第9話 実戦経験と、見えざる侵攻ルート
俺たちが6歳を迎えた頃。俺たちの『作戦行動範囲』が拡大された。
「いいか、絶対に防壁から遠く離れるなよ。東の小川までならいいが、未開の森には絶対に近づくな。北の森も、子供だけで入っちゃいけないからな」
「はい、わかりました」
村の南側の入り口で、若い門番の言葉に笑顔で返事をする。
「気を付けて遊べよ」
ベテラン門番からも声を掛けられながら東の小川方面へ向かう。そして、門番の視界から外れた瞬間、小川に沿うように北へ進路を変え、そのまま『北の森』へ足を踏み入れた。
防壁の外へ出た目的は、実戦経験と村周辺の地形の把握である。
「……アル、前方10時の方向。距離50、小型の獣か魔獣だ」
「ああ。まずは風下に回り様子を見る」
北の森の浅い部分に侵入して数十分。俺たちは明確な『標的』を捉えていた。
山岳地帯か未開の森から迷い込んできたのだろう。大人の胸ほどの高さがある、硬い毛皮と鋭い牙を持った小型の魔獣(猪のような獣)、『鉄皮猪』だ。村の大人でも、猟師が罠を張って数人がかりで仕留めるレベルの獲物である。
だが、俺たちの心拍数は1ミリも跳ね上がらない。
「俺が正面からヘイトを引く。死角を任せた」
「了解」
バルドが低い姿勢で茂みから飛び出した。
距離20。魔獣が侵入者に気づき、鼻息を荒くしてバルドへ向かって一直線に突進してくる。大人の胸ほどもある質量の暴力が、子供の小さな身体を粉砕しようと迫る――その寸前。
バルドは地面を蹴り、闘牛士のように最小限の動きで突進を躱した。
同時に、すれ違いざまに魔獣の側面に手を添え、強引にその進行方向を横へ流す。
完全に体勢を崩し、無防備な首筋を晒した魔獣。
その死角となる頭上の太い枝から、俺は音もなく落下した。
手にあるのは、村での手伝いの対価として手に入れた、刃渡りの短い小刀。
だが、落下エネルギーと魔力を極限まで刃先に集中させれば、十分すぎる凶器になる。
「――シッ」
短く呼気を吐き出し、俺は魔獣の延髄の隙間へ、正確に刃を突き立てた。
脳幹を破壊された魔獣は、悲鳴を上げる暇すら与えられず、ビクンと一度だけ痙攣して絶命した。
戦闘開始から、わずか数秒。完璧なサイレント・キルだった。
「……ふう。まあ、こんなものか」
「ああ。魔力操作を継続しながらの戦闘行為、テストケースとしては上出来だ」
血抜きの手順を素早くこなしながら、俺たちは息一つ乱さずに成果を評価した。
これで、本物の血肉を伴う実戦の感覚を、この新しい身体に完全にインストールし直すことができた。高カロリーな良質のタンパク質も手に入り、一石二鳥だ。
「……それにしても」
獲物の解体をバルドに任せ、俺は立ち上がって周囲の森を見渡した。
木々の間隔、地面の硬さ、下草の密生度合い。
「どうした、アル」
「この北の森……村の大人たちは『ここから大軍が来ることはない』と安心しきっていたな」
「ああ。俺たちの国の仮想敵国は遥か西の国境だ。ここの北側にあるのは穏健派の小国らしい。さらに北側は山岳地帯に塞がれており、軍隊の行軍は不可能だというのが、大人たちの共通認識だ」
俺は足元の土を軽く踏み固め、静かに首を振った。
「願望と現実は違う。俺が敵国の司令官なら、西の国境で正規軍の目を引きつけつつ、精鋭部隊をこの北のルートから迂回させる」
「……ここを通って、村を背後から強襲するか?」
「そうだ。木々の間隔は歩兵が通るには十分だ。地面も硬く、雨季でなければ行軍速度も落ちない。……ここなら、軍隊は『通れる』」
平和な村の大人たちが見落としている、致命的な地政学上の死角。
まだここに敵の姿はない。だが、西の仮想敵国が隣の小国を落としたら……条件が揃う。
「……村の連中は悪くない奴らばかりだ。死なせるには惜しい」
「そうだな。この村は俺たちの重要な拠点だ」
俺たちは解体した魔獣の肉を背負い、冷徹な目でこの静かな森を振り返った。
もしこの平和な開拓村に戦争の火の粉が降りかかるとすれば、間違いなくこの森からやって来る。その時、俺たちの拠点をどう守り抜くか。
6歳の小さなエリート軍人たちの頭脳に、新たな『防衛戦略』の課題が刻み込まれた瞬間だった。
「……ところで、この肉はなんて言って母さんたちに渡すんだ?」
「……」




