第31話 未開の森デビュー
俺とバルドが10歳を迎えた夏の終わり。
辺境の開拓村における絶対の掟の一つが、俺たち二人のために破られた。
『未開の森への立ち入りは12歳から』。
村の大人たちが守り続けてきたそのルールが、村長や狩人たち、そして元王都の冒険者である俺とバルドの父親たちによる合議の末、「特例」として10歳で立ち入り許可が出された。
理由は単純だった。幼い頃から続けている村人の手伝いや畑仕事で見せる要領の良さと、2人のハイレベルの訓練や戦闘技術がどう見ても子供の枠に収まっていなかったからだ。
「いいか、アル、バルド。今日はお前たちの未開の森デビューだが、あくまで俺たちの監視下でだ。勝手な真似はするなよ」
「はい、父さん」
「分かってるよ、おじさん」
元王都のBランク冒険者だった父さんと、すでに開拓者として一人立ちしている俺の兄さんが、前衛と後衛について俺たちを挟んでいる。父さんたちは木こり兼護衛として、魔獣狩りも行うのが村での役割だ。
「アルもバルドも、初めての森なのに全然怖がってないね。でも、何があるか分からないから、絶対に油断しちゃ駄目だよ」
俺は後ろを歩く兄さんに微笑み返し、前を歩く父さんの背中を見つめた。
父さんは、俺たちがこの過酷な森で生き残れるよう、冒険者時代に培った警戒歩行や風の読み方を、真剣に伝えようとしてくれていた。その親心には心から感謝している。
だが、俺たちにとっては、その「素直な子供」として教えを受けること自体が至難の業だった。
前世で特殊部隊として骨の髄まで叩き込まれた戦術歩行。落ち葉の踏み方一つ、視線の配り方一つをとっても、森という戦場に出た瞬間に、体が自動的に「生存のための最適解」を選び取ってしまうのだ。
「……アル、バルド。お前たち、誰にその足運びを教わった? 」
父さんがふと立ち止まり、鋭い目で振り返った。
「え? いつも父さんたちの動きを見て、見よう見まねで歩いているだけだよ」
「……教える前から風下をキープしてるのもか?」
俺が慌てて子供らしく誤魔化すと、兄さんが感心したように微笑んだ。
「すごいな。二人とも本当に優秀だね。狩人の才能もあるのかな」
「……」
元冒険者である父さんの目は、完全には誤魔化しきれていないようだ。修羅場を潜ってきたプロの目は誤魔化せない。
数時間後、大人たちが安全を確保した伐採エリアと魔獣が出る警戒エリアの境界付近。
「よし、俺とルカで少し先の罠を確認してくる。アルとバルド、お前たちはこの周辺から動かず、見張りをしていなさい。異常があれば大声で呼ぶんだぞ」
父さんがそう命じた。
「了解しました」
父さんたちの姿が見えなくなった後、俺とバルドは小さく息を吐いた。
「……気を張ったな。おじさんの目を誤魔化すのは骨が折れる」
バルドが周囲を警戒しながら低く呟く。
「ああ。父さんの冒険者としての勘は本物だ。少しでも気を抜いて軍人の歩き方をすれば、一発で見抜かれる」
俺たちが言いつけ通りその場に留まりつつ、警戒エリアの気配を探っていた時のことだ。
風に乗って、微かな獣の臭いが鼻を突いた。
バルドと視線を交わす。
「……フォレスト・ボアか。中型の手前ってところだな」
「大声でおじさんたちを呼ぶか?」
「いや、せっかくのデビュー戦だ。ここで騒ぎにするより、処理して持ち帰った方が不自然じゃないだろう」
「……そうだな。沈めるぞ」
茂みの奥から姿を現したのは、大人の腰ほどもある獰猛な猪だった。強靭な突進力と硬い毛皮を持つ、本来、ルーキーなら命に関わる魔獣。
だが、あの10メートルの理不尽な巨獣との死闘を経験した今の俺たちにとって、その動きはあまりにも直線的で、対処の容易な的だった。
ボアが俺たちに気づき、地面を蹴って突進してくる。
「バルド」
「ああ、肉は傷つけねえよ」
魔力ブーストすらかけない。バルドは闘牛士のように突進を紙一重で躱すと、すれ違いざまにファルシオンの柄頭でボアの延髄を正確に強打した。
ゴキッという鈍い音と共に、ボアの突進がぐにゃりと軌道を変える。
脳震盪を起こして体勢を崩したボアの首筋(頸動脈)へ、俺は流れるようなステップで接近し、カランビットナイフの刃を静かに滑らせた。
一切の無駄がない、完全な血抜きと絶命。
「……さて。こいつの頭と胴体を何度か剣の背で殴ってくれ。毛皮も少し汚して、俺たちも少し泥を被る」
「あ?なんでわざわざ価値を下げるんだよ」
「10歳の初心者が完璧な狩りをやってのけたら、父さんたちに疑われるからな。戦ったふりをする」
十分後。
「……アル、バルド、大丈夫だった……え?」
罠の確認を終えた父さんと兄さんが、横たわるボアの巨体を見て、言葉を失って立ち尽くした。
「父さん、兄さん。おかえりなさい。獲物が来たので狩りました」
「アル……これ、二人だけで倒したのかい……?」
普段は穏やかなルカ兄さんが、信じられないものを見るように目を丸くしている。
「おま……お前ら、怪我はないか……!?」
父さんが慌てて駆け寄り、俺たちの身体の無事を確かめてから、死骸の傷口を確認する。
死骸には無我夢中で殴りつけたような無数の打撃痕がみえる。……だが、父さんの目は完全に誤魔化しきれなかった。
(……泥だらけの死闘の痕跡。だが、致命傷となった頸動脈の一撃は、まるで一流のように淀みがない……気のせいか?)
父さんの顔に、父親としての安堵と、元プロの冒険者としての戦慄が入り交じっていた。
「……10歳のデビューは早すぎるかと不安だったが……これは我が子らながら、とんでもないな」
父さんが頭を抱える横で、ルカ兄さんは「二人とも、怪我がなくて本当によかった……」と、純粋な安堵と少しの戸惑いが入り混じった優しい笑顔を向けていた。




