第27話 期限は一年、課せられた任務
「おい、せっかく来てくれたんだから、少しは顔を出してやれよ」
黒恵は何故か自分の部屋ではなく、亜里好の部屋にこもり続けていた。昔の仲間であるシャーロットがわざわざ会いに来てくれたというのに、当の本人は逃げるように身を隠している。当のシャーロットは、今もリビングでアイと話しているはず。
「私には、あの子に会う資格なんてないわ」
「なんだそりゃ?」
その拒絶の言葉に、亜里好は不快そうに眉をひそめた。
「そんなの、一体誰が決めたんだよ」
「私よ」
「じゃあ、シャーロットは?あいつがそう言ったのか?」
「...」
黒恵の沈黙が、何よりの答えだった。亜里好は鼻で笑う。
「会う資格がないってのはな、お互いが納得して初めて成立する言葉だ。今のアンタがやってることは、その言葉を盾にして、ただ何かに怯えて逃げ回ってるだけだろ」
「貴方に何が分かるのよ!私たちの何を知っているっていうの!?」
黒恵は鋭い視線で亜里好を睨みつける。しかし、亜里好は動じない。壁に寄りかかっていた身体をゆっくりと起こし、深く大きなため息を吐いた。
「知らないよ。俺はアンタたちの過去なんてこれっぽっちも分からねぇ。シャーロットだって、さっき初めて会ったばかりだしな...だけどさ、過去を知っているアンタが、今あいつの気持ちを分かろうとしないのは、いくら何でも酷い話だろ?あいつがどれだけ天神に会いたがっていたか、アンタ分かってんのか?友達なんだろ。だったら、少しは顔を見てやれよ」
「...」
「そうやって、逃げるのか?」
「逃げっ!...てないわ!」
「呆れたな」
仲間を失わないために強くなろうとしている彼女が、今まさに、自らの手で仲間を遠ざけようとしている。矛盾したその姿に、亜里好は躊躇なく手を伸ばした。黒恵の手首を強く握りしめる。
「ちょっと!離しなさいよ!バカ!」
「バカで結構。だが、俺より大バカなのはアンタだ」
強引に部屋から引きずり出しながら、亜里好は低い声で言い放った。その言葉には、いつになく重い感情が乗っている。
「俺は約束したはずだ。アンタの前から絶対に消えないって。じゃあ何か、俺とアンタの間に何かあったら、アンタはまたそうやって俺から離れるのか?俺を引き離そうとするのか? やめろ、そういうの。イライラすんだよ。相手の気持ちを確かめもしないで、自分が一番不幸な顔をして悲劇のヒロイン気取ってんのはさ」
「っ」
どんなに口が悪くても、どんな理不尽を押し付けられても、決して感情を露わにすることのなかった亜里好。だが、今の彼の瞳には、明らかな怒りの炎が宿っていた。
生まれて初めて向けられるその本気の怒りに、黒恵はびくりと肩を震わせ、言葉を失った。亜里好はリビングのドアを乱暴に開け放ち、掴んでいた黒恵の身体を中へと押し込んだ。
「アイ!」
「...何?」
突然の乱入に目を丸くするアイに向かって、亜里好はまくしたてる。
「ちょっと魔法を教えてくれ!地下に行くぞ!」
「う、ん...?」
状況が掴めないまま、アイは亜里好に手を引かれてリビングを出ていく。バタバタと遠ざかる足音の途中で、「...何をそんなに...怒ってる、の?」というアイの困惑した声と、「怒ってねぇ!元気が有り余ってるだけだ!」という亜里好のあからさまな怒鳴り声が聞こえてきた。
残されたリビングには、重苦しい沈黙だけが取り残される。
黒恵は床を見つめたまま立ち尽くし、ソファに座るシャーロットはそんな彼女をじっと見つめていた。
「黒恵ちゃん。お久しぶりです」
最初に沈黙を破ったのは、シャーロットの鈴を転がすような優しい声だった。
「...うん。一年ぶり、かしらね」
黒恵は指先をそわそわともじもじさせながら、どうしてもシャーロットと視線を合わせることができない。しかし、シャーロットの瞳に宿っていたのは、恨みでも怒りでもなかった。ただ愛おしそうに、無事でいた旧友の姿を確かめるような、温かい笑顔だった。
「元気、だった?」
「はい。聖女の修行は思っていたよりも大変でしたけれど...ご覧の通り、私は元気でやっています」
「そう...それは、良かったわ」
かつては言葉なんていくらでも溢れてきたのに、今は一言交わすだけで会話が途切れてしまう。気まずい空気が二人を包み、黒恵はどう振る舞えばいいのか分からず、ただ胸を締め付けられていた。
「亜里好様と、アイ様...お二人とも、とても愉快な方々ですね」
「...ただの問題児よ。毎日振り回されて困り果てているわ」
「でも、先ほどお話を聞いている限り、とても楽しそうでした。黒恵ちゃんがそんな風に誰かと笑い合えているのを知って、私、すごく安心したんです」
「うん、楽しいわよ。私にとって大切な2人よ。楽しい...本当に、昔みたいに、楽しいの...」
口にして初めて、黒恵の胸に亜里好の言葉が蘇る。
「...ごめん。ごめんなさい...本当に、ごめんなさい...っ」
堰を切ったように、黒恵の瞳から大粒の涙が溢れ出た。ずっと胸の奥底に蓋をしていた、一番伝えたかった言葉が、嗚咽とともに漏れ出す。かつて失ってしまった大切な仲間たちの笑顔が、脳裏をよぎって消えない。
「ううん、違うわ。黒恵ちゃんは、何一つ悪くありません」
「悪いわよ!私がもっと強ければ...っ、私がもっとちゃんと下調べをしていれば、あの子たちを死なせることなんてなかった!あなたの寿命を縮めるような魔法を、使わせることもなかったのよ!恨まれて当然なのに!」
「私は、あなたを恨んでなんていません。あれは、仕方のないことでした。それに、あの魔法は私が自分の意志で、勝手に使ったものです。黒恵ちゃんのせいなんて、どこにもありません」
「勝手に使ったって...そんなの、私のために決まってるじゃない!バカ...バカよ、大バカ...」
泣きじゃくる黒恵の元へ、シャーロットは静かに立ち上がり、歩み寄った。そして、壊れ物を扱うように、その小さな身体を優しく包み込むように抱きしめる。
「うふふ...やっぱり、黒恵ちゃんはあの頃と何も変わっていませんね。そうやって無理に大人ぶろうとする、可愛いところも」
「...うるさいわよ。別に大人ぶってないし」
温かい体温に包まれながら、黒恵はシャーロットの肩に顔を埋めて子供のように泣き続けた。傷跡が消えるわけではない。それでも、張り詰めていた心の糸が、ようやく優しく解きほぐされていく。
「「...」」
そんな感動的な抱擁の最中、ふと、リビングのドアの隙間から不自然な視線を感じた。涙を拭いながら黒恵が目を向けると、そこには、ドアを数センチだけ開けて息を潜める亜里好とアイの姿があった。ばっちりと目が合う。
「...何を見てるのよ、このバカどもがぁぁぁ!!」
「うおっ、危ねぇ!!モノを投げるな!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした黒恵は、恥ずかしさのあまり猛烈に逆上し、近くにあった椅子を掴んで怪力で投げつけた。
「い、いつから聞いてなのよ!」
亜里好とアイは目を合わせる。そして悪そうな顔でニヤリと笑った。
「俺ら、大切に思われてたらしいぞ」
「ふっ...照れ、る」
「ほぼ最初からじゃない!」
修行のために地下へ向かったはずの二人だったが、すぐに引き返してきたようだった。賑やかに言葉を交わす三人の姿を見つめながら、シャーロットはそっと微笑む。この一年間、日本に一人きりにしてしまった親友の黒恵が、今もこうして楽しそうに仲間に囲まれて暮らしている。その事実に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「それで...お爺ちゃん。なんの、用?」
「「「?!!」」」
アイが放った言葉に、その場にいた全員の視線が一線に動く。彼女の視線の先には、いつの間にか現れ、優雅に茶を啜っているグラ爺の姿があった。気配すら感じさせなかったその登場に、三人は息を呑む。
「孫娘に会うのに、理由は必要か?」
「理由が...ないなら、来ない、で」
アイの冷徹な一言に、グラ爺は今にも号泣しそうな顔で、そっと湯呑みを卓に置いた。
「まぁ、用はあるんじゃよ。救世者にのう。魔導師の稼業に戻る気はないかのう?」
「えっと、戻りたい気持ちはあるのですが...私は一応、聖教団の役目がありまして」
シャーロットの現在の立場は魔導師ではなく、聖教団の人間だ。それも、聖女候補という重責を担う位置にある。本心では魔導師に戻りたいと思っていても、聖教団側がそれを簡単に許すはずがなかった。
「そうじゃな。だが、救世者は元々魔導師じゃ。ワシにとって大切な子。だからこそ、今さっきとある条件を交わしてきたのじゃよ」
「条件、ですか?」
「いかにも。もしこのまま何もしなければ、亜里好は聖女候補を誘拐した罪に問われることになる。だからワシ頑張ったぞ」
「っ?!」
グラ爺の言葉に、シャーロットは目を見開いた。実際は、自分の我儘に亜里好を巻き込んでしまっただけなのだ。それなのに、彼が罪に問われるなどあってはならない。
「はぁ?!アンタ、私のシャルを誘拐したわけ?!」
「揺らすなよ、吐いちまうだろ...っ」
さっきまでシャーロットと顔を合わせるのを躊躇っていた黒恵が、一転して激昂する。大切な親友を誘拐した亜里好の胸ぐらを掴み、凄まじい勢いで前後に揺さぶっていた。亜里好に巻き込んでしまったシャーロットは罪悪感に溺れる。
「シャーロット、別にアンタが悪いわけじゃない...これ、全部どっかの爺さんが仕組んだシナリオだろ」
「え?」
「今確信した。よりによって今日、俺がギルドに呼び出されたこと。そこでたまたまシャーロットと鉢合わせ、あの場から連れ出したこと、グラ爺から天神の居場所の地図を渡されていたこと。そして、今このタイミングで目の前にグラ爺がいること...あまりにも偶然が過ぎる」
「ほう、そういう日もある、ということじゃな?」
グラ爺は白い髭を撫でながら、分かりやすくとぼけてみせた。すべてはグラ爺の計算通りだったのだ。亜里好がシャーロットを助け出し、必ず黒恵の元へと連れて行くこと。そして全員が集まったこの瞬間を見計らい、交渉を切り出すこと。何かしらの企みがあるのは明白だった。
「だから、シャーロットは悪くない。悪いのはそう仕向けた、目の前にいる年寄りだよ」
「なら...天誅?」
「あり」
「なしじゃ!!」
物騒な提案をするアイと、それに乗ろうとする亜里好を、グラ爺が慌てて制する。そのやり取りを冷ややかな目で見つめていた黒恵が、真剣な眼差しをグラ爺に向け、本題を切り出した。
「総帥。条件というのは、具体的に何なんです?」
グラ爺は表情を引き締め、厳かにその条件を口にした。
「この一年間、黒魔女の元で自身の魔法の性能を上げる修行をし、その後に聖教団へ返すことじゃ」
グラ爺の言葉に、黒恵はピタリと口を閉ざした。
重苦しい沈黙が場を支配する。彼女は腕を組み、数十秒のあいだ深く考え込んでいたが、やがて静かに顔を上げた。
「それが...タイムリミットってことですか?」
「うむ、流石じゃ。察しが良い。これは一種の任務じゃよ。少々、ワシもあの連中には手を焼いておってな。ワシの大切な子の自由を奪う。そのようなこと、あってはならないのじゃ」
グラ爺の放つ底知れない圧力が、一瞬にしてその場を支配した。それは単なる執行猶予ではない。グラ爺がもぎ取ってきた一年間という時間は、シャーロットを聖教団の束縛から完全に解放するための鍵を見つけ出すための猶予。それこそが、彼らに課された任務だった。
「なるほど、任務ですか...その報酬がシャルの自由。今までのない最高の報酬ね」
「あの連中は神という存在を盾にして、好き勝手に振る舞う腐りきった奴らじゃ。救世者があの場所に居続けたところで、決して幸せにはなれぬ。ワシはそれが許せんのじゃ...何より、お主が一番そう思っておるじゃろ?」
「そんなの、許せるわけない。シャルには、シャル自身が決めた未来を歩いてほしい」
「ま、待ってください!」
二人の間で淡々と話が進んでいくのを堪えきれず、シャーロットが声を荒らげて割って入った。
「そんなことをしたら、黒恵ちゃんたちが危険に晒されます!私は別に、あそこにいても大丈夫ですから...だから、やめてください。そこまでしてもらう理由なんて、どこにもありません!」
この一年間、実際に聖教団の庇護下にいたシャーロットだからこそ、その恐ろしさが身に染みて分かっていた。聖女候補である自分を連れ去り、引き離そうとする行為は、教団に対する明確な敵対行為とみなされる。教団はどんな汚い手を使ってでも、黒恵たちを始末しようとするに違いないのだ。
「シャル、落ち着いて聞いて」
黒恵はシャーロットの肩に優しく手を置いた。
「貴方はかつて、私のために自分の命を削ってまで戦ってくれた...それは、どうして?」
「それは...黒恵ちゃんが、私にとって、世界で一番大切な友達だからです」
「なら、答えは決まってるじゃない。私にとっても、貴方はかけがえのない親友よ...友達のために命を張るのに、これ以上の理由なんていらないでしょ?」
「それに、俺にとっても都合が良い。聖教団をぶっ潰せるなら、俺がアイツらに殺される心配もなくなって、一石二鳥で命拾いできるってことだろ?」
「いや、ワシは別に教団を潰してくれとまでは言っておらんのじゃが...」
グラ爺がすかさずツッコミを入れるが、シャーロットの意識は、亜里好の不穏な言葉に釘付けになっていた。
「亜里好様...それはどういう意味ですか?」
「ん?ああ、実はさ、俺、あの連中から死刑宣告を受けてるんだよね。今は無期限で引き延ばされてる状態なんだけど...まぁ、言葉で説明するより見せた方が早いか」
亜里好はふぅと息を吐くと、自身の右腕にぐっと力を込めた。その瞬間、彼の腕から禍々しいオーラが立ち上る。それは、人間が使う魔力などでは決してなかった。魔物が放つ呪力そのものだった。
「これは...呪力ですか?なんで...」
シャーロットは驚愕のあまり目を見開いた。
──あー、理解した。初対面に呪われてるって言われたのって、この力の事だったのか。
シャーロットが亜里好に告げた言葉が脳裏をよぎる。あの時、シャーロットが感じ取った呪われた力は魔物の力に違いない。亜里好は納得した。
「実は俺、魔物の力が使えちゃうんだよ」
「あら、最高じゃない。聖教団を潰してシャルを自由に解放させて、ついでに貴方の命を救えるなんてね」
「俺、ついで扱いなんだ...」
「いや、だから、ワシは潰せとまでは言っておらぬと言うのに...」
黒恵の頼もしい割り切り方に、亜里好ががっくりと肩を落とす。そして、自分の声が完全にスルーされているグラ爺は、寂しそうに再びお茶を啜るのだった。亜里好はそんなグラ爺を、黙って静かに見つめた。
――あの連中が、そう簡単に条件を飲むはずがない。一体、このジジイは何を差し出したんだ?
喉まで出かかったその疑問を、亜里好は辛うじて飲み込む。 シャーロットの前では、決して口にしてはならないことだった。自分のためにグラ爺が何かを犠牲にしたと知れば、彼女は間違いなく自分自身を責めてしまうからだ。
27話 【期限は一年、課せられた任務】




