第8話 狂気の陣地構築
(※とある兄の視点)
俺には5歳の弟がいる。
赤ん坊の頃から夜泣き一つせず、言葉を覚えるのも驚くほど早かった。よく庭先でちょこんと座って目を閉じ、静かに規則正しく深呼吸を繰り返している。まるで森の風の音でも聴いているかのような、どこか不思議で手のかからない子供だった。幼いながらに大人びた雰囲気と賢さを持つ、優秀で自慢の弟だ。
王都出身の母さんに似て、村の大人たちも驚くほど端正な顔立ちに育っており、すでに村の女の子たちが遠巻きに頬を染めて見ている。だが、弟本人はそんなことには全く頓着せず、まだまだガールフレンドより男友達という年頃だ
今日も隣の家の同い年の悪友と連れ立って、村の防壁のすぐ内側で泥まみれになって遊んでいる。
一方、俺自身も12歳になり、最近ようやく父さんに連れられて、森の浅い場所で木こりや狩りの手伝いをさせてもらえるようになった。森の恐ろしさと、そこで生き抜くための基本を、文字通り体に叩き込まれている最中だ。
「おーい、防壁の外には絶対に出るなよー!」
狩りの道具の手入れを終えた俺は、冷たい井戸水を入れた水差しを持って、二人の様子を見に行くことにした。
最近の二人のブームは「秘密基地作り」らしい。秘密基地の確保は、村の男たちが誰しも通る道だ。村の大人たちが立てた防壁のすぐ内側で、朝から晩までせっせと土や小枝を集めているのだ。
「まったく、あいつらは本当に土遊びが好きだな」
微笑ましく思いながら近づいていった俺は、ふと足元の違和感に歩みを緩めた。
(……なんだ、これ。妙に歩きにくいな)
大小の石と不自然に寄せられた下草のせいで、足場が極端に制限されていた。俺は自然と、歩きやすい「開けた一本道」を選んで進んでいく。
少し進んだところで、俺はピタリと足を止めた。
(……なんだ? なんかこの先には、進んではいけない気がする)
目の前に続く自然で平らな地面。見る限り普通の平地にしか見えない。しかし、そこを進むことに、なぜか俺の中でガンガンと警鐘が鳴り響いていた。嫌な汗が滲む。
手近な長い木の枝を拾い、その平らな地面を軽く突いてみた。
バツンッ!という音と共に、土の中に巧妙に隠されていたツルが跳ね上がり、突っついた枝を弾いた。だが、そのツルは古い枯れ草で編まれており、枝を縛り上げる前にあっけなく千切れてしまった。
あそこに『太い獣の腱』が加われば、狩りの際に父さんに見せてもらった中型の魔獣を狩る罠のようであった。この罠はまるで意図的に、その致命的な牙が抜かれているように感じる。
(……あぶない。お遊びにしては本格的だな……避けて行こう。)
まるで導かれるようにたどり着いた場所で、俺はゾッとした。
一本道を歩いている時には、ただ無造作に積まれた泥の山にしか見えなかった。だが、こうして前に立って見て初めて気づく。その泥の山は、罠にかかった獲物を完璧に囲い込む『壁』として配置されていたのだ。
そして壁の裏側――こちらからは見えなかった死角には、固く握られた大量の『泥団子』が、いつでも投げられるように山積みになっていた。
「お、おい……こんなものを……」
恐る恐る、この先にいるであろう二人に声をかけた瞬間、俺は息を呑んだ。
土壁の影に潜んでいた弟と悪友。二人が、泥だらけの顔で、音もなくスッと俺を見つめていたからだ。
その目は、5歳の子供のものではなかった。
自然に誘導し罠にかかった獲物に、遠距離から攻撃する『狩人』の目。
俺は魅入られたように動けなくなり、持っていた水差しを取り落としそうになった。
「あーら、あなたたち! また泥遊びしてたの? おやつにするわよー!」
その時、背後の村の方から、母さんののんびりした声が響いた。
「兄さんも、行こう」
ハッとして声のした方を見ると、アルはすでにいつもの手のかからない子供になって、とてとてと駆け寄ってきていた。バルドも一緒だ。俺の服の裾を小さく引き、静かに見上げるその顔は、間違いなく、俺の大人しくて可愛い弟のものだった。
「あ……ああ、今行くよ」
(……き、気のせいか?)
俺は額に浮いた嫌な汗を拭い、もう一度、足元の「秘密基地」を見下ろした。
千切れやすい枯れ草の罠と、ただの泥団子。そう思って見れば、少し手の込んだ泥遊びの延長線上にしか見えない。
(……最近、森に入り始めて神経質になってるのかな、俺。ただのイタズラじゃないか)
俺はおやつに誘ってくれる弟の頭を撫で、無理やり自分を納得させると、母さんたちの待つ日陰へと歩き出した。
俺の自慢の弟が、プロの猟師顔負けの恐ろしい陣地を構築しているはずがない。そう、あれはただの泥んこ遊びだ。




