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第24話 その剣はいずれ

「でーと、楽しみだね!」

「ああ、そうだな。...さて、まずはどこから回ったものか」

 

 賑わう街角、亜里好は隣を歩く凛を見やり、人知れず溜息をついた。亜里好はどうしてこうなったのかと、数時間前の出来事を思い返してみた。そこは凛の道場、竜之介から突きつけられた奇妙な頼みだった。

 

「甘いぞ!そんなものが天月か!」

 

 竜之介の木刀が、閃光のごとき連撃となって亜里好を襲う。必死に食らいつき、全ての攻撃を剣で弾き返す亜里好だったが、それは竜之介が彼の限界に合わせて手加減してやっているに過ぎなかった。

 

「っぶね!...痛ってぇ!」

 

 こめかみを狙った鋭い刺突。咄嗟に首を傾けて避けた瞬間、竜之介の木刀が亜里好の脳天を痛烈に叩いた。

 

「天月とは、全てを受け止める業だ。避けとは逃げ、逃げてしまえばそれは天月ではない」

 

 天月、それは己の周囲に展開する絶対的な迎撃領域。自分の攻撃が届く全方位の空間に意識を張り巡らせ、相手の攻撃の流れに一切逆らわず、その奔流に乗る。敵の動きを予見し、無意識が自動的に反応する超集中の極致。

 

「やはり駄目だな。脳内の雑音が激しすぎる」

 

 攻撃の餓狼月は身につき始めていたが、天月はてんで形にならない。焦れば焦るほど意識に濁りが生じ、真髄は遠のくばかりだった。


「天月を掴むには環境も大事だ。本来なら高い場所で瞑想するのが一番だが、この辺りには山もねぇしな」

 

 竜之介の言葉に、亜里好はふと思いついて口にした。

 

「高い場所なら、隣街にスカイツリーがありますけどね」

「そんな場所で瞑想してみろ。お前さん、翌朝にはニュースの主役だぞ」

 

 そんな冗談を飛ばす二人の傍らで、凛が不思議そうに首を傾げた。

 

「すかいつりー?って、何?」

「へ?スカイツリーを知らないのか?ほら、これだよ」

 

 絶句した亜里好がスマホを取り出し、検索した写真を見せる。画面に映る日本最大の電波塔。それを見た凛の瞳が、これ以上ないほど見開かれた。

 

「あーっ!高い柱ーー!」

 

 その純粋すぎる反応に、亜里好は腕組みをして動じない竜之介を問い詰めるような視線で睨みつける。竜之介はバツが悪そうに冷や汗をかき、視線を逸らした。

 

「いや...子供の頃から剣のことしか教えてこなかったからな。世間の常識については、さっぱりだ」

「嘘だろ...普通、親として、剣より先に教えることがあるはずっすよ?」

 

 呆れ果てる亜里好をよそに、竜之介は良いことを思いついたと言わんばかりに手を打った。

 

「いやはや、凛が俺の剣をあまりに吸い込むもんで、教えるのが楽しくなっちまってよ...そうだ!お前さん、凛に世界を教えてやってくれぬか?これも修行の一環だ」

 

 それが、今回のデートという名の修行の全貌だった。初めて見る電車の自動改札に驚き、道ゆく大型ビジョンに目を丸くする凛。

 

「ねえ、亜里好。あそこのキラキラした建物は何?」

「あれはゲームセンターだな」

 

 初めての建物に凛は目をキラキラさせていた。二人がまず足を踏み入れたのは、大型ショッピングモールの中にある映画館だった。

 

「いいか、凛。ここは映画館言って、大きな布に映る映像を静かに見る場所だ」

「うん!静かにしてる」


 亜里好は冷や冷やしながらチケットを買い、ポップコーンを抱えて薄暗いシアターへ入る。上映が始まり、巨大なスクリーンに迫力ある映像と爆音が響き渡ると、凛は「わぁ?!」と反射的に剣を召喚しようとした時は慌てたものだった。


ーー映画に集中できねぇー!


 しかし、物語が進むにつれて彼女は画面を凝視したまま固まり、最後にはポップコーンを口に運ぶのも忘れて見入っていた。凛は亜里好の袖をぎゅっと握りしめていた。

 

「亜里好、あれは...あの小さな女の子は、最後にお母さんに会えたんだよね?」

「ああ、ハッピーエンドだったろ?大丈夫だよ」

 

 鼻を赤くして見上げてくる凛の頭を、亜里好はつい子供をあやすように撫でそうになった。続いて訪れたのは水族館だ。青く揺らめく巨大な水槽の中を、色とりどりの魚たちが泳いでいく。凛は水槽のガラスにぴったりと顔をくっつけ、優雅に舞うエイやサメを目で追った。

 

「亜里好、見て!これ全部食べていいの?!」

「いや、ダメです」


 食べようとする凛に対して思わず敬語で返してしまった。だが、ふと気づくと、亜里好の心から『修行しなきゃ』『強くなきゃ』『このままじゃ、ダメだ』という刺々しい焦燥感が消えていた。ただ目の前の無垢な笑顔を守るように歩く時間は、不思議と穏やかだった。


 そして次に訪れた場所は、凛が気になっていた高い柱と呼んでいたスカイツリー。おののく凛の手を引き、亜里好は超高速エレベーターへと乗り込む。気圧の変化で耳がツンとする中、ほんの数十秒で地上350メートルの展望デッキへと到着した。扉が開いた瞬間、凛の口は完全に塞がらなくなった。


「わぁっ!」


 ガラスの向こうに広がっていたのは、ミニチュアの街模型のように広がる東京の全景だった。地平線の彼方までぎっしりとビルや家が建ち並び、道路を走る車はまるでおもちゃの蟻のようだ。凛は吸い寄せられるようにガラス窓へと駆け寄り、両手を張り付けた。


「こんな高い景色...まるでパパの背中に乗ってるみたい」

「?」


 謎の発言をする凛に対して首を傾げる亜里好。二人はさらにエレベーターを乗り継ぎ、地上450メートルの展望回廊へと向かった。

 ガラス張りの緩やかなスロープを、空中を散歩するように歩いていく。最高到達点であるソラカラポイントに辿り着いた時、ちょうど西の空が真っ赤に染まり始めていた。

 沈みゆく夕日が、東京の街並みを黄金色と紫のグラデーションで包み込んでいく。


「綺麗...」


 凛はぽつりと呟いた。映画館の時とは違い、今は亜里好の袖を掴む手にも力が入っていない。ただ純粋に、世界の美しさに圧倒されているようだった。


「どうだ?楽しんでるか?」

「うん!亜里好とここに来られて、すごく嬉しい」


 凛はそう言って、はにかむように笑った。


「これまでアタシは、いつも剣と修行だけだった。パパに失望されないように強くならなきゃいけないって...アタシは剣しか知らなかった。でも、この世界はこんなに広くて、こんなに優しくて、綺麗なものがたくさんあるんだね。それを教えてくれたのは、亜里好だよ」

「世界か...まだまだ、これはほんの一部の景色だ。いずれか、凛に全ての景色を見せたいな」

 

 真っ直ぐな言葉が、亜里好の胸に深く突き刺さる。彼女の言葉は、そのまま今の亜里好自身へとブーメランのように跳ね返ってきた。

 『強くなきゃいけない』と自らを追い詰め、脳内で鳴り響いていた焦燥の雑音。それが、目の前に広がる圧倒的な景色の前で、そして彼女の無垢な笑顔の前で、跡形もなく霧散していくのを感じていた。

 

「凛は、なんで剣を握るんだ?」

「うーん...会ったことはないんだけど、パパの話を聞いて、その人になりたい!って思ったの」

「へぇ、どんな人なんだ?」

 

亜里好が聞き返すと、凛は遠くを見るように目を輝かせた。

 

「凄く強い人。パパより剣の腕もすごかったらしいよ。そうだ、雪の様な綺麗な髪色に赤い瞳って言ってたな。まるで、亜里好みたいな」

 

そして、凛は言葉を続ける。

 

「その人、色んな呼ばれ方をしてるんだけどさ。アタシはその中の剣聖と呼ばれる彼女の話を聞いて、ずっと憧れてたんだ。だからアタシは、最強の剣聖になってみたい」

「最強の剣聖、か。なかなか良い響きの夢じゃん」

「亜里好の夢は?」

「え?俺か...?うーん、そうだな」

 

 予想外の問いに、亜里好は言葉を詰まらせた。この数日、黒恵やアイが目指す道を熱心に聞いていたのは、自分自身に目指すべき未来がなかったからだ。黒恵のように最初から抱く高潔な理想もなく、アイのように復讐の先に待つ未来もない。

 

 今の亜里好にとって、復讐はゴールだった。それが終われば、自分という存在は完結してしまう。前を歩く少女たちの背中が、ひどく眩しく見える。彼女たちに比べれば、自分はあまりにも空っぽで、軽い人間に思えた。

 何かを紛らわせるために二人の夢を手伝い、現実から逃げているに過ぎない。亜里好は自嘲気味に口元を歪め、視線を足元へ落とした。

 

「凛みたいな立派な夢はねえな。魔術師連中からすりゃ、俺は中身のない腑抜けだろうよ。だからさ...空っぽの自分を言い訳するために、あいつらの...今の魔導師仲間の夢を代わりに叶えてやりてぇんだ。何もない奴が、夢を持つ人間の踏み台になる。それくらいしか、俺っていう邪魔者がここにいていい理由が見つからねぇんだよ」

 

 吐き出した本音は、あまりにも無様で、歪んでいた。だが凛は、そんな彼の言葉を鼻で笑うことも、哀れむこともしなかった。ただ静かに一歩、歩幅を狭めて亜里好の隣に寄り添う。

 

「亜里好の仲間がどんな人なのかは、アタシは知らないけど」

 

 凛は真っ直ぐに前を見つめたまま、鈴の鳴るような澄んだ声を響かせた。

 

「アタシには分かるよ。その人たちは、亜里好のこと、最初から邪魔だなんて思ってないよ」

「まぁ、そうかもな」

 

 亜里好は小さく息を漏らし、曖昧に頷いた。凛の言う通りだった。自分がどんなに空っぽでも、どれほど惨めでも、あの二人が自分に対して否定的な感情を一切向けないことくらい、本当は分かっている。

 ほんの数ヶ月程度の短い関係だ。それでも、彼女らの真っ直ぐな温かさは、痛いほど胸に届いていた。だからこそ、己の不甲斐なさが余計に歯痒く、苦しい。

 押し黙る亜里好の横顔を、凛が下から覗き込んできた。その瞳には、夜空の星をそのまま映し込んだような、強い光が宿っている。

 

「それにね、亜里好は空っぽなんかじゃないよ」

 

優しく、だけど確かな足取りで、彼女は言葉を紡いでいく。

 

「そうやって誰かを想える優しさが、もう、亜里好の中身なんじゃないかな?」

 

 その言葉は、冷え切った亜里好の心を静かに、しかし確かに満たしていくようだった。

 

「優しさ、か...」

  

 思わず、その音をなぞるように呟いていた。そんな大層なものが自分にあるなんて、思ったこともない。だが、凛にそう言われると、まるで極寒の身体に灯火を寄せられたかのように、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

「これは優しさか?俺のはただの、自己満足かもしれないぞ」

 

 照れ隠し混じりに返した言葉の先で、彼女の屈託のない笑顔が弾けた。

 

「自己満足でもいいじゃない!誰かのためにそこまで必死になれるなんて、誰にでもできることじゃないよ...少なくともアタシは、そんな亜里好のこと、格好いいと思う」

 

 ニカっと、太陽のように屈託なく笑う彼女の姿が、今の亜里好にはひどく眩しかった。

 

「決めた...」

 

 呟きとともに、胸の奥で確かな覚悟が形を成していく。それまで心を苛んでいた焦燥や迷いといった雑音が、綺麗さっぱりと消え去っていくような、かつてない清々しさだった。

 

「俺は、アンタに剣士として憧れてる。だから...俺はアンタを超えるために強くなる」

「うん!」

 

 凛は力強く頷く。亜里好はその瞳を真っ直ぐに見据え、言葉を紡いだ。

 

「だから、俺に負けないくらい、もっともっと強くなってくれ。強くなっていく俺に、決して超えられないように強くなり続けてくれ...そしていつか、アンタの剣を、この景色よりもさらに高い場所まで届かせてみせる」

 

 亜里好は、展望台のガラス窓の向こうに広がる、東京スカイツリーからの大パノラマを指さした。眼下に広がる街並みが、まるでミニチュアのように小さく見える。

 

「俺が連れて行ってやる。最強の剣聖に。それが、俺の新しい夢だ」

 

その誓いを聞いた凛は、愛おしそうに目を細めて微笑んだ。

 

「アタシの剣が高みを目指す...なら、それに似合う鞘が必要だね、亜里好」


挿絵(By みてみん)

 

 剣と鞘の誓い。凛の人生において、初めて真のライバルと呼べる剣友ができた瞬間だった。心を通わせた二人は、スカイツリーを後にして夕食をとることにした。

 

 凛が「ここに行ってみたかったの!」と嬉々として案内した先は、賑やかな街角に佇むお馴染みのハンバーグ専門店だった。しかし、店の扉を潜った瞬間、店内の空気が凍りつく。

 

「いらっしぃま...せ...」

 

 迎えた店員の表情から、営業スマイルが完全に消え失せた。その視線は、親しげに並ぶ亜里好と凛の姿に、これでもかと冷ややかに突き刺さっている。

 

 無理もない。亜里好はこれで三日連続の来店だった。毎日それぞれ別の女性を伴って。痛いほどの冷視線を浴びる亜里好を余所に、事態を露知らずの凛は、メニューを開いて目を輝かせている。

 

「ここ、美味いぞ...」

「そうなんだ!楽しみ!」

 

 亜里好は頬を引きつらせ、冷や汗を流しながら、辛うじてそれだけを返した。直後、テーブルに運ばれてきたのは、鉄板からはみ出んばかりのドデカジャンボハンバーグ。

 

「おいしそう!いただきまーす!」

 

 凛は満面の笑みでナイフを入れ、その規格外の肉の塊を、まるで吸い込まれるようにペロリと平らげていく。

 そんな彼女の豪快な食べっぷりと、店員からの最低の女たらしを見るような視線の板挟みになりながら、亜里好はただただ、自分のハンバーグを小さく口に運ぶことしかできなかった。



第24話 【その剣はいずれ】

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