第25話 黄金乙女
「あのー、君、呪われてますよ?」
「は?」
それが、彼女との唐突な出会いだった。時は、その数時間前まで遡る。その日、不動亜里好は、珍しく一人でギルドに呼び出されていた。いつもならパーティーリーダーである黒恵が隣にいるはずだったが、今日に限っては単独での呼び出しだ。
「不動くん、急に呼び出してすまないね」
「いえ、それは構いませんよ。ローランドさん」
案内された一室で待っていたのは、ローランドだった。促されるまま、亜里好は対面するようにソファーへ腰を下ろす。
「それで、俺を呼んだ用件というのは?」
「単刀直入に言おう。天神さんから頼まれていた例のモノが完成してね。それを君に渡したくてね」
ローランドが机の上に差し出したのは、不気味な光沢を放つ一つの黒い指輪だった。亜里好は首を傾げながらも、それを左手の中指へと嵌めてみる。
「そのまま、少しだけ魔力を流し込んでみてくれ」
「っ、おお!?」
言われた通りに意識を向けると、指輪がまるで生き物のように蠢き、その形を変えた。溢れ出た黒い流動体が、亜里好の全身を這うように駆け巡る。
瞬く間に肌を覆った黒い全身タイツのような膜は、次の瞬間にはすうっと透明になり、まるで何も身に付けていないかのように消えてしまった。しかし、肌に伝わる確かな感触が、それが幻ではないことを告げていた。衣服のさらに内側、皮膚のすぐ上に、信じられないほど薄い、けれど強固な鎧を纏っている感覚がある。
「これはナノテクノロジーと魔術、二つの最先端技術を融合させて作られた特注の宝具ですよ。まるで漫画のような代物ですよね?」
亜里好は驚きに目を見張りながらも、その動かし心地を確かめるように、指先を曲げ、手首を回し、身体の各関節を動かしてみた。
――軽ぃな
驚くほどに、動きを妨げない。まるで自分の皮膚がもう一枚増えたかのような、圧倒的な軽さだった。
「これなら、前の戦闘のような大怪我は防げるはずだよ」
防御手段である外功、身体強化である内功。この二つの基本にして絶対的な力を、亜里好は未だに身につけていない。どれだけ元の身体能力が高かろうと、魔力が飛び交う戦場において、生身の肉体など無意味に等しかった。
今の彼が前線に立つには、魔力製の装備で身を固めるしかない。しかし、重騎士のような大層な鎧を着込んでは、亜里好の最大の武器である超スピードを殺してしまう。
可動域を一切邪魔せず、かつ最大限の防御力を発揮できる宝具。黒恵がギルドで高名な宝具師に大金を積んで特注したのが、この腕甲だった。そして、その宝具師こそがローランドの友人なのだという。
「これなら並大抵の攻撃魔法は完全に遮断できるはずです」
「助かります」
「いえいえ、お礼を言うならば天神さんにです」
「そうですね...あのー、聞きたいことがありまして」
「はい?私が知っているものでしたら、お答えしますよ」
「魔狩り隊って言葉聞いたことありますか?」
「...」
その質問にローランドは一瞬表情が変わった。賭けに出た亜里好はその言葉によってローランドがどう動くかとゴクリと息を呑む。だが、一瞬でいつものの様に笑顔に戻る。
「はて?聞いたことありませんね?それをどこで?」
――ダメか...
「いやー、ここにくる途中魔導師が話していたのを聞いたんすよ」
「なるほど...すみません。聞いたことがありませんね。力になれなくてすみません」
「いえいえ」
亜里好はローランドにお辞儀をし、部屋を後にする。取り残されたローランドは深くため息を吐いた。
「そんな言葉、そこら辺の魔導師が知る訳がありません...魔狩り隊...通称、旧人類狩り集団。その者達の存在はほんの一部しか知りませんから...」
そして、新兵器の性能に、少年のように目を輝かせていた不動亜里好。その帰り道、彼は手に入れたばかりの新しい宝具に見惚れながら歩いていた。
ドンッ。
不意に、正面から柔らかい衝撃が走る。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、こちらこそ。よく前を...っ?!」
謝りながら顔を上げた瞬間、亜里好の思考がフリーズした。
――やべぇ。めちゃくちゃどタイプかも。
目の前で尻餅をついている彼女は、亜里好にとってあまりにも理想の女性そのものだった。非常に美しく整えられた、輝きを放つ腰下までの長い金髪。
それは三つ編みのハーフアップにまとめられ、全体に緩やかで美しいウェーブがかかっている。透き通るような淡い水色の瞳。そして両耳には十字架の髪飾りに、何より黒恵より二回りはあろうかという大きな胸。すべてが亜里好のどストライクだった。
「だ、大丈夫すか?」
亜里好は慌てて手を差し伸べる。
「はい、だいじょ...」
彼女が亜里好の手を取ろうとした、その瞬間だった。ふっと彼女の目の色が変わる。そのまま立ち上がると、彼女はとんでもないことを口にした。
「あのー、貴方、呪われてますよ?」
「...は?」
唐突な告白に亜里好は思考を停止する。いきなり「呪われている」などと言われ、内心で不安がじわじわと溢れ出してきた。
「あっ、ごめんなさい!まずはありがとうございます!」
我に返った彼女は、まるで高速のメトロノームのようにペコペコと勢いよく頭を下げる。その時だった。遠くから無数の足音がこちらへ近づいてくるのが聞こえた。彼女はその音に気づくと、一気に慌てふためく。
――なんだ、訳ありか?
亜里好は咄嗟に判断し、彼女の手首をつかんで近くの壁際へと押し付けた。直後、道の角から男たちの集団が現れる。彼らが身にまとっているのは、魔導師のそれとは異なる服装だった。どこかで見た記憶のある、独特な制服。それは修道服だった。
――あれは、確か...聖教団か?
亜里好が大きな背中で壁際の彼女を隠したおかげで、聖教団の男たちは彼女の存在に気づくことなく通り過ぎていく。しかし、背に庇われた彼女の方は、顔を真っ赤にして何やら激しく勘違いをしていた。
「はわわわ!こ、この展開...も、も、もしかして私、見ず知らずの人に無理やり!あんなことや、こんなことを...っ!」
どこか嬉しそうな様子を見せる彼女に、亜里好は少し引きながらもツッコミを入れる。
「わ、私このあと何されるのですか?」
「なんもしねぇよ。それより、なんで追われてるんだ?」
「え? あ、そうでした! 助けていただきありがとうございます!」
彼女は再び、高速メトロノームのようにペコペコと頭を下げた。
「まずは名乗らないといけませんね。私はシャーロット=クロイツハートです」
「ああ、俺は不動亜里好だ。よろしく...それにしても、アンタは魔導師なのか?」
亜里好は、彼女の衣服へ奇妙そうに視線を落とした。着ているのは、魔導師特有のコートの制服でもなければ、聖教団の修道服でもない。まるでその二つを掛け合わせたかのような、不思議な意匠の白の制服だった。
「亜里好様ですね、よろしくお願いします。私のことは気軽にシャーロットとお呼びくださいませ...一応、これでも魔導師ではあります」
「そうなのか。それで、なんで追われてるんだ?...いや、言えない事情なら無理にとは言わないが」
「その...」
「その?」
彼女は困ったように苦笑しながら、両手の五本の指先を合わせ、言いにくそうに視線を外した。
「今、家出中でして...」
「...聖教団さん!!ここに家出少女がいます!」
「ああぁ!待ってください、亜里好様!」
何か深い事情があると思いきや、まさかの単なる家出。大声で叫ぶ亜里好に対し、シャーロットは涙目になりながら必死にその口を手で塞ごうとしてくる。
「彼らにご迷惑を掛けているのは承知の上です。でも、せめて今日だけは...今日だけは見逃してください...」
そんな辛そうな表情で見つめられれば、亜里好としても頭をかきむしるしかない。ここで「はい、さようなら」と放り出すわけにもいかなかった。一度彼女を助けてしまった以上、自分にも責任がある。巻き込まれたついでだ、最後まで付き合おうと腹を決めた。
「それで、追われ身のシャーロットお嬢様は、何をご所望かね?」
「その...ある人に会いたいのです」
「そうか。そいつの場所は?そこまで付き合ってやるよ」
彼女の家出に加担した罪は、後で一緒に怒られればいい。亜里好はそう結論づけた。だが一瞬、聖教団に嫌われている自分が、その関係者を連れ回しているとバレたらどうなるかという懸念が頭をよぎる。説教だけで済むのだろうか。考えるのが面倒になった亜里好は、その思考を頭の隅に追いやった。なんとかなるだろう。
「本当ですか!ありがとうございます!」
シャーロットは亜里好の両手を包み込むように握りしめ、瞳をキラキラと輝かせて顔を近づけてきた。予想以上の距離感に、亜里好は少し耳を赤くしながら、咄嗟に視線を外す。
「場所は総帥様に聞いてあります」
「そうか。なら話は早いな」
「私のわがままに付き合っていただき、本当に感謝します」
特にこれといった予定のなかった亜里好は、今日一日、彼女のわがままに付き合うことにした。
まずはその目立つ服装をどうにかしなければならない。亜里好は自分の薄手のカーディガンを彼女に羽織らせ、目立つ金髪を一つに束ねさせると、上から帽子を深く被せて変装させた。
移動中、二人はお互いの身の上についてぽつぽつと話し始めた。
「亜里好様は、Dに昇格したばかりなんですか。おめでとうございます」
「まあな。シャーロットの階級はどこなんだ?」
「私はCです...といっても、昇格してから一度も依頼や魔物の討伐はしていませんけど」
「Cか...格上だな。なら、異名もあるのか?」
「はい。先生の異名を受け継ぎまして、三代目救世者として名が通っています」
その言葉に、亜里好は自身の知人を思い出す。アイが目指す大賢者という称号も、確か代々受け継がれていくものだった。歴史ある異名というのは、一種のブランドのようなものなのだろう。
「シャーロットは、どんな魔法を使うんだ?」
歩を勧めながら、亜里好は気になっていた疑問を口にした。
「私ですか?私は強化、状態異常回復、治癒といった付与が専門であります」
――回復もできて、味方の強化もできる。ゲームで言えば、パーティーに一人いるだけで戦局がひっくり返るような万能サポーターだな。
亜里好は、かつて黒恵から聞いた話を思い出していた。彼女がハワイで入院していた時のことだ。ある魔導師に回復魔法をかけられたことで、辛うじて命を繋ぎ止めることができたのだという。
黒恵曰く、そのレベルの回復魔法を扱える魔導師は世界でもほんの一握り。各国に五人から七人程度しか存在せず、国家レベルで重宝されているらしい。
数が少ない理由は、単なる希少性だけではない。回復系の魔法は神のご加護の力と見なされ、その多くが聖教団へと引き取られてしまうからだ。結果として、回復魔法の使い手のほとんどは聖教団によって独占されているのが現状だった。
話に聞く限り、シャーロットも例外ではないようだった。本来は純粋な魔導師を志望していた彼女だが、その回復魔法の精度は常軌を逸していたらしい。そこに目をつけた聖教団が半ば強引に彼女を囲い込み、今や聖女候補と呼ばれる存在にまで祭り上げたのだ。
「...亜里好様」
隣を歩くシャーロットの、声のトーンが変わった。
「ん?どうした」
「魔物が引っ掛かりました」
「魔物だぁ?どこに?」
周囲を見渡すが、異変らしきものは見当たらない。するとシャーロットは、真剣な面持ちで前方を指差した。
「ここからだと...雷門の近くでしょうか?」
「は?」
亜里好は思わず素っ頓狂な声を上げた。自分たちがいるのは、スカイツリーから少し歩いた場所だ。そこから浅草にある雷門までは、直線距離にしても二キロ近く離れている。彼女の法円は、その距離にいる魔物を感知したという。アイと同等、それ以上かもしれない。
「亜里好様、早く行きましょう!」
「ああ、わかった!」
何週間ぶりになるか分からない実戦の気配に、亜里好の身体が熱くなる。二人は速度を上げ、魔物が探知された方向へと一気に駆け出した。
「...この辺りで一瞬、強い呪力を感じたのですが」
雷門の前に到着したシャーロットが、周囲を油断なく見回す。だが、さすがは日本屈指の観光地と言うべきか。休日ということもあって凄まじい人口密度だ。視界を埋め尽くす人の波。
「流石にこの中から目視で探すのはキツイだろ。どいつが化けてるかも分からねえぞ」
「ふふ、そのためのこれです。私程度の法円に一瞬でも引っ掛かる実力を持った魔物なら、確実に釣れるはずです」
シャーロットが懐から取り出したのは、小さなキューブ型の宝具だった。それは、空間そのものを隔離する反転世界を展開する宝具。発動の瞬間、周囲の空間から一定以上の魔力や呪力を持つ存在を強制的に引きずり込む性質を持つ。
一般市民を巻き込まぬよう、対象の力量を自動で判別する精緻なシステムが組み込まれていた。だが、それも実力ある術者の制御次第。本来なら引き込まれるはずの強者であっても、術者の意図一つで強制的に対象外として弾き出すことが可能だそうだ。
「展開」
彼女の凛とした声に応え、キューブが宙に浮いて高速回転を始める。世界が反転する独特の浮遊感。次の瞬間、あれほど喧騒に満ちていた浅草の街から、大勢の観光客の姿が綺麗さっぱりと消え去った。静寂が支配する、誰もいない雷門。
「見つけました。どうやら、急な反転世界の展開に少し動揺したようですね」
無人の空間を見据え、シャーロットがその視線を一点に定めた。
第25話 【黄金乙女】




