第13話 海の予感?
「初めまして。不動亜里好です」
「...」
「不動...亜里好...です」
「...」
「ふ、ふどうです...」
「...」
――俺殺される?
凛の案内に従って訪れた、彼女の自宅にある道場。だが、そこで亜里好を待ち受けていたのは、今にも食い殺さんばかりの勢いで睨みつけてくる大男だった。
燃えるような赤く長い髪を後ろで束ねた、髭面の男。腕を組み、仁王立ちするその体躯は、筋肉の厚みも身長もあまりに規格外だ。全身には歴戦を物語る無数の古傷が刻まれ、とりわけ片目を縦に走る傷跡が、元から険しい顔立ちをさらに凶悪なものへと強調させていた。
「うむ。俺は緋縅竜之介。さて、お前さんの名前は?」
「...不動亜里好です」
どうやら、先ほどの必死の自己紹介は完全に無意味だったらしい。
「そうか。はてさて、聞き及ぶところによれば、俺の娘に剣の教えを乞いたいとか。間違いはないか?」
「は、はい」
一言発するごとに、目に見えない凄まじい圧がのしかかってくる。それ以上に、ここまで案内してくれたはずの凛の姿が見当たらないことが、亜里好をさらなる困惑へと突き落とした。強面な父親と二人きり。これほど気まずい状況が他にあるだろうか。
「何故だ?」
「何故、か...戦うためです」
復讐のため。確かにその想いはある。だが、天神やアイと肩を並べるためには、今のままではいられない。もっと強くならなければならないのだ。
「違う!何故俺の娘なんだ!貴様、俺の娘を狙っているのか!?あぁん!?」
「...た、助けて」
突如、胸ぐらを掴み上げられた。竜之介はあんなに怖い顔からボロボロと涙を流しながら、親馬鹿全開の剣幕で激しく揺さぶってくる。脳をシェイクされ、亜里好は今にも吐きそうな心地だった。
「亜里好!おっまたせー!」
そこへ、道場着に身を包んだ凛が、二本の木刀を抱えて笑顔で現れた。だが、すでにバテきっている亜里好に気づくと、不思議そうに覗き込んでくる。
「あれ?修行、もう始まってた?」
それから亜里好は道場着に着替え、木刀を構えた。
「ある程度は覚えたから、なんとなく教えられるよ! まずは最初のページに書いてあった居合を教えるね。多分、これを基本に覚えないとダメっぽいんだー」
「名は赫月」
少し離れた場所で壁に寄りかかり、腕を組んでいた竜之介が口を開いた。
「おっさん...読めるんすか、あれを」
誰も読めなかった、あの奇妙な文字を。
「いや?読めぬが...まあ、技名があった方が心理的に集中しやすいだろう。業を最大限に引き出すための、一つの型だ」
竜之介の言葉を受け、凛が指導を再開する。
「まずはね、剣に意識をピーンって繋げて、心をギューッと集めるの! んで、ザザザッと放つ!」
「...?」
擬音だらけの説明に、亜里好の頭上には目に見えない疑問符が浮かび上がる。それを見かねた竜之介が、翻訳するように補足を投げた。
「剣を剣と見るな。己の分身と思え。剣と一心同体になり、集中を研ぎ澄ませろ。繋がれ。我ら剣士はそれを一心同刃と呼ぶ。斬るというより、繋がる感覚を優先してみろ...とはいえ、感覚を言葉で伝えるのは難しい。凛、手本を見せてやれ」
「うん!」
凛は木刀を腰に構えた。鞘などないはずなのに、その所作はまるで抜刀の瞬間に備える居合の構えそのもの。そして、次に亜里好が凛の姿を捉えたときには、彼女はすでに三メートル先にある巻藁の傍らに立っていた。
凛が木刀で巻藁をトンと軽く叩く。すると、厚みのある巻藁は音もなく滑るように、綺麗な断面を描いて斜めに真っ二つに分かたれた。
――嘘だろ?木刀だぞ?
凛の放った居合が、音もなく巻藁を分かつ。その光景に、亜里好は驚愕を禁じ得なかった。いかなる時も法眼を意識付け、常に発動させている亜里好の瞳には、真実が視えていたからだ。
――凛は、一切の魔力を使っていない。
「何を驚いている?お前さんは、剣士にとって大切なのは何だと思う?」
「技術...それか優れた刀とか、ですか?」
「うむ。確かに技術も大切だ。だが名刀とは、あくまで膨大な己の力を制御できぬ未熟者が使う補助武器のようなもんだ。大切なのは斬るという思考そのもの。真髄を掴んだ剣士は、名剣だろうが鈍だろうが関係ない。どうせどっちも斬れるからだ」
「!?」
竜之介が、その場から軽く手を振り上げた。凛のそれよりも遥か距離のある巻藁が、独りでに左右へと滑り落ちた。非現実的な光景だが、やはり竜之介の体から魔力が漏れ出た痕跡は微塵も感じられない。
「やってみるがいい。まずはそこからだ」
促されるまま、亜里好は巻藁の前に立ち、居合を試みる。だが、当然ながら木刀で斬れるはずもなく、巻藁は微動だにしない。
「もう一度」
再び振る。だが、手応えはない。
「もう一度」
声が放たれるたびに、亜里好は木刀を振り続けた。十回、百回。終わりなき反復の果て。焦燥に駆られた亜里好は、無意識に魔力を流し込み、渾身の力で木刀を叩きつけた。バキィッ! という乾いた音と共に、巻藁が折れる。
「ダメだな」
吐き捨てられた。それは斬ったのではなく、ただ叩き折っただけ。無理な負荷に耐えかね、亜里好の持つ木刀も砕け散っていた。
竜之介は凛から別の木刀を借り受けると、その切っ先で亜里好の胸を軽く突く。
「居合の真髄は、抜刀の瞬間に己の全存在を刃へと流し込むことにある。お前は斬ろうとするあまり肩に力が入り、意識が手元で止まっているのだ」
竜之介がふん、と短く息を吐き、木刀を構える。自然体。だがその瞬間、竜之介の存在感が掻き消えた。巨大な岩塊がそこに鎮座しているかのような、静謐な圧。
「見ていろ。これが一心同刃の一端だ」
空気が爆ぜた。凛のような流麗な移動ではない。純然たる暴力的なまでの速度。踏み込んだ足元の畳がミシミシと悲鳴を上げ、振り抜かれた木刀は残像すら残さず空を薙ぐ。
ドォォン!
空気を切り裂く衝撃波が亜里好の頬を打ち据えた。狙いは巻藁ではない。遥か後方の壁際にある、分厚い練習用防具。それは斬られたのではなく、凄まじい風圧によって消失したかのように粉々に粉砕されていた。
「さぁ、もう一度だ」
亜里好は再び構える。次は力任せではない。あえて脱力し、静かに目を瞑った。竜之介の背中をイメージしても、到底届く気がしない。ならばと、亜里好は先ほどの凛の動きを脳裏に再現した。手の位置、肩の入れ方、踏み込みの角度、隅々まで観察した視覚情報を己に重ねる。
「...っ!」
木刀を引き抜き、斜め上方へと振り上げた。パシッ、と小さな音が鳴る。真っ二つとはいかなかったが、巻藁の表面には、確かに深い切り口が刻まれていた。
「わぁー!すごーい!斬れたー!」
いつの間にか教える立場を奪われ、隅っこで三角座りをしていた凛が、パチパチと嬉しそうに手を叩いた。
「ふん」
竜之介は、ようやくかと言わんばかりに鼻で笑う。対する亜里好は、斬れた瞬間の微かな感触を確かめるように、己の手を凝視していた。その姿を見つめながら、竜之介は独りごちる。
「(初日でここまで漕ぎ着けるとは……才能があるってわけか。だが、怪物の子は怪物ではなかっという訳か...ただの才ある人間じゃダメなんだ...)」
心のどこかで抱いていた高すぎる期待。それは、少し持ち上げすぎていたようだった。しかし、納得がいっていないのは、他ならぬ亜里好自身だった。彼は思いがけない提案を口にする。
「おっさん...次は俺に、打ってくれないすか?」
「...は?な、な、なんだ?お前、そういう趣味があるのか?そんな変な性癖に凛を巻き込むでないぞ!」
「違う!...どうやら俺は、見て覚えられるほど器用な質じゃなかったらしい」
「ほう。そうだな、そのようだな」
「だから打ってくれ...ますか?」
「...」
風変わりな願いを口にした亜里好に、竜之介は困惑の色を隠せなかった。だが、その瞳に宿る異様なまでの覚悟を認め、応えるべきだと腹を括る。
「まずはその敬語を改めてくれぬか。その中途半端なのは調子が狂う...して、お前さんの提案は却下だ。俺がまともに打ち込めば、お前さんは二人になってしまうからな」
――つまり、真っ二つにされるということか。
竜之介の冗談とも本気ともつかぬ言葉に、亜里好は背筋を震わせた。竜之介は傍らの少女に視線を向ける。
「凛、こやつに、先ほどと同じ筋の剣を打ってやれ」
「えっ?ええと...い、いいの?」
「俺は構わない。凛、思い切りやってくれ」
「わ、分かった...お腹のあたりを狙うから、そこに集中して防御してね?」
凛は真剣な面持ちで忠告すると、木刀を構え、対峙する。鯉口を切るような居合の構え。その瞬間、少女から放たれる圧倒的な重圧が、亜里好の肌を粟立たせた。
『赫月』
法眼を集中させ、正面から見据えることで、ようやくその軌道が視界に捉えられる。亜里好は迎撃せんと木刀を構え直したが、不意に、その手の力を抜いた。
「なっ!?何を!」
――受けるなら、この身だろう?
狂気じみた思考が、亜里好の唇を吊り上げさせた。彼は木刀で受けることを放棄し、その身一つで赫月を迎え入れたのだ。文字通り、痛みと共に剣を骨身に刻もうとするその暴挙に、竜之介と凛は目を見開く。
鈍い音と共に亜里好の胴には深い斬り口が走り、鮮血が飛沫となって舞った。
「バカモノ!なぜ手を緩めた!たとい刃がなくとも、凛の腕ならお前さんを殺しきってしまうぞ!」
「...しか、た...覚えた」
自身の肉体を代償にして、ようやく掴み取った剣の深淵。亜里好は口の端から血を滴らせながら、狂おしく笑った。膝を震わせ、今にも崩れ落ちそうな体を引き摺るようにして立ち上がる。彼は今しがた自分を切り裂いた、あの赫月の残像をなぞるように構えを解いた。その死をも恐れぬ眼差しに、凛は圧倒されながらも、小さく頷いた。
「ふぅー」
深く、深く呼吸を沈める。亜里好は、手に馴染んだ木刀の柄から伝わる感覚を、自らの血肉と混ぜ合わせる。
――こいつは俺で、俺は刀。斬る、斬撃、ぶっ斬る...ああ、そうか...殺す。うん、これが一番しっくりくる。
亜里好の全身から、どろりと溢れ出した純粋な殺意。凛が思わず息を呑んだ直後、放たれた一閃は、まさに彼女が放った赫月そのものだった。
木刀越しに伝わる鋭い衝撃に、凛は戦慄しながらも、会心の笑みを浮かべる。それを見守っていた竜之介もまた、口角を吊り上げた。
初めて赫月を放てたのにも関わらず、亜里好はあまり納得のいかない表情で木刀を見つめる。
「(死に直面してこそ、奴の本性が現れる。やはり、化け物の子は化け物というわけか。面白い!こやつなら...)」
「忘れるなよ、今の感覚を。天晴れな剣技であった」
竜之介は音もなく亜里好の背後に回り込むと、その首筋を掴んだ。次の瞬間、亜里好の体内へ、濁流のような何かが流れ込んでくる。
「お前さんの魔力がこうも乱れていては、内功は使えぬだろう?」
「(人間には辿り着けぬ領域。相手に直接内功を流し込む...それより、何だこの感覚は?魔力と呪力...いや、違う。呪力にも何かが...俺たち竜族の力が混ざり合っている?)」
初めて体内に内功が駆け巡り、細胞が活性化していく。すると、どうだろうか。胸に刻まれていた深い傷が、見る間に塞がっていくではないか。
竜之介は、亜里好の体内から伝わる異質な混ざり合った力に、静かな驚愕を覚えていた。
「ふん、あとは二人で好きにするがいい。その赫月を完璧に使いこなせたなら、また俺を呼べ。その先の剣術を授けてやる」
それから、凛による基礎の叩き込みと、終わりなき打ち合いが始まった。昼過ぎから始まった地獄のような稽古が一段落した頃、辺りは一面、燃えるような夕日に染まっていた。
「うんうん!今日はここまで!」
凛の快活な声が響く。彼女は激しい稽古の後だというのに、呼吸一つ乱していない。対する亜里好は、肩で荒い息を吐きながら床に尻をついていた。
「はぁ...はぁ...っ、うす」
体力には自信があった。だが、慣れない重心の移動や、普段使わない筋肉を酷使し続けたことで、蓄えていた力は根こそぎ削り取られている。
生まれて初めて味わう極限の疲労。しかし、肺を焼くような熱さとは裏腹に、その精神はどこか澄み渡るような高揚感に包まれていた。
「どう?剣は楽しい?」
覗き込むように尋ねる凛。その問いに、亜里好は迷わず答えた。
「ああ、最高だ」
「そう!」
短く、だが確かな充足感を込めた回答に、凛は花が咲くような満面の笑みを浮かべた。その後、ふらつく足取りで帰宅した亜里好を待っていたのは、聞き慣れた弾むような声だった。
「不動くん!」
リビングの扉を開けるなり、黒恵が満面の笑みで駆け寄ってくる。そのあまりの機嫌の良さに、亜里好は無意識に身を構えた。
「な、なんだよ、藪から棒に」
「任務よ、任務!」
――ワーカーホリックか何かなのか?
疲れ切った体に鞭打つような報せに内心辟易しながらも、亜里好は尋ねる。
「そ、そうか...で、内容は?」
「魔賊の拘束、及び討伐」
「魔族?なんだ、悪魔の類でも出たのか?」
「その族じゃなくて、盗賊の賊。通称、魔賊。私たちみたいな覚醒者でありながら、その力を悪用して犯罪に手を染めている連中のことよ」
「へぇ、そんな奴らもいるのか」
言われてみれば当然だ、と亜里好は納得する。魔導師のような光の当たる存在がいれば、その影に潜む闇もまた存在する。これほどの異能を手にすれば、法を犯す誘惑などいくらでもあるだろう。
だが、釈然としないことが一つあった。相手が人間である以上、魔物退治よりも後味の悪い仕事になるはずだ。それなのに、黒恵の様子はどう見ても楽しみで仕方がないといった風情である。
「お前、そんなに人を殴るのが好きなのか?」
「失礼ね、何言ってるのよ」
「じゃあ何がアンタをそこまで浮かかれさせてるんだよ」
呆れ顔で問い詰めると、黒恵は身を乗り出して叫んだ。
「場所よ、場所!」
「場所だぁ?」
ひったくるように依頼書を覗き込む。そこに記された目的地の一行を目にした瞬間、亜里好の顔からも思わず笑みがこぼれた。
「そう!場所はハワイ!常夏の海よ!」
「マジか!...ってことは、本場のマラサダが食えるのか!?」
「モチコチキンだって食べ放題よ!」
「ハウピア!」
「ガーリックシュリンプ!」
欲望の赴くまま、互いに食べたい甘味と揚げ物の名を交互に連呼する。ハイテンションで燥ぎ倒す二人の怒号に近いやり取りを、リビングでテレビを見ていたアイが冷ややかな一言で切り捨てた。
「...うるさい」
第13話 【海の予感?」




