第29話 超高速の金槌と極上のジビエ
村の裏手、大人の目が届かない俺たちだけの秘密の拠点。
重い麻袋を下ろした俺たちは、泥と汗にまみれた体を地面に投げ出し、ようやく深く、長い息を吐いた。
「……さて。まずは衛生兵の仕事だ。右腕を出せ、バルド」
「……頼む。マジで指先ひとつ動かねえし、腫れ上がって熱を持ってやがる。……けどアル、親父たちの目を盗んで少しずつ治すんじゃなかったのか?」
「予定変更だ。極上のタイラント・ベアの肉が手に入ったからな。後のカロリー枯渇を気にせず、一気に繋ぎ合わせる」
バルドが苦痛に顔を歪めながら、だらりと下がった右腕を差し出す。
10メートルの巨獣の装甲を粉砕した代償。前腕から上腕にかけての筋繊維がズタズタに千切れ、皮膚の下には赤黒い内出血が広がっていた。骨が原型を留めているのが奇跡に等しい。
「少し痛むぞ。歯を食いしばれ」
俺はバルドの右腕に両手を添え、極めて精密な魔力制御を開始した。
一般的に、魔法とは火や土を生み出す『破壊のエネルギー』だと思われている。だが、俺たちの前世の医療知識と魔法の論理を掛け合わせれば、全く別のアプローチが可能になる。
俺の手のひらから、淡い光を帯びた魔力がバルドの腕へと浸透していく。
「――『ヒール』」
「……ぐ、ガァァアアアアッ!?」
バルドが声にならない悲鳴を上げ、全身を痙攣させた。
「痛ぇ!! 痛ぇよアル!! 腕の中で熱湯が沸騰してるみたいだぞ!?」
「暴れるな。細胞が強制的に分裂・結合してるんだ。麻酔なしで筋肉を縫い合わせてるようなもんだから我慢しろ」
魔力はただの破壊エネルギーじゃない。波長を調整して損傷部位で崩壊させれば、その熱量が細胞分裂のプロセスを強制的に加速させる『超高速の金槌』になる。
壊れた筋肉や血管の細胞に魔力の熱を触媒として与え、全身のタンパク質などの物質を強制的に患部へかき集め、数週間かかる自然治癒を数分に圧縮して強制的に『早送り』しているのだ。
当然、戦闘中にこんな真似は絶対にできない。
意識を持っていかれるほどの激痛と発熱を伴う上、何より――。
「……はぁ、はぁ……痛みが、引いた……。すげぇ、指が動くぞ……」
数分後。内出血の痣が綺麗に消え去り、完全に修復された右腕を見て、息も絶え絶えのバルドが信じられないという顔をした。
だが、その代償は明白だった。修復のための物質とエネルギーを全身から強制的にかき集めたため、バルドの頬はこけ、ガタイの良かった肉体が一時的に一回り小さくみえる。
俺も、ゼロ距離射撃の反動で痛めた右の手首を最低限のヒールで塞ぐが、こちらも激しい眩暈に襲われる。
その直後だった。
ギュルルルルルゥゥ……ッ!!
俺とバルドの腹から、雷鳴のような猛烈な腹の虫の音が鳴り響いた。
「腹が……減った……。胃袋が背骨にくっつきそうだ……」
「超高速の細胞分裂の代償だ。無から細胞は生み出せない。猛烈な飢餓感と体力を引き換えにするからな。お前の失われた細胞を作るためのリソースと、俺の魔力制御のカロリー……二人とも、限界まで前借りしてる状態だ」
戦闘の疲労も相まって、視界がチカチカと明滅し始めている。
冗談抜きで、このままでは餓死するか倒れる。
「……焼くか」
「……ああ。焼こう」
俺たちは無言で頷き合い、素早く焚き火の準備を始めた。
麻袋から取り出したのは、タイラント・ベアの背中から切り出してきたばかりの極上のロース肉。10メートルの巨獣の、最も運動量の少ない部位に蓄えられた美しすぎる赤身と脂の塊だ。
手頃な大きさに切り分け、木の枝に刺して、魔力で作った火で一気に炙る。
ジワァァァ……ッ!!
炎に炙られ、分厚い肉塊から透明な脂が滴り落ちる。
脂が炭で弾けるたびに、これまでの魔獣の肉とは次元の違う、脳髄を直接ぶん殴ってくるような暴力的なまでに香ばしい匂いが立ち上った。
「……ヤバいな、この匂い。理性が飛びそうだ」
バルドが涎を垂らしながら、血走った目で肉を見つめている。
「……焼けたぞ」
「いただくぜ!!」
俺たちは熱々の肉塊に齧り付いた。
「――ッ!!?」「――ッ!!?」
口に入れた瞬間、俺とバルドは同時に目を見開いた。
噛む必要などなかった。分厚い肉は、舌の上で暴力的な旨味の奔流となって溶けていく。
極上の肉汁の甘みと、野性味溢れる香りが鼻腔を抜け、そして――。
「なんだ、これ……! 美味いとかそういう次元じゃねえ! 肉が、体に直接『熱』を叩き込んでくるみたいだ……ッ!」
バルドがガツガツと肉を貪りながら叫ぶ。
「高位魔獣の肉には、膨大な魔力が蓄積されてるってことか……」
俺も無我夢中で肉を飲み込みながら、自らの体に起きている異常な変化に驚愕していた。
肉を飲み込むたびに、枯渇していたカロリーと魔力が、爆発的な勢いで回復していくのだ。細胞の隅々にまで熱いエネルギーが行き渡り、痩せ細っていた9歳の脆い肉体の疲労が嘘のように消し飛んでいく。
「美味すぎる……ッ! アル、もう一塊焼け!これは魔石より肉の方が価値があったんじゃねぇか?」
「そんな訳がない……、と否定できないな。今日は限界まで食うぞ」
俺たちだけの秘密の拠点で、誰にも知られることのない極上の焼肉パーティーは夜更けまで続いた。
前世の記憶と、二つの世界の技術。
そして、命懸けの死闘の末に手に入れた、圧倒的な暴力の味。
この日、俺たちはこの過酷な世界で生き抜くための『真の力』の片鱗を、身をもって味わっていた。




