第23話 大賢者との誓い
「うーん?外功は...使うっていうより、自然の力を借りる?っていう...感覚、なの」
黒恵の反転世界を展開させる宝具を借り、アイの指導のもとで魔力運用の修行に励む亜里好。前回の任務で瀕死の重傷を負った原因は明白だった。基礎である外功と内功を未だ体得できていないこと。
本来なら一年の研鑽を要する力だが、死刑無期限延期の身である彼に、修行に専念する時間は与えられない。『その力が世界にとって無害か、任務と魔物退治で示せ』というのが聖教団の意向。
――つまり、強くならずにとっとと死ね、ということだ。
「なんで...だろ?多分、感覚は掴めてる...はず。なのに、何か魔力の流れを遮ってるよう...な?」
「(それに、なんか亜里好...すごく焦ってる...感じ)」
アイの瞳は特別だ。魔力の流れを完全に捉える彼女の目には、亜里好の体内の異変が映っていた。何かが循環を邪魔している。それが呪力によるものなのかは判然としない。
「なら、次は...内功」
亜里好は法眼を使い、アイの魔力の流れを追う。
「精神統一が...重要。外功が力を借りるものなら、内功は力を生み出す...っていう感覚で、やれば」
「うーん、外功がああもピンと来なかったからな。やっぱり俺って才能ないのか?」
黒恵に手ほどきを受けた当初は、確かな成長の早さを実感していた。しかしある時期を境に、それは唐突な停滞を迎える。
「...」
「ん?」
「できて...る」
「え?そうなの?」
「なんか...いや、気のせい...かも。なんでも、ない」
アイの瞳は捉えていた。ほんの一瞬、亜里好から内功が流れたのを。だが、その輝きは気のせいと言い切れるほど、すぐに消え去ってしまった。
「(外功は自然エネルギーの吸収を妨害されている感じ。内功が流れる道も何か塞がっているような...魔脈そのものが傷ついてる..)」
アイは冷静に分析を巡らせる。内功が巡るべき魔脈に、岩のような障害物が居座り、内功が全身に流れるのを邪魔している。ただ、それが濁流によって一時的に押し流されたような痕跡があり、魔脈自体はボロボロに荒れていた。時間はかかるが自然治癒で治る程度なのが救いだ。さほど危険視する必要はない。
――ん?ほんの一瞬だけ体が軽くなったような?
亜里好もその違和感には気付いたが、やはり気のせいかと意識の隅へと追いやった。
「仕方ない...次は法円を、教え、る。これがあるかないかで、生存率は爆上がり...だよ」
アイが淡々と告げる。法円とは、魔力を応用した高等技術だ。通常、魔力の源は心臓にある。そこに溜まった魔力を自身の周囲へと放射状に広げ、領域内にある物体を、あたかも直接指先で触れているかのように克明に感知する。
「まずは、ただ魔力を広げる修行...これを光らせて」
アイが杖をくるくる回すと、虚空から一体の骸骨が召喚された。その手には、ロウソクのような棒の先に水晶が据えられた不思議な道具が握られている。
「これは魔力に...反応して、光る」
アイが水晶に指先で触れると、淡い光が灯った。さらに彼女が数歩下がり、指を向ける。触れていないにもかかわらず、水晶は再び輝きを放った。
「まずは一メートル。意識を...コレに、向けて」
亜里好はその場に座り込み、ロウソクを見据えて目を瞑った。すると、アイが彼の腕をそっと持ち上げる。
「まずは、手をかざす方が...いい」
言われた通り、亜里好は手のひらをロウソクへと向けた。アイは感覚を教え込むように、彼の腕を指先でなぞっていく。
「体内にあるすべての魔力の流れを、心臓に集中させ...て」
集中する。心臓の鼓動が熱を帯び、練り上げられた魔力が波紋となって、外の世界へ染み出していく。
「おっ?光った」
「...」
アイは沈黙したまま、目の前の光景を見つめていた。
「(おかしい...外功にも内功にもあんなに苦戦していたの...に。それより遥かに難易度が高いはずの法円を、こうも簡単に...?)
彼女の瞳に宿る疑念。亜里好という器の底知れなさに、アイは微かな違和感を覚えていた。
「なら、次は実戦。吠えろ――『冥犬』」
アイの杖が形を変え、三つの不気味な犬の頭蓋骨へと変貌する。
「ボクが、魔力の塊を飛ばす...衝撃波だけだから、大丈夫...まあ、少しは痛い程度だと、思う...けど」
亜里好は即座に身構えた。三つの頭蓋骨が、彼を囲むようにして不気味に回転を始める。一撃目は背後から放たれた。亜里好は反射的に刀を抜き放ち、それを切り伏せる。
「ダメ...今のは法円による感知じゃない。感覚でやってる」
アイの厳しい声が飛ぶ。
「避けてやるっていう思考を捨てて...無意識に、委ね...て」
「無意識って...言うのは簡単だが、むずいな」
亜里好はあえて視界を遮断した。瞼の裏に映るのは真っ暗な闇、自身の心臓から同心円状に広がる、淡く、しかし確かな魔力の波紋だ。三頭の頭蓋骨が空を削る音を立て、不規則な軌道で襲いかかる。
「...」
背後から迫る不可視の衝撃波。本来なら振り返らなければ捉えられない角度。だが、法円という名のセンサーが、空気を押しのけて突き進む魔力の質量を克明に描出する。
亜里好の体が、意志を介さず勝手に動いた。最小限の動きで頭を傾け、耳元を爆風が通り過ぎる。
次は右下、そして頭上。二条の衝撃波が時間差で亜里好を挟撃する。彼はそれさえも、まるで最初から道を知っている散歩者のように、滑らかなステップで回避した。
「もう完全に...捉えてる」
アイの瞳の中で、亜里好の魔力が変質していく。最初は不安定に揺らいでいた法円が、今は鏡面のように静まり返り、周囲の異変を完璧に反射していた。
「(本来なら、取得に...数年...異常な適正がある)」
「なら、少しギアをあげ...る」
アイはさらに速度を引き上げた。放たれる魔弾の雨は、さながらガトリングガンの掃射。四方八方から肉薄する光弾に対し、亜里好は剣を振るい、ある時は最小限の動きで避け、ある時は鋭く斬り飛ばして猛攻を凌いでいく。だが、均衡は一瞬で崩れた。
「グハッ!」
背後から迫る魔力の法弾。それを辛うじて回避したと思った瞬間、死角から回り込んだ別の弾頭が目の前に現れた。直撃の衝撃。さらに跳ね返りながら加速した法弾が、無防備な亜里好の顔面を真っ向から捉えた。
「法円に頼りすぎている...ね」
アイが淡々と告げる。本来の亜里好なら反応できたはずの攻撃だ。しかし、法円による知覚に意識を過剰に割いていたがゆえに、逆に意識の外からの変化に対応できなかったのだ。
「法円は鍛錬次第でその領域を広げられる。今の亜里好は、せいぜい三十センチ程度が限界だ、ね」
「天神やアイはどれくらいなんだ?」
荒い息を吐きながら、亜里好は問いかけた。アイは少し視線を上げ、記憶を辿るように答える。
「あいつが以前見せた時は、軽く十メートルは広げていた...おそらく、本気ならもっと...いける。ボクは、純粋な感知に特化して広げるなら、二キロちょいかな」
提示された数値のあまりの隔絶に、亜里好は言葉を失った。自分とは文字通り桁が違う。だが、それほどの範囲を網羅できるのなら、常に最大展開していれば無敵ではないのか。そんな疑問が脳裏をよぎる。
「やっぱり、範囲を広げれば広げるほど、魔力の消費もエグいのか?」
「それもある。けれど、理由は他にも...ある。それは法円の精度だよ」
アイの瞳が、鋭く亜里好を射抜いた。
「範囲を広げられる...者が、あえてその領域を圧縮させた時、知覚の精度は極限まで...洗練される。そうなれば、もはや相手の動きを読むなんてレベルじゃ、ない。まるで未来予知が...できる。全てが手に取るように視える...の」
「へぇ、面白いな」
「...亜里好」
魔力の奥深さ、その力が進化するたびに、亜里好はこぼれるような笑みを浮かべる。その無邪気で危うい輝きを、アイは静かに見つめていた。彼女は冥犬の力を杖へと戻し、さらにそれを指輪の空間へと仕舞い込む。
「場所、移らない?面白いの...見せたい」
「え?ああ、そうだな」
唐突な提案に亜里好が頷くと、彼女はキューブを操作して反転世界の結界を解除した。景色が剥がれ落ちるように反転し、二人は現世へと帰還する。
「...の前に、お腹空いた」
「はは、ならどっかで食ってくか?」
「前から気になってる場所がある...そこ、行く」
「あいよ」
そう言って案内された先を見て、亜里好は思わず吹き出しそうになった。そこは、昨日黒恵と食事を共にしたばかりのハンバーグ屋だったからだ。
「いらっしゃいま...せ?」
出迎えたのは、昨日と同じ女性店員だ。彼女は亜里好の目を引く髪色と整った顔立ちをはっきりと覚えていたのだろう。昨日とは別の美少女を連れている彼を見て、「妹さん...かな?」と困惑気味に呟く声が聞こえてきた。
「アイ、こんなガッツリしたの食えるのか?」
亜里好が尋ねるのも無理はなかった。彼女は極端な少食で、普段は茶碗三口ほどで満足してしまう。対してこの店は、界隈でも評判のボリューム自慢だ。
「ううん。ここのコーヒー...凄く気になってた。美味しいって、聞いたから」
彼女は自他共に認めるカフェ中毒だった。超ロングスリーパーである彼女にとって、カフェインは覚醒のための生命線。幼い頃から摂取し続けたそれは、いつの間にか彼女の嗜好品となっていたのだ。
香ばしい豆の香りに包まれながら、二人は束の間の休息を取る。この後に待ち受ける魔導師の街への旅路を前に、穏やかな時間が流れていた。
「そういえば、任務以外でここに来るなんてあんまりなかったな」
呼び出しや仕事のついでに立ち寄ることはあっても、自らの意志で暖簾をくぐった記憶はない。黒恵に宝具を買ってもらった時を除けば、店に入ることすら稀だった。
アイが案内したのは、どこか年月の重みを感じさせる古びた店構えだった。しかし一歩足を踏み入れれば、そこは外観からは想像もつかない、高級ジュエリーショップのような洗練された空間が広がっていた。
「なんか欲しいのでもあるのか?」
「うん...これ」
アイが視線を落とした先には、一つのリングケースに収められた、対となる二つの指輪があった。これまで色々と教わってきた身だ。感謝の意味を込めて、ここは格好をつけてやろうと亜里好は胸を張る。
「ここは俺が出してやるよ」
「要らない...多分、亜里好には出せない」
「え?」
その言葉に、亜里好は陳列棚のプライスカードを凝視した。
6800万円。
ずらりと並んだゼロの羅列に、息が止まる。ランクも上がり、人並み以上の給料を得ている自負はあった。だが、その自信は一瞬で粉々に砕け散った。
――天神の時も色々と助けてもらったから、何かプレゼントしようとしたけど断られたし...俺、めちゃくちゃダサいな
自分の情けなさに肩を落とす亜里好をよそに、アイは事も無げに決済を済ませ、店を後にした。近くのカフェに入ると、アイはコーヒーを、亜里好は傷心を癒やすように甘いココアを注文する。テーブルを挟んで座るなり、アイは指輪の一つに自身の魔力を流し込み始めた。
「亜里好」
無造作にリングケースが投げられる。受け取ったケースの中では、先ほどまで無色透明だったはずの片方の宝石が、鮮やかな色を帯びて輝いていた。
「それに魔力を流し込めば...いい」
「これ、宝具だよな?なんの宝具なんだ?」
「右側の指輪は、左側の指輪装着者に一定の魔力を送り、ストックさせる事が...できる。亜里好の内功はまだ荒々しい...すぐに魔力が尽きるから」
「それって、俺がアイの魔力を貰い続けるってことだよな?大丈夫なのか?」
心配する亜里好に、アイは表情を変えずに言い切った。
「ボクの魔力は常に有り余っている...だから、大丈夫」
淡々とした口調だったが、その言葉が意味する技術は、現代魔術の常識を根底から覆すものだ。
本来、魔法という現象を具現化するには、己の中の魔力をエネルギーとして消費する必要がある。しかし、その変換プロセスには常に莫大なロスがつきまとうのが摂理だ。
「例えば普通の魔導師が...十の出力を得ようとする...そのためには、だいたい三十から五十の魔力を消費...するの。それは...魔力を完璧に魔法へと翻訳できていないから」
アイの説明は明快だった。熟練の魔導師であっても、変換効率は通常六割から七割程度。残りの三割以上は変換しきれなかった澱となり、霧のように霧散してしまう。
さらに、魔法には現象として成立するために、本能的に過剰な魔力を注ぎ込んでしまうのだ。いわば、コップ一杯の水を注ぐために、バケツ一杯の水を浴びせかけるような無駄が常態化している。
だが、アイは違う。彼女は魔力を一滴もこぼさず、針の穴を通すような精密さで、必要な分だけを完璧に魔法へと流し込む。
「ボクなら、十の魔法に、十の魔力で完璧に変換できる。それにボクは元から魔力量も多い。消費よりも、周囲からの魔素の吸収量の方が上回るから」
「なら、それって」
「実質、魔力量無限」
「……やべぇな」
無限、その言葉の響きに、亜里好は男としての本能をくすぐられずにはいられなかった。
「だから、誰かに魔力を譲渡しても問題は...ない」
「そりゃ、羨ましい限りだな」
亜里好は差し出された指輪を受け取り、意識を集中して魔力を流し込む。すると、先ほどまで無色透明だった宝石が、鮮やかな色彩を宿して輝き始めた。
「(まあ、魔力譲渡なんておまけの能力に過ぎないんだけど...ね)
アイがそっと自分の手を差し出してきた。言葉はなかったが、それがはめてという沈黙の催促であることは、言われずとも分かった。亜里好は意を決した。彼女の細い人差し指に向けて、きらめく指輪を滑らせる。その一連の仕草は、まるで永遠を誓い合う結婚指輪の儀式のようだった。途端に、亜里好の胸の奥から妙な気恥ずかしさが込み上げてくる。
「なぁ」
指輪を根元まで、完全にはめ込む寸前。亜里好はふと、その手を止めた。視線を落としたまま、静かに問いかける。
「アイは、魔導師になって何を目指すんだ?」
「...前にも言った。ボクの目的は一つ...だけ」
アイの声には、いまだ硬い決意のトゲが残っている。
「違う、その後だよ。もしかして、それだけで終わりなのか?」
亜里好が本当に知りたかったのは、アイがその手で復讐を遂げた、その先の景色だった。それは同時に、自分自身の内面を映す鏡でもある。亜里好が魔導師という過酷な道を選んだ理由も、単なる復讐に過ぎなかった。
その先にある未来など、これっぽっちも考えていない。黒恵のように輝かしい夢があるわけでも、高潔な目標があるわけでもなかった。
「考えたこともなかった...」
アイは視線を彷徨わせ、それから、ぽつりと呟いた。
「けど、全てが終わった時...お姉ちゃんの夢を受け継いでみたい」
「夢?」
「ん...最古の魔導師。大賢者の名を受け継いで...みたい」
それが、アイの秘めたる願いだった。魔導師の異名というものは、功績によって新しく与えられるだけではない。偉大な先達から、その名を受け継ぐという道もある。
最古の魔導師。
かつて、バラバラに存在していた覚醒者たちを束ね、ギルドという巨大な組織を作り上げた伝説の人物。その出自も、最期の瞬間も、すべてが謎に包まれているという。
「魔導師にとって、その冠を受け継ぐことは最高の...誇り。ボクのせいで叶えられなかったお姉ちゃんの夢を、代わりに...ボクが叶え、る。だから、現大賢者であるお爺ちゃんを倒すのが...ボクの最果ての夢になるか、な?」
「良い夢だな」
亜里好は微笑んだ。もう迷いはなかった。止めていた手を動かし、彼女の人差し指に、最後まで指輪をはめ込んだ。
「アイの夢を邪魔する奴は、全部俺が蹴散らしてやる。その冠を必ず手に入れさせてやるよ。だから...俺をもっと強くしてくれ。大賢者」
真剣な眼差しで見つめる亜里好に、アイは気恥ずかしさを隠すように鼻を鳴らした。
「生意気な教え子...だね。でも、嬉しい」
そう言って、アイの唇からふわりと笑みがこぼれた。その柔らかな表情を見て、亜里好の心に確かな安心感が広がっていく。同時に、アイもまた、目の前の少年の姿に遠い日の面影を重ねていた。
「(本当に...似てる。お兄ちゃん...に)」
静寂のなか、二人の絆を繋ぐ指輪だけが、静かに光を反射していた。
第23話 【大賢者との誓い】




