第30話 沈黙の代価
(※とある共犯者の視点)
私は行商人だ。普段は王都とこの辺境の開拓村をはじめ、いくつかの街や村を行き来している。
この村の穏やかな空気と、未来に向かって真面目に生きる村人たちの姿を見るのは、私の密かな楽しみでもある。
だが最近、この村を訪れる度に、私の商人としての血が奇妙なほどに騒ぎ……同時に、背筋に冷たい汗をかくような緊張感を覚えるようになっていた。
今日も広場で馬車の荷台を開け、村の人々との取引を終えて一息ついていると、馬車の裏手に例の9歳の二人組が音もなく姿を現した。
「……おじさん、こんにちは」
(ッ!)
大人と見紛うほどガタイの良い少年バルドと、王都の貴族ですらお目にかかれないほどの綺麗な顔をした少年アル。
アルが、年の離れた大人に対する礼儀正しい、けれどどこか一切の隙を感じさせない静かな声で話しかけてきた。
「おじさん。今日も適正な価格での取引、村の皆が感謝していました。ありがとうございます」
「やあ、アル君にバルド君。……今日はどんな素材を持ってきてくれたんだい?」
私は引き攣らないように笑顔を作りながら答えた。
三週間前。私は彼らの依頼で、軍需ギルドの横流し品である『強靭な鋼線と鋼鉄の滑車』をこっそりと調達した。「バレなければいいのでは?」と微笑んだこの少年の顔が、今も脳裏に焼き付いている。
それが何に使われるのか、あえて聞かなかった。彼らが定期的に卸してくれる極上かつ無傷の魔獣素材のおかげで、私は王都の有力な貴族との強固な伝手を得て、王都の数ある商会の中で地位を飛躍的に高めつつあるからだ。
アルが静かに目配せすると、後ろに控えていたバルドが、ズシリと重そうな麻袋を私の足元に置いた。
「……中を確認してください」
言われるがまま袋の紐を解いた私は、中身を見て完全に息を呑んだ。
人間の頭ほどもある、巨大な魔石。これまでに見たどんな魔獣のものよりも濃密で、禍々しいほどの魔力光を放っている。さらにその横には、鋼鉄すら切り裂きそうな大人の腕ほどもある巨大な『爪』が数本。
「こ、これは……ッ!? まさか、『タイラント・ベア』の……しかも、この大きさ……未踏領域の主クラスじゃないか……ッ!!」
私は腰を抜かしかけ、震える手でその魔石に触れた。
間違いない。王都のオークションに出せば、貴族が競って屋敷一軒分以上の金貨を積むレベルの、歴史的な『特級素材』だ。これは、おそらく……王家が絡む……。
「アル君、バルド君……どうして……どうして、君たちがこんな物を持っているんだい……?」
喉の奥から絞り出した私の問いに、アルは涼しい顔で、まるで天気の話でもするように淡々と答えた。
「森の奥で、別の個体と縄張り争いをして共倒れになっていたんです。胸を抉られて死んでいたので、運良く魔石と爪だけを回収させてもらいました。森の奥に入ったことは、皆には内緒ですよ?」
「……」
私は言葉を失った。
偶然死体を見つけた? 冗談じゃない。私が三週間前に納品した『軍用ワイヤーと滑車』。そして今、荷物を下ろしたバルドの右腕の動きが、ほんの僅かだが不自然に強張っていたのを私の目は見逃さなかった。
状況証拠は一つしかない。
(この子たちは、9歳の子供の身で罠を張り、タイラント・ベアを『狩った』のだ……!)
そして、大人たちの目を誤魔化すために、わざわざ「共倒れに見えるような偽装工作」まで完璧に施してきたに違いない。いやいや、そもそも……このクラスが未開の森の浅瀬にいるはずがない、この子たちはそんな奥まで潜っているということだ。
目の前にいるのは、純粋な暴力と知の化身だ。もし私がここで無粋な詮索をして彼らの機嫌を損ねれば、彼らは即座に私を切り捨て、別の商路を探すだろう。
「……なるほど。それは、とてつもない幸運だったね」
私は彼らの『カバーストーリー』を、深く追求せずに飲み込んだ。それが、彼らとの取引における絶対のルールだと悟ったからだ。
「おじさん」
アルが、私の目を見据えて静かに告げた。
「この特級品を、あなたの全財産と、王都のギルドのツテを総動員して『適正価格』で買い取っていただけますか?」
「……もちろんだ。私が懇意にしている王都の貴族に直接持ち込めば、確実に莫大な金貨に化ける。さらに王都のオークションに掛ければだが、その評価は計り知れない。でも、アル君。全額を現金で渡すわけにはいかないよ」
私は、彼らの異常性を恐れながらも、大人としての、そして誠実な商人としての忠告を口にした。
「こんな辺境の村で、君たちのような子供が金貨の山を持っていれば、一瞬でご両親や自警団に怪しまれる。君たちの生活が破滅してしまうんだ」
私が真剣な顔でそう言うと、アルは少し驚いた顔をして、初めて、年齢相応の無邪気さと、大人顔負けの冷徹さが入り混じったような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。そんなあなただからこそ、この取引をお願いしたんです」
アルの言葉に、私はハッとした。
「代金の一部は当座の資金としていただきますが、残りは王都の信頼できる商会に、架空の身分でプールしてもらえませんか。……俺たちがこの村を出る時に、いつでも引き出せるように」
(なんという……なんという子供たちだ)
私は背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
狩りの腕だけではない。彼らは、莫大な資産の『洗浄』と、将来の独立資金までを、完全に計算しているのだ。大人の私を、そのための最も安全な金庫として利用するために。
「……承知した。私の商人としての矜持にかけて、君たちの資産は誰の目にも触れないよう、王都の私の商会で完璧に管理しよう。もし君たちがいつか、この村を出て王都へ来ることがあれば……その時は、いつでも私の商会を訪ねてきなさい」
「よろしくお願いします、おじさん」
バルドが深く頭を下げ、アルも静かに頷いた。
寿命が縮むような相手だ。
もし私が商人の欲に目が眩み、この莫大な資金を持ち逃げしようものなら……この知略と暴力の化身たちは、地の果てまで私を追い詰め、あの未踏領域の覇者のように無残に私の命を刈り取るだろう。
だが同時に、これほど私の商人としての血を沸き立たせる『顧客』は、この国のどこを探してもいない。
私は、彼らがいずれこの世界でどれほどの嵐を巻き起こすのかという恐れと、それに加担できるという商人の喜びに震えながら、特級の魔石の入った袋を馬車の奥深くへと丁重に仕舞い込んだ。




