三日後 幸運の女神
試練。
茂川雫ちゃんは、まさに、その時を迎えていた。
教室内の生徒たちは、キャンプファイヤーを迎えるに当たっての、グループごとに固まっている。
ひとり、席に着いたまま動こうとしない、雫ちゃんは、当然ながら、皆の関心を、一身に集めている状況だった。
地獄絵図のよう、という形容がぴったりの、悲惨すぎる光景である。
幼稚で奸悪な男子生徒たちが、黙っているわけもなく――。
「先生! 大変でーす! 茂川さんが、一匹オオカミを気取って、クラスの和を乱してんですがぁぁぁっ!」
案の定、岩津予義也が、口火を切った。
教壇に立っている、クラス担任の前浦教諭は、苦々しげな表情を浮かべている。
「茂川、おまえは、本当に、困った奴だなあ。キャンプファイヤーの時に、ひとり寂しくしてる生徒がいると、おれの、監督責任が問われるんだよっ。
おい、どうなんだ? 茂川。同じ二年の女子のなかで、しいてグループを組むとしたら、誰のところがいいか、指名してみろ。指名された側が、拒否することは、おれが認めないから、心配は無用だぞ。さっ――、誰だ?」
朝、グループ決めの件について、雫ちゃんには、きっぱりと断っておいたから、まさか、摩希の名前を出すことはあるまい。
雫ちゃんは、声を発するどころか、身じろぎ一つできないような有様である。
予義也の配下である男子が、鬼畜みたいな性悪ぶりを発揮する。
「あれま――、この期に及んで、黙秘とは、図太い神経してるわ。そこまでして、学校行事そのものを、妨害したいのかい。もはや、完全に反乱分子だな。佐伯巡査に告発したら、マジで逮捕あるぜえ」
「キャンプファイヤーだけに、日曜日、モカちゃんは、異端者として、火あぶりの刑!」
前浦教諭は、うんざりしたように首を横に振った。
「もういい――。埒が明かないから、二年の女子、それぞれのグループの代表者で、ジャンケンしろ。負けたところに、茂川を、ぶっ込む」
「えええーっ。雫は、単独行動が好きなんだから、なにも、無理にグループに入れる必要は、ないんじゃないですかあ?」
二年生の女子生徒が、不満の声を上げる。
「そうだよね。どうせ、キャンプファイヤーの時にも、読書してるだけだろうし」
よく見ると、今、雫ちゃんの体は、小刻みに震えているような印象さえ受ける。
おそらく、その胸の内にあるのは、怒りでも悲しみでもなく、この世から消えてしまいたいほどの、屈辱の感情だろう。
「雫ちゃん!」
突然、男子生徒の声が発せられ、皆の意識が、そちらに惹きつけられる。
呼びかけたのは、三年生の藤沢諭羅くんだった。彼と、その親友の久賀友彦くんが、雫ちゃんの席に向かって歩いてくる。
「おれらのところも、二人だけなんだ。だから、よかったら、おれらとグループを組まないか?」
諭羅くんは、身をかがめるようにして、席に着いている雫ちゃんと目線を合わせる。
その発言に、ほかの生徒たちは、ざわざわとした。
今度は、友彦くんが、前浦教諭に向かって、
「先生! キャンプファイヤーのグループは、同じ学年同士で組まないといけないとか、男子女子が一緒になっちゃいけないとか、学校の規則で決められてるんですかっ!?」
と、声高らかに質問した。
「いや――、規則で決まってる、わけでは――、ないな……。単に、そういう共通認識のもと、なんとなく、みんな、それに従ってるだけで――。そうだ。うん、おれとしても、その三人で組んでくれると、大助かりだ」
前浦教諭は、明らかに面子を失った格好ながらも、最後には、ほっとした様子を示す。
まったく、どっちが大人だか、わからない。
「それじゃあ、決まりだ。いいよね? 雫ちゃん」
友彦くんは、雫ちゃんの肩に、ぽんっ、と手を置く。
地獄から生還したに等しい、雫ちゃんは、これは、現実なのかと問うような眼差しで、友彦くんの顔を見やる。
摩希は、その様子を眺めながら、内心、その三人のほうに、思いっ切り右手を伸ばしていた。
なになになに――。ちょっとちょっとちょっと――。
雫ちゃんは……、キャンプファイヤーの夜、あの諭羅くんと一緒に、行動することになるってわけ……?
まさに、災い転じて福となす、というやつじゃないのっ!
他方、諭羅くんや友彦くんとは真逆に、さらに男を下げるような発言をしたのが、ほかでもない岩津予義也だった。
「特別な日の夜に――、テント内で、男女が肩を寄せ合うって――、こりゃあ、モカが、男を知る、千載一遇のチャンスとばかりに、変な気、起こしそうだなあぁぁっ。
目をぎらつかせた、超、肉食系女子、モカ。もはや、女豹よ、女豹。
おい、モカっ! そん時は、女豹らしく、四つん這いになって、尻を突き上げたポーズで、誘いをかけてみろや。案外、イケっかもしんねーぞおっ!」
その時、諭羅くんが、つと、予義也のほうを見て、一瞬、間を置いてから、そちらに向かって歩きだした。なにやら、それまでとは打って変わって、諭羅くんの眼光が、怖いくらい鋭くなっているのが見て取れる。
予義也のほうは、ポケットに両手を突っ込んで立っており、諭羅くんを迎え撃つ姿勢を崩さない。
ほどなくして、長身の二人が、至近距離でにらみ合う格好となった。
「んだよ、諭羅くんっ。おれは、別に、諭羅くんに対する悪口を言ったわけじゃ、ねーだろーがよおぉっ」
「おまえ、人間としての、最低ラインにすら、立っていない奴だとは思ってたけど、本当に、脳みそが、虫ケラ並に退化してるみたいだな」
体格的に見て、もし、取っ組み合いの喧嘩に発展した場合、互角の勝負となるのではないか。そう思ったが、しかし――。
「あのさあ、諭羅くんも、ぶっちゃけ、人望を集めたいから、そういう、臭いこと言ってるわけでしょ? もう、やめない? ヒーローぶるのは、逆に、ものすげー、かっこわる――」
諭羅くんが、わずかに身を低くした、次の刹那のことだった。
アッパーカットの軌道を描いた、その右の拳が、予義也のみぞおちに、どすんと音を立ててめり込んだ。
「うごぉっ!」
予義也は、みぞおちを両手で押さえ、腰が、くの字になるほど背中を丸めた。よほど苦しいのか、口から、よだれが垂れる。
諭羅くんは、その予義也の無防備な背筋に、情け容赦なく垂直に肘を落とす。
「ぐげぇぇぇぁっ!」
背骨の折れる音まで聞こえてきそうな、強烈な打撃だった。
予義也は、床に倒れ込むと、凄まじい形相で転げ回り始めた。
「い、いてえっ! いてえっ! マジで、いてえぇぇっ! っていうか! 腰から下が、痺れて動かねえ! おっ、おい! おまえら! 職員室に行って、救急車を呼んできてくれえぇぇぇ!」
その半狂乱の訴えは、予義也のグループの仲間である、二人の男子生徒に向けられたものだった。
彼らも、これは、非常事態だと悟ったらしく、判断を委ねるように、前浦教諭に視線を向ける。
しかし、前浦教諭は、ここでも、教育者としての自覚など、かけらも持ち合わせていないかのような態度を示した。
「おいっ、岩津! その程度で、ぎゃーぎゃー喚き散らすなんて、見かけ倒しもいいところだなあ? 小悪党なら、小悪党なりの矜持にかけて、立ち上がってみせろや!」
そう言葉を浴びせ、「ハッハッハッハッハッ!」と、豪快に笑う。
「いやっ! ちげっ! マジで、痺れて動かねーんだって! こえーよぉっ! とにかく、先生! 頼むから、救急車を呼びに行ってくれってぇぇぇのっ!」
本当に動かないのか、床に転がっている予義也は、必死に背筋運動のような動作を繰り返している。その姿は、失笑を誘うほど無様だった。諭羅くんの言う虫ケラではないが、それこそ、芋虫みたいに思えてくる。
まさか、キャンプファイヤーのグループ決めの時間、雫ちゃんに、幸運の女神が微笑みかけ、予義也が、地獄を味わうことになろうとは、予想だにしない結果となったのだった。




