一日後 お導き
帰宅すると、すでに、父の敬一と、兄の舜の姿もあった。二人とも、早く仕事が終わったらしい。
父と母は、ちゃぶ台に着き、夕食を食べている最中だった。兄は、部屋の隅に寝転び、例によって漫画を読んでいる。
ここは、ダイニングキッチン兼、父と兄が寝起きする部屋なのだ。
摩希は、二階に上がり、部屋着に着替えた後、食事のために一階に降りた。
ご飯と味噌汁をよそい、ちゃぶ台の前に正座すると、案の定、父が訊いてきた。
「今日は、ずいぶん遅かったな、摩希。今まで、どこに行ってたんだ?」
一瞬、摩希は、返答をためらった。グネルド教に対し、両親が、いい印象を持っていないことを知っていたからだ。とはいえ、後ろめたいことなど、何一つとしてないので、
「教会」
とだけ口にする。
それを聞いた父は、露骨に顔をしかめた。
「また、グルネド教とかいう教団のところに、通い始めたのか」
「グネルド教だよ、お父さん」
摩希は、静かな声で指摘した。
「どっちでもいいっ。とにかく、その教団を仕切ってる、東堂さんだかなんだか知らないけど、あのお婆さんはな――」
父は、右手の人差し指を、自身のこめかみに向けると、続いて、その手を、ぱっと開いた。
「――なんだよ」
摩希は、つと、父の顔を真っ直ぐに見た。むろん、父が、何を言いたいのかは理解していたが、
「どういう意味?」と、問う。
父も、こちらを見返し、げんなりしたように、大きくため息をついた。
「頭が、おかしいってことだ。病気なんだよ、病気」
その言葉は、摩希にとって、聞き流せるものではなく、箸を止めた。
「どうして? どうして、お父さんは、東堂さんのことを、何も知らないし、知ろうともしないのに、そんなふうに、悪く決めつけられるわけ?
東堂さんは、とっても偉大な方だし、それに、グネルド教の教会に来るのは、みんな、善良な人たちだよ」
今度は、母が、やるせなそうに嘆息した。
「ねえ、摩希……。何か、困ったことがあるのなら、まず、お母さんやお父さんに相談して? いつも、元気そうに振る舞ってるけど、実は、学校で、嫌な目に遭ったりしてるんじゃないの?」
摩希は、それに答えず、黙々と食事を口に運ぶ。
今日、岩津予義也から受けた、容姿侮辱のことを、父と母に打ち明けたところで、つらい状況は、これっぽっちも好転しなかったと確信している。東堂さんの謦咳に触れたからこそ、人生の真理というべき、気づきを得られたのだ。
他方、ちゃぶ台を囲む三人のやりとりなど、どこ吹く風とばかりに、兄は、漫画に夢中になっている。しかも、どうせ、小等部の生徒が好むような、幼稚な内容の漫画なのだ。十七歳にもなって、そんなものを読みながら、へらへらと喜んでいる兄の姿を見ると、どうにも悲しくなってくる。
時おり聞こえる、「フヘヘヘッ」とか、「ヒヒヒヒッ」という笑い声には、薄気味の悪さすら感じてしまう。
ダメだ、この空気――。
苦痛すぎる。
娘の反抗と捉えたのか、父が、堪りかねたように、母に向かって言う。
「もう、グネルド教? あの教団について、佐伯巡査に相談すべきかもな。東堂さんなんて、お婆さんは、取り締まりを受けたらいいんだ」
「……そうねえ」
母までも、控えめな賛同を示す。
摩希は、きっ、とした視線を父に向けた。
「もしも、お父さんのせいで、東堂さんが、逮捕されるようなことがあったら、あたし、絶対に許さないから」
その後、最後の一口を飲み込み、「ごちそうさま」と立ち上がった。使った食器を、台所のシンクに入れ、そのまま階段に向かう。
二階に上がり、母と共同で使っている小部屋に戻ってきた。仕切りのカーテンを引き、その奥に入る。
それから、畳んでおいた布団を敷き、その上に、ごろんと寝転がる。
父と母が、グネルド教を毛嫌いする、その最大の理由は、だいたい見当がつく。
一言で言えば、新興宗教であるためだ。
以前、摩希は、グネルド教の成り立ちについて興味を持ち、図書館にある宗教関連の本を、片っ端から読んでいった。
けれど、どの本にも、グネルド教のことは書かれていなかった。だから、この十年くらいの間に生まれた宗教だと予想される。それも、おそらくは、この村特有の宗教なのだろう。
ちょっとでも歴史をかじった者なら、誰でもわかることだが、人は、そうした宗教を、胡散臭い、忌まわしい、という目で見て、しまいには、カルトのレッテルを貼り付ける。
父も母も、そういう典型的な単純思考の人間なのだ。
と、そこで、ふと疑問を抱く。
では、自分は、何がきっかけで、グネルド教と、つながりを持つようになったのだろう――?
その辺りの記憶は、ひどく曖昧だった。
ひょっとすると、村のどこかで、両親とはぐれ、迷子になっていたところを、教団の人に保護されたとか、そんな些末な出来事が始まりだったのかもしれない。だとすれば、それは、まさに、グネルド教の神の、お導きというものだ。
なんにせよ、グネルド教の偉大なる司祭、東堂さんと出会えたからこそ、今の自分がある。
今日は、それを、改めて確信するに至った。
その幸せの余韻を噛み締めていたいものの、しかし一方で、心身共に、くたくたになっていることを自覚してもいた。
この日は、摩希にとって、ある意味、激動の一日だったといっていい。
明日の学校のことを考えると、早めに寝て、充分な休息を取るべきかもしれない。
そのため、摩希は、さっそく一階に降り、入浴と歯磨きを済ませた。それから、二階の部屋に戻ってくるなり、バッグの中から、今日、図書館で借りてきた、二冊の本を取り出した。
布団に入り、仰向けに寝た体勢で、本を読み始める。
そうして、ちょうど、二冊目が読み終わる頃、徐々に眠気が襲ってきた。
第一章に相当する一日目が、こうして経過しました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
作風が肌に合いましたら、『二日後』以降も、お付き合いいただけたら幸いです。




