第21話 日本に帰還
「改めて、本当にありがとうございました」
亜里好に向かって、アクアは深く頭を下げた。今、ギルドの面々は貸し切りのレストランでパーティに興じている。以前にも儀式成功を祝う宴はあったそうだが、最大の功労者である亜里好が不在だったことから、改めて開催されたのだ。多くの魔導師たちは別の任務ですでに発っていたが、会場は和やかな熱気に包まれている。
「いや、アクアさんを守るのが俺の任務ですから」
「アクアは昨日限りの、一日だけの名前です。私はエマといいます」
「ああ、エマさんですか。なら、改めて俺は亜里好です」
二人が微笑みを交わしていると、ビュッフェ形式のハワイ料理が並ぶテーブルの両隣に、二人の男が腰を下ろした。
「俺はゲレトロだ。不動亜里好、君に会ってみたかったぞ。まずはランクアップ、おめでとうと言わせてくれ」
「あ、はい。ありがとうございます...ゲレトロさん?」
「ゲレトロでいい!それに敬語を使われるほど大層な男じゃない、気楽に頼む」
ゲレトロは豪快に笑い、亜里好の肩を優しく叩いた。
「まさか一番若い貴様が、これほどの功績を残すとはな」
横から声をかけてきたのは、その弟だ。
「確か、ガラトロ...だったな?」
「ああ」
亜里好はふと思い出し、兄のゲレトロの方へ向き直った。
「そういえば、甘いもの好きなんですね?」
「何の話だ?別に俺は甘党ではないが」
「いやー、弟さんが兄貴のためにって...」
「おい!その話はやめろ!」
ガラトロが慌てて遮る。彼との出会いは、彼が甘味を買いに行く道中だった。どう見ても自分用なのは明白だったが、彼はわざわざ兄のためだと嘘をついていたのだ。マーレイ兄弟との雑談に花を咲かせた後、亜里好は新しい料理を取りに席を立った。
「不動くん。無事で良かったです、ランクアップおめでとうございます」
「アンタは...えっと」
共にアクアを守り抜いた魔導師。だが、彼女の名をまだ知らない。
「自己紹介がまだでしたね。私はカルミナと申します」
「ああ、俺は不動亜里好です」
差し出された手を、亜里好は力強く握り返した。彼にとって、今夜はこれ以上ないほど楽しい夜だった。しかし、そんな彼の背中を、カルミナはどこか心配そうに見つめている。
「どうしたの?紅剣」
「黒魔女...いや、天神さん」
背後から声をかけたのは、亜里好が所属するパーティのリーダー、黒恵だった。カルミナは胸の奥にある懸念を打ち明けるべく、静かに口を開く。
「...カルミナでいいですよ。私がこのランクまで登り詰められたのは仲間のおかげ。私一人では辿り着けなかった。未だに、異名で呼ばれる資格はありませんから」
「分かったわ。あなたがそう言うなら、カルミナと呼ぶことにするわ」
宴の喧騒の中、カルミナの瞳だけは、晴れない霧を映しているようだった。
「それで、どうしたのよ?」
「その...不動亜里好、さんについてです」
「不動くん?彼がどうかしたの?」
カルミナの表情は真剣そのものだった。彼女はゆっくりと、胸の内にある懸念を言葉にする。
「私は今まで、数多くの魔導師に出会ってきました。ですが、あんな無茶苦茶な戦い方を見たのは初めてです...正直に申し上げます。彼、このままだと早死にしますよ」
その言葉に、黒恵の瞳に鋭い光が宿った。カルミナは、亜里好とセイダーとの死闘を振り返りながら語り始めた。目の当たりにした光景。それは、戦略を超えた異常な執念だった。
「なんて説明すればいいのか...まるで、相手を殺せるならば自分の命なんてどうでもいいと言わんばかりの...ほんの少し目を離したら、そのまま消えていなくなってしまいそうで」
「そう。忠告、痛み入るわ。わざわざ教えてくれてありがとう」
「いいえ。天神さんのことはかねがね聞き及んでいますから...私も今回で、仲間を失うことがこれほど辛いのだと痛感しました。あんな思いは、二度と御免です」
カルミナの震える声に、黒恵は静かに頷いた。
「...ええ、そうね。仲間を失うのは、本当に辛いわ。よく、ここまで頑張ったわね。それで、あなたはこれからどうするの?」
「そうですね。魔導師を辞める理由が、無くなってしまいましたから。これからは無理のない程度に、続けていこうと思います」
自分を取り戻したような彼女の言葉に、黒恵は『強いわね』と小さく独りごちた。
「なら、次に会うときは、あなたを誇りを持って紅剣と呼べるような、そんな魔導師になってみせなさい」
「はい!」
カルミナは力強く頷いた。黒恵に異名で呼ばれるような存在になること。それを誓うと同時に、彼女は心の奥底で、もう一つの激情を燃やしていた。
隊長の身体を取り戻す。そして、最愛の恋人を殺した奴を、この手で仕留める。彼女の瞳の奥には、決して消えない殺意が宿っている。彼女が魔導師として残る道を選んだのは、その復讐の炎を絶やさないためでもあった。
それから次の日に、騒動の余韻を残しながらも、魔導師たちはそれぞれの自国へと帰還していく。亜里好たち一行もまた、住み慣れた日本への帰路につくのであった。二日間、任務も魔物討伐のない日々を過ごす。
「へぇ...」
亜里好は朝食の目玉焼きを焼きながら、手元のタブレットに目を落としていた。画面には、ギルドニュースと言うギルド員にしか閲覧できないサイトにログインしている。その内容は、何者かの襲撃により聖女を含む八人の聖騎士が命を落としたという、衝撃的なニュースが躍っている。
「なぁ、聖騎士ってなんだ?」
「聖教団に所属する者たちのことよ。ギルドで言うなら、私たち魔導師みたいなものね」
ソファでは、眼鏡をかけた黒恵がノートパソコンに向かっていた。何かの仕事中らしく、画面を見つめるその表情は真剣だ。
「聖女っていうのは、そんなにすごい人なのか?」
「そりゃあね。教皇の次に権限を持つ人なんだから。この前会った司教よりもずっと上よ。そのお偉いさんが殺されたせいで、今やギルドは大騒ぎ。おかげで私の仕事も増えたってわけ」
「あー...なんだっけ?えっと、ヴェ、ん?ヴォル...まぁ、いいや」
どうしても名前が思い出せず、亜里好は諦めて調理に戻った。すると、ポケットのスマホが短く震え、一通のメールを知らせる。内容を確認した彼は、手早く二人分の朝食を仕上げた。
「どこ行くの?」
「運動」
家を出ようとする背中に、黒恵が怪訝そうな声を上げる。
「ご飯食べてからでいいじゃない」
「俺は食う前に運動したい派なんだよ」
「ふーん、いってらっしゃい」
「あっ、多分夕方まで帰らないから」
「分かったわ」
亜里好はジャージに着替え、ランニングシューズの紐を締めると、軽快な足取りで近所の公園まで走り出した。
「人間生活、楽しんでるか?」
公園に着くなり亜里好が声をかけると、待ち構えていた人物が振り向いた。
「人間世界も悪くないでござる候」
「...」
勇李の妙な口調に、亜里好は吹き出しそうになるのをこらえた。
「なんだよ、それ。使い方がめちゃくちゃだぞ」
「最近、時代劇モノというやつにハマっていてのう。てんやんでい!」
「意味、わかってんのか?」
「よく分かっていない」
勇李はそう言い切ると、大量の肉まんが詰まった袋から一つを取り出し、豪快にかぶりついた。
「それでどうなんだ?その...帝都だっけ?」
この世界には、ギルドが管理する特殊な居住区が存在する。反転世界の干渉により現世から空間ごと切り離された、魔導師だけではなく、覚醒者たちのための街。それを帝都と呼ぶらしい。
『そんなこと、どこで聞いたのよ?』
以前、黒恵に帝都のことを尋ねた際、彼女は怪訝そうに問い返してきた。魔物である勇李から聞いた話だったが、彼の存在を明かせない亜里好は『他の魔導師たちの会話から聞こえた』と適当にごまかした経緯がある。
帝都の役割は、いわば巨大な教育、更生施設だ。暴走しがちな魔力を抑えて日常生活に戻れるよう支援する場所であり、次世代の魔導師を育成する機関でもある。そして何より、覚醒したことで普通の家庭に居られなくなった者たちに、新たな家を提供する安息の地でもあった。
「色々聞き込みをしたが、やはり魔狩りという存在の情報は出てこなかったな」
勇李の言葉に、亜里好は短く「そうなのか」と応じた。
「本当に存在するのか、その組織は」
「する...はずだ」
亜里好の記憶の中では、奴らは確かに自らを魔狩り隊と名乗っていた。彼自身も魔導師としてギルドの資料を漁ってはいるが、勇李と同様、未だに核心へは辿り着けずにいた。
――聖教団なら、何か知れるかもしれない。だが、俺の知り合いに聖教団の関係者はいないしな...いっそのこと、ローランドさんやグラ爺に聞いてみるか?
「そういや、これ」
思考を切り替え、亜里好はポケットから一つの指輪を取り出した。
「指輪?それは美味いのか?」
「俺が差し出すもの全てを飯だと思うなよ。これは魔力を抑え込み、周囲に悟られないようにする宝具だそうだ。俺も同じものをつけている」
亜里好の親指にも、鈍い光を放つ同じ指輪が嵌められていた。これは以前、ローランドから授かったものだ。予備が欲しいと伝えたところ、彼の知り合いに特別に打ってもらったのだという。流石に二つ目はタダというわけにはいかず、亜里好の初給料のほとんどがこの小さな金の輪に消えていた。
「ないよりはマシだろ。それならもっと楽に動けるはずだ」
優里は人差し指にはめてジッと見る。
「これが婚約指輪ってやつか?」
「めちゃくちゃ、キメェこと言うなよ...」
気持ちの悪い発言を繰り返す勇李に対し、亜里好は引きつった表情を浮かべる。その後、亜里好は二週間ぶりに凛の道場へと足を運んだ。そこで披露したのは、前回の戦いで確信を得て、ついに完成へと至った赫月であった。
「わぁ!アタシの木刀が!」
互いの木刀を打ち合わせれば、その差は歴然だった。同じ木刀でありながら、亜里好のそれは凛の刃を鮮やかに、そして美しく断ち切ったのだ。
「なるほど、こう持つんだねー」
凛は感心したように、斬られた木刀がを逆手に握り直す。その様子を遠巻きに眺めていた竜之介が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「なら、次の段階に行くか」
重厚な声が場を支配する。
重厚な声がその場を支配した。
「基礎である赫月さえ完璧に身につければ、後はどうとでもなる。さて、どれから教えるべきか。予測困難な乱撃、遠くの敵を射抜く飛ぶ斬撃、装甲ごと断つ重斬、最速の突き、諸刃の剣たる強力な反撃技、あるいは攻防一体の範囲連撃...二つ目と六つ目だな」
竜之介は、選んだ理由を静かに語った。居合である赫月を躱された際の追撃として機能する、飛ぶ斬撃。そして、防御は最大の攻撃なりという言葉を体現する防御の連撃。その言葉に、亜里好は深く納得した。
今の自分に足りないものは何か。脳裏をよぎるのは、レイモンドに刀を躱されたあの瞬間の光景だ。いかに強力な斬撃を放とうと、当たらなければ意味がない。回避した先を捉え、追い詰める次の一手が必要だったのだ。
「飢えた狼の爪の如き斬撃を飛ばす術餓狼月。そして、心を無に帰して放つ幻想の術、天月だ」「餓狼月と天月...」
「だがな、赫月を覚えた程度では、剣士としてはまだひよっこに過ぎん。俺が許すまで、凛と模擬戦を繰り返してもらうぞ」
「押忍!」
第21話 【日本に帰還】




