第九話
急いで準備を終わらせて、瑞希とリンナは銀の覇者の事務所を後にする。
ダジルの家に向かいながら、二人は会話をする。
「家に荷物を取りに戻らなくちゃいけないな」
引っ越しをするにも、荷物をまとめて、手配をする必要がある。
ギルドで募集をかけるか、ギルド職員に手配してもらうか、どちらにせよ誰かに頼む必要がある。
「そうね、引っ越すにも準備がいるから、暫くはこっちにいる必要があるわね」
「確かに、よく考えたらやることは多いね」
「よく考えたらって、まさかこれが終わったらすぐに引っ越すつもりだったの?」
「え、そうだけど」
リンナはため息をつく。
「順調にヴォルとダジルが治ったら、それをギルドに報告する必要があるんだけど、私に全部やらせるつもりだったの?」
「……ごめん、そこまで気が回ってなかった」
「それに、ミズキのことを心配してる人は意外と多いのよ。よくミズキが日雇いに行ってたお店の店長にも『ミズキくん、暫く来てないんだけど何かあったのかな?』って聞かれたわ」
「……そうなんだ」
「大家さんだって心配そうにしてたし、ちゃんと説明に行ったほうがいいわ」
意外と人望のあるミズキに感心しつつ、自分事として受け入れられない現状に困惑する。
ただ、リンナの言う通り、お世話になった人へ挨拶ぐらいはしに行くべきだろう。
「ねえ、やっぱりミズキは変わったわ。もうこの街が嫌になった?」
すると、リンナが不安そうに聞いてくる。
「……違うよ」
確かに、変わったという表現はある意味正しいのかもしれない。
ただ、それを説明するのが難しいというだけ。
「ねえ、後で僕の治癒を試してほしいんだけど、出来る?」
「どうしたの、なにか悪いところでもあるの?」
「いや、ちょっと異物ってのが気になってさ。最初にヴォルから殴られた時、かなりひどい状態だったから検診してほしいんだ。もちろん報酬は払うよ」
もし、ミズキがいない今の状態が異常だとしたら、治せるかもしれない。
(でも、治ったとして、私が消えるってことなのかな)
もともと、この体の主はミズキであって瑞希ではない。
だから、治らなかったとしてもミズキを探す必要はある。
(でも、どうやって?)
ミズキの心? 仮にそう呼んだとして、それがどこにあるというのだろうか。
ふよふよと、風船のようにそこら辺に浮いていたら分かるけれど、流石にそんな事あるわけない。
「報酬だなんて言わないで、私がそんなにケチ臭い女に見えるっていうの?」
「いや、よく言ってたじゃん、能力で何かをしたら対価は貰うべきだって」
リンナはよく、能力で簡単にできるからと依頼を安請負するギルドメンバーに注意していた。
そんな事をしたら、周りには軽んじてくる人しかいなくなってしまう。特に冒険者になりたての若いメンバーに口酸っぱく言っていたのを覚えている。
「それはそうだけど、ミズキは違うじゃん!」
しかし、リンナは立ち止まって、瑞希を睨みつける。
「私、これまで一回でもそんなこと言ったことある?」
「……ない?」
リンナは定期的にミズキの体を見ていた。検診と言うべきだろうか。
理由は……病気が心配だから? ミズキの母が死んでから、リンナは定期的にミズキに「病気がないか見せなさい」と迫っていたような気がする。
「ごめん、その、ヴォルに殴られてから、記憶がちょっと曖昧になってて」
「どういうこと? 大丈夫じゃないってことじゃない!」
リンナは叫んで瑞希の手を取る。
すると、淡い水色の光が瑞希の手を包む。
(これが、治癒……)
柔らかい温かさが手から広がり、じわりと体を包んでいく。
知識としては頭にあるが、実際に感じると心地よくて、程よい温かさが体を包んでいく。
しかし、その光はすぐに消えてしまう。
「ざっと見たところ異常はないわ。後でじっくり治癒するから、なにかあったらすぐに教えて」
「うん」
「もう、私たちは友達なんだから……ってそこまでは忘れてないでしょうね」
「流石に、曖昧なのは部分的にって感じだから大丈夫だよ」
リンナは訝しむ様子で瑞希を見つめる。
「ごめん、いろんな事が目まぐるしく変わって、まだ頭が混乱してるだけだとは思う」
「そうね……ミズキはのんびり屋さんだもんね」
「そうだね」
リンナは表情を緩めて微笑む。
上手く誤魔化せたことに安堵しつつ、嘘をついている感じがして少し罪悪感が募る。
「そういえば、ダジルって今どんな様子なの?」
「私もよく分からないけど……なんかずっと閉じこもってるみたい」
「連絡はした?」
「一応、『これから向かうから用意して』とは送ったけど、返信はないわ」
「テルは何か言ってた?」
「なんか優しく接してあげてほしいって。反省してるかは知らないけど、元気がないみたい」
テルもダジルの気持ちには気づいているはずだから、そう言ったのだろう。
そして、そこまで言うということは、ダジルは今、かなり憔悴している可能性が高い。
(でも、リンナは気づいてないみたい)
ダジルはリンナがいると明らかに上機嫌になるし、リンナへの誕生日プレゼントを選ぶ時は、珍しいぐらい悩んでいた。
リンナは意外と、自分に向けられる好意には鈍感な方なのだろう。
「もうそろそろ到着するわね」
歩いていると、小さいながらもかなり豪華な一軒家が見えてくる。
ダジルが住んでいるのは、事務所から近い場所にある、小さめの一戸建て。
ミズキが住んでいたアパートから近く、リンナが住んでいる女子寮からもそこまで遠くない。
だから、三人はたまにダジルの家で遊ぶこともあった。
確か、ダジルは祖父母に『引っ越すなら絶対一戸建てにしろ』と言われて、勝手に物件を決められたそうだ。
ダジルが「金ならいくらでも持ってる爺婆だ」と嫌そうに言っていたのを覚えている。
「なんでダジルのおじいちゃんとおばあちゃんはこんな一軒家に住めって言ったんだろう」
「きっと親心ってやつよ」
「そう、かな……」
それを否定する訳では無いが、何となくそれだけではない気がする。
ダジルは何か他に言っていなかっただろうか。
「はあ、面倒ね。ダジルはいつまで子供みたいに振る舞うつもりなのかしら」
「まあ、まだ許される年齢だよ」
すると、リンナに呆れたような視線を向けられる。
「ずっと気になってたけど、どうしてミズキはそんなにダジルに甘いの?」
「甘いかな」
「だって、何か言われてもあんまり反論しないじゃない」
「ああいうのは反応したら余計に面倒になるだけだから」
そう返事をして、違和感に気づく。
(自然に出た)
先程の言葉は何も考えることなく、すんなりと口から出た。
静かに驚いていると、「そうね、確かにその通りだわ」とリンナは呆れたように笑う。
(やっぱり、ミズキはこの体にいるのだろうか)
もう、何がなんだか分からない。
ただでさえ今の事態に混乱しているというのに、更に分からなくなってしまう。
そんな事を考えていると、ダジルの家に到着する。
玄関にあるノッカーを鳴らすと、リンリンと可愛らしい音が鳴り響く。
確か、ダジルは実家のうるさいノッカーの音を酷く嫌っていて、真逆とも言える音にしたと言っていたような気がする。
(ダジルのことは沢山思い出せるのに)
これはミズキとダジルは仲良かったということなのだろうか。それとも逆に、どうでもいいことだから思い出せるのだろうか。
暫く待っているが、ダジルが出てくる様子はない。
「ムカつくわね」
リンナは苛立った様子で何度かノッカーを鳴らすが、可愛らしい音が響くだけで、物音一つ聞こえてこない。
「仕方ないわ、ミズキ、ダジルの家の鍵持ってたわよね」
「……そうだね」
――ミズキ、これを持っておいてくれ。ダジルには言っちゃ駄目だよ。何かあったら使ってくれていいからね。
ミズキはエシタからダジルの家の合鍵を貰っていた。
理由は確か……。
――ダジルはあたしらより、あんたに懐いてるからね。頼んだよ。
そう言っていたエシタの表情はどんなものだっただろうか。なんとなく思い出せるが、エシタが何を思ってミズキに渡したのか分からない。
事実として分かるのは、ミズキはそれを受け取ったということだけ。
「じゃあ、一旦僕の家に向かおうか」
「そうね」
リンナは最後にノッカーを鳴らして、玄関から離れる。
「もう、手間がかかるんだから……」
リンナが呟いた瞬間、微かに音が聞こえてくる。
思わず瑞希とリンナが顔を見合わせていると、ゆっくりと玄関の扉が開く。
隙間から見えるのは、暗闇。そして、ゆっくりと人影が現れる。




