第17話 コントロールされた自爆
いつもの雑木林。
雨でぬかるんだ地面に叩きつけられた衝撃で、肺から強制的に空気が吐き出される。
「……ッ、ガハッ……!」
俺は泥まみれの身体を無理やり起こし、口の中に広がった血の味を吐き捨てた。
魔力の斥力に筋繊維が耐えきれず、内側から弾けたのだ。毛細血管がところどころ破綻し、皮膚の下にどす黒い内出血を起こしている。
「やはり、出力と重心の連動がバラバラだ……」
太い木の幹に背を預けながら、俺は自身の失敗を冷静に分析した。
先日、アルの兄さんから「アルが母親に外出禁止を食らった」と聞いた時は、あのアルが悟られたことに驚いた。だが、あの狂人を休ませるにはいい機会だと思う。
そして、アルがベッドに縛り付けられているこの数週間は、俺にとって絶対に必要な時間だった。
アルは無詠唱で魔法を撃ち出そうとして自爆した。外界への扉が開かず、放たれるはずだった運動エネルギーの反動が術者自身に逆流し、己の肋骨を内側へ向かって叩き折ったのだ。
俺の『身体強化』は、そのシステムエラーを意図的に引き起こす。
外界への扉を完全に閉じたまま、体内で莫大な『運動エネルギーのベクトル』を生成し、魔力を崩壊させる。
出力先を失ったエネルギーの膨張圧は、術者である俺の肉体そのものに物理的な負荷として作用し、俺の『手脚』を直接、強制的にその方向へ駆動させる。
自分の骨と筋膜を『シリンダー』とし、魔法の力で見えない『人工筋肉』を組み込んでいるようなものだ。常人の枠を完全に超えた異常な膂力と速度を生み出せる。理屈は内燃機関と同じだ。
だが、それを『実戦レベルの戦闘技術』に落とし込むのは、戦艦のエンジン出力を小型のボートに無理やり積むようなものだった。
先ほどの踏み込み。
魔力の崩壊による異常な推進力が下半身を強制駆動させた瞬間、足は一瞬で数メートル先へ到達した。しかし、上半身がその加速に置いていかれ、完全に重心が崩れた。そこから無理やり長剣を振ろうとすれば、魔法の圧倒的なトルクと遠心力に身体のフレームが耐えきれず、自ら関節を外し、地面に激突する羽目になる。
前世で極限まで研ぎ澄ませたCQCの精密なバランスが、この規格外のエンジンのせいで完全に狂ってしまっているのだ。
「……ただ力を出すだけなら三流のやることだ。俺が欲しいのは、コンマ一秒の狂いもない『完全なシンクロ』だ」
俺は息を整え、再び立ち上がる。
目の前にある、大人が両手を回しても届かないほどの巨木を標的に見据えた。
脳が認識している身体感覚と、実際の出力の誤差。これを修正するには、体内で魔力が崩壊する『その瞬間』を、筋肉の収縮や重心移動のタイミングと完璧に合わせる必要がある。
システムをハックするための詠唱は必要ない。
必要なのは、己の脳と肉体に『今、この瞬間に爆発させろ』と命令を下すための、極めて鋭敏なトリガーだ。
俺は長剣を抜き放ち、静かに構えた。
(シッ)
「……ッ、ガハッ……!」
だめだ。突然の推進に思考が追い付かない。
前世の記憶が蘇る。徒手格闘において、極限の打撃を放つ瞬間に打撃手はどうするか。
――息を吐くのだ。
「……試してみるか」
魔力を練り上げ、体内の圧力を極限まで高める。
まだだ。まだ扉は開けない。内側に閉じ込めろ。筋膜という密閉されたシリンダーの内に、魔力という名の『爆薬』を充填するイメージ。
そして、踏み込む直前。俺は丹田に力を込め、獣が威嚇するように短く、鋭く呼気を吐き出した。
「――『ブースト』」
その一言が、肉体に対する絶対の実行キーとなった。
ドンッ!!
言葉と同時。
俺の右足が地面を蹴った瞬間、体内で抑え込まれていた魔力が完璧なタイミングで暴発した。
今度は上半身が置いていかれることはない。呼気によって全身の骨と筋肉が瞬時に硬直と弛緩のバランスを最適化する。循環する魔力が内圧を高め、身体の内側に『見えない鋼鉄のフレーム(剛性)』を形成し、異常な加速の負荷をすべて受け止めたのだ。
無音の超加速。
景色が線になり、数メートルの距離が『ゼロ』になる。
ギィィンッ!!
俺が打ち下ろした長剣の柄頭が、巨木の幹に深々とめり込んでいた。
分厚い樹皮が粉砕され、衝撃で巨木全体が微かに揺れる。
「……ビンゴ」
激しく痺れる右腕を軽く振りながら、俺は獰猛な笑みをこぼした。
コントロールされた自爆。まだ不完全であるが道筋は見えた。
だが、俺の身体操作センスと、極限の『呼吸法』としての短いコマンド(タクティカル・コード)。これらが組み合わさって初めて、この魔法は実戦で使える武器へと昇華する。
「……内圧の制御が甘い。一歩間違えれば、自身の骨を粉砕しかねない脆い矛だ。全身の筋肉が内側から破裂しそうな負荷だが……まあ、慣れるしかないな」
俺は長剣を鞘に収め、空を見上げた。
まだ、加速時の筋肉の軋みは大きい。アルの肋骨がくっつくまでに、この誤差を完全にゼロにしておかなければ、あの天才に置いていかれる。
「さて、日が暮れるまでにもう百回……いや、動けなくなるまでやるか」
俺は泥を払いもせず、再び巨木に向かって深く腰を落とした。




