第6話 絶対防衛線と、非致死性(ノン・レサール)のジレンマ
俺たちが4歳を迎える頃には、あの地獄のような魔力循環トレーニングの成果が表れ始めていた。
「どうだ、アル」
「子どものお遊戯レベルだな。それでも、魔力循環しながらも低負荷のCQC(近接格闘)には耐えられる。」
俺たちの拠点――実家の裏庭。
腕立て伏せを涼しい顔でこなすバルドに、俺は短く答えた。基礎スペックの土台が進んだ、今、並行して次の行動を始める時期だ。
「この村の防衛レベルは低すぎる。文化レベルの責と避けていい問題ではない。明らかに、単発の獣の襲撃を想定しているだけだ」
「同感だ。村への侵入は容易だし、どの程度の兵器がこの世界に存在するか不明だが、多数に攻め込まれたら長く持たないだろう。」
「ここで問題なのは、俺たちがあの防壁の外に出ることが許されないことだ。そこでまずは、侵入者から自身を守るために、この二つの家に絶対防衛線を構築する。」
俺の提案に、バルドが獰猛な笑みを浮かべて頷いた。
俺たちは木の枝で土に図面を引き、二つの家を囲む防衛網の設計に直ちに取り掛かった。だが、開始からわずか数分で、俺たちは軍事のプロフェッショナルとして『特異な制約』に直面することになる。
「まずは二つの家を繋ぐこの裏道だ。ここに落とし穴と刺突用の杭を配置して――」
「待て、バルド。それはマズい。そのルートは、午前中に『母親(後方支援担当)』が洗濯物を干すためのメイン動線だ。補給線に致命的なダメージを与えることになる」
バルドが「チッ」と舌打ちをして、土に描いた穴の図を消した。
「ならば、農具小屋の死角にワイヤートラップを張る。踏み抜けば頭上から重質量(丸太)が落ちる仕掛けで――」
「それも却下だ。俺の『父親(兵站・インフラ維持担当)』は毎朝、寝ぼけ眼でそこへ斧を取りに行く。父親が負傷すれば、この拠点の兵站機能は完全にストップする」
「……クソッ。じゃあ、裏の生垣の隙間はどうだ。侵入経路になりやすい。あそこに毒性のある植物の汁を塗った罠を――」
「そこはお前の母親が、うちの母親に野菜のお裾分けを持ってくる『後方連絡線』だ」
「……なら、ここの敷地の境界線はどうだ。茂みの中に足を絡めとるスネア(くくり罠)を――」
「そこは村の連中が近道として勝手に通り抜ける場所だ。非戦闘員(民間人)の巻き添え(コラテラル・ダメージ)が出れば、大騒ぎになって俺たちの今後の活動に影響が出る」
バルドが深いため息をつき、土に描いた無数の凶悪な陣地図を次々と木の枝で消していった。
そうだ。ここは紛争地帯のど真ん中ではなく、俺たちの実家の敷地なのだ。
「それに、最大のイレギュラー要員……あの兄(非戦闘員)だ」
俺はこめかみを押さえた。
「あいつの空間把握能力はひよっこ以下だ。致死性のトラップを張れば、敵が来る前にあいつが98パーセントの確率で踏み抜く」
「……フレンドリー・ファイアは許容できないな。この拠点の維持と、俺たちの生存環境が根底から崩壊する」
大真面目な顔で、バルドが頷く。
俺たちにとって『家族』は、この脆弱な肉体を守り育ててくれる絶対的な保護基盤であり、物理的なダメージを与えるわけにはいかない。
「作戦を変更しよう。物理的な殺傷能力を完全に排除し、『精神と機動力を削ぐ』ことに特化したノン・レサール(非致死性)トラップのみで陣を構築する」
「なるほど、誘導路を利用してラインを築く形か」
そこからは、俺たちの本領発揮だった。
俺たちは一切の妥協なく、土まみれになりながら裏庭の土や枝をミリ単位で調整し続けた。
「……よし。完成した」
「ああ。我ながら、えげつない誘導路が出来上がった。素人なら、足を踏み入れた瞬間に得体の知れない悪寒に襲われて、一歩も動けなくなるはずだ」
俺たちが冷徹な目でプロの技術で設計した陣を評価していた、その時だった。
「あら、こっちの裏道、少し風通しが良くなったわね」
「本当。これなら午後のお洗濯も乾きそうね」
俺たちの構築した非致死性キルゾーンの入り口に、『最初の標的』が姿を現した。
俺たちの母親だ。二人並んで、のんびりとした足取りで裏庭へと歩いてくる。
「……標的、接近。バルド、潜伏しろ」
「了解。ノン・レサール・トラップの制圧効果を観測する」
俺とバルドは瞬時に気配を消し、茂みの奥へと完全に同化した。
母親たちが、誘導路の入り口――『踏み込もうとした瞬間、足元が異常に滑るように錯覚させる、絶妙な傾斜の土』に足を踏み入れる。
「あら、ここ土が変に盛り上がってるわ。子どもたちが躓いたら危ないわね」
俺の母親が、履き慣れた靴の裏で、バルドが1時間かけて調整した『絶妙な3度の傾斜』を、パンパンと無造作に踏み潰して平らにした。
「……ッ」
隣で潜伏するバルドが、声にならない呻きを上げた。
さらに、バルドの母親が歩みを進める。
今度は俺の作成した『視界の端で何かが動いたように錯覚させ、動物的な恐怖を煽る、木の枝と光の配置』のゾーンだ。これを見た瞬間、本能的な悪寒で足がすくむはず――。
「ちょうどいい枝がいっぱい落ちてる! これ、夕食の竈の焚き付けにもらっていきましょうよ」
「助かるわぁ。今日はシチューにしましょうか」
バルドの母親は、恐怖を覚えるどころか嬉しそうに微笑み、俺たちが計算し尽くして配置した『恐怖のオブジェクト(小枝)』を次々と拾い集め、エプロンに包んでしまった。
俺のトラップが……。
「ルカー? お夕飯の準備するから、二人を探してきてー!」
「はーい!」
母親たちは、俺たちが心血を注いだ『絶対防衛線』をただの散歩道のように通り抜け、今晩の献立について談笑しながら去っていった。
後には、ただ平らに均された土と、綺麗に片付いた裏道だけが残された。
秋口の乾いた風が、ヒュルリと茂みの間を吹き抜けていく。
「……」
「……」
俺とバルドは茂みから這い出し、跡形もなくなった防衛線跡地を無言で見つめた。
「……日常の生活動線において、彼女たちの生活本能は、軍事的ロジックを容易に凌駕する」
俺は深いため息をつき、頭に付いた葉っぱを払い落とした。
「……計画の練り直しだな」
「……ああ。次はもっと外側……生活動線から完全に外れた『防壁境界』にラインを上げるしかない」
俺たちの絶対防衛線構築は、平和な村の『天然』という最強のイレギュラーを前に、あえなく白紙に戻ったのだった。




