第7話 未完の天才
「挑戦者よ、まずは詫びよう。私には名がない。ゆえに、この場では便宜上ユウシャと名乗らせてもらおう。……さて、貴殿の名を聞かせてもらいたい」
対峙する魔物の静かな、だが威厳に満ちた問いかけに、不動亜里好はわずかな沈黙のあと、渋々といった体で口を開いた。
「...不動亜里好だ」
相手が魔物であろうと、先に名乗られた以上は答えるのが彼なりの礼儀。
「そうか!挑戦者、亜里好よ。では、まずは私の勇者決闘を引き受けてくれるだろうか?」
「勇者決闘...?」
聞き慣れぬ単語に、亜里好は眉をひそめる。
「己の死を賭け、己が技のすべてをぶつけ合う。魂を震わせる、素晴らしき対懣よ」
「なら...もし俺が断ったらどうする?」
殺気が膨らむのを予期し、亜里好は身構えた。しかし、返ってきたのは拍子抜けするほど間の抜けた声だった。
「むむっ?断られてしまったら困るのだが...まあ、その時は大人しく帰ってもらうほかあるまい。私はまた、先ほどの人間を追いかけ、同じ提案をするだけだ」
「は?」
断っても喰らわれると考えていた亜里好は、毒気を抜かれたように立ち尽くした。
「アンタら魔物ってのは、人間を食うのだろ?獲物を逃していいのかよ」
「確かに私は人間を喰らう。だが、それは勇者決闘に敗北した者のみだ。戦う意志すら持たぬ者の血肉を啜るなど、武の道を志す者として邪道の極みであろう?」
大真面目に語る魔物の言い分に、亜里好の肩が小刻みに震えだす。つまり、入り口にあった大量の白骨化した死骸は魔導師のものだけと言う事。
「...ふふっ、あははははっ!」
こらえきれず、爆笑が漏れた。
「どうやら俺は、魔物って存在を根本から勘違いしてたらしい。なんだ、いるじゃねえか...こんなにワクワクさせてくれる相手が!」
亜里好の瞳に、好戦的な光が宿る。
「いいぜ、引き受けてやるよ...で、俺が勝ったらどうなる?」
「もし私が負ければ、私の命は貴殿のものだ。殺すなり何なり、好きにするがいい」
亜里好はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ユウシャと鋭く視線を交錯させる。瞬間、爆音とともに両者が地を蹴った。振り下ろされたマサカリと、鋼を凌駕する鋭利な爪。激突した両者の間から、耳を裂くような金属音と鮮烈な火花が散った。
◇◇◇
その頃、ユウシャの力によって、城の外である見知らぬ場所へと放逐された黒恵は、静寂に支配された異界を独り歩んでいた。足元には、彼女が屠ったであろう無数の狼の魔物が、物言わぬ灰となって降り積もっている。
「倒しても倒しても、次から次へと...本当に、キリがないわね」
灰の雪を踏みしめ、黒恵は冷ややかな視線を闇の奥へと突き立てた。
「いつまで隠れているつもり?出てきなさい。そこにいるのは分かっているのよ」
呼びかけに応じるように、闇の深淵から二つの影が静かに滲み出た。いずれも奇妙な兜で顔を隠し、深く被ったマントのフードがその正体を朧げにしている。右の者は双剣を、左の者は短剣を構え、音もなく間合いを詰めてきた。
「なぜ、人間がこんな場所にいるのかしら?この任務は、私達以外のパーティが引き受けたなんて聞いてないんだけど?」
「我らは世界の汚れを清める者。貴様らは世界に害をなすと判断された。ゆえに、断罪を下しに来たまでだ」
その独善的な言い回しに、黒恵の口元がわずかに歪む。
「...なるほどね。聖教団の差し金ね。本当、舐められたものだわ」
この状況下で自分たちを消そうと動く組織など、他に心当たりはない。魔物の力を宿した亜里好を異端として疎むのは聖教団だった。隠蔽の質が低いこの異界が、これまで露見せずにいた理由も察しがつく。教団が裏で糸を引いていたのだ。わざと任務へ赴かせ、孤立したところで害悪である魔導師を始末する。そのために魔物とさえ協力関係を築く彼らのやり口を、黒恵は即座に見抜いた。
「魔物を倒すことしか頭にない聖教団が、その魔物の力を借りるなんて。随分な矛盾じゃない?」
「...何のことやら。我らには関わりのない話だ」
「そう。あくまでシラを切るつもりなのね」
露骨な工作を弄しながらも、教団の関与を否定する二人の暗殺者。その厚顔無恥な態度に、黒恵は冷徹な殺意を研ぎ澄ませた。
「天神家の紛い物よ。世界を救うため、その死をもって我らが正義の糧となれ」
宣告と共に、双剣を携えた男が地を蹴った。
「十撃刃!」
二振りの剣が交差し、鋭烈な斬撃の波が放たれる。
「魔剣式法術、ね...」
迫る衝撃を前に、黒恵は静かに、だが力強く応じた。
「召喚――『左殻虫』、『右殻虫』!」
虚空から現れた契約獣が光を放ち、彼女の両腕へと収束する。現れたのは、無骨ながらも洗練された重厚なガントレット。かつて、魔力を持つ覚醒者たちが一括りに魔導師と呼ばれるよりも遥か昔。歴史にその名を刻んだ剣士たちは、己が技を研鑽し、流派を確立させた。時代の荒波に淘汰されつつも現代に語り継がれる五大剣覇。その一つこそが、魔力と剣技を高度に融合させた、この『魔剣式法術』である。
黒恵は、目前に迫った十字の斬撃を躊躇なく殴り飛ばした。火花が散り、衝撃波が周囲の空気を震わせる。
「次はそっち?」
「ぐっ...!」
顔面に一撃を食らった短剣の男が呻き、後方へとよろめく。だが、安息の間はない。
「こちらを忘れてもらっては困るぞ、紛い物!『突撃刃』!」
背後、いつの間にか回り込んでいた双剣の男が、心臓を一点に定めた鋭い刺突を放つ。死角からの、まさに不意打ちと言える一撃。しかし、黒恵は見向きさえしなかった。
「さっきから、うるさいんだよ!」
身体をわずかに捻り、紙一重で切っ先をかわす。そのまま流れるような動作で、ガントレットの手の甲を男の顔面へ叩きつけた。凄まじい硬質音が響く。その衝撃は、男が被っていた堅牢な兜に深い亀裂を走らせるほどだった。黒恵は、よろめく二人を冷ややかな、蔑むような視線で射抜いた。
「紛い物、紛い物って...それしか言えないの?わざと煽っている様だけど...語彙力が貧弱すぎて欠伸が出るわ」
彼女の唇が、挑発的な弧を描く。
「小学生だってもう少しマシな悪口を言うわよ。悪いけど、その程度じゃノーダメージ。言い古された言葉なのよね、私にとっては。それとも何?その程度の知能しか持ち合わせてないわけ?ど低脳どもが」
吐き捨てられた氷のような言葉に、男たちの顔が屈辱で赤く染まる。
「紛い物が...死に損ないの分際で、増長するなぁぁッ!」
黒恵の嘲笑が、男たちの理性を完全に焼き切った。双剣の男は亀裂の入った兜をかなぐり捨て、血走った眼を剥く。その双眸はもはや正義を語る者のそれではなく、獲物を執念深く呪う狂獣の輝きを宿していた。
「ふん、安っぽい挑発。吠え声のレパートリーすら満足にない雑魚ほど、少し突かれただけで必死に吠える...言葉を尽くす価値もないわ。この程度のジェスチャーなら、その貧相な脳みそでも理解できるかしら?」
黒恵は、唇の端を吊り上げてニヤリと不敵に笑う。そして、挑発するようにゆっくりと中指を突き立てた。
「まだ言うかァ!殺す!切り刻んで、その傲慢な舌を根元から引き抜いてくれるわ!」
激昂した相手の絶叫が、空間に鋭く響き渡る。怒りで顔を真っ赤に染め、激情を爆発させた男は、狂気に満ちた眼光で黒恵を睨みつけた。
男の咆哮と共に、二振りの剣からただ純粋な殺意だけを乗せた荒々しい連撃『狂乱刃』が黒恵を襲う。それに呼応するように、顔を歪めた短剣の男もまた、地を削るほどの勢いで肉薄した。
「死よりも凄惨な後悔を、その身に刻んでやる!」
短剣の男は自らを囮とし、双剣の太刀筋から黒恵の意識を逸らそうと大きく踏み込む。嵐のような双剣の斬撃を紙一重でかわしながら、死角を突く短剣をいなす。死に物狂いで牙を剥く二人を前にしてなお、黒恵の唇には不敵な弧が刻まれていた。
「いいじゃん、その顔。ようやく殴り甲斐が出てきたよ」
黒恵の口角が、獲物を追い詰めた肉食獣のように吊り上がる。
「な、何故...我の双剣を避けながら、これほど的確に戦えるッ?!」
困惑と恐怖が混じった叫び。だが、黒恵にとっては愚問でしかなかった。
「そんなの分かりきった事じゃん。貴方達は私より弱いってことよ」
黒恵の拳が空を切り、標的の腹部へめり込む。凄まじい衝撃に双剣の男が『がはっ』と苦悶の声を漏らすが、彼女の手は止まらない。黒恵は男の手首を冷徹に掴み取ると、背後から連撃を繰り出していた短剣の男へ向かって、その身体を無造作に投げ飛ばした。
「さぁて、戻ってきなさい『天羅万象』」
彼女が掌をかざした瞬間、空間に不可視の引力が発生する。宙を舞う双剣の男は、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、抗いようもなく黒恵の方へと引き戻された。そこへ投げ飛ばされた短剣の男が激突し、二つの肉体が重なり合うようにして彼女の目前へと収束する。黒恵の右腕に、魔力が凝縮されていく。
「『羅旋拳』!」
右腕に乱回転させた魔力の塊。それは打撃という概念を超え、触れた者の魔力循環を内部から強制的にかき乱し、崩壊させる。最強の格闘流派『羅殺』。ただ相手を殺すことのみに特化した、純然たる殺戮の拳。その象徴たる必殺の理が、今、放たれた。
いかに強固な装甲を誇ろうとも、この一撃の前では無力に等しい。外殻など紙切れのように突き破り、必殺の衝撃が直接、内臓と魂へと刻み込まれる。
黒恵は、若くして『羅旋拳』を完璧、いやそれ以上の域へと昇華させた天才である。しかし、それは残酷な等価交換でもあったのか、他の応用技や身体強化術すら満足に扱えない彼女は、羅殺を家芸とする天神家において不完全な天才と呼ばれていた。
そのゆえに天神家の紛い物と蔑まれる。それが、彼女がその名を疎まれる二つの要因のうちの一つだった。
だが、黒恵に迷いはない。他が使えぬなら、唯一つを極め抜けばいい。欠落を一つの頂点へと昇華させた彼女の拳は、純度を極め、もはや理を超えた絶大な威力を宿すに至っていた。
「本命は二撃目よ。『二撃天砲』」
黒恵が二本の指を立てた瞬間、短剣の男の体内で、初撃を遥かに凌駕する二次衝撃が爆ぜた。衝撃の波動は男の肉体を突き抜け、背後に密着していた双剣の男をも激しく打ち据える。
凄まじい衝撃音が止み、二人が物言わぬ肉塊のように地面へ沈んだ。
「この程度の実力で私に勝てると思っているその低能...本当、ムカつくわ。安心しなさい、手加減はしてあげたから。死にはしないわよ」
冷めた瞳で見下ろしながら、黒恵は静かに歩み寄る。
「それで?誰の差し金かしら」
確信はあった。だが、証拠がない。黒恵は短剣の男の首を掴み、無理やり吊り上げた。口を割るまで、その顔面を叩き潰すつもりだった。
「くっ、クソが...吐くぐらいなら、死んだほうがマシだ!」
「あらそう?なら、その願いの半分は叶えてあげられそうね」
そのまま男を半殺しにせんと拳を振り上げた瞬間、黒恵の背筋に凍り付くような戦慄が走る。脳裏で鳴り響く、警鐘に似た第六感。黒恵は反射的に男を投げ捨て、後方へと跳躍した。直後、凄まじい爆炎が二人を飲み込んだ。
「...っ、ゲホッ!最悪」
爆発の寸前、無理やり外功を高めて防御を固めたことで、ダメージは最小限に抑えられた。しかし、唯一の証拠であった男たちは、文字通り木端微塵に消し飛んでしまった。
「クソっ...はぁ、私の考えが甘かったわ。さっさと気絶させておけばよかった...本当、魔物や人の死だけはいつ見ても慣れないわね...」
ここで尋問などせず、強引にギルドへ連行すべきだったと後悔が滲む。まだ未熟な亜里好の身を案じるあまり、わずかに冷静さを欠いていたのだ。黒恵は舌打ちを一つ。焦燥を振り切るように、異界の奥深くへと駆け出した。
◇◇◇
赤く染まった草木の景色が果てなく続く中、アイは杖を突き、異界の静寂を進む。目指す先には、亜里好の微弱な魔力が見えていた。通常、契約獣の魔法を行使するには魔力を媒体とする。だがそれ以上に、召喚を維持している間は常に術者の魔力を吸い取り続ける。
アイは再召喚の手間が省けるという極めて怠惰な理由から、契約獣を指輪に変え、常に顕現させていた。常人ならば小1時間で枯渇するほどの魔力消費だが、彼女にとっては呼吸をするのと同じ、日常の一部に過ぎない。
「...」
アイが足を止める。
「気づいているなら、隠れているだけ無駄、か」
背後の闇から、狛我が姿を現した。その手には大振りのブロードソードが握られている。
「貴様は何者だ?経歴どころか出生すら白紙。あの男のように、新米魔導師だとは言わせんぞ。魔力を完全に抑え込むその技、並の使い手にできる芸芸ではない」
魔導師には、己の魔力を制御する技術がある。実力を隠し敵を欺くため、あるいは魔物に悟られぬよう近づくため。魔物にとって、魔力を持つ人間は極上の餌だ。魔力が高いほど遠方から察知されるが、逆に魔力が低ければ、魔物の方から御しやすい獲物として寄ってくる。
だが、アイのそれは抑制ではない。魔力を完全に断つ遮断だ。熟練の魔導師ですら到達し得ないその領域は、彼女を魔力を持たない一般人と寸分違わぬ存在に見せていた。
「殺す気がないなら...消えて」
「...」
明白に刃を向けていながら、そこには殺意が欠けていた。アイの指摘に、狛我の表情がわずかに歪む。
「悪いな。そうはいかない」
「悪いと思っている...なら、やめればいいのに」
「こちらにも通さねばならん義理がある。たとえ、それが悪意に満ちたものだと知っていてもな」
「随分と薄っぺらい、義理...ね」
吐き捨てるように言い残すと、アイは背後を晒したまま、再び亜里好の方へと歩き出した。その背に、狛我が地を蹴る。弾丸のごとき速度で踏み込み、その切っ先をアイの首筋へと走らせた。
第7話 【未完の天才】




