第11話 紅の少女
「任務完了か...おかしいな、なぜ不動亜里好が未だに生きている?私の計算では、あの魔物に食い殺されるはずだったんだが」
豪華な装飾が施された椅子に深く腰掛け、ヴァイスは、亜里好たちに与えた任務の完了報告書を忌々しげに眺めていた。その眼前には、軍人のように背後で手を組んだ狛我が、静止した石像のごとく立っている。
「ふざけた性格をしてはいるが、あの魔物は上位個体の中でも実力者だ。天神家の者がいたところで、あれは紛い物の落ちこぼれ。あの二人で倒せる道理がない...ならば、この女か?」
ヴァイスの指が、報告書に記されたアイという少女の名を叩く。情報の空白が多い彼女の仕業だと、彼は推測した。
だが、ヴァイスは知らなかった。いや、知ろうとしなかった。不動亜里好という少年が持つ、死の淵でこそ輝く異常な生存本能を。そして、黒恵という隠された天才の真価を。
「アイという小娘の実力は、確かに申し分ありませんでした。ですが...」
狛我が重々しく口を開く。その声には、嘘の色が混じっていた。
「俺らは突如、魔物の裏切りという想定外の事態に見舞われ、部下二名を失いました。魔物については、俺の反撃により相当に弱らせたところを、彼らが棚ぼたで仕留めたに過ぎません。幸いにも、彼らは我々の介入には気づいていないようです」
「ちっ、そうか。やはり魔物は魔物、御しきれんか。武道を語る知性があろうと、貴様を喰らって進化したいという欲には勝てなかったというわけだ」
ヴァイスは吐き捨てるように言った。自身をユウシャと名乗る魔物がどう倒されたのか、真実は狛我にも分かっていない。アイという少女が仕留めたのだろうと推測はしている。だが、彼は真実を伏せた。
「...まあいい。不動亜里好ごときガキを逃したことより、貴様という貴重な実験体を失う方が痛手だ。あの男の始末は、また次の機会にすればいい」
「ですが、近々聖女候補の者が日本へ来日するとのこと。今、派手な動きを見せるのは危険かと愚考いたします」
「...確かにな」
ヴァイスは忌々しげに目を細めた。聖女候補とは言え、聖教団にて自分と同じぐらいの位を持つ人間の来日。もしこの時期に暗殺者を魔導師に差し向けていることが露見すれば、組織内での立場が危うくなる。
「運の良いガキだ。こいつの始末は、聖女候補が日本を去った後にしよう」
「御意」
狛我は深く頭を下げ、静かに部屋を後にした。彼が主君に嘘を吐いた理由。それは、自分を殺せる状況にありながら見逃したアイへの、奇妙な恩返しだった。
「(不動亜里好...我らは光の代行者であり、闇を穿つ猟犬。魔を狩る我らの牙がその喉元に届く前に、足掻いて強くなるがいい)」
アイがわざと自分を逃したのは、彼女自身の脅威をヴァイスに植え付けるためだろう。ヴァイスが彼女の真の強さを知れば、標的は亜里好からアイへと変わる。それは亜里好を守るための策だと、狛我は看破していた。
彼女の意志に従いアイの報告を詳細に上げれば、ヴァイスの矛先は変わる。だが、それでは優先順位が変わるだけで、亜里好が狙われている事実に変わりはない。
ならば、狛我の選んだ道は時間稼ぎだった。聖教団の闇に対抗できるまで、彼が力を蓄えるための執行猶予を与える。ふっと狛我が目を瞑る。次に開かれた瞳から黄金の輝きが消え失せ、冷徹な黒へと変貌を遂げていた。
「(君の命は、精々この国に聖女が留まっている間だけだ。それまでに僕らに匹敵する力を蓄えるがいい。さもなくば、聖騎士団が、いずれ君の首を刈り取ることになる)」
廊下の闇の奥へと消えていく狛我。この時の彼は、まだ知る由もなかった。不動亜里好という少年との出会いが、自分自身の人生をも大きく変える運命の歯車になることを。
◇◇◇
「んげっ、もう昼前かよ...」
亜里好は眠い目をこすりながら、枕元の卓上時計をひっつかんで顔に近づけた。ここ最近、修行や魔導師関連の騒動、それにパトロールと早起きが続いていたせいで、身体が泥のように重い。
「あれ、誰もいないのか?」
この時間なら、黒恵が起きていてもおかしくない。というか、昼まで寝ていれば容赦なく叩き起こされるのが常だった。不審に思いつつ居間へ向かうと、食卓の上に一枚のメモが置かれていた。
『今日は休みとします。私は用事で出かけるので、夜に帰る予定です』
普段の口調とは違う、いかにも書き置きといった趣の硬い文面だ。
「出かけてんのか」
手持ち無沙汰になり、とりあえずテレビでも見ようとソファへ足を向ける。すると、そこにはふかふかの毛布にくるまって丸まっているアイの姿があった。
突然転がり込んできた彼女に、自分の荷物なんてものはない。昨夜は眠気に負けて大したもてなしもできず、ソファで寝かせてしまったことを思い出し、亜里好は申し訳なさに頭をかいた。
「んん...亜里好?」
気配に気づいたのか、アイが眠たげな声を漏らす。
「お、起きたか。飯食うか?腹、減ってねぇか?」
「うぅん、まだ...だいじょう、ぶ...」
ぽよぽよとした、まだ夢のなかにいるような顔で起き上がる。ふと、アイは自分に掛かっていた毛布に視線を落とした。
「これ...貸してくれたの?」
「ん?いや、俺が来たときにはもう包まってたぞ」
「そっか...」
短く返事をして、彼女は再び眠りに落ちた。亜里好は手早く料理を作り置くと、外へ散歩に出かけた。
――おお、本当に見える。
手に入れたばかりの新しい力を試すべく、行き交う人々を観察する。すると、ごく稀に魔力をわずかに宿した者がいた。一般人の中にも魔素を吸収しやすい体質の持ち主はおり、生まれつき魔力を宿しているケースはある。だが、それだけでは覚醒者とは呼ばれない。
覚醒者と一般人の見分け方は意外にも単純だった。それは魔力が流れているかどうかだ。一般人の魔力は極めて緩慢で、全身に膜のように留まって見える。対して覚醒者のそれは、激流のごとく全身を駆け巡るか、あるいは冬場の温泉から立ち上る湯気のように、勢いよく上方へ流れていた。中には、この一般人の魔力流を模倣して魔物を誘き寄せる魔導師もいるという。
「痛っ!」
法眼の視覚情報に意識を割きすぎていた。亜里好は目の前の電柱に気づかず、顔面から衝突してしまう。発動中は周囲への注意力が散漫になるのが欠点だ。
「はぁ、なんだかな」
先日、嘘のような、ファンタジーのような非日常を体験してしまった。一度それを知ると、元の日常に戻ってもどうしようもない物足りなさを覚えてしまう。あてもなく歩き、暇を持て余した亜里好は公園のベンチに腰を下ろした。
「懐かしいな...」
無邪気に遊ぶ小学生たちを眺めながら、かつての景色を重ねる。月姫、そしてもう一人の子。いつも三人でこの公園を走り回っていた。あの男の子は、中学生になる前にどこかへ引っ越して、それきりだ。
「っ?!危ねぇ!」
一人の男の子が、遠くへ転がったボールを追って公園の外へ飛び出した。周囲がまるで見えていない。その前方からは車が迫っていた。
亜里好は咄嗟に脚に魔力を込めると小さな稲妻が走り、子供の方へ地を蹴る。だが、その横を一筋の影が音もなく追い抜いていった。影は子供をひょいと抱え上げると、迫り来る車を鮮やかに回避した。
「危ねぇだろ!クソが!」
運転手は窓を下げて罵声を浴びせると、逃げるように走り去っていった。いくら飛び出してきたとは言え、心配一つなく消えていく事に亜里好は言葉を漏らす。
「おいおい、マジかよ...」
死の恐怖に直面した子供は、火がついたように泣き叫んだ。
「もう、大丈夫だよー...えっと、こうするんだっけ。見て見て!」
助け出した少女は子供を泣き止ませようと、地面のボールを宙に浮かせた。子供を抱えたまま、器用な足さばきでリフティングを披露する。最後はボールを頭の上に乗せて静止させ、そのまま公園へと戻っていった。
「お姉ちゃん、すごーい!」
「次からは、ちゃんと気をつけるんだよー」
「うん!」
笑顔を取り戻した子供は、ボールを抱えて友達の元へ駆けていった。一人残された少女を、亜里好は凝視する。ふいに少女がこぼした笑みの隙間から、鋭利なギザ歯が覗いていた。
――綺麗な髪だ。それ以上に、瞳が。
黒恵の髪も十分に美しかったが、目の前に佇む彼女が放つ輝きは、それとはまったく異質だった。
幼さを残す童顔に映えるのは、夕陽をそのまま溶かし込んだかのような鮮烈な赤髪。そこへ鮮やかなオレンジのメッシュが、一筋の炎のように走っている。ボリュームのある髪はゆるふわなカールを描き、高い位置でポニーテールにまとめられていた。
顔の両サイドは綺麗な姫カットに切り揃えられ、前髪もそれに合わせて軽めに切り込まれている。さらにその姫カットとは別に、胸元まで届く長いもみあげが、ゆらりと前方に垂れ下がっていた。
何より目を引くのは、黄金の光を宿した鋭いツリ目だ。何よりその瞳の中心には赤い四芒星型の模様が見る者を射抜くような威圧感を放っている。彼女の首元では、無骨で大きなゴーグルが鈍い光を放っていた。
――っていうか、俺がスピードで負けたのか?こっちは魔力まで使ったのに。
明らかに少女は亜里好の後ろから走り出したはずだ。それなのに、先に子供に辿り着いたのは彼女だった。走りの速さには絶対の自信があっただけに、亜里好は心中で驚きを隠せない。
「どうしたの? じーっと見て。アタシの顔に何かついてる?」
「え? あ、すまん...」
――やべぇ、見すぎちまった。
女の子は視線に敏感だなんて話をどこかで聞いたことがあるが、まさにその通りらしい。気まずさに目を逸らそうとした、その時だ。
「んん?...くんくん」
彼女は何かに気づいたのか、ぐいっと顔を寄せてきた。鼻先が触れそうな距離で、亜里好の匂いを嗅ぐ。そして、驚いたようにその瞳を大きく見開いた。
「うわーっ!同族の匂いがする!君、ドラゴン?」
「...はい?」
突拍子もない単語に、思考がフリーズする。
「アタシ、緋縅凛!君は?」
「お、俺は不動亜里好です。ドラゴンってのは、その...」
「違うのー?でも、うーん...パパと似たような匂いがするんだけどなー...」
困惑する亜里好だったが、凛の言葉にひとつ心当たりがあった。同業者なのかもと、疑念を確かめるべく、法眼を発動させる。視界が切り替わると同時に、凛の身体を包み込むように巡る、燃えるような紅い魔力が浮かび上がった。
「アンタ、もしかして...」
『魔導師なのか?』と問いかけようとした瞬間、彼女の視線に気づき言葉が詰まった。凛は先ほどの子供たちの方を、何かを捉えたかのようにじっと見つめていた。
「...魔物か」
亜里好は法眼を維持したまま、彼女の視線の先を追う。すると、先ほどまではいなかった一人の子供に異変を感じた。その身を包む、薄汚い黒い靄。それは黒恵から教わった呪力の特徴と一致していた。子供たちの目は虚ろで、まるで魂が抜けたようだ。魔物の呪力は、魔力が乏しい人間ほど容易に洗脳すると聞く。
――あの子、今日はつくづく命の危機にさらされるな!
亜里好が助けようと地を蹴った。だが、それよりも早く飛び出したのは凛だった。しかし、凛の接近を察知した魔物は、近くにいた少年少女の服を掴むと、歪んだ次元の裂け目へと姿を消した。
「少し遅れちゃった...くんくん。こっちか!」
「おい、待て!」
やはり同業者なのか。凛は匂いを辿るようにして猛スピードで駆けだす。驚くべき脚力だった。亜里好は足に魔力を集中させ、必死に彼女の背中を追った。
「ここかなー」
「おい!」
「んー?あれ?なんで?アタシに追いつけたの?どうしよー」
立ち止まった凛が、困ったように眉を寄せる。正体を隠すべきか迷っている様子を見て、亜里好は自身の右手に紫電を走らせた。
「俺も魔導師だ!さっきのガキ共はこの近くか!?」
「わぁー!やっぱり、魔法使えるんだね。うんうん、パパと同じ匂いがすると思った!これなら...うん、これにしよう」
凛の表情がぱっと明るくなった。正体を伏せる必要がないと悟るや否や、彼女は何もない空間から一振りの剣を具現化させる。それを地面に突き立てると、虚空に異界へと繋がる門が口を開いた。
「えっと、亜里好?君も人助け、する?」
「...ああ、連れ去られるのを目の前で見ちまったからな」
「なら、一緒に人助けをしよう!」
子供のように無邪気な笑みを浮かべ、凛は異界の中へと飛び込んだ。亜里好もまた、その後を追う。二度目となる異界。そこは勇李の作り出した空間とは異なり、灰色の空の下にアスファルトの地面が無限に広がる、無機質な世界だった。
「まさか、即座に場所を特定されるとはな」
異界の中央に、一人の子供が立っていた。その背後には、先ほどの二人が意識を失ったまま宙に浮いている。
「本当に、魔導師というのは厄介だ。だが、こちらには人質がいる。貴様ら魔導師は、我ら魔物の殲滅よりも人命救助を優先するはず。それがお前たちの最大の弱...がはっ!?」
魔物が勝ち誇ったように饒舌に語る最中、凛の周囲に無数の剣が展開された。それらは彼女の意思に呼応し、弾丸のごとき速度で射出される。肉を貫く衝撃で魔物が後方へ吹き飛ぶ隙に、凛は宙に浮いていた子供たちを鮮やかに救出した。
「喋っているときに、無礼な奴め...!」
魔物の腕が異形に変貌し、ガトリングガンの銃口が並ぶ。放たれた弾丸の雨が凛を襲う。
「『豪炎咆哮』!」
凛の口から放たれた猛烈な火炎放射が、迫りくる弾丸を瞬時に溶かし尽くした。追い詰められた魔物はスライム状に形態を変えると、腹部から巨大な砲身を突き出し、無数の砲弾を乱射する。
「させねえよ!」
亜里好は迷うことなく刀を抜き放ち、二人の間に割って入った。鋭い閃光が走る。放たれた砲弾は、着弾の衝撃を呼ぶ暇もなく、空中でことごとく両断され、火花を散らして地面に転がった。
対峙する魔物の姿が歪む。重厚な装甲がその身を覆い、まるで近未来の兵器を思わせる巨大な鋼鉄の巨躯へと変貌を遂げた。両肩には無骨な大砲を、両腕には鈍く光るガトリングガンを備えている。
「確か...異星種か」
その異様なフォルムから、亜里好は即座に敵の正体を断定した。子供を安全な遠方へと退避させると、凛が亜里好の傍らに並び立つ。
「うーん、硬そう。なら、これかなー」
凛の声と共に、新たな剣が召喚された。それは人の背丈ほどもある、巨大な大剣。彼女はその巨剣を、事もなげに片手で担ぎ上げる。
刀身から柄に至るまで、燃え盛るような紅に染まり、随所に施された黄金の装飾が陽光を弾く。剣というよりは、鋭利な角を持つ長方形の鉄塊に近いその威容は、見る者を圧倒する熱量を帯びていた。
第11話 【紅の少女】




