第8話 杖の天才
「詠唱は聞こえなかった...つまり、固有魔法か!?」
狛我の放った渾身の一撃は、アイが地中から突き上げた骨の柱によって阻まれた。本来、魔法とは詠唱を介してのみ発現するもの。だが、永きにわたる修練と、契約獣との対話の果てに辿り着く極地がある。それが固有魔法と呼ぶ。特定の所作を媒介に、術式を編まずとも現象を引き起こす高等技術だ。
指を鳴らして火を熾し、二指を突き出して風を断つ。その次元の業を、目の前の少女は事も無げに披露していた。
「(魔力を完全に遮断できる技術それが出来るなら、固有魔法を行使できるのは納得がいく...だが)」
狛我の脳裏に、一つの疑念が浮かぶ。
「もしかして貴様、見た目に反してかなりの年増なのか?」
「...バカ?なわけ...ないでしょ」
アイは冷ややかに言い捨てると、手にした杖を軽く振るった。直後、地面から無数の鋭利な骨の棘が牙を剥き、狛我へと殺到する。
「くっ、舐めるな!」
迫りくる骨の槍を剣で薙ぎ払い、狛我は大きく後方へ跳んで間合いを取った。着地と同時に、彼は視線を鋭く研ぎ澄ませる。
「知れば知るほど、ぼ...俺の中の疑問は深まるばかりだ。これほどの実力がありながら、なぜ今までその名が世に響かなかった?」
「...別に、名を上げるつもりなんてない...から。まあ、あえて理由を言うなら、おじいちゃんが過保護...なの、だからあまり任務を受けさせてくれなかったのが一番...かな」
「そうか...」
あまり納得のいかない回答だったが、狛我の体はすでに動いていた。再び距離を詰め、骨の防御ごと断ち切らんと横一閃の回し斬りを叩き込む。アイは応じるように、杖の先端でトントンと数回、地面を叩いた。
その瞬間、彼女の背後から巨大な背骨が天を突くように伸長し、周囲を包み込むように肋骨が展開される。現れたのは、地中から這い出した巨大な頭のない骸骨の半身だった。
「この規模、これも固有魔法だというのか!?なんて、規格外な魔導師」
骸骨が振るう丸太のような腕を跳躍でかわし、狛我は守りの中心にいるアイへ剣を振り下ろす。しかし、盾となった肋骨は微動だにせず、逆に狛我の剣が甲高い音を立てて砕け散った。
「なんて硬度だ...ならば!」
剣を捨て、狛我は指先を揃えて鋭い手刀を突き出した。狙いは肋骨の隙間。だが、その一撃も虚しく空を突く。骨と骨の狭間には、物理的な隙間を埋めるように濃密な魔力の膜が張り巡らされていた。
「面倒...無意味なこと、やめて」
「やむを得ない...使うしかないか。召喚――ッ!?」
狛我が契約獣を呼び出そうとした瞬間、足元に展開されかけた魔法陣が、ガラス細工のように脆く砕け散った。アイが放った、暴力的ともいえる濃密な魔力の波動が、術式そのものを物理的に粉砕したのだ。
「面倒だって言ってる...これ以上戦っても、無駄...ボクを狙う要件は何?」
「...不動亜里好という男を殺す。その関係者も含めて、だ」
攻撃は通じず、召喚すら封じられた。この実力差では逃亡も叶わない。追い詰められた狛我は、奥歯を噛み締め自爆特攻の覚悟を決めた。無意味な足掻きだとしても、生け捕りにされて情報を引き出される主人を裏切る屈辱に比べれば、死の方が幾分かマシだった。
「...そう」
「な、んだと...!?」
自爆用の宝具を起動した瞬間、再びアイの魔力が干渉する。乱された術式は起動することなくガラクタへと成り果てた。魔力を遮断しながらも、これほど精緻に魔力を行使する。狛我は己の完敗を悟った。
「死にたくないなら、生かして...あげる。ボクの魔力に耐え切れたら、の話...だけど」
アイが、これまで固く閉ざしていた魔力の遮断を解いた。直後、天を衝くほどの膨大な魔力が爆ぜ、周囲の空気が重く沈む。狛我は声すら失い、その光景に目を疑った。
アイの魔力には、色が付いていたのだ。本来、魔力とは冬の湯気のように透明で実体のないもの。だが、稀に覚醒者の中でもさらなる深淵に至る者がいる。二次覚醒者と呼ばれる魔力に魂が宿り、術者の本質を写し出す色を帯びる極地。
アイを包むのは、吸い込まれるように美しく、恐ろしいまでの紫だった。
「王色だと?!ば...化け物め」
才能を持ってしても生涯をかけても辿り着けぬ者がほとんどであるその領域に、その若さで君臨する少女、まさに魔法の王。いや、世界が産んだバグそのものだった。
「...逃げる度胸だけは、あったみたい...だね」
並の人間ならば意識を保つことすら不可能な重圧の中、狛我の姿は霧のように消えていた。アイは追わなかった。
「お前たちの主とやらに、ボクという存在を...知らしめればいい」
これほどの化け物が実在すると知れば、奴らは『魔物の力を持つ男』よりも、いずれ教団の脅威となり得る化け物じみた少女を優先して狙うだろう。アイはあえて底知れぬ力を見せつけ、自分を標的の最優先順位へと押し上げたのだ。
亜里好の安全を確保できるなら、自分という盾を差し出すことに躊躇いはない。たとえどれほどの刺客が送られようとも、今の彼女にとって敵ではないのだから。
それは、彼女なりの恩返し。
「アイスの、お礼...」
遠ざかる刺客の気配を感じながら、少女は誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
◇◇◇
「やべぇな、攻撃が通る気がしねぇ...」
亜里好は内心で毒づいた。彼の戦闘スタイルは、獲物と強靭な肢体を駆使した圧倒的な手数にある。一度流れを掴めば止まらない連撃。だが、その猛攻もユウシャの前では形を成さない。マサカリは鋭い爪に弾かれ、拳や蹴りは鉄壁の鱗に阻まれる。
――ん?待てよ。わざわざ武器を爪で防いだのか?ってことは、あの鱗にもマサカリなら通るってことか。なら、試す価値はあるな!
「挑戦者、亜里好!貴殿の実力、この程度ではあるまい!もっと互いの武を高め合おうではないか!」
「よく回る舌だねぇ。喋りすぎて噛み切るぜぇ」
亜里好が右手に意識を集中させると、その肌がどろりと黒く変色した。それは呪力を右腕に圧縮させた、いわば即席の装甲だ。内功のような身体強化でも、外功ほどの硬度もない。だが、その拳は鉄のグローブを嵌めたに等しい衝撃耐性を得る。これならば、あの硬鱗を全力で殴りつけても拳が砕けることはない。
亜里好は地を蹴った。数メートル後ろに吹き飛ばすほどの勢いで拳を叩き込み、無理やり隙を作ると、間髪入れずにマサカリを投げ放つ。
「得物を投げ捨てるとは正気の沙汰か!戦いを捨てたのか!」
ユウシャが嘲笑と共に、回転しながら迫るマサカリを爪で弾き飛ばした。だが、それこそが亜里好の狙い。視界をマサカリに奪われた一瞬、彼女は既にその懐へと潜り込んでいた。
「っ!?」
「痛てぇ、本当硬ぇ」
下段からの猛烈なアッパーカット。衝撃にユウシャの視界が跳ね上がる。
「やるな...!だが、武器を失った貴殿に何ができる!」
「ぶった斬る事はできるぜぇ」
亜里好の口角が吊り上がる。
「我が手に――『帰還』」
「なっ...!?」
「悪りぃが、つまみ食いさせてもらうわ。いただきます――『噛み砕け』」
鮮血が舞い、ユウシャの左腕が宙を躍った。弾き飛ばされたはずのマサカリが、いつの間にか亜里好の手に戻っている。投げても、弾かれても、詠唱一つで主の手元へ回帰する。それがこの武器に宿る魔法。
亜里好は宙を舞う肉塊を掴み取ると、それを黒い泥のような呪力で強引に飲み込んだ。
「ッ...なんだこれ!?」
直後、全身を駆け巡ったのは、今まで喰らってきた魔物とは比較にならないほどの奔流だった。たった一本の腕。それだけで、理性を焼き切らんばかりの力が心臓を叩く。
「む、その腕...何だ、それは」
ユウシャの困惑した声が響く。亜里好の右腕は、手首までが黒いペンキを塗ったかのような禍々しい鉤爪の籠手へと変貌していた。その甲には、意志を持つかのようにギョロリと動く不気味な瞳が宿っている。
腕一本で、ここまでの変貌。確信した。目の前の獲物は、これまでの魔物とは圧倒的に格が違う。
「なるほどここまでとは」
「ちっ」
失われたはずの左腕に、ユウシャが意識を集中させる。肉が蠢き、骨が軋む音を立てて爆発的に膨れ上がった。それはトカゲの尾の再生を彷彿とさせたが、再生した肉体には以前よりも硬質な、芯の通った骨の存在感があった。
「よかろう。ならば、こちらも本気で応えねば失礼というもの」
ユウシャは大きく後方へ跳ぶと、地面に突き立っていた獲物を引き抜いた。ただの槍ではない。横に鎌状の刃が張り出した上鎌十文字槍。長大なリーチを誇るその得物は、接近戦を主とするマサカリにとって死神の鎌にも等しい脅威となる。
――投擲は二度と通用しねぇな
亜里好は唇を噛み、異形へと変貌した右腕を掲げた。
「振ったことはねぇが、背に腹は変えられねぇ...吐き出せ――『異袋』!」
ドロリとした呪力の渦から、一振りの刀が這い出した。亡き母が振るっていたという愛刀。刀など握った経験はない。だが、その柄に指をかけた瞬間、得も言われぬ馴染みが手の平を伝ってきた。
――なんだこの感覚...妙に手に吸い付く。だが、何か物足りない感が...
「行くぜぇ!」
亜里好は先行してマサカリを投じ、自身も弾丸のごとき踏み込みで間合いを詰めた。金属音が火花を散らし、二人の影が戦場を舞い踊る。
「力を隠していたのか、貴殿!」
「いいや、俺はずっと本気だ。お前がそうさせたんだよ!」
刀を握ったことで、亜里好の戦闘能力は爆発的に跳ね上がっていた。マサカリと刀、二振りの得物が織りなす連撃は、先ほどまでとは比較にならない重圧をユウシャに与える。
「さて、これはどう避ける!」
ユウシャの身体が独楽のように鋭く回転した。遠心力を乗せた槍が、大気を震わせ横一文字に奔る。必殺の薙ぎ払い。だが、亜里好は紙一重の制動でそれを紙一重で回避し、生じた隙へ吸い込まれるように刀を突き立てんと踏み込んだ。
しかし、その隙こそが致命的な罠だった。
「がはっ...くっ!?」
回転の勢いを殺さぬまま、槍の軌道を追うようにしてしなった巨大な尾が、亜里好の鳩尾を正確に貫いた。槍と尾。それは二人の熟練した槍使いを同時に相手にしているかのような、死角なき波状攻撃。
くの字に折れ、弾丸のように吹き飛ばされる亜里好。だが、宙を舞う瞬間、彼は血反吐を吐きながらも笑っていた。強引に振り抜いたマサカリが、ユウシャの肩肉を豪快に削ぎ落とす。だが、それでもすぐに再生する。
着地と同時に亜里好はマサカリからリボルバーへと獲物を切り替えた。
「不死身かよ...」
「不死身ではない。心臓を貫かれれば、私とて死に至る」
「そりゃ、弱点を教えてくれて、どうも!」
銃声が爆ぜる。中距離からの牽制射撃。火花を散らすユウシャの懐へ、亜里好は超速の踏み込みで潜り込んだ。その時、亜里好の指先に異変が走る。
刀の刃が初めてユウシャの鱗を捉えた。マサカリのような鈍い反発はない。抵抗を一切感じさせない、まるで豆腐を断つかのような、薄気味悪いほどに軽い手応え。
「む...これはっ」
軽く受け流すつもりだったユウシャの表情に、初めて明確な戦慄が走る。その一閃に宿る切れ味が、彼の想定を遥かに超越していた。
「クソッ、次から次へと!」
休む暇はない。突き出される槍の点と、死角から鎌首をもたげる尾の面。亜里好は空中でリボルバーを抜き放ち、三連射を叩き込んだ。
一発は槍の穂先を弾いて軌道を逸らし、残る二発は尾の関節を精緻に撃ち抜く。肉が爆ぜ、一瞬の空白が生まれた。
「そこだッ!」
銀光が走る。脇腹を深く裂き、熱い血がどろりと溢れ出した。
「ぬうっ...やるではないか」
ユウシャの猛反撃。至近距離から叩きつけられた尾の一撃を、亜里好はリボルバーの銃身で辛うじて受け流す。しかし、殺人的な衝撃波が全身を駆け抜け、骨が悲鳴を上げ、肺から空気が強制的に絞り出された。
端から見れば互角。だがその実態は、亜里好が死の淵を綱渡りするような薄氷の防衛戦だった。繰り出される猛攻の大半は防いで見せたものの、数発、回避不能の打撃がその肉体を真っ向から捉える。脳を揺さぶり、意識を暗転させる致命的な衝撃。外功による鎧なしでは、本来なら即死していてもおかしくない威力だ。
それでも、亜里好は倒れない。強靭という言葉すら生温いその肉体と、執念とも呼べる生存本能が、霧散しかける意識を無理やり現世に繋ぎ止めていた。視界が真っ赤に染まるなか、彼は刀を決して離すことはなかった。
「...面白い。この速度、もはや人間業ではないな。貴様の潜在能力、これまで戦ってきた者の中でも随一と言える」
ユウシャが槍を旋回させると、真空の刃が渦を巻き、千切れたはずの尾が瞬時に再生して亜里好の退路を断った。右からは音速の尾、正面からは無数の槍の残像。絶望的な包囲網。だが、亜里好の口角は、壊れた玩具のように吊り上がっていた。
「ああ、マジクソ楽しぃ!ずっと、死ぬまで続いけようぜ!」
「貴殿、少しばかり興奮しておるな...だが、その気持ちわかるぞ」
心臓が太鼓のように鳴り響く。力の凌ぎ合い、技の極致、そして脳を焼くような死の予感。闘争という悦楽のなかで、亜里好の本能が、いま完全に殻を破ろうとしていた。
ビリリッ!
咆哮を上げるような轟音とともに、亜里好の頭上へ紫電が降り注いだ。
「...ッ!?」
予期せぬ落雷に、対峙していたユウシャは瞬時に間合いを取り、鋭い視線で様子を伺う。当の亜里好は、奔る衝撃に身を焼かれながらも、その場に立ち尽くしていた。全身の細胞ひとつひとつを紫の雷光が駆け抜け、神経を粟立たせる。
「力が...漲ってくる。なんだ、これ...」
困惑に揺れる瞳が、自身の両腕を見つめた。そこには、意思を持つ生き物のように荒れ狂う紫の稲妻が、バチバチと音を立ててとぐろを巻いている。
唐突に顕現した異形の力。その正体も分からぬまま、亜里好はただ、内側から溢れ出す圧倒的なエネルギーに飲み込まれようとしていた。
第8話 【杖の天才】




