第6話 異界
そこに立っていたのは、黒の髪をベースに、全体を短く切り揃えつつ、顔の右側だけを覆うように長めに残したアシンメトリーボブ。耳にかければ、インナーと右側後頭部に入れた鮮やかな青のメッシュがチラリと覗く。猫のように眠たげな灰色の瞳は、瞬きもせず、ただ静かにこちらの行動をジーッと見つめていた。
「...」
――いや、怖ッ!
手にするのは、彼女より高い杖。その杖の先端の装飾についているモノと目が合う。まるで太古の獣の頭蓋骨を模したかのような杖。後頭部はブロックハンマーのように無骨に尖り、額の空洞部分には紫色の怪しい球体が音もなく浮遊し、幽玄な光を放っている。その禍々しい杖に、眠たげで細い身体を預ける姿は、正に俺が想像する魔導師、いや魔女の姿そのものであった。
「おや、お知り合いかね?」
二人が面識ありげな様子を見せたことに、ローランドは意外そうに目を細めた。
「いや、知り合いってほどではないんすけど」
「名前...知らない」
アイは消え入りそうな声で、じっと亜里好を見つめる。
「俺は不動亜里好。よろしくな」
「亜里好、そう...ボクは、アイ。よろしく...ね」
「アイか。よろしく」
「私は天神黒恵よ。どうやら貴方と同じパーティになったようね。一応、私がリーダーだけど。よろしく」
「...」
「...」
――おや? なんだか嫌な予感がするぞ。
「聞こえてる?」
無視された黒恵が苛立ちを隠さず、アイに問いかける。
「...そう」
ぶっきらぼうな返答に、黒恵の顔に張り付いた笑顔がピキリと凍りついた。内心は爆発寸前に違いない。
「彼女は人見知りですから、多めに見てやってください」
ローランドがフォローを入れるが、明らかに亜里好への態度と違うことに、黒恵は納得がいかない様子だ。
「... さて、本題の依頼内容だが、一刻を争う事態ゆえ、現在動員可能なパーティの中から君たちを選抜することとなった。建前はこう言っているが、本音を言えば...不動くんの実力を測るための試験といった側面が強いんだろうけどさ...問題は依頼内容。正確な難易度は現時点では判別不能。だがギルドの推定によれば、その等級は上位級と目されている」
鋭い目つきになる黒恵。あまりピンと来ていない亜里好。そして、ひどく面倒そうな表情を浮かべるアイ。亜里好がすっと手を挙げた。
「その等級ってのは、何なんすか?」
「そうだったね。不動くんは魔導師になってまだ日が浅いんだった。いいかい、まず魔物にはその強さに応じた五つの等級が存在する。下位、中位、上位、最上位、そして極上位だ」
ローランドは解説を続けた。下位は知能を持たない獣のような魔物。中位からは人型へ変異し、知能を持ち始める。上位ともなればさらに強力になり、魔物の魔法とも呼ぶべき呪法を操る。
――どうやら、『胃袋』や『噛み砕け』は呪法によるものだそうだ。
そして、最上位は言葉に絶する化け物であり、極上位に至っては、もはや歩く厄災そのものだった。
――天神があんなに身構えるなんて...上位ってのはそんなにヤバいのか?前に食った魔物は、確か中位だったはずだけど...天神が弱らせたおかげだったのか?
「五つの等級に分かれていると言っても、その振り幅が広いのよ。貴方が前に倒した中位なんて下の下。それに、上位はとにかく呪法が厄介なの」
どうやら黒恵は、亜里好の思考を表情から読み取ったらしい。何もかもお見通しといった様子で、立て板に水で答えを返してくる。
「そんなことより、そんな上位案件にこんなチビ助が務まるかしら?足を引っ張られるのは御免なんだけど」
「...チビ助?...もしかして、ボクのこと言ってる?...顔黒」
「か、かおぐろ...っ!?」
腹黒にかけた言葉だろうが、おそらく深い意味はない。しかし、この顔黒というワードは黒恵にとって想定外のダメージだったようだ。呼ばれた当の本人は、目に見えて眉をピクピクと引き攣らせている。
『おぉ...!』と鮮やかな悪口カウンターを成功させたアイに対し、亜里好は思わず感心の声を漏らしてしまった。直後、黒恵から殺意の籠もった視線がギロリと飛んでくる。亜里好は慌てて、そっと彼女から顔を背けた。
「...不動くん、頼みますよ」
「...」
初対面から火花を散らす二人に、ローランドは匙を投げたのだろうか。厄介ごとを押し付けるようなその物言いに、任された亜里好は深く重い溜息を吐いた。そして、ローランドから一つの指輪を託された。
「それは、君の呪力を周囲に悟らせぬよう特別に設えさせたものですよ」
この指輪を嵌めていれば、平時はその魔物の力を隠し通せるだろう。しかし、力を行使すれば隠蔽の魔法は揺らぎ、あるいは卓越した眼を持つ魔導師の前では、見破られる恐れがある。
一行は魔物が潜伏していると思われる座標へと足を進める。道中、背後からは黒恵とアイがネチネチと嫌味を言い合う声が聞こえてきたが、亜里好は『関われば面倒だ』とばかりに、聞こえないふりを貫いた。
「いるわね...これほど強力な呪力を、なぜ今まで誰も察知できなかったのかしら」
「んっ...」
路地裏の行き止まり。黒恵とアイは、何の変哲もない壁を前に足を止めた。アイが親指に嵌めていた指輪が、鈍い光を放ちながら禍々しい杖へと姿を変える。彼女がその石突をトン、と地面に叩きつけた。自身の魔力を波動として叩きつけ、隠蔽された存在を暴き出す技。
直後、亜里好には何も感じ取れなかった空間が、不意に時空の歪みを描き、円形の扉を浮かび上がらせた。
「これは...?」
「異界ね。私たちが使う反転世界の亜種よ。魔物の中にはこうして異界を展開し、そこを棲家にして魔導師の目を欺きながら、人間を喰らう個体がいるの...これを作り出せる時点で、間違いなく上位個体だわ」
「雰囲気からして...それ以上...かもね」
「あり得ないわ、そんなの私たちに任せるはずが...と言いたいけれど、最悪の想定はしておくべきね」
聖教団からの依頼だと聞いた時から、黒恵の胸中には拭いきれない不信感が渦巻いていた。先日のヴァイスの態度からは亜里好を生かすことに、彼は明らかに納得していなかった。手に負えない魔物にぶつけ、戦死という形での口封じを狙っているのではないか。
その為なのか、急にアイという少女をパーティにねじ込んできたのも、ギルド側の何らかの意図があるはずだ。黒恵は、隣に立つアイの横顔をじっと盗み見た。
「(生意気でムカつくけど、さっきから、こいつからは一切の魔力を感じない。おそらく、実力は私より上?...チビ助の癖に、本当ムカつく)」
黒恵は指先で小さなキューブを弄び、異界の入り口へと放り投げた。瞬時に反転世界の結界が展開される。異界から溢れ出した魔物が民間人を襲わないよう、一定以上の魔力と呪力を持つ存在を強制的に別空間へ隔離する、戦闘前の不可欠な儀式だ。魔導師や魔物の存在を隠匿するための、世界の蓋でもある。
「...っ」
異界の境界を越えた先には、およそ地球のものとは思えない光景が広がっていた。草木は禍々しい赤に染まり、空は毒々しい紫色に淀んでいる。そして中央には、巨大な岩山と古城が歪に融合したような、不気味な建造物が鎮座していた。
「犬っころがいやがる。ペットか?」
亜里好が視線を向けた先、建物の前にそれはいた。狼を思わせる鋭い牙と、獲物を射抜くような眼光。こちらの侵入に気づいたのか、それは地響きを立てて突進してきた。接近するにつれ、その威容が露わになる。人の数倍はあろうかという、圧倒的な巨躯だ。
「面倒...」
「待ちなさい」
「なに?」
アイが迎撃のために杖を構えるが、黒恵がそれを制した。黒恵はそのまま亜里好に視線を向ける。
「前回の戦いは、弱った魔物を喰らったに過ぎなかったわ。けれど今回は、魔導師として戦ってもらいたい。あなたの戦力を見極めたいの。一人でやる? それとも、私がサポートに回ろうか?」
「一人で十分だ」
「そう。危なくなったら、叫びなさいな」
「そりゃどうも、困ったら助けてくれよ...まぁ、叫ぶ必要がないように頑張るが...吐き出せ――『異袋』」
亜里好の手中に巨大なマサカリが現す。魔物は巨大な顎を開き、亜里好を丸呑みにせんと飛びかかった。棒立ちのまま動こうとしない彼を見て、アイは反射的に杖を向けたが、黒恵がその先端をそっと押し下げた。
「?!」
「あら、やっと目が覚めた?」
常に眠たげだったアイの瞳が、初めて驚愕に見開かれた。亜里好からは魔力の鼓動が一切感じられない。にもかかわらず、彼は魔物の凄まじい噛みつきを、あろうことか両手だけで受け止めていた。
亜里好は自身の力がどこまで通じるのかを測るように、攻撃に転じることなく、嵐のような猛攻を紙一重で回避し続ける。その様を眺めながら、黒恵は淡々と語りかけた。
「...信じられない。呪力? いや...えぇ?」
「彼のこと、どこまで聞いているのかしら」
「魔物と融合し...呪力を浴びている...程度」
「そう。それ以外は、ただの人間よ。魔力のある世界なんて知る由もなかった、どこにでもいる一般人。それが魔物に...あ、ごめんなさい。これは彼に失礼ね」
失言を悟り、黒恵は口を噤む。
「不動江津子に育てられたとはいえ、戦闘訓練なんて受けていないはず。彼は純然たる人間として育てられたのよ。なのに、初めて対峙する魔物を前に怯えるどころか、躊躇なく殺しにいける。才能こそがすべてのこの世界において、彼はまるで魔導師になるために生まれてきたような男ね」
「あの...身体能力は何?...魔物の力を使っているようには、見えない...けれど」
「(この子、そこまで見えているの?私でさえ呪力そのものはうっすらとしか見えない。その流れまで掴めるなんて...)」
黒恵は、アイが秘める異常な観察眼に戦慄した。
「そうなのよ。私もてっきり魔物の力で底上げしていると思っていた。けれど、あれは純粋な彼自身のスペックなの。本当に、驚かされてばかりだわ...あ、そろそろ終わるみたいね」
「そうっぽい...ね」
回避に徹していた亜里好が、ついに攻撃に転じた。魔物の四肢の腱を一瞬で断ち切り、その巨体を大地に沈める。続けざまに首裏へと跳躍すると、脳天を目掛けてマサカリを一気に振り下ろした。
「いただきます――『噛み砕き』」
魔物は絶命と同時に灰へと変わり、霧散していく。だが、亜里好はその灰が消えるよりも早く、魔物の残滓をその身に喰らい尽くした。アイは見た。その瞬間、亜里好の中に眠る魔力量が、僅かに、しかし確実に増大したのを。
「ふん、及第点ね。戦士系として育てるなら、どこかの流派でも紹介しようかしら」
「...いや...法士系としての方が、面白くなり...そ」
「どう言う意味よ?彼は契約獣とは契約してないのよ?」
「さぁ...どうだろう...ね」
アイの瞳だけが、それを捉えていた。不動亜里好の胸の奥に潜む、黒く、それでいて輝きを放つ一点の光。それは魔導師という存在の常識を根底から覆すような、底知れぬ何かを予感させるものだった。
「お疲れ様」
「おうよ、どうだった?」
どこか余裕を見せ、遊び感覚で戦いを終えた亜里好が胸を張る。しかし、黒恵から返ってきたのは、期待していた称賛ではなかった。
「これは遊びじゃないの。もっと集中しなさい」
「...へい」
冷ややかな指摘に、亜里好は目に見えてショボーンと肩を落とした。
「雰囲気からして、やべぇな」
一歩足を踏み入れた瞬間、亜里好はその光景に圧倒された。外装の質素さに反して、城の内部には無数の人骨が転がっている。その傍らには宝具が散乱していた。それらは、ここが魔導師すらも餌食にする死地であることを雄弁に物語っていた。
「異界としての隠蔽の質は低いはずなのに...なぜ今まで発見されなかったのか、不思議なレベルね」
「まあ、運が良かったんだろ。さっさと狩って、こんな気味の悪い場所はおさらばしようぜ」
「...ッ!?」
「チッ...!」
「あ?...うおっ?」
直後、濃厚な呪力の塊が奔った。黒恵とアイが展開していた魔力による探知網、法円に強烈な反応が突き刺さる。瞬時に戦闘態勢をとったアイが、咄嗟に二人を頑強な骨の壁で囲い込んだ。
ドォォォォォンッ!
大砲の直撃を受けたかのような轟音が響き、骨の壁が激しく震える。もし今の攻撃を直撃させていれば、亜里好の身体は跡形も残っていなかっただろう。
「不動くん。どうやら外功や内功よりも先に、法円を覚えさせるべきだったようね」
静寂を切り裂く凛とした声に続き、暗がりの奥から重々しい足音が響いた。
「防がれたか。流石は挑戦者と言うべきか...この程度の不意打ちで終わってしまっては、興も削がれるというものだが」
低い、地這うような声が空間を震わせる。
「だが、実力を測るためとはいえ、不意打ちという無作法を働いたことは謝罪しよう」
「おいおい、なんなんだ、あれは?」
闇を割り、ゆっくりと姿を現したのは、人型でありながら人とは決定的に異なる異形だった。全身を隙間なく覆う硬質な鱗。ナイフのように鋭利な爪と、獲物を引き裂くための牙。背後でしなる鞭のような尾。それは、ファンタジーの世界から這い出てきたリザードマンそのものの風貌であった。しかし、その怪物は野蛮な獣とは程遠い、洗練された紳士のような所作で静かに頭を下げる。黒恵はその紳士的な魔物を見て言葉をこぼす。
「亜人種...少しばかり厄介ね」
魔物には、その脅威の度合いを示す等級が存在する。これはかつての魔導師たちが便宜上定めた尺度に過ぎないが、それとは別に、魔物たちが自らを区分するために古くから用いてきた種族という概念があった。一説には、魔物自身の意志によって定義されたとも言われている。
その分類は多岐にわたる。
人知を超えた知能で人類の技術を剽窃し、近未来的な兵器と破壊的呪法を操る『異星種』。
圧倒的な剛力と、個体ごとに異なる異能を宿した『魔獣種』
厄介な寄生能力と、あらゆる衝撃を撥ね退ける超硬度の外殻を持つ『甲虫種』
魔法そのものへの耐性が高く、万物の元素を自在に操る『自然種』
そして、緻密な器用さと複雑怪奇な呪法を編み出す『天妖種』
だが、今目の前に立ちはだかっているのは、そのいずれでもない。身体能力、頑丈さ、知能、技術、そして呪法、そのすべてにおいて平均的とされる『亜人種』
しかし、亜人種の真の恐ろしさは、その環境適応能力にある。適した戦地における彼らの強化率は他の種族の比ではなく、ひとたび己が展開した異界という絶対的優位の領域に引き込まれれば、その脅威度は天災の如き次元へと跳ね上がるのだ。
「さて、オスはどれだ?」
「あ?」
突拍子もない問いに、亜里好は思わず声を漏らした。魔物には個体名などないが、亜里好は便宜上、こいつをリザードマンと呼ぶことに決めた。そのリザードマンは、苛立たしげに鋭い爪で頭を掻く。
「チ◯ポを持っている人間は、どいつだ?」
リザードマンの冷酷な視線が、値踏みするように亜里好を射抜いた。爬虫類特有の縦に裂けた瞳孔には、人間的な情欲も慈悲も介在しない。魔物という種には性別の概念がなく、生殖器すら持たないからだ。彼らにとって人間の性差など、せいぜい肉の質の個体差程度の認識でしかなかった。
「...俺にとって、貴殿らなど皆同じような生き物にしか見えん。ゆえに区別がつかぬ」
そう言い放つリザードマンの鉤爪が、不釣り合いなほど色鮮やかな冊子をなぞる。それは、どこからか略奪してきたのであろう、小学生用の保健の教科書だった。
「だが、多少は学ばせてもらったぞ。人間には二種類あるのだろう?...前に尻尾が付いている奴が、オスだ。そして、これまでの経験上、前に尻尾のある奴は肉が硬い...なら、お前がオスでいいな?」
「なっ!?」
「...チッ」
「させない!」
リザードマンの五本の爪が亜里好の顔面を捉えようと奔る。黒恵とアイが阻止しようと動くが、それは敵の術中だった。
「貴殿らは後だ。メスのほうが栄養があって美味い。美味いものは最後に負かし食う主義だ」
突如として、黒恵とアイの周囲の空間が歪んだ。異界を統べる魔物は、その領地内の空間を任意に入れ替える力を持つ。二人は瞬時に遠方へと転送され、戦場には亜里好とリザードマンだけが取り残された。
「クソッ!」
回避が遅れた亜里好は、頬を爪で切り裂かれ、血を流しながら大きく距離を取る。リザードマンは爪に付着した亜里好の血を舐めとると、その爬虫類特有の目を大きく見開いた。
「...これは、美味だ!今まで食ったどの人間の中で美味い!まさか、間違えたか? お前、メスなのか?」
「俺は男だっつーの!」
「オトコ...オスという意味か。だが、この芳醇な味と栄養...やはり、あの人間の言う通りだ。お前を喰らえば、俺はさらなる進化を遂げられる。感謝するぞ。正々堂々やろう」
「さっきからごちゃごちゃと...」
亜里好はマサカリを強く握りしめ、化け物と対峙する。一方、城の外では、三人が分断されたのを確認して動き出す影があった。
「狛我、我らに命令を」
その男の名は、狛我。かつて亜里好がヴァイスと対面した際、その背後に控えていた茶髪の男。
「貴公らは黒魔女を追え」
「承知いたしました」
「了解です」
二つの影が、城の深部へと消えていく。一人残された狛我は、アイという少女を見た瞬間、心臓の奥がざわつくのを抑えられずにいた。
正体は不明、情報は皆無。何より不気味なのは、彼女から一切の魔力が感じられないことだ。その底の知れない空虚が、彼の本能に激しい警鐘を鳴らしていた。
「この任務、無事に遂行できることを願うばかりだ...」
中世の騎士を彷彿とさせる兜の隙間から、黄金の瞳が鋭く光る。それは、得体の知れない獲物を仕留めようとする獣の輝きだった。
第6話 【異界】




