↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/31

第2話 プロローグの先へ

「...」

「うむ、目が覚ましたか、おはよう...」

「...お、おはよう...ございます」

 

 目が覚めると、そこは見覚えのない天井だった。物語のプロローグで使い古されたお約束を、まさか自分自身で体験する日が来るとは思いもしなかった。

 家族を失った悲劇。そして、自分の身に起きた非現実的な現象。今でもすべてが悪い夢であってほしいと願っている。だが、指先にはまだ、祖母を手にかけた時の感触が、嫌な生々しさを持ってこびりついていた。

 

 自分を裏切った反動なのか、内に棲まう魔物の仕業なのか。それとも、自分自身が怪物へと成り果ててしまったのか。あるいは、これこそが本当の自分という人間なのか。

 祖母を手にかけたというのに、後悔の念すら湧いてこない。その決定的に欠落した感情こそが、何よりも恐ろしかった。

 

――婆ちゃんの体調を、あんなに心配していたはずなのに...あの時の感情は嘘だったのか?

 

 だが、今の亜里好には感傷に浸る余裕さえ与えられなかった。視界の先には、膝まで届くほど長い白髪と髭を蓄えた、一人の老人が立っている。対する自分は、なぜか一物も身に着けていない、全裸の姿だった。

 

「ワシはギルド本部総帥、グラスフォール=マーリン。つまり、魔導師という存在の中で一番偉いのが、このワシじゃ。皆からはグラ爺と呼ばれておる」

 

 最後の記憶を辿る。黒髪の少女に、魔導師が集まる場所へ連れて行ってくれと頼んだ。その後、何かを飲まされて意識を失い、今に至る。

 

「えっと、俺は不動亜里好...です。それで、なんで俺、裸なんすか?」

「主の身体を検査しておったのじゃ。魔物の力を宿す人間など、そうそう拝めるものではないからのう。色々と調べるのが当たり前じゃろ?」

 

――どうやら、このジジイの当たり前と、俺が知る当たり前の間には、深い断絶があるらしい。

 

 思考が追いつかず立ち尽くす俺に向け、グラ爺は不意に杖を突き出した。

 

「闇を照らせ――【灯火(トーチ)】」

「うぉっ!?」

 

杖の先端から、ライターのような小さな火が灯る。

 

「主が気にしておるのはこれじゃろう? これが魔法。そしてこの杖は宝具といって、ワシらの魔力を媒体に現象を発現させる道具じゃ...ほかに聞きたいことはあるかね?」

 

 グラ爺は得意げに目を細めたが、亜里好は短く息を吐いて首を振った。

 

「ありきたりな設定っすよね。なら、俺が聞きたいのは他にあります」

「...そうか。せっかく色々教えてやろうと思っておったのに...」

 

 グラ爺は、準備していた資料をしょんぼりした顔で燃やし始めた。魔法の仕組みなら、江津子の記憶から読み取っている。

 大気中に充満する魔素。本来、覚醒していない者には吸収されないが、一度覚醒すればそれを取り込み、体内で魔力として変換する。それを練り上げて放つのが魔法だ。期待を裏切られたのがよほどショックだったのか、老人はがっくりと肩を落とした。


「ふむ、よかろう……して、聞きたいこととは何じゃ?」

「一番気になるのは、あんたが何者かってことっす。もしあんたが戦える魔法使いだってんなら、俺と一戦しねぇか?……しませんか?」


 ――あれ?魔導師だっけ?

 

 亜里好は、彼なりに目上への礼儀を意識してはいた。しかし、敬語を使う環境に馴染みがない。無意識にタメ口が混ざり、慌てて取り繕おうとしては言葉がねじれ、妙な口調になってしまう。

 

「フォッホッホッホ」

 

 問いかけられたグラ爺は、まるで絵本から飛び出してきたサンタクロースのような、ゆったりとした笑い声を上げた。

 

「まず一つ訂正じゃ。ワシらは魔法使いではない、魔導師じゃ...ふむ、お主の問いに答えるならば、ワシは強いぞ」

「なら...」

 

 グラ爺が穏やかな笑みを湛えたまま肯定すると、亜里好は瞳を輝かせ、前のめりになった。そのあまりに無邪気な挑戦に、グラ爺は呆れたように目を細める。

 

「さて。話すべき重要なことは山ほどあるが、手っ取り早く仲を深めるというなら、やはり拳の付き合いに勝るものはないか」

 

 グラ爺の言葉を肯定と受け取ったか、亜里好は既にお構いなしで脚を伸ばす柔軟運動を始めていた。未知の力である魔法を相手に戦える。その高揚感で、自分がニヤついていることにも気づいていない。

 

「...して、魔力の使い方は知っておるか?」

「知りませんね」

 

 読み取った記憶の中に、江津子が魔物である事に、魔力の使い方はなかった。だが、呪力と同じように扱えばいいのだと、彼は直感的に考えていた。

 

「俺は実戦で学ぶタイプなんでね」

「なら、魔導師の先輩として基本を教えてやろう。構えろ...亜里好」

 

 老人の空気が一変した。どっしりと重心を落とし、拳を鼻先に掲げる。それは、あまりに本格的なボクシングの構えだった。ファンタジックな外見に反した、現代的かつ洗練されたファイティングポーズ。亜里好は一瞬だけ拍子抜けしたが、直後に肌を刺すような威圧感を察知し、表情を引き締めた。


「てっきり杖を持って火を吹くタイプかと思ったっす。魔導師って、意外と武闘派なんですね」

「ワシとて本来はその杖を執る(タイプ)じゃ。だが、魔法すら扱えぬ小僧相手に、流石にそれは無粋というものよ」

「そりゃどうも!」

 

 亜里好は身構え、カウンターの一撃を狙って意識を研ぎ澄ませた。それが彼のスタイルであり、染み付いた癖でもあった。だが、その慢心は即座に打ち砕かれる。

 老体とは思えぬ、人の域を超えた速度。視界から消えたグラ爺が、次の瞬間には懐へと潜り込んでいた。下から突き上げるような拳が、亜里好の腹部を正確に狙う。

 

「ぐっ?!」

「ほう...生意気な小僧を一撃で黙らせるつもりじゃったが。まさか反応するとはな」

 

 衝突の直前、亜里好は反射的に両腕を十字に交差させていた。凄まじい衝撃に身体が宙へ浮き、後方へと吹き飛ばされる。腹を直撃していれば嘔吐は免れなかっただろう。かつて自分が多くの相手に味わせてきた苦しみを、今、皮肉にも身をもって知ることとなった。

 

「それにしても、よく鍛えておる。ほんのわずかとはいえ魔力を込めた一撃を、生身で受けるとはな。クロエの報告通りじゃ」

「爺さん...喋るのが好きだなぁ、舌噛むぞ!」

 

……やられっぱなしは性に合わない。だが、普通に挑んでも攻撃は掠りもしないだろう。相手を人間として見てはいけねぇ。

 

「亜里好、集中するんじゃ。体内に巡る流れを感じろ。全身の感覚を、一点、拳へと集めるのじゃ」

 

――集めるように...

 

 亜里好は記憶にある呪力の操作で再現しようと試みるが、体内の力は沈黙したままだ。ただ、その感覚の奥底に、感情の扉を叩くような別の何かが疼いている。

 

「どうした? 実戦で学ぶタイプと言ったのは、どこのどいつじゃ?」

 

 煽るようにニタニタと笑うグラ爺に、亜里好の胸中にわずかな苛立ちが灯る。

 

「...仕方ないのう」

 

 一歩、脚を踏み出しただけに見えた。なのに、グラ爺は瞬きする間に目の前へ現れ、亜里好の右手首を掴んだ。その手から、清流のような滑らかな感覚が流れ込んでくる。

 

「これこそが魔導師の基礎、魔力操作じゃ。これを覚え、初めて魔導師は産声を上げる...さあ、殴ってみろ。ワシを殺す気でな」


 ――記憶からと、感覚からじゃ、これ程違うのか...これなら行けるかも...

 

 流れを掴んだ、その瞬間。亜里好は逃がすまいと、逆にグラ爺の手首を掴み返した。逆の左拳を、渾身の力で老人の顔面へと叩き込む。

 紙一重で回避された拳は空を切り、数メートル先のコンクリート壁に着弾した。蜘蛛の巣状の亀裂が壁一面に走り、爆音と共に砕け散る。

 

「いきなり顔面かよ...」

「歯を食いしばっておけと言ったはずだぞ!」

 

 借りを返すべく、腕に得た感覚を次は脚へと転移させた。掴んでいた腕を引き寄せ、体勢を崩したグラ爺へ蹴りを放つ。鈍い音が響いた。だが、その足先は老人の体に届く寸前、見えない壁のようなものに阻まれていた。

 

「ほう!腕で読み取った感覚を、脚で再現し、爆発的に速度を上げるとは。教えた以上のことをやってのけるか。天才か、お主は!」

「いや...ただ真似ただけだ」

「真似た、だと?」

「どうやら俺の右腕は、食ったやつの記憶を読み取れるらしいんだわ」

「ほう、その様な力が...いや、それでも一度で再現させるとは、やはり天才と変わらぬ」

 

 感覚は記憶に染み付いているとはいえ、一度教わっただけで魔力操作を完遂させた亜里好の才に、グラ爺は驚愕し、同時に隠しきれない興奮を覚える。

 亜里好もまた、同じだった。退屈でしかなかった人生に、魔法という名の刺激が奔る。この出会いが自分を劇的に変える


「爺さん!ギアを上げろ!」

 

 低く地を這うような構えから、深く息を吸い込む。獣のごとき瞬発力で爆発的に間合いを詰めると、亜里好の拳がグラ爺の顎を捉えようと跳ね上がった。

 

「んなっ?!」

 

 一撃目とは比較にならない速度。グラ爺の反応がコンマ数秒遅れ、拳がかすめて老体の姿勢をわずかに崩した。好機。追撃の前蹴りを叩き込むが、それは丸太のような剛腕によって阻まれる。岩石を蹴ったかのような硬質な手応え。渾身の飛び蹴りを受けてなお、老人は微動だにしない。

 

「くっ...」

 

 広さ十畳、天井高三メートルほどの室内。亜里好は脚に魔力を一点集中させ、床を爆ぜるように蹴り上げた。踏み込んだ足跡がくっきりと刻まれるほどの威力で、彼は跳躍する。

 

「なんという速さじゃ!」

 

 床、壁、天井。全方位を縦横無尽に駆け巡るその姿は、魔力を知ったばかりの素人とは思えぬ技量だった。通り雨のように降り注ぐ連撃。だが、そのすべては目に見えぬ魔力の防壁に弾き返される。

 いかに重く、いかに速くとも、当たらなければ意味がない。ならば、亜里好は着ていたコートを脱ぎ捨て、グラ爺の視界を覆い隠すように放り投げた。

 

「目くらましか...」

 

 コートの影に姿を隠し、攻撃の予測を断つ。直後、翻る布を貫いて槍のような鋭い蹴りが放たれた。

 

「姿が見えなくとも、正面から来ると分かっておれば意味はないのじゃ!」

 

グラ爺は迷わずその一点を防御する。だが。

 

「だろうな」

「なっ?!」

 

 防いだはずの脚から、亜里好の声が背後で響いた。コートを突き破って飛んできたのは、亜里好の脚ではない。へし折られたベッドの脚だった。

 

「...だが、不意打ちでやるべきじゃったな」

「せっかくの初戦だ、不意打ちじゃあ興が削げるだろ!」

 

 左の脇腹を狙う気配。グラ爺は咄嗟に腕を回して防御を固める。目には見えずとも、感覚がそこへ魔力が凝縮されるのを捉えていた。

 しかし、亜里好は蹴りのモーションから強引に空中を蹴り、その軌道を捻じ曲げた。防御力を上げた腕をあざ笑うかのように回避し、剥き出しの反対側の脇腹へと蹴り足が吸い込まれる。

 

「っしゃ!やっと当たった...!」

 

 会心の一撃。子供のようにはしゃぐ亜里好だったが、直後に『年寄りを全力で蹴り飛ばした』という罪悪感が脳裏をよぎる。しかし、それも一瞬のこと。足から伝わってきたのは、魔力を纏わずとも岩のように強固な、老人の生身の筋肉の感触だった。

 

「ふむ...久々に攻撃を喰らったわい。亜里好、お主には驚かされてばかりじゃのう」

「あんた、本当に魔導師かよ?なんて筋肉してやがる」

「やはり世間では、魔導師といえばヨボヨボの爺というイメージが強いのかのう...」

 

 亜里好に目掛けてパンチを飛ばす。まともに食らった亜里好はその勢いに地面に叩きつけられてしまった。だが後ろに飛び込みながら距離を取る。


「準備運動は終了じゃ。こっちも情熱的になるぞい」


 ずっと防御体勢だったグラ爺は、亜里好のセンスに熱が入り攻撃体勢に切り替える。距離を取る亜里好を追いかける様に間合いを詰めて素早い連撃を繰り広げる。


 1発1発の拳の威力はそこまでないのに、ダメージの食らい方が尋常じゃない。ハンマーで殴られてるかより、中身を直接シェイクされるような重苦しい痛みが蓄積していく。


「くそったれぇ!」


 このまま喰らい続ければ吐きながら気絶される、そんなダサい負け方はしたくない。本能でグラ爺の飛んでくる拳を受け流すように軌道を変えた。


 ――せめて、あと1発!


 その考えが脳裏をよぎった瞬間、亜里好の体は勝手に動いていた。その考えによって、無意識のうちにグラ爺の顎に目掛けて脚を上げた。 クリーンヒットした衝撃が、亜里好の足裏に確かな手応えとして伝わった。


「二度も不覚を取るとはな!よい、もっと楽しもうではないか!主の可能性、さらにこのワシに見せてみよ!」

「ストーーーーップ!!!!」

 

 グラ爺の拳が、亜里好の顔面を捉える数ミリ手前で静止した。部屋中に響き渡った凄まじい怒号が、二人の動きを強制的に遮ったのだ。亜里好は、あと一歩踏み込まれていれば確実にボコボコにされていただろう自分の末路を想像し、みっともない姿を晒さずに済んだことに、心の底から安堵のため息を漏らした。

 

「...何をしているのですか、グラスフォールさん」


挿絵(By みてみん)


「おっと、クロエくんか。どうやらワシとしたことが、少々熱が入りすぎてしまったようじゃな」

 

 入り口には、黒曜石のごとき髪を靡かせたあの少女が、仁王立ちでこちらを鋭く睨みつけていた。

 

「不動くん、目が覚めたのね」

「アンタは...そういや、俺、あんたの名前をまだ知らないな」

 

 霊園で、道端で、そしてこの部屋で。三度も顔を合わせているというのに、彼女の名を一度も聞いていなかったことに、亜里好は今さらながら気づいた。

 

「私は、貴方の監察官を任された、天神黒恵(あまがみ くろえ)。喜びなさい、世界一完璧な美女の名を知ることができたのだから」

 

 自らの名を告げた彼女は、傲然と、しかしどこか誇らしげに胸を張った。これが天神黒恵との本当の意味での出会いだった。彼女の出会いが、絶望の物語の最初のページをめくる音であった。



 第2話 【プロローグの先へ】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。