にあった。
そもそも八人の子どもというのは、他国だって珍しい。それほど子どもが多いのが一般的なのは、文明を拒絶して原始的な生活をしている一部の少数民族くらいではないだろうか。
「じゃあ、七人も弟さんや妹さんがいらっしゃるのね」
しみじみと王妹が言えば、これにイヴは首を振った。
「わたしは二子です。一子に長男がおります。あとは弟が四人、妹が二人」
「あら、間違えちゃったわ。ごめんなさいね」
ほほ、と王妹が笑った。
「八人も子どもがいるのに、シッターを雇っていないということ?」
堪らずエリノアが問えば、イヴが頷いた。
「その、お金がないそうなので」
「であれば、お祖父様やお祖母様が手伝ってくださるの?」
「いいえ、家業があるので、子どもの世話をできる人間がいなくて」
エリノアは唖然とした。
子ども八人を夫婦だけで世話するのは不可能だ。平民であっても、子どもの数が多ければシッターを雇うものである。
そもそもいま、イヴは家業と言った。であれば家業がよほど失敗しているとかでなければ、最低限シッターを雇うだけの稼ぎはあるはずである。
詰まり考えなしに八人もの子どもを産んで、あげくにシッターを雇うお金も惜しんで、子どもたちの世話を長女に押しつけているのである。思わずエリノアは呻いた。
「……猿のような所業じゃないの!」
エリノアの言葉を聞いて、王妹がエリノアを軽く睨んだ。母である王妹はエリノアの気の強さをよくよく理解しているので、このままでは孫が見られないのではないかと案じているのである。
イヴはすっかり萎縮して、身を縮めてしまっていた。国王が咳払いする。
「では、ご長男とイヴ殿で弟妹たちの世話をしているということかな。ご立派なことだ」
「いいえ、兄は……」
またもイヴは首を振った。
「高等学校に通っておりまして、勉強が忙しいようです。兄は家業を継ぐ予定ですから」
「……やっぱりろくでもない家族じゃないの!」
堪らず、エリノアは立ち上がって叫んだ。今度は王妹も咎めなかった。
エリノアの叫びを聞いて、イヴが猫のように飛び上がって驚いている。身を乗り出して、エリノアは言った。
「それって家族みんなで面倒ごとを何もかも、長女であるあなたに押しつけてるってことでしょう! 子どもは親に都合の良い奴隷じゃないのよ! そんなものは蛮族の所業よ!」
他人の家族を猿と言ったり蛮族と言ったり、散々な物言いだった。
前世の現代日本ですらそういうことがあることを、エリノアは知っていた。けれど前世のエリノアにとって、それはテレビの向こうの話でしかなかった。
この王国はそれなりに人権意識の高い国である。貴族であれ平民であれ、子どもを親に都合良く扱うことは罪とされる。
それでも王都や、領都からも遠い田舎町では、こういうことがある。人びとの社会観が追いついていないのだ。
「いいえ、ですが……」
微妙な顔で、イヴが反論した。
「……ここまで育てて貰ったので」
イヴは視線を落として言った。
イヴの様子は、とてもではないけれど本心からの台詞とは思えなかった。それでも恐らく、イヴ本人はそれが本心だと思い込んでいるのである。
どんな扱いを受けたとしても、子どもが親を見限るのはとてもとても難しい。エリノアは前世でそれなりの人生経験を積んでいたので、そのことをよく知っていた。
けれど、それを許容できるかと言えば別の話である。ましてやイヴは、この国を守り豊かにするべき聖女なのだ。
ぎっと、ほとんど睨みつけるような勢いでエリノアは国王に視線を向けた。国王もさり気なく頷いている。
貴族の特権の一つとして、親の了承がなくとも子どもを養子に引き取れるということがある。これは国王が許可をしたときにだけ有効なもので、類い稀な才能を持つ子どもがろくでもない家族に潰されてしまわないようにするための措置である。
「じゃあ、お兄様と同じように、イヴも高等学校に進む予定ということかな?」
さり気なくエルドレッドが問えば、イヴが弱々しく微笑んだ。
「いいえ、わたしは……働いて家にお金を入れなくてはいけないので」
あまりに腹が立って、エリノアは荒々しくテーブルを叩きつけた。エリノアの気性の激しさは知られたことであるので王族は誰も動じず、イヴだけが飛び上がった。
「忘れちゃだめよ、あなたは聖女様なの」
ほとんど恫喝するような声に、イヴが強ばった表情でこくこくと頷く。エリノアは続けた。
「あなたは国の代表として立ち振る舞うこともあるのだから、高い教養を身につけなくてはいけない。これは権利ではない、義務です。わたくしたち王族はもちろんあなたに協力するし、あなたはそれに応えなくてはいけません。あなたが、聖女様だからよ」
ぎむ、とイヴが口の中で呟く。それを確かめてから、くるりとエリノアは国王に視線を向けた。
「お披露目は今日でしたけれど、正式な公布は三日後でしたっけ?」
「そうだな、すでに新聞社との話はつけてある」
「二週間後に延ばしてくださいませ」
あっさりとエリノアは言った。エルドレッドがぎょっとする。
「何をするつもりだい?」
「ろくでもない人間というのは、無意識に相手を値踏みするものです。そして自分よりも下だと感じた相手には、横柄な態度に出ることがある」
ふふんと胸を反らして、誰よりも高慢に、エリノアは言い切った。
「要するに、相手を萎縮させればこちらの勝ちです。まずは張りぼてでも構わない、二週間でイヴ様を最高の淑女に仕立ててご覧に入れますわ」
イヴが途方に暮れている。そのイヴに、エリノアは先ほどと同じように、誰をも魅了する完璧な笑みを浮かべて見せた。
思いついた場面だけ書きました! 繰り返しますが連載版ではなく、連作版です
ちょっと悪役令嬢が元気になり過ぎたかも知れない、、まぁ気に入る方だけついてきてくだされば嬉しく存じます。わたしの作品全てに共通することですが、『合わねーな』と思ったらブラウザバックですよー




