第25話 邂逅
行商人から強靭なワイヤーが届くまでの三週間。
俺とバルドは、実践と訓練を繰り返しながら、それぞれの新兵器の精度を上げていく。そして、それと並行して、もう一つの重要なミッションがあった。
ターゲットのプロファイリングと、戦場の選定である。
村の警戒態勢は一週間も経たずに解除されていた。日々の糧を得るための開拓や狩りを、姿も見せない脅威に対する念のための警戒で何週間も止める余裕など、この辺境の村にはないからだ。
平時通りに木を切り倒す親父や兄さんたちの警戒網を、俺たちは風の音に足音を紛れさせて涼しい顔でパスし、連日のように未踏領域へと潜入した。
そして、俺たちはついに「あいつ」と邂逅した。
山の麓の開けた岩場。
ターゲットの真新しい痕跡を見つけた俺たちは、奴の気配の風下に回り込み息を殺す。
「……きた」
その異様な気配に、俺たち二人の間に強烈な緊張が走る。
「……マジか」
「これは……凄まじいな。推定以上だ……それに、あのマーキングの高さは別個体か……?」
熊の変異種――『タイラント・ベア』に似ているが、スケールが狂っている。四つん這いでも体高は5メートルを超え、体長は10メートルに達するかもしれない。体は岩のように隆起した筋肉と、硬質な外殻に覆われていた。
「こんなバケモノが複数体いるとなると、作戦の軌道修正が必要だな……」
「ああ。あれを二体同時に相手にするとなれば、確実に生還不可能なミッションに変わる。戦闘中に別個体が介入しないよう、広域の縄張りを把握して『一体だけ』をエリア外に誘い出し、隔離する必要がある」
「戦闘の様子も見ておきたいな。……あれの相手になる魔獣がいるとは思えないが」
俺たちは、それから数日掛けて観察を繰り返した。
息を殺す俺たちの前で、そいつは中級魔獣『アーマーボア』を圧倒的パワーで捕食していた。
アーマーボアが死に物狂いで突進を仕掛けても、そいつは丸太のような右腕を無造作に振り下ろすだけで、分厚い鋼皮の頭蓋を紙くずのように粉砕してみせた。
(……見ろ、アル。あいつの右腕の可動域。装甲の厚みで、肩の関節の振りかぶりが予想よりわずかに遅い)
(ああ。だがその分、振り下ろす力は異常だ。当初予定していた胸の高さにワイヤーを張っても、あの腕力で強引に引きちぎられる可能性が高い。拘束位置を変更するぞ)
俺たちは極限の緊張感の中、視線とわずかなハンドサインだけで作戦を軌道修正した。
(首と、後ろ足だ。前肢を使わせる前に、突進の勢いを利用して首を吊り上げ、同時に後ろ足の腱をワイヤーでロックする。重心を強制的に崩せば、あの腕力は発揮できない)
(……アンカー(支点)にする木も、予定より太いものを選ばないと根本からへし折られるな。少し戻った獣道の交差点……あそこに、あいつの巨体を吊り上げる極上のキル・ゾーンを構築する)
(……それにしても。こいつの前だと、あの巨体のアーマーボアがまるで『うり坊』みたいだ)
(あぁ。馬鹿げた大きさだ)
十分な観測データ(パラメータ)と、完璧な設計図。
あとは、それを形にするための「素材」だけだった。
――そして、約束の三週間後。
行商人の男は、約束通り軍需ギルドから横流しされた「最高級の鋼線」の束と、重荷重に耐える「鋼鉄の滑車」をこっそりと俺たちに引き渡した。男の顔は、危険な橋を渡った緊張と疲労でゲッソリとして見えたが、受け取ったシャドウウルフの極上素材を見て、心なしか元気を取り戻して帰っていった。
「……役者は揃ったな」
「ああ。狩りの時間だ」
俺たちはその足で、迷うことなく未踏領域の奥深く――事前に選定しておいた獣道の交差点へと向かった。
別の個体が数キロ先の谷へ移動していることを、真新しい痕跡から確認済みだ。介入の危険はない。
俺たちはすぐさま荷物を下ろし、無言で工兵としての作業に取り掛かった。持ち込んだワイヤーの張力と耐荷重を計算し、巨木の幹に幾重にも巻きつけて固定する。
滑車と複雑なロープワークを駆使し、体長10メートルの巨獣が突進の勢いで自らの四肢と首を宙吊りにする悪辣なトラップを編み上げた。
「……罠の構築、完了だ」
バルドが最後に滑車の動作を確認し、短く息を吐いた。
「俺の狙撃位置は、あの倒木の上だ。徹甲弾のチャージタイムは特訓で『一秒半』まで削ったが、まだ隙はデカい」
俺はカランビットナイフのリングに指を通し、罠の奥の高台を指さす。
「十分だ。俺が囮になって、あいつをこの罠のど真ん中まで引っ張ってくる。罠にかかり完全に動きが止まった瞬間に、俺がパイルバンカーで脳髄を叩き割り、そこへお前が徹甲弾をブチ込む」
バルドは肉厚なファルシオンを肩に担ぎ、獰猛に笑った。
「行ってくる。しくじるなよ、アル」
「お前こそ、途中でミンチにされるなよ」
バルドが音もなく森の奥――事前に把握していたタイラント・ベアの休息地へと消えていく。
俺は倒木の上に伏せ、カランビットのリングに指を通したまま、気配を完全に殺して森の静寂に溶け込んだ。
十分。二十分。
風が止み、森の鳥たちの声が完全に消え失せた。
――ズゴォォォォンッ!!
突然、数百メートル先の森の奥で、巨木がへし折られる轟音が響いた。
直後、腹の底を震わせるような、激怒に満ちた獣の咆哮。
圧倒的な質量が「地面を押し潰す」地鳴りが、猛烈なスピードでこちらへ向かってくる。
「……来たか」
木々の暗がりを縫うように、バルドが超加速を駆使してキル・ゾーンへと飛び込んできた。
その背後。
立ち塞がる太い木々を和紙のように粉砕しながら、規格外のバケモノ『タイラント・ベア』が姿を現した。自分にちょっかいを出したちっぽけな羽虫をすり潰すため、完全に血走った目をしている。
(バルド、行けるか……)
俺は冷静に戦況を見つめ、胸の中で相棒に呼びかける。
一撃でもあの前肢が掠れば、9歳の体など即座に破裂する。ここから罠の「中心」まで、死の綱渡りのヘイトコントロールだ。
だが、バルドは全く躊躇しなかった。
「――『ブースト』」
罠の中央付近で急ブレーキをかけ、突進してくる巨獣の攻撃を紙一重で躱し、逆に死角へと無音の超加速で踏み込んだ。
そして、その強大な後肢の関節部に向かって、ファルシオンを容赦なく叩き込む。
ギィィィンッ!!
激しい金属音が森に響き渡った。
決戦の火蓋が、ついに切って落とされた。




